紙の本
その人をその人のまま、愛するということ。
2005/12/09 15:31
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Y.T.Niigata - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京で編集者をしていた十数年前、大島渚監督に人生相談のお願いをした。女性情報誌での連載の依頼だった。当時、テレビで顔を見ない日はないほど、多忙だった大島監督。「週刊誌のレギュラーなど、断られて当たり前」と諦めていた矢先に、監督ご本人からお返事をいただいた。「喜んでお受けします」。未熟者で、弱小出版社に勤める駈け出しの編集者である私に、監督は敬語で接してくださった。
週に一度、赤坂の大島渚プロダクションに相談項目をファックスで送り、実際に会って監督から回答を得る。そんな形で連載が一年あまり続いた頃、「ご自宅でくつろぐ監督の姿を撮影したい」と、お願いをした。そのときも監督は二つ返事で快諾。そのうえ小山明子さんと一緒の撮影まで受けてくださった。撮影当日は、カメラマン、部長、そして私の三人で藤沢のご自宅へ伺った。少し緊張してインターフォンを押すと、門の向こうに和服姿の小山明子さんの姿を認めた。門から玄関へと続く、敷石のある道を案内してくださる小山さん。その優雅な美しさに嘆息した日を今でもありありと覚えている。
「パパ」「ママ」──大島監督と小山さんはお互いにそう呼び合い、息子さんたちが幼かった日の話を楽しそうに聞かせてくれた。「今、これに夢中になってるの」。当時はやっていたココロジーテストを紹介しながら、小山さんが心理テストをした。それは、「サバンナを歩いている場面を想像し、目の前を横切る動物を連想。その動物からベストパートナーがわかる」というものだった。小山さんが見えた動物は「ライオン」、大島監督が見えた動物は「白馬」。私たちは、「大島監督はライオンそっくりだし、小山さんは白馬以外の何ものでもない。さすが、ぴったりのパートナーですね」と頷き、笑い合った。
『パパはマイナス50点』──小山明子さんが著したこの本は、大島渚監督への愛に満ちている。「何もできないからこそ愛おしい」。テレビのトーク番組で小山さんが語ったこの一言が全編にあふれ、思わず胸が熱くなる。「ライオン」と「白馬」と言い合ったお二人。その満面の笑顔を思い出しながら、転職に悩む女性情報誌の人生相談で、大島監督から学んだ実に多くの人生哲学と、監督にしか教えていただけなかった美学を今思い出している。
人間の尊厳とは何か。人間とは何か。自分とは何者か。美とは? 幸福とは? 品格とは?「主演女優を考える際、僕は、腕を組んでシャンゼリゼを歩けどうかで決めるんです」「女優がなぜ美しいか? それはカメラマンも監督も、女優が一番美しく見えるように愛情を注いで撮るからです」「誰かを憎むことは簡単だ。しかし、最大の復習は、優雅に生きることだ」……。私は、20代後半に、大島監督に出会えたことを誇りに思う。そして、大島監督を通じて、女優として輝く以上に、奥様として、母として、私たちが嘆息するほどに美しい女性の先輩、小山明子さんにお会いすることができた日を宝のように感じる。
大学を出たての入社試験で私はこう書いた。「そのとき、何をしていてもいい。どんな職業に就いていてもいい。大地にしっかり立って、この手で誰かの背中をしっかり抱きしめる。そんな人に私はなりたい」。小山明子さんの『パパはマイナス50点』を読み直すたびに、私はこの言葉をかみしめている。
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最近、どうしても目に入ってきてしまう「介護うつ」という言葉。
この本にも、「介護うつを越えて 夫、大島渚を支えた10年」という副題が付いています。
著者は、映画監督大島渚氏の夫人で、女優の小山明子さん。
1996年、大島監督が旅行先のロンドンで、脳出血で倒れます。
映画「ご法度」のクランクインを翌年に控えていた監督には後遺症が残り、再起不能と思われました。
高額の医療費、監督降板の違約金、またマスコミの執拗な取材を受けて、小山さんは精神的に追いつめられ、冷静な思考力を失っていきます。
「我が家はもう破滅です」
意識を取り戻した監督は、映画を撮るために必死に回復しようとしていました。
その介護を完璧にしようとするあまり、小山さんは自分を追いつめていってしまいます。
数ヶ月後に出演予定であった舞台の仕事。時間的にも、精神的にも到底出演は無理と、断わったことが、ますます彼女を不安に陥れます。
長年、女優として生きてきた心の拠り所をなくしてしまったために、ますます自己嫌悪にとらわれるようになっていったのである。
「妻失格。主婦失格。子供たちだって半分以上はお義母さんに育ててもらったようなものだから、母親も失格。そして女優としても失格……。やっぱり私は、生きている価値のないダメな人間なんだわ」
「夫の介護をしなければ」、でもできない。
その苦しみから強い自殺願望にもとらわれ、何度も入院を繰り返します。
うつになった理由を、いまは冷静に分析することができます。
障害を抱えた夫と二四時間向き合い、気の休まる間もなく、とにかく頑張って、頑張って頑張り過ぎた結果、入院する羽目に陥ったのである。にもかかわらず、一刻も早く退院して、また頑張ることしか考えていない。その考え方を変えない限り、いくら体が元気を取り戻したところで、また同じ過ちを繰り返すことになる……。
典型的な「介護うつ」の当事者の追いつめられ方を、非常に赤裸々に描き出した内容です。
読みながら、息苦しくなる思いを何度も味わいました。
この本の救いは、小山さんが、いまは介護うつから脱出し、大島監督とともに充実した老後を送っていらっしゃることを確認できることです。
「共倒れしない介護の秘訣」と題した七項目は、これから同じ境遇になったときに非常に参考になるでしょう。
その一 まず自分の時間を持つ
その二 一日一日を楽しむ
その三 イベントで家族の絆を深める
その四 つらいときこそユーモアで乗り切る
その五 「ありがとう」のひと言は大きい
その六 介護される人の気持ちを尊重する
その七 一人で抱え込まない
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夫、大島渚が突然倒れて闘病生活に。
最初は映画制作を公表したばかりの時期ということもあり、騒ぎになることを恐れて、妻なのに駆けつけることが出来ず、公然と出入りできない寂しさ。
身体に気をつけてあげることが出来なかった、今も役に立たないと自分を責めて、うつ状態になり、死まで考える状態に。
家族が心配して入院、それも閉鎖病棟に。
退院後も自分は病気ではないと感じていて、薬も飲まないでいたとか。
しだいに事実を受け入れ、友達も出来て、対応できるようになっていくが‥
夫が話を聞いてくれる人で何より大事な存在だったため、近所に友達が少ないのも孤独になった原因だったとは。
悪意のある散らしが郵便受けに投げ込まれたり。
夫が大変なときに妻がしかkりしないとはもってのほかという批判もされる。
昔はそういう教育だったんでしょう。
ちょっとした介助にもいつも「ありがとう」と口に出してくれる夫だったとはいいですねえ。
収入のない若い監督の夫を支え、映画作りの費用まで稼ぎ出していた妻ですからね。
妻はいつも女性として何よりも欲しい「評価」と「信頼」をしてくれたと夫が書いていたとは。
妻の方も、支えて育てて貰った気持ちが強いというのは何より。
三度目の入院で、もう歩けるようにはならないだろうと言われた大島がさすがに荒れる。
しかし20歩、自分で歩けるようになったとは。
荒れているときもユーモアで「昨日のパパは百点満点だったけど今日はマイナス五十点よ」などと言って笑わせ、怒りを静めるとか。
自分の健康のために水泳教室に週に一度は通うようにしたが、出かけるときには長年勤めてくれた家政婦さんに夫をほうっておくなんてと言われるそうだが気にしない。
季節の花を生けて、車椅子で家族旅行にも行き、おじいちゃんは凄いのよと孫にも教え、身体が不自由になったことは夫の尊厳を損なう物ではないと考える。
後半の明るさはビックリするぐらい。
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ドラマ「大島渚の帰る家~妻・小山明子との53年~」を見ました。鬼才の映画監督と女優の夫婦。伊丹十三と宮本信子しかり、依存を越えて互いに崇拝にしあった不思議な関係。苦労と愛情が感じられるいいドラマだった。