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ロシア旅行の準備で購入。外套ってこんなはなしだったっけ。記憶違いがあったようで実際読んでみてよかった。
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ロシアの貧乏人らしさがよく出ている「外套」も、幻想的で奇妙な「鼻」も、どちらも楽しい作品。ロシア文学らしい、喜劇的ながらも人間愛に満ちた良作。
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<07/2/12読了>芥川ばりのユーモアとペーソス、山田風太郎ばりの奇想。19世紀の作品だというのにとても面白く読めました◆「鼻」は主人公の鼻が突然主人公から離れて一個の人格として街中を跋扈し、主人公による追跡劇が繰り広げられるという山田風太郎ばりの奇想が楽しめる愉快な作品。主人公のちょっとピントのずれたじたばたぶりが笑えます◆「外套」はドストエフスキーをして「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」と言わしめ、後のロシア文学に大きな影響を与えた名作。「外套」がどこをしてドストエフスキーたちをそこまで感銘せしめたのか凡人の私には分析できませんが、ゴーゴリの人物造形の確かさ、ストーリーテリングの巧みさは私にもわかりました◆「外套」は読んでいる間物語の展開が少しご都合主義的だし、乱暴な気もしてちょっと気に入りませんでしたが、読み終わってしばらくたってから、心の底から何か余韻のようなものが立ちのぼってくるのを感じました。しみじみとした悲哀というか、静かな怒りというか、愉快でほのぼのとした気持ちというか、そういったさまざまな感情がないまぜになったような・・・・◆読み終えるまではちょっと不満だったのに、読み終わったとたんにそういうヘンテコな気持ちにさせられる。そこんところが名作の名作たる所以でしょうか。
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やさしい眼差しがあふれる外套と、不条理で解釈を否定する鼻。ゴーゴリのユーモアは、時々寂しさすら感じさせる。
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ゴーゴリの代表作かな。外套の哀れさ、悔しさ、幽霊になってまで彷徨う主人公。小説の原点のような気がします。
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ロシア文学の大家ゴーゴリの端編作品。外套は、非常に会われな凡人に生じた不幸を扱っており、最後がせめてもの救いだが、それがなければただの不幸な話でしかないと思う。
鼻に関しては意味不明な点が多々ある。確かにドフトエフスキー等が影響を受けたという事が理解できる文章表現もあったが、それでも意味不明。ストーリーがめっちゃくちゃに感じるしね。
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「外套」がとても強く印象に残った。「鼻」も忘れないと思う。
「外套」の主人公が外套を手に入れたようにしたまでのことを
するほど自分が手に入れたいものはあるだろうかと考えている。
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思い切りファンタジーなのに、どことなく陰鬱な雰囲気が世界全体を覆っていて、「あーロシア的だ」という気持ちになった。
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話には聞いていたがドストエフスキーに似ている。と言ってもドストエフスキーの方が影響を受けた側である。個人的には「鼻」の方が良かった。これがまた無茶苦茶である。小説だからってやりたい放題。しかも作中に突っ込みがいないモンだから、さぁ大変。鼻がない人を観ても叫び声を上げたり、狼狽したりしない。なぜかみんな冷静である。鼻が都落ちしようとしているとか、普通に会話に出てきて、もう意味が分からない。でも、イイ。その無茶苦茶具合がイイ。読んでて、何となく不思議の国のアリスを思い出した。
無茶苦茶で、どこか残酷な所とかから、そう思ったのかも知れない。でも、あれは嫌いだが、これは面白かった。
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ある日の朝、焼きたてのパンの中に人間の鼻が入っていた。そんな唐突でシュールな出だし。
その鼻を探す持ち主の目の前で、鼻は服を着て、馬車に乗った役人として現れる。自分の鼻と会話をし、自身の鼻がないことを説明する持ち主。いったい、どんなシチュエーションなのだ?読者の想像力そっちのけで、ストーリーは強引に進展する。
理解しがたいナンセンスさを含んだ1800年代のロシア小説。ピカソの芸術を理解する人もいれば、単なる落書きだと貶す人もいる。この小説もそんなジャンルなのだ。
果たして、鼻は持ち主の顔面に戻ってくるのか?
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かのドストエフスキーにして「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」といわしめた作品。
うだつがあがらず、周囲に馬鹿にされ続けながらも、日々書写という自分の仕事を全うし続けた末、唯一の希望たる新調の外套を不合理に奪われ、人知れず死んでいった主人公の哀しい話…それなのになぜ、こんなにも気持ちが穏やかになるのだろう。
主人公のアカーキイ・アカーキエヴィッチにぜひとも会ってみたいと思えるのはなぜだろう。
彼だけでなく登場人物すべて、この作品には心底悪意の人間は誰一人としていない。
ゴーゴリの登場人物達に向けられた優しさの故だろうか。
そして、舞台となるペテルブルクの描写の何と魅力的なこと。
垂れ込めた雲の重苦しさと冷たい石壁や土埃の匂いが、この街で生活する人間の様々な営みを一層浮き立たせている。
『鼻』、なんとも不思議で痛快な話。ある朝、床屋の主人が食べようとしたパンに誰かの“鼻”が入っていて、ある朝、少佐の“鼻”が無くなっていた。少佐は自らの“鼻”を探すべく奔走する。
随所に見られるゴーゴリの読者への配慮が優しい。
2作とも、登場人物に会いたいと思い、ペテルブルグに行ってみたいと思い、果てはゴーゴリその人に会ってみたいと思わせてくれる作品である。
訳者はゴーゴリ作品翻訳にその生涯を捧げた平井肇氏。死の床でもゴーゴリの原書を放さなかったそうだが、その訳文はゴーゴリの人柄まで感じさせてくれる。
平井氏の訳で読めることへの幸せを感じた。
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ドストエフスキーをして「我々は皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」と言わしめたというだけあって、名作。
一見してとるに足らない人生の中にも燦然と輝く瞬間があり、死に至らしめる悲劇があり、人間の善意や悪意、傲慢や小心、清浄や猥雑、そういうものが混然とした人間世界の中で決して矮小化せずに描かれている。
つまらない人間(?)なのに、主人公に一度会いたくなる。
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すさまじく面白い。
外套:直感的な感想を言うとこの登場人物のおじさんはとても可哀そうに思えた。不憫でならない。同情してしまった。特に仕事や人生において目立った成果を残すわけでもなく淡々と書類を写すという仕事、傍から見ると単調なつまらない仕事ともわれがちな仕事を天職と思い、その仕事を純粋に楽しんでいる姿。とくに給料が高いわけではなく遊びに金を使うでもなく日々をただ送るだけといった生活を続けている。そんな一途に頑張っている人が外套を新調することになって子供のように胸がうきうきしてそれが完成し着て出勤するときの主人公の心の躍動。みていて微笑ましかった。
鼻:単純におもしろい。こういう風にして世の中の不条理を描ける人はほかにはいないだろう。また単純に物語もおもしろかった。
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2010/04/22
ロシアの文豪ドストエフスキーにも大きな影響を与えたとされる
ニコライ・ゴーゴリの代表作。
短いのでさくっと読めます。
人見知りで、貧しく素朴な性格ではあるけれど、
仕事には誰よりも勤勉なアカーキィ。
日々の暮らしにあまりにも彩りがなく、平凡なだけに、
たったひとつの外套が彼の人生を大きく狂わせることになってしまう・・・。
主人公があまりにも哀れなため、
死後、化けて出たとしてもその行為には同情を禁じえない。
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どこかで実際にこんな逸話ありそう。
…と、思えるくらい周りの人たちの反応にリアリティがある。
出来事自体はものすごく非現実的なのに。