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『詩歌の待ち伏せ 1』 北村薫 (文春文庫)
北村さんは大変な読書家で、優れたアンソロジストでもある。
作家だから当然それを人に伝える文章力もあるし、そして何よりやっぱり国語の先生っぽい。
そんな北村先生の国語の授業の、本編ではなく脱線部分、言ってみれば、試験には出ないけれども聞いているとワクワクするようなお話をたっぷりと集めたエッセイである。
文学作品(詩、短歌、俳句から歌舞伎まで幅広い)との出会いを、北村さんは「待ち伏せ」と呼ぶ。
私は三好達治の「甃(いし)のうへ」がすごく好きなのだが、これは高校の国語の教科書で出会った。
“太郎を眠らせ”という始まりで有名な「雪」は、小学校で出会っているはずだが、こちらはあまり印象に残っていない。
ということは、「甃のうへ」にはきっと私は待ち伏せされていたのに違いない。
「あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ」
という柔らかな言葉の連なりが目に心地よく、耳にも心地よくて、二十数年の時を経ても未だ忘れられない大好きな詩なのである。
なぜ三好達治のことを書いたかというと、本書にはしょっぱなから三好達治の「測量船」が登場するからである。
詩は全集ではなく、著者の意図によってレイアウトされた最初の形態で読みたい、と北村さんは言う。
三好達治の「測量船」のレイアウトについて、
「まず最初に、《春の岬 旅のをはりの鷗どり 浮きつつ遠くなりにけるかも》が左の一枚にゆったりと収められ、読者を迎えます。次から三ページにわたる「乳母車」が《この道は遠く遠くはてしない道》と閉じられた隣に、《太郎を眠らせ》の「雪」の二行がある。ページをめくると続いて「甃のうへ」の《花びら》が流れています。」
うーんどうだっけ、と思い自分の蔵書を見てみたところ、予想通り後世の編集なので、順番はこの通りになっているものの、ぎっしりと詩句が詰まっていた。
宮沢賢治なんてその代表なのではないかと思うが、詩は余白も作品のうちなのだ。
確かにこれだけぎゅうぎゅう詰めにされれば余韻もへったくれもないなぁ。
雑誌を作るときに、自分の作品だけ通常の4倍の大きな活字を組んだ石川啄木の話が面白い。
(北村さんは原寸大で再現してくれている)
佐佐木幸綱が自作の詩を朗読するときに、一つの言葉を何度か重ねて読む、というところや、セロリを噛む音が「サキサキと」と表現されているというのもいいなと思った。
学生時代の、教室の机に書かれていた塚本邦雄の二首の歌との鮮烈な出会いもすごいな。
そして、石垣りんさんの「悲しみ」という詩の、今はもういない父母にごめんなさいというところに自分を重ねる北村さんの真っすぐな気持ちに感動した。
芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の“蝉”は一匹か少数か多数か、の考察も面白かった。
解釈には諸説あり、現在、“蝉は少数で種類はにいにい蝉”ということで落ち着いているそうだが、北村さんは、定説が何であろうと“���っぱり蝉は一匹でしかも油蝉だー”と言い切っていて、何だか笑える。
中国の漢詩や新派の舞台、三歳の幼児の詩から、果ては「そーだー村の村長さんがー」まで解説しちゃっている博覧強記の北村さんだが、圧巻なのはやっぱり西條八十だ。
「青い山脈」の人、というぐらいしか私は知らなかったが、八十はミステリーにも造詣が深かったそうで、翻訳もしており、推理ものの全集の監修もしていたというのには驚いた。
さまざまな顔を持った才能あふれる人物だったようだ。
詩「蝶」の、“やがて地獄へ下るとき”という書き出しにはゾクリとする。
北村さんが自転車で図書館へ行った日のことが書かれている章がある。
調べものがあったわけではなく、お子さんが図書館で借りたお菓子作りの本を返しに行ったのだとか。
天下の北村薫が子供の借りた本(しかもお菓子!)を自転車で返しに行き、ついでにぶらぶらと書架を眺めて歩くなんて光景、想像しただけでニコニコしてしまいます。
書架には自分のコーナーだって当然あるでしょうに。
そんなほのぼのとした空気は、北村さん自身の作品にも眩しいほどに溢れている。
読むたび、出会えたことに感謝したくなる。
これも、いつまでも大切にそばに置いておきたい大好きな本なのだ。