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紙の本
切っても痛くない爪や髪の毛って「自分」ぢゃないんだろうか?
2007/05/24 15:07
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
こどもの哲学・大人の絵本シリーズの第2巻。ちょっとだけ内容に踏み込もう。第2章「痛い問題」には感じ入った。自分の爪は切っても痛くない,髪の毛もそうだ。爪や髪の毛って自分ぢゃないんだろうか,というモンダイである。たとえば自分の手を切断したとする。赤瀬川さんは言う。「でも痛いのは体の本体の方で,切断された手の方はもう痛くないような気がする」。そうやって体のあれこれを切っていって,痛いほうを自分として残すとすると,最終的に残る自分ってなんだろう。なんだと思います?
次の第3章「国境問題」で事態はなお複雑になる。人間の体をパイプに喩えよう。ホウレン草を食べるとホウレン草はそのパイプを通り,必要なものを吸収されて出てくる。ではパイプを通過中のホウレン草は自分ぢゃないのだろうか? その昔,映画にもなったH・F・セイントの「透明人間の告白」という傑作SFで同じようなモンダイが論じられていたのを思い出す。主人公は透明だが,彼が食った食い物は口から食道を通っていくのが見える。それらを完全に消化してしまったあとでないと,彼は一人前の透明人間として活躍できないのだ(この小説ではとりあえず糞は自分であるらしかった)。
その他にも手塚治虫の傑作短編「赤の他人」(「SFファンシーフリー」所収)に通じる貴種願望感覚を扱った「一つだけの問題」など,深遠な哲学問題を平易な文章と独特のタッチの絵で提示する,すぐ読んでしまえるけど読み込むと深い本。今後の続刊が楽しみである。
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