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みんなのレビュー9件

みんなの評価3.3

評価内訳

  • 星 5 (0件)
  • 星 4 (4件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (2件)
  • 星 1 (0件)

高い評価の役に立ったレビュー

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2005/12/12 14:48

来るべき作家・茂木健一郎のスプリングボード

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「脳のなかの文学」のタイトルで『文學界』に連載された文章を収めた本書は、茂木脳科学の理論的関心がしっかり装備されていた『脳と仮想』とは違い、まぎれもない文学論の書である。ところが、その肝心の文学論がしっくりと腑に落ちない。
 茂木氏は、「文学は、あくまでも個の体験の特殊性に寄り添いつつ、世界の全体を引き受ける普遍学としての可能性を志向する」と書き、そこでいう「個の体験の特殊性」を「クオリア」に見立てている。切実で痛切な、筆舌に尽くしがたい、一回かぎりの、他に置き換えのきかない、固有の体験とそれに伴う感覚・情動・感情の質。
 でも、「クオリア」の概念はもっと深い。あるいはもっとありふれている。非人間的で個体を超過し、まさしく降臨もしくは降誕するものだ。降臨するものとして脳内に現象(降誕)するもののことであるはずだ。それに、そもそも「個の体験の特殊性」など歯牙にもかけない文学的伝統というものもあるではないか。
 茂木氏は要するに、自分が好きな(書きたい)文学作品を枚挙しているだけなのだ。それはそれでいっこう構わないが、だったらクオリアだの脳科学だのをもちだすことはない。むしろ「印象批評」などと生ぬるいことをいわず、「クオリア批評」を標榜してみせるべきだった。
 この読み始めに覚えた違和感が最後まで足をひっぱって、いまひとつ読中感が高揚しなかった。それでも、とにかくこの人は文章が上手いのでそのあたりのことはあまり気にせず読める(読み流せる)し、細部の議論はいつもながらに面白い。
 たとえば、「人間は、未だ、情報というものをとらえ切れていない」とか、「「私」の脳の中の情報を全てコンピュータに置き換えれば、「私」という体験が複製されるという技術者の冒険主義は、クオリアの私秘性という意識の現象学的存在基盤によって否定されるしかないのである」といったくだりにはぐっときた。
 また、坂口安吾や丸谷才一の小林秀雄批判に深い愛を読みとり、政治家や官僚たちの体験のリアリティが文学的表現や鑑賞の対象とならなかったことを嘆き、イギリスのTVコメディの深い文学性を指摘するあたりや、長与又郎の「夏目漱石氏剖検」筆記に「ああ、ここに文学があった」と述懐するところなどには、茂木氏の文学観が徐々に深化し広がりをもったものに変貌していくさまが覗き見られて心が躍った。
 とりわけ私が惹かれたのは、漱石をめぐって綴られた次の文章である。
《意識を持ってしまった人間は、「反生命原理」と「生命原理」が交錯するところでしか生きられない。だからこそ、夏目漱石は私たちにとって特別な意味を持つ作家なのだろう。漱石こそ、もっとも反生命的な危険な精神の狂気の気配を漂わせつつ、しかしあくまでも生活の現場に踏みとどまろうとした、類い希なる文学者であったように、私には思えるのだ。
 普遍と個別の間の相克に悩む者が陥る病理、別の言い方をすれば「適応」として現れるのが、ユーモアのセンスである。ユーモアとは、個別と普遍の間の裂け目から吹き出す一種の狂気に他ならない。死すべき「個別」たる人間が、宇宙の「無限」やイデア世界の「普遍」とまともに向き合っていては、命がもたない。ユーモアの一つや二つでも処方しないと、やってられない。》
 本書は、文芸誌連載という「制約」(茂木氏にとっては一つの「自由」をもたらす枠組みだったのかもしれないが)を離れて、むしろ最初から漱石論として書き下ろされるべきであった。読後、つくづくそう感じた。そういう意味では、この書物は来るべき作家・茂木健一郎にとってのスプリングボードなのかもしれない。

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低い評価の役に立ったレビュー

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/04/15 11:14

小林秀雄の引用が多すぎる

投稿者:あたる - この投稿者のレビュー一覧を見る

はっきり言って、とても読みにくい。
何を書きたいのか、いわゆる著作の「骨」が見えてこない。
随所随所に、小林秀雄が引用されているのが、「わかりにくい文章をきらう」評者の印象を悪くしているのかもしれないが・・・。
このような著作というのは、エッセイのような「寄せ集め」か、それとも著者の主張が明快であることが必要だと思う。
その点、本書は、評者の浅学非才が原因なのか、著者の主張がみえてこなかった。

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紙の本

来るべき作家・茂木健一郎のスプリングボード

2005/12/12 14:48

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「脳のなかの文学」のタイトルで『文學界』に連載された文章を収めた本書は、茂木脳科学の理論的関心がしっかり装備されていた『脳と仮想』とは違い、まぎれもない文学論の書である。ところが、その肝心の文学論がしっくりと腑に落ちない。
 茂木氏は、「文学は、あくまでも個の体験の特殊性に寄り添いつつ、世界の全体を引き受ける普遍学としての可能性を志向する」と書き、そこでいう「個の体験の特殊性」を「クオリア」に見立てている。切実で痛切な、筆舌に尽くしがたい、一回かぎりの、他に置き換えのきかない、固有の体験とそれに伴う感覚・情動・感情の質。
 でも、「クオリア」の概念はもっと深い。あるいはもっとありふれている。非人間的で個体を超過し、まさしく降臨もしくは降誕するものだ。降臨するものとして脳内に現象(降誕)するもののことであるはずだ。それに、そもそも「個の体験の特殊性」など歯牙にもかけない文学的伝統というものもあるではないか。
 茂木氏は要するに、自分が好きな(書きたい)文学作品を枚挙しているだけなのだ。それはそれでいっこう構わないが、だったらクオリアだの脳科学だのをもちだすことはない。むしろ「印象批評」などと生ぬるいことをいわず、「クオリア批評」を標榜してみせるべきだった。
 この読み始めに覚えた違和感が最後まで足をひっぱって、いまひとつ読中感が高揚しなかった。それでも、とにかくこの人は文章が上手いのでそのあたりのことはあまり気にせず読める(読み流せる)し、細部の議論はいつもながらに面白い。
 たとえば、「人間は、未だ、情報というものをとらえ切れていない」とか、「「私」の脳の中の情報を全てコンピュータに置き換えれば、「私」という体験が複製されるという技術者の冒険主義は、クオリアの私秘性という意識の現象学的存在基盤によって否定されるしかないのである」といったくだりにはぐっときた。
 また、坂口安吾や丸谷才一の小林秀雄批判に深い愛を読みとり、政治家や官僚たちの体験のリアリティが文学的表現や鑑賞の対象とならなかったことを嘆き、イギリスのTVコメディの深い文学性を指摘するあたりや、長与又郎の「夏目漱石氏剖検」筆記に「ああ、ここに文学があった」と述懐するところなどには、茂木氏の文学観が徐々に深化し広がりをもったものに変貌していくさまが覗き見られて心が躍った。
 とりわけ私が惹かれたのは、漱石をめぐって綴られた次の文章である。
《意識を持ってしまった人間は、「反生命原理」と「生命原理」が交錯するところでしか生きられない。だからこそ、夏目漱石は私たちにとって特別な意味を持つ作家なのだろう。漱石こそ、もっとも反生命的な危険な精神の狂気の気配を漂わせつつ、しかしあくまでも生活の現場に踏みとどまろうとした、類い希なる文学者であったように、私には思えるのだ。
 普遍と個別の間の相克に悩む者が陥る病理、別の言い方をすれば「適応」として現れるのが、ユーモアのセンスである。ユーモアとは、個別と普遍の間の裂け目から吹き出す一種の狂気に他ならない。死すべき「個別」たる人間が、宇宙の「無限」やイデア世界の「普遍」とまともに向き合っていては、命がもたない。ユーモアの一つや二つでも処方しないと、やってられない。》
 本書は、文芸誌連載という「制約」(茂木氏にとっては一つの「自由」をもたらす枠組みだったのかもしれないが)を離れて、むしろ最初から漱石論として書き下ろされるべきであった。読後、つくづくそう感じた。そういう意味では、この書物は来るべき作家・茂木健一郎にとってのスプリングボードなのかもしれない。

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紙の本

小林秀雄の引用が多すぎる

2006/04/15 11:14

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あたる - この投稿者のレビュー一覧を見る

はっきり言って、とても読みにくい。
何を書きたいのか、いわゆる著作の「骨」が見えてこない。
随所随所に、小林秀雄が引用されているのが、「わかりにくい文章をきらう」評者の印象を悪くしているのかもしれないが・・・。
このような著作というのは、エッセイのような「寄せ集め」か、それとも著者の主張が明快であることが必要だと思う。
その点、本書は、評者の浅学非才が原因なのか、著者の主張がみえてこなかった。

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2006/04/20 22:00

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2007/08/06 00:00

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2012/05/24 08:11

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2013/02/10 17:04

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2013/04/22 17:54

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2013/07/02 22:28

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2019/08/24 23:25

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