紙の本
水滸伝の宋江のことだが、前々からなぜあんないい加減な人物が梁山泊を率いる英雄になれるのか疑問だったのだけれどなんのとりえもないこの劉邦と似ているんだ。
2007/04/16 18:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHK大河ドラマ『風林火山』がおもしろい。井上靖は読んでいないのでなんともいえないのだが山本勘助のいかにもワルなところを非情なタッチで描いている。虫酸がはしると感じる視聴者があっても不思議ではない。すくなくともこれまで放映されたところでは卑怯な謀が上首尾に仕上がったところで、顔を伏せてにやりとするところなど、NHKらしくもない凄さがある。
若い頃から諸国を遍歴し、各地の地勢、民力、領主の資質を総合的に把握し、軍略や築城術などの兵法を身につける。そして自分の能力をたかく買ってくれ、天下を狙える武将を渉猟する。主君に対して決して卑屈ではなく、軍略、調略に関しては対等、むしろ師弟の関係に立っているかに見える。この場合勘助が師である。下克上、戦国時代、旧弊を破壊する生存競争にこそ生まれる自律した個性の登場である。そこにはありきたりな善悪の倫理基準はなく目的に向かっていかに効率的にすすむかとみずからに使命を課したプロフェッショナル像だ。
項羽における范増、劉邦における張良だけではない。秦には法家があり、その秦を打倒せんと老荘、儒家、縦横家、兵法家の「士」が入り乱れる。司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読んでいるとこの勘助的個性をもっと際立たせた人物が天下を二分した英傑の周辺、いたるところ登場しその運命のドラマチックな変転ぶりに熱くなる。だから風林火山とは比較にならないスケールでエキサイトさせられる。だいたい山本勘助を紹介してある古文書の「甲陽軍鑑」こそもともと司馬遷「史記」を参考にしていただろうからね。
司馬遼太郎はこの「士」についてこう語る。
農民の中から自立してくる一種の自由人で、自分の知識と精神が役立つなら仕え、気に入らなければ市井にかくれ、………遊士………食客………その生き方は自律的で自分の徳義でもって進退し、あるいは生死し、かつての時代の奴隷的な隷属根性をいっさいもたない。
「個性を尊重しよう」「個性を発揮できるシステムをつくろう」と格差社会といわれる現状で格差をマイナスにとらえる人たち、そうはとらえない人たちともにともにここは一致している。ニートって市井にかくれた「士」なのかもしれないな、なんて楽観的かな。個性発揮で「時代の寵児」となった後日談もこの歴史小説にはいくつもでてくるな。
企業の人事管理システムが年功序列から成果主義になった。仁とか徳とか抽象論で人間を評価してはいけない、具体的に役に立ったか立たなかったかで信賞必罰を透明にするって秦の法家思想が先をいっていたのだが、結局、秦は人間を自然物のひとつとして万能の法を貫徹させ人間性を抹消させてしまったんだ。それで全国的暴動の発生。
司馬遼太郎は劉邦の茫洋たる人物に関し「侠」についてもこう語る。
劉邦とその身内の関係はその時代なりに自覚した個人が侠という相互扶助精神を糊として結びついているように思える。………王朝がたのむに足りず、むしろ虎狼のような害があるという古代的な慢性不安の社会にあって、下層民が生きていくには互いに侠を持ち、まもりあう以外にないというところから発生した精神といっていい。
つまり、利害得失、上下関係にかかわらず義のためには命を惜しまぬ結びつきのことだ。なかなか味のある「美学」だと思ったりする。とはいえそれで暴徒の大親玉になれるかもしれないが優れた政治家にはなれまいね。
劉邦と項羽の違いは何十万、何百万という規模の大流民どもに穀倉を押さえるなどして「なんとしてでも食わせてやる」と、この桁はずれの「侠」にあったようだ。
とりとめのない個人的な雑念と遊びながら、股くぐりの韓信が見せる背水の陣から四面楚歌、虞や虞やなんじをいかんせんと かつて知ったる故事の数々をかみしめつつ壮絶な項羽の最後までの大ロマンを充分に楽しむことができました。
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いつかは読んでみたいと思っていたのですが、娘に先を越されて薦められ、近々読むつもりですが、難しい漢字を飛ばして読んで意味がわかるでしょうか???心配
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項羽と劉邦のキャラクターもさることながら、2人を取り巻く群臣たちの人物に引き込まれます。あーまた読みたくなってきた。
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時代小説は日本において、組織論という側面からビジネス本としての価値が高いというコラムを読み、そこで紹介されていた司馬遼太郎著『項羽と劉邦』を読んでみることにした。時は紀元前三世紀末。秦の始皇帝が中国を統一したところから物語は始まる。紀元前という時点で中国の偉大さを痛感した。始皇帝の圧政とその未熟さ、そして従うも地獄という圧政ならばいっそ戦ってしまえということで各地で同時に巻き起こる反乱。そして世は戦国の時代に逆戻りという中での、猛将項羽と人望の劉邦の対比。名将でありながら一瞬の迷いで死んでいく武将や、策謀を張り巡らしつつも来るべき死をどうにもできない参謀など、大乱の世ならではの栄枯盛衰を描きつつ物語は進む。まだ上中下の上しか読んでいないけれども、しんしんと心に積もるように面白い。『項羽と劉邦』というくらいだから、最初から天下分け目のヒーロー対決かと思った自分が浅はかだった。なにしろまだ項羽と劉邦は同じ陣営に属して戦っているのである。しかしその後二つの勢力は相まみえ、劉邦が天下を取るのであるけれど、まだ項羽が猛将であり、秦を滅亡させるかもしれないというあたりまでしか描かれておらず、劉邦はその人となりを紹介されたくらいで、未だその神髄を発揮していない。そもそもきっかけとなったコラムには劉邦の人を吸い込むような人望の高さということが書いてあったのだ。地方ではそうなっているけれど、天下を揺るがすようなことにはなっていないので、まだ読みたい部分にはほとんど触れていないことになる。それでいてこれだけ面白いのだから恐ろしい。とにかく中巻を読まねば。
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劉邦は嫌い。項羽と虞美人が好きな私は典型的に少女漫画好きだと思う。この方の書かれる不器用な項羽と儚くも強い虞美人は、嘘でも良いから幸せになってほしかった。
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司馬遼太郎氏は自身のエッセイの中で、膠着語に属する日本語の特質に触れ、機能的な構造を持つ為に理論性に優れた印欧語族よりも感情表現に適していると大約述べている(その説に異論はあろうけど)。その上で、氏の目指す文章は「いかにしてその感情性を抑えるか」に力を注いでいるとのことである。
確かに本書の巻頭から息を呑むような精緻・静謐な文章に圧倒された。しかし、「氏の目指す文章」の裏を返せば「努力せねばどうしてもその情緒性が溢れ出てしまう」のであろう。氏はエッセイ中触れてはいないが、氏の小説の持つ魅力とは静謐・緊迫の文章に垣間見えるその情緒性ではないだろうか。
上中下巻を通じて実に堪能したが、読後特に心に残ったのは夏侯嬰とその妻との挿話であった。
物語は劉邦が関中制覇を成遂げた最初の成功譚に引続く崩落の過程に副えられる。敗戦・逃亡の緊迫の中に織り成される夏侯夫妻の生き様が実に瑞々しい。
高潔な文章というのはこのことを言うのだと思う。
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◆項羽と劉邦、ともに秦を滅ぼしつつも、やがて道を違える二人の英雄。二人の運命を決めたのはいったいなんだったのか…
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こんな時代のことは、全く無知なわけですが、でも、司馬さんの文体で書かれると、ぐぐっとひきつけられます。
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高1のとき読んで、中国歴史に興味をもつきっかけになった本です。 全3巻なのにぱぱっと読めちゃいました
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楚漢抗争期を描いたいわずと知れた名作。この作品の項羽、劉邦像は、そのまま日本人が抱くイメージとして定着しちゃってるんじゃかなろうか。主人公の2人をはじめ、登場人物はみな人間味があふれていて、氏の人物造形の上手さがうかがえる。
また、氏の特徴として、ところどころに薀蓄が振りまかれており、これを楽しめるか冗長だと思うかで、評価が変わるかもしれない。
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司馬氏の作品はどれも秀逸ですが、好きな時代のこれをあげてみました。
ほかに「花神」「空海の風景」「燃えよ剣」など、どれも大好きです。
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イマイチ。
話が前後したりで、理解するのも苦労したし、
何か主人公2人ともあまりかっこ良くない。
まぁ実在した人間をありのままに描いたら
完全な人間なんてそうそうはないと分かってても、
やっぱ英雄でいてほしいよね。
3つの中では下が一番面白かった。
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なんか家にありました。多分父方の祖父の持ち物だったはず。多分私の司馬遼太郎ファーストコンタクト作品。
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前200年頃。漢帝国の創始者となった高祖劉邦と楚の武将項羽との話。
劉邦は沛県で三男として誕生し任侠の徒として暮らしていたいわゆるヤクザ者で,逆に項羽は楚の将軍項燕の孫といういわゆる良い家柄に生まれ,劉邦を配下に従えていたが,部下を恐怖で縛るようなところも多く,人心も得ることが出来ず,結局は劉邦に敗れてしまいます。項羽は非常な人間に言われることも多いですが,近親の人間には非常に優しかったとも言われているそうです。
功があれば必ず賞す。これが劉邦軍の原則であったようです。項羽軍はどうかといえば,すべての手柄は項羽のものだから,功が賞されることはありませんでした(それほど項羽自身が強かった)。項羽の下についた者も決して心服したわけではなかったそうです。このため,劉邦のもとではいろいろな才能を持った人間が,それぞれ得意とするジャンルで,じゅうぶんに腕をふるうことができたようです。
また,劉邦は犠牲者の遺族を厚く遇することを忘れていません。それがわかっているので,自分の身を捧げようとする者が現れます。逆に項羽のような自信過剰の人物は,全てを自分の功績と考えるので,他の者がどんな犠牲を払っても,それに感謝する気持ちは薄かったということです。
仁にして人を愛し,施しをこのむ,と史記に書かれた劉邦は,人を愛したゆえに,人からも愛されたのでしょう。
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司馬氏の書くものってホント引力がありすぎるなーと思います。
特に劉邦の絶妙なダメさ加減とほっとけなさが素晴らしい(笑)。