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主体性のない女の恋愛を描いた3編。
どうも人物像がはっきりしない。
『しょっぱいドライブ』
30代の女が還暦過ぎたおじいさんと同棲をはじめるまでの話。
お互いどこが良くて一緒にいるんだ…?
という疑問が最後まで解消されなかった。
一番ひどかったと思うがこれが芥川賞受賞作。
芥賞にしたほうがいいとまでは言わないがなんとも…高尚な解釈を施せばいい作品に見えるかもね、という話。
『富士額』
博多に巡業に来た関取と14歳女子が肉体関係を持つ話。
主人公が文字面以外、14歳である必要がまったくわからない。
小説というには物語性がない。
気づいたら終わっていた。
『タンポポと流星』
主人公未散が東京で就職してからの人間関係&恋愛話をベースとしながら、幼なじみであり未散を召使のように扱う毬子との関係を描いたお話。
毬子が本当にムカつく女なのに主人公がのらりくらりとしていて非常にイライラする。
しかも問題はまったく解決せず、一体何の物語だったのかまったくわからない。
文章は雰囲気もあり読みやすいものの物語がしょうもないというかない。展開がない。変化がない。
テイストとしては朝倉かすみと似ている。
ちょっと変わっている女の日常。しかし朝倉さんよりも物語として起伏がない感。
この作品には解説がついていなかった。
解説するほどの物語ではないと言われても納得するくらい、なんだか平坦な世界だった。
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2002年下半期芥川賞受賞の表題作と、他に2つの短篇を収録。語り手は34歳のミホ。お相手は、推定年齢が61,2歳くらいで「「たるんだちくわ」みたいな九十九さん。一応は恋物語のようでもある。しかし、性交渉は「あったような、なかったような」ものだし、恋心を燃やすといった世界からは遠い。(おそらくは九州の)漁港のある田舎町の閉塞感もまた、あるようなないような。たしかに、併録の2篇も含めて、特に人間関係のありようにおいて大道珠貴に固有の小説世界があるだろう。それが評価されたのだろうが、読者層を想定しにくい小説だ。
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この物語は、老人である九十九さんと九十九さんに恩を感じている若い女性が、一緒に暮らすまでの物語である。
二人は仲が良くドライブしているが、それは九十九さんの優しいからしていると女性は考えている。また、二人は家族には言えない内緒の関係でもあった。
女性は九十九さんとドライブをしながらも、この人と今後暮らして行きたいと思うのだか、最初に好きになった男性:遊のことが忘れられない。九十九さんといる時も遊と一緒にいた時のことを思い出していつまでも気になって仕方がない。最終的に、九十九さんは優しい人だから、付き合ってみてダメなら別れると言う決断をした女性は九十九さんと少し離れた町で、一緒に住み初める。自分の利益にもならないが九十九さんは、自分がやりたいようにやっている。この姿に女性は新鮮なモノであるに思ったのではないか。彼女もだんだん九十九さんとこれから一緒にいたいと思い始める。
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【本の内容】
お金か?
セックスか?
いや…わたし(34歳・独身)、九十九さん(60代・妻子持ち)。
しょっぱい愛の物語。
芥川賞受賞作。
[ 目次 ]
[ POP ]
2003年第128回芥川賞受賞作ほか「富士額」「タンポポと流星」の2作が収録されている。
表題作は、パートタイマーの34歳独身女と奥さんを寝取られたしょぼい老人が同棲するまでの顛末を描く。
鋭い人間観察にもとづいた、登場人物たちのふるまいや心の機微の描写が素晴らしく上手な書き手であり、過去の記憶と老人との逢瀬が行きつ戻りつ、なめらかに綴られる。
同棲する直前のやりとりはまさに絶品。
共感、いや驚嘆でした。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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芥川賞受賞作品らしいが、悪い意味で芥川賞らしい作品。表題作を含め、計3本の短編。
テーマは3本とも、「変な男と、したいでもないセックスをする」というだけの話。また、主人公が取り立てて生きる目標があるでもなく、定職についていないか、ついていても特にやりたい仕事でもない、というあたりが、どう見ても芥川賞に志向した作品なのだよな。
ところで、3本とも「変な男」がそれなりにキャラクターができていて、特に3本目の話には、あと2人強烈なキャラクターが登場する。
しかし、「いきずりのセックスをする」に引きずられて、何ら面白くもない話になってしまっている。1990年頃のマガジンハウス系女性雑誌の、半ページ小説の延長みたいな話だ。
「センセイの鞄」に似たような方向性なのに、雑念を加え過ぎたらつまらなくなりましたというような小説。
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「タンポポと流星」がなんか良かった。どの主人公たちもなんだか自分を大切にする事が憚られるかのような、適度にだらしない感じが少し苦手だったし、力抜けてていいようにも思えた。不思議な感覚。
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読書開始日:2021年11月27日
読書終了日:2021年11月27日
所感
【しょっぱいドライブ】
面白い作品だった。
どうしても「わたし」を好きになることはできない。
それは、自分が男で、さらに九十九さんと似たようなタイプだからだ。
全ての言動、行動に自信が無いが、自分の中だけで対処する術を身につけている。
全て背負い込む覚悟は持っている。
わたしは気の弱さに付け込んだ。
完全な優良物件のキープだ。
部屋探しをしているときと似ている。
表現がかなり上手い。
既視感がある。
それは自分の態度だったか、過去の女性の態度だったか。
目を背けたくなるほど体験したことがある作品だった。
【富士額】
ひきこもってしまった中学生の女の子の話し。
この女の子はつきつめればゆっくりしたかっただけだった。
お相撲さんのペースがこの子にはあっていた。別れの場面はお相撲さんがペースを乱し、女の子は正気にもどった。
お相撲さんから送られてきただるまのぬいぐるみで、お相撲さんの腕枕を思い出す。
一つの思い出
【タンポポと流星】
毬子のような人間は確かに存在する。
プライドが高いが精神的に弱いことを心のどこかでわかっているため、自分よりもさらに弱い人間を捕まえ威張る。
威張られた人間は、衰弱し、次第に判断が出来なくなる。
決死の覚悟で上京を1人で決めるも、委ね切っていた判断力は戻らず、会社でも男にもいいように使われてしまう。
結局最後までうだつの上がらない女だったが、毬子との適切な距離感を見つけた。
木崎のような男には反吐がでる
あれは告白のつもりだったのだろうか。私としては頼んでもいないのに聞かされ、重たかった
すれ違うたび、なにかひとつ、彼は楽しいことをしかけてきた。
花言葉はね、はかない喜び
このふたりはわたしをネタにして、引き合っているのだと思う。私抜きにしたいのに、まだ言い出せない仲だ。
【しょっぱいドライブ】
いいひとって結局ひとがいいってことでしかないんじゃないか
しゃべっていないと間が持たなかったからだ。でもしゃべることはお互いの名前しかなかった。
ああ役に立ったんだな
九十九さんはもくもくと一人の世界にいた。あまりにも自分ことだけすぎていた。
としよりにはとしよりの、秘密があるのだろう。全然おかしくないから、堂々としていたらいいじゃない
まずは博識ぶらない
遊さんはわたしの貞操なんてどうでもいい
返し切ったところで、この罪悪感は消えないだろう。もう、ありがとうございました、ではなく、ごめんなさい、許してください
夜のほう、からっきしだめで
釣り人=遊さん ふぐ=わたし
わたしがこのひとのそばにいたいのは、結局、先がみえているぶんやりやすいからなんだろう
一から、始める。ああなんて新鮮な響きだろう
九十九さんは、わたしの顔色ばかり見ている。だから車の中でわたしはまた!いいかげんなことをいって
血生臭さなんか、まるで縁のないままここまできたのだろ��
こう言う暮らしには目が眩む
右半分ごっそりない
くるくる思考を変えて遊んでいる
【富士額】
どこにでもいるんだなとイヅミは思った。ずっと笑ってなきゃいけないって雰囲気を強制する人
【タンポポと流星】
あれは告白のつもりだったのだろうか。私としては頼んでもいないのに聞かされ、重たかった
すれ違うたび、なにかひとつ、彼は楽しいことをしかけてきた。
花言葉はね、はかない喜び
このふたりはわたしをネタにして、引き合っているのだと思う。私抜きにしたいのに、まだ言い出せない仲だ。
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読んでいて主人公や登場人物に共感したり魅力を感じることはないが作者の文章や言葉遣いは時折、面白いとは思いました。
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大道珠貴さんの芥川賞受賞作品を読みました。「しょっぱいドライブ」、2003.3刊行、2006.1文庫。「しょっぱいドライブ」「富士額」「タンポポと流星」の3話。「しょっぱいドライブ」は、九十九秀雄という妻も愛人もいる60代の男性と34歳の実穂との関係、「富士額」は26歳の相撲取りと中2、14歳のイヅミとの関係、「タンポポと流星」は、女性の友達関係を描いたもの。なるほど、純文学、芸術性とはこんな作品を指すのですね!