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犯罪の原因は社会だとして被害者をなおざりにしてきた世の中と、理由なき犯罪者=怪物から身を守るために、治安を守ることに執心し、その秩序から少しでもはみ出るものを排除していく世の中と、
どちらが善いか悪いかで量れるものではないのだろう。
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2000年に、少年法が改正され、厳罰化されるまでの前少年法といえば、やはり、誰もが疑問に思う点が多々あり、被害者よりも、加害者の少年の権利ばかりが守られ、
これからの人生につまずきがあってはいけないと提言される。処罰の適用年齢が16歳から14歳に引き下げられたけれど、もう少し早く、何とかならなかったのだろうか。
現代は、特に、動機なき犯罪が増加している。一般の私達ができる事は何だろうと考える。割れ窓理論について、少し書かれていたが、少しの事も、放置される事の無いよう、心がけが大切だと思う。
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凶悪犯罪は増えてなどいない。
保護の対象であった少年と精神障害者はなぜ「怪物」扱いをされるようになったのか。
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[ 内容 ]
凶悪犯罪は急増していない!!
保護の対象であった少年と精神障害者はなぜ「怪物」扱いをされるようになったのか。
[ 目次 ]
第1章 少年を教育に囲い込む社会(少年犯罪は凶悪化しているのか 「山形マット死事件」の真実は ほか)
第2章 「怪物」化する少年たち(「神戸連続児童殺傷事件」の戦慄 どの時代にも起きていた凶悪事件 ほか)
第3章 精神病院から排除される病者(町に暮らしていた病者たち 私宅監置の悲惨な状況 ほか)
第4章 犯罪精神医学の歪んだ欲望(犯罪の専門家としての精神科医 犯行動機の解読者として ほか)
第5章 不安にとりつかれた社会(措置入院制度から医療観察法へ 判断基準は異常性にあり ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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酒鬼薔薇事件以来、少年犯罪が増加、凶悪化したと各メディアでは報じられていたが、犯罪白書のデータを見れば分かるとおり、1960年代に比べ、殺人を含め少年犯罪の件数は大幅に減っている。
更に、一家4人を殺害して金を奪った上に放火した永山則夫事件、優等生として認知されていた少年による猟奇的な事件など、「凶悪」と思われる犯罪は昭和時代からあった。
それにもかかわらず、平成に入ってから少年犯罪が増加、凶悪化したという虚偽の情報が広まった背景にあるのは何か?著者は、住民が嬉々として防犯活動、治安管理に勤しみ、秩序を乱すものを監視、隔離し、恐怖を快楽として消費するホラーハウス社会を作り上げていることを指摘している。
非常に興味深く、内容も正鵠を射たものだと思った。最近は治安が悪くなったと言われていますが、そう断定せず、冷静に世の中を見つめていくのが大事だろう。
人々は連日報道される凶悪犯罪に目を顰めながらも、メディアの必要以上に不安を煽るセンセーショナルな報道に怯えつつも、どこかでそれを楽しんでいる節があるのかも知れない。そういうことを考えさせられた。
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Sadismは、加虐性淫乱症(性欲)って意味だったんだ。生活療法、エンタメ。普通の生活では知りえない少年犯罪、精神病?者の事情や経緯が、偏った報道では知りえないことがわかった。
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「少年による凶悪犯罪は急増していない」という主張は、「教育不信と教育依存の時代」で広田 照幸氏も述べている。
では、何が変わったのか。事件を受け容れる社会が変わったのだ。
以前の社会は、事件に直面し犯人を責める前に、理解しようとした。その犯罪から、社会の病理を捉えようと努力した。しかし、今はその努力よりも、怪物として排除しようとしている。
それらの動きを著者は「犯罪の作品化」と呼んでいる。
犯罪者となった少年たちの「更正」「教育」を主目的としてきた少年法の精神、歴史的背景。そして、犯罪の作品化を持ってしても理解不可能となった酒鬼薔薇事件を契機として起きた厳罰化(少年法改正)への動き。
一方「異常者」として、刑法上の刑罰を免れた少年たちが収容される精神病院の抱える様々な問題。
この本の提起する問題は多岐にわたっている。
だからどうしたらよいのか。
これは私たち一人一人が考えなければならない問題なのかも知れない。
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なんかリサーチ不足してんじゃないのかなという印象を受けるんだけど、大丈夫なのかな。
まあ精神医学史や犯罪学史とかはちゃんとした資料が少ない印象というか、
ダメな資料の比率が高いような気がするからしょうがないか。
ここらへんのわりとサヨク史観というか、
「悪いやつら、無能なやつら、権力者が善良な人々をふみつぶし虐待する」
という視点から扱いやすすぎるんだよな。それにまあ実際精神医学は
20世紀後半までまったく見込みがなかったわけだし。
本当になにもわかってなかってなかったみたいね。おそろしすぐる。
でもそれは悪意や無能によるものではないわね。難しすぎたし道具もなかった。
DSM-III革命の偉大さってのがいまわかる。