喧嘩両成敗という独特な法が生まれた背景を探る興味尽きない歴史書
2006/03/30 21:00
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
喧嘩両成敗とは、理由の如何を問わずに喧嘩の双方を罰するという日本中世独自の法である。思えば、喧嘩の 原因を突き止めずに双方を処罰することは不合理極まりなく、このような法が施行されたことは世界でも類を見ないと言われている。
本書は、喧嘩両成敗という日本独特の法が何故中世後期社会で生まれたのかという背景に迫ろうとした意欲的な書物である。
著者は、まず、このような類例の無い法を生み出した室町時代の殺伐とした社会の有様を論じるところから話を始めている。
通常、室町時代というと、通常、茶の湯・活花・能狂言・山水画・書院造など日本文化の粋が形成された時代として知られている。一見すると、雅な世界であるようだが、この時代は応仁の乱を始めとして多くの戦乱が絶え間なく起り、全国的な飢饉や災害も頻発し、生きるのに非常に過酷な時代であった。
そのような時代であったので、当時幕府が置かれていた京都の街は、多くの社会階層が在住していたこともあって、かなり物騒な状況にあったと言われている。加えて、当時の人は今からでは想像も出来ないくらい名誉観念が強く激情的であったので、ほんのささいなことから争いになり、やがては両当事者が属する集団同士の大騒擾になることもしばしば起ったという。そこには、自力救済があたり前で、侵害を受けたらやり返すことが慣例として認められていたことも大きく与っている。当然、復讐は復讐を生み際限なくそのような動きが続く恐れが生じる。
このような争いを止揚すべく訴訟に持ち込まれても、当時の法のあり方がさらに状況を複雑にしたという。現在では、法は国会で決められて施行されるのが当たり前だが、当時は幕府が定めた法以外にも、公家・武家・寺社・商家・町・村などが定めた各種の法慣習が並立して存在しており、こと紛争が起ると各当事者は夫々の法慣習を盾に取って自己の正統性を主張したと言われている。これでは裁判は紛糾し、時には収集のつかなくなることもしばしば起っても不思議ではない。
著者はこのような社会状況・当時の人々の激情的な性格・独特な法の施行状況などから、当事者双方を一律に処罰する喧嘩両成敗が誕生したとし、折衷的な解決を良しとする中世の人々もそれを支持したと結論している。
一方では、喧嘩両成敗は安易に適用されたのではなくそこに至るまでは様々な試行があり、それも解決がつかない場合に適用されたことも著者は忘れずに指摘している。室町幕府にも、喧嘩両成敗という折衷的な解決法ではなく、理非を見極めて裁判を進めようとする解明的な動きもあったと伝えられるが、歴史の主流とはならなかったという。
終章で、著者は喧嘩両成敗という不可解な法が遠い日本中世だけのものではなく、それを良しとする心情や考え方が現代にも受け継がれていることを明確に指摘している。勿論、そこには紛争を円満に解決しようとする伝統的な英知が込められているが、ものごとの真相を直視せずに曖昧なままに解決しようとする退嬰的な姿勢に繋がり極めて問題が多いとしている。
本書は、この他にも落ち武者狩りや政治的失脚者に対する当時の法慣行にも触れており、教科書では決して書かれていない中世という時代が孕む闇や独特の社会のあり様を史料に基づいて具体的に描出していることに成功している。出色の日本中世史の書物と言えよう。
絵本「シナの五にんきょうだい」を思い浮かべたのでした。
2006/07/18 02:15
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投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「2005年現在、全国の高等学校で使われている『日本史B』の教科書では、全11冊中10冊までが『喧嘩両成敗』の用語を載せており、『戦国時代』の単元中では最重要事項として扱われている」(p5)
「戦後、10年に1度くらいのペースで『日本の歴史』とよばれる概説シリーズが出版され・・1980年代以降に出版された3種類の『日本の歴史』の戦国時代を扱った巻の索引を概観するかぎり、意外なことに『喧嘩両成敗(法)』という単語はひとつも登場しないのである」(p105)
簡単に知りたければ、p195の後半からp198まで4頁が総括しての著者による内容レジュメになっております。第7章まで、歴史のキイ・ワードとして重要な言葉が、さまざまに解き明かされていきます。
たとえば「下克上」を語る際に、応仁の乱の一方の立役者・東軍総大将細川勝元が15歳の頃、囲碁をめぐる「助言」から白刃を浴びせかけられるエピソードを紹介し、こう語ります。
「原因は、家臣の側の権勢欲や野心ばかりではなく、しばしば双六の勝敗のようなつまらない事柄であったことには注意をされたい。この時代の武士の間には、主従の間の上下の秩序よりも、みずからの自尊心や誇りを維持することの方がときとして優先され、それが『下克上』を生み出す原因ともなっていたのである」(p27)
各キイ・ワードが時代を掴み取る役目をしており。たとえばその時代の平和な解決策として「解死人制による解決よりも本人の切腹制の実行を『無為の儀』(平和な解決策)であると述べている史料も存在する」(p164)
また「豊臣平和令」を紹介して
「諸国の大名を糾合して全国統一に乗り出した豊臣秀吉・・の行なった紛争解決策として重要なものは、大名間紛争を対象とした惣無事令(そうぶじれい)と、村落間紛争を対象とした喧嘩停止令である。この二つの法令は、刀狩令や海賊停止令とあわせて藤木久志氏によって『豊臣平和令』名づけられ・・惣無事令は、諸国の大名に対して発せられた私戦禁止命令で、天正14年(1586)に最初に出されたものである。『惣』は広い範囲、『無事』とは『有事(戦争)』の反対の意味であるから、この法令の名称は、現代風に言えば、さしずめ『広域平和令』ということになる」(p185)
室町という戦国のなかに、平和はどのように模索されていったかを示し、歴史を墨で塗りつぶしたような暗黒史観にからは、想像もつかない歴史がたどられ、何よりも「平和論」を考える人の貴重な必読書である、という手ごたえがあります。
そういえば、この本を読んで、私に思い浮かんだのは絵本「シナの五にんきょうだい」でした。この絵本を思い浮べたのは興味深いのですが、
「現在では番外曲とされている能の演目に、『正儀世守(しょうぎせいしゅ)』という作品がある。これは中国に舞台をかりたフィクション・・」(p147)という箇所と、もうひとつ
「神明裁判(神判)があった。これは、紛争当事者の善悪を『神』の判断に委ねるという呪術的な裁判の形式で、かつては日本にかぎらず前近代世界のあちこちに見られたものであった。なかでも、とくに有名なのは中世ヨーロッパの魔女狩りでよく行われた、被疑者を生きたまま水に沈めて浮かぶか否かで正邪を決めるというものや、アジア社会で見られた、毒蛇に被疑者をかませて死ぬか生きるかで有罪無罪を決めるという類いのものだろうか・・室町時代に最も一般的だった神判に、湯起請(ゆぎしょう)がある。・・戦国時代になると、これが鉄火起請」(p126)
ちなみに絵本「シナの五にんきょうだい」は、石井桃子訳(福音館書店)が「シナ」という言葉がつかわれているということで絶版。今では川本三郎訳(瑞雲舎)で読めます。
とりわけ自助が重んじられた
2022/01/02 17:16
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
この時代、自助 共助 公助の中で、とりわけ自助が重んじられ、共助はあるが公助は殆どなかった事がよく分かる。本書によると、室町期の人々は、忠孝よりも自分の名誉 対面を重んじ主人にも公然と反抗した。従って主従の間といえども緊張関係 復讐 報復の危険性は常に存在した。織田信長が晩年に佐久間信盛や林秀貞の追放、そして本能寺の変はこの具体例としてピッタリのような気がする。現代においてもモリカケの赤木さんの自殺のように、死で以て訴えるという伝統は生き続けている。
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
喧嘩両成敗という奇妙な習慣を通して中世日本人の慣習や性格が明らかにされていき興味深い。かつては戦国大名が喧嘩両成敗の法を定めて庶民を支配したというふうに語られていたが逆で公権力は喧嘩両成敗を抑えて自己の法廷で裁こうとしていたが庶民が喧嘩両成敗を求めていたということがわかった。(それが近世の赤穂事件にもつながる)
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喧嘩両成敗がルール化される経緯に多くのページを割いています。室町期の過酷な自力救済の世界が具体例豊富に描かれており、戦国時代等に比べて、イメージがわきにくい室町期にも興味を持つようになりました。室町殿や朝廷の権威はありつつも、完全に実力をもって統治できていない時代の動学的な社会の変化が、何とも面白いのです。
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室町~江戸時代の人々の行動様式を知ることが出来る本。
昔の日本人は武士も農民も実はヒャッハーな人達が多かったと知り驚きです。
現代の感覚からしたらその程度でって理由でも簡単に切りつけるし、切りつけられたら当然のように切り返す。
それも当事者にとどまらず身内、同郷であればお構いなしなあたりがすごい。
といっても強者が弱者に切りかかるのは恥ともとられてたらしく、時代劇などでよく見る武士が町人を無礼討ちする話は実はそうはなく、下手にすると指差されて笑われるくらいに恥ずかしい行為になる時もあったそうで、単に野蛮というわけではなく考え方が完全に違っていたようです。
また、復習としての切腹なんてものもあり、日本文化って面白いナーとおもえる一冊でした。
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喧嘩両成敗法――紛争当事者の”理非を問題にせず”双方を処罰するという世界的に特異な法律が、なぜ近世日本に登場したのか。その源流を中世社会に求め、室町から戦国期の膨大な文献から紛争事案を引用しつつ、その時代の人々の心性、倫理観、法慣習を明らかにしていく。
読んで驚くのが中世の人々の異常な喧嘩っ早さと人の命の軽さ。下人同士のちょっとしたいざこざが大名同士の全面戦争に発展するとか、トラブルの報復のために無関係な周辺住人ごと焼き討ちとか、公道を歩く者(特に女)は誰のものでもないから拉致ってもOKとか、「修羅の国」どころの騒ぎではない。そしてそれらは決して社会規範からの逸脱的行動でも一部の階級独特の規範でもなく、庶民から貴族まで当然かつ正当な行動であった。
さらに、当時の人々の感覚として、紛争当事者の一方が損害を受けたならもう一方も同等の損害を受けなければ釣り合いが取れないという信念(衡平感覚)や一方の損害はもう一方の同等の損害によって贖われるという信念(相殺主義)が極めて強いかたちで共有されていたこと、さらにその均衡の感覚があくまでそれぞれにとって主観的なものであったことが、状況を一層苛烈な方向へと導く事となる。つまり、紛争により一方が損害を受けたなら、損害を受けた側は損害を均衡させるだけの損害を与えるべくもう一方へ報復を行う。しかし、報復を受けた側がそれを均衡ではなく過剰な報復であり釣り合いがとれないと感じたなら、再びの報復が行われる。さらに報復を受けた側は……と、報復の連鎖はどんどんエスカレートしてゆく。
こうしてみれば、十七条憲法の「和を以て貴しとなす」に象徴される穏やかで理知的な農耕民族イメージの日本人像などは、ほとんどファンタジーみたいなものだということがよくわかる(ちなみに、室町期よりも古い鎌倉期やさらに時代をさかのぼった古代はさらに好戦的で残酷な記録を多く見ることができるから、ほんまに恐ろしい「修羅の国」なのだ)。狩猟民族で好戦的な西欧人と農耕民族で温厚な日本人といった古典的で素朴なステレオタイプでは描くことのできない中世日本人像がみえてくる。現代の目から見れば、西欧人は西欧人で、日本人は日本人でやはり相応に残酷かつ凶悪なのだ。
この苛烈な自力救済的な社会規範の中で、紛争を解決する方策として喧嘩両成敗法が成立していく。衡平感覚と相殺主義を前提とすれば、双方の損害が釣り合うことが紛争解決の必要条件だと言える。だとするならば、その釣り合いを強制的に生み出してしまえばいい。紛争当事者のどちらに理がある非があるといったことは完全に議論の埒外において、とにかく双方の損害を一緒にしてしまう。つまり、紛争当事者の両方が等しく処刑されることで均衡をとる。これにより、有無をいわさず紛争は治められ、社会秩序は回復される。喧嘩両成敗法とはいわば、中世の社会秩序を守り維持していくための、ひとつの知恵なのだといえる。
やがて戦国期、安土桃山期を経て江戸期へと移行するにつれて、こうした喧嘩両成敗は影を潜めるようになる。法の支配と裁判による解決という近世の社会体制が確立していくわけだが、それでも喧嘩両成敗的なものを求��る心性はそうそうなくならない。その最たるものが赤穂事件だといえる。忠臣蔵が今でも人口に膾炙しているのは、こうした心性が今の日本人にも少なからず受け継がれていると言えるわけで、そう考えるととてもおもしろい。
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日本人は激情型の人種だった。これには非常に納得がいった。それを表に出さず、内に秘めて淡々と復讐のチャンスを窺っている。その通りだ。
柔和な日本人観の裏には憎悪を内に秘めた日本人がいるのである。
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キレっぷりが激しい室町時代のバイオレンスな世界を堪能した。江戸時代は偉大だ。足利将軍家のメンタルの総崩れも無理は無い。
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この本は単なる日本史の細かい分野の本ではない。現在に繋がる「集団社会と法」を考えさせてくれる良書。公的権力が社会秩序のためにつくる制定法と権力が後からやってくる前に社会が秩序を保つためにもってきた慣習
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高野秀行さんとの対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」が非常に面白かったので、これも読んでみた。いやあ、面白いなあ。そうなのか!という指摘の連続で、実に興味深かった。対談での著者の言葉通り、内容がギッシリつまっていて、とっても濃い。一般向けにわかりやすく書かれているけれど、中味を咀嚼するにはゆっくり読む必要がある。当然ながら対談ではかいつまんで面白いところが話題になっているので、あっちを読んでからこっち、というのは正解であった。
対談で、この本が世に出た経緯や、ここに込めた著者の思いが語られていた。しみじみ心に残る話だった。「生涯で一冊一般向けの本が書ければいいな、これで研究活動は店じまいにしてもいいやという気持ちで書いた」のが本書だそうだ。そういう気迫が静かに伝わってくる。
つくづく思ったのは、「日本人の伝統」とか「受け継がれてきた日本人らしさ」などという言葉は、よほど慎重に眉にたっぷり唾をつけて聞かないといけないなあということだ。せいぜい明治以降の傾向であったり、中には戦時中くらいに元があるものを「日本人は昔からこうだった」と考えてしまうことがよくあるように思う。清水先生は丹念に一次資料を読み解いていくことで、かつての日本人の姿を浮かび上がらせる。研究者って素晴らしいなあとあらためて思う。
今の私たちからはおよそ「異文化」としか思えない室町時代のありようを知ることで、今現在の「異文化社会」を理解する手がかりになるという、高野・清水両氏の考え方にはとても説得力がある。と同時に、それでもやはり厳然としてある日本の独自性にも目を開かされる。出てから十年にもなる本を今頃読んで言うのも何ですが、いい本でした。
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[迷裁き、いや、名裁き]日本においては一般名詞化されるほど定着しているにもかかわらず、世界において類似の法を見つけることが極めて困難な「喧嘩両成敗」。改めて考えてみれば不思議に満ちたこの法は、どのような社会や考え方を背景として成り立ったものなのか......。異色の歴史読本です。著者は、NHKの歴史番組『タイムスクープハンター』の時代考証も務めた歴史学者、清水克行。
これは名著。喧嘩両成敗というパンチのあるテーマから、日本人の精神史、中世の社会状況、そして法概念の変化までを視野に入れた意欲作となっています。とにかく読んでいて抜群に面白い一冊でもありますので、タイトルに「おっ」と感じた方はその勢いで購入されることをオススメします。
喧嘩両成敗が成立する上で必須の役割を果たした室町期の社会の描写が本書の中でも白眉かと。笑われたことにブチ切れて人を一刀両断にした挙句、当事者が属する集団の全面抗争にまで至りそうになる話など、とにかく挿まれるエピソードの一つひとつに驚きと「本気かよ......」感が溢れた作品でした。
〜どうも洋の東西を問わず中世社会に生きる人々にとっては「真実」や「善悪」の究明などはどうでもよく、むしろ彼らは紛争によって失われてしまった社会秩序をもとの状態にもどすことに最大の価値を求めていたようなのである。〜
このテーマを「発見した」清水氏、そして清水氏を「発見した」選書部の山崎氏に拍手☆5つ
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ソマリランドを先に読んでいると「分かる分かるよく分かる」とスイスイ読めてしまう。しかし、恨みを胸の底にひた隠しにしながら表面でにこやかにお付き合いしつつ、長く復讐の機会を待つって、すごいな。
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誤解されやすい古典の言葉。
・天は人の上に人を作らず
・健全な精神は健全な肉体に宿る
・初心忘るべからず
そこに僕の中でもう一つ、「喧嘩両成敗」が加わりました。
確かに「喧嘩したものは理由によらず両方成敗にする」という意味自体は合っているのですが、「成敗」とは「死刑」なのであって、積極的に運用するものではなく、諍いがこじれて解決の目処が立たない時の窮余の策という位置付け。
つまり「お前ら、争いが起こったらちゃんと法廷で解決しようとしろよ。私闘で解決しようとしたら両方死刑にするからな」という「見せ札」な法として生まれた、ということ。私闘、過剰な復讐を防ぐという観点で「目には目を」のハンムラビ法典に通じるものがある。
何でこんな法が必要になったか。室町時代の京都での例。
【例1】
北野天満宮の僧侶が金閣寺を訪れる
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僧侶に連れられてきていた稚児が、金閣寺の小僧が門前で立小便をしているのをみて笑う
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笑われた金閣寺側の僧侶が、負けじと天満宮の僧侶を罵る
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天満宮の僧侶が怒り、金閣寺の僧侶を追い掛け回す
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金閣寺の老僧が騒ぎを抑えようと天満宮の僧侶をなだめる
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天満宮の僧侶の怒りは収まらず、金閣寺の老僧に刀で切りかかる
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金閣寺の老僧は、これは手が付けられないと寺の鐘を乱打する
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大乱闘になり、一説によれば3人死亡
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そのまま天満宮と金閣寺の全面戦争になりかけるが、将軍足利義教の派遣した奉行によってなんとか事が収められる
【例2】
店に元結を取りに来た下女、品物が出来ておらず店主を罵倒
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店主が逆ギレし、下女を店から叩き出す
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怒った下女、主人の侍に訴える
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侍が店主を手討ちにしようとしたところ、その行動を予測した店主が仲間を引き連れ市中で矢を射かける
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侍、店主たちを返り討ちにするも力尽きる
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店主のバックにいた関口家の集団が出張る
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侍が仕えていた三条家の侍たちも出張る
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洛中で軍勢同士の喧嘩発生
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吉良家が裁定してどうにか解決
【例3】
ある侍が馬で出かけたとき、道中でちょっとした用事があり下馬
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そこに通りがかった別の侍、下馬している侍に気づき「下馬している侍には自分も下馬して礼を表す」という当時のマナーに従い、こちらも下馬
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最初に下馬した侍、「俺は別の用事があって下馬しただけで、お前に用はない。なのに下馬しやがって。これじゃあまるで俺が目下のお前に対して先に挨拶したみたいに見えるじゃないか。俺を見下す気か(意訳)」と激怒
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目下の侍、「ただあなたが下馬しておられたので礼儀に従って下馬したまでです」と弁解
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目上の侍、弁解を聞かず刀を抜いて目下の侍に切りかかる
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目下の侍も応戦した結果、刺し違えて両者死亡
こんな具合に、当時は極めて些細なことがあっという間に殺し合い、それも集団同士のものまでに発展するほど、現代から見れは異常に喧嘩っ早く、異常に���子に重きを置く時代だったようです。
ネットの表記を借りると、当時を構成する人々は「『シグルイ』の虎眼流門弟と、『北斗の拳』のモヒカン、あとは福本伸行の漫画や『闇金ウシジマくん』あたりに出てくるどうしようもないダメ人間」しかいない世紀末状態だったようで、そりゃあ末法思想が流行って浄土真宗や日蓮宗のような新仏教が起こる訳だと。「トラブルが起こったら裁判しなさい」を定着させるためにいかに当時の為政者が心を砕いたか、という苦労話に見えてきて、実に興味深かった。
ちなみにこの著者、清水克行氏の他の著作には「現代のソマリランドと室町時代って似てるよね」という趣旨らしい「世界の辺境とハードボイルド室町時代」というどっかで聞いたようなタイトルの本もあり、心惹かれるものがある。その路線で今度は「足軽大将殺し」みたいなタイトルでも書いてくれないかな。
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争いごとを好まない日本人は、「喧嘩をすれば、喧嘩に勝とうが負けようが、両者ともに罰せられる」のが必定で、そもそも喧嘩をすることがいけない、とする知恵があると考えるのが普通であろうか。著者清水氏はそのような考え方、法制度がどのようにして生起したのかを主として室町時代のもめ事、争いごとの顛末を仔細に解説しながら説明してくれる。喧嘩をしたものは両者とも死罪という厳しい裁決がなされるようになったのは著者によれば、どちらかに軍配をあげると片一方の不公平感が収まらないので、苦し紛れに両者を罰することになったらしい。確かに争いの詳細を調べることなく、一方的に死罪に処するというのは荒っぽい処分と言わざるを得ない。本書によるとこの「喧嘩両成敗」は世界的にも珍しい制度だそうで、また、その延長上にある交通事故などにおける過失相殺という判決も非常に珍しい制度であるそうだ。著者は総じてこの荒っぽい制度に批判的であり、色々な歴史上の事件とその処分を顧みると、白黒を明確にしない、というか明確にすると角が立つと考えて喧嘩両成敗するというのは、良い意味でも悪い意味でも実に日本的な考え方であることが分かったと、いうことであろうか。学術文献の引用も多く、日本法制史の書であるが、私のような歴史に疎い人間にも分かりやすく書いてくれており、非常に優れた作品であると思った。