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紙の本
波が引けても、波音は今もこの胸に響いています
2007/07/28 02:44
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:らせん - この投稿者のレビュー一覧を見る
名コラムニストの山本夏彦さんがお亡くなりになってから、もう5年が経とうとしています。
この本は、山本さんが癌と闘病しながら書き続けた最後の作品集で、主に雑誌連載から抜粋編集されたものです。
新出本というよりは再録本と言っても良いのかもしれませんが、山本さんの逝去後に出たコラム集で、400頁を越すたいへん読み応えのあるものです。
山本夏彦さんと言えば、23年にわたって雑誌「週刊新潮」に連載されていた「写真コラム」が有名です。
私は大層マセた子供だったので、小学生の頃から病院の待合室などに置かれている週刊新潮を手にとってはよく読んでいました。
その当時から毎号必ず載っていたのが「夏彦の写真コラム」と「黒い報告書」(すみません、本当にマセた子供でした)で、この2つの連載は「週刊新潮」という雑誌に対して抱く私のイメージそのものになっていたので、今「週刊新潮」を開いても「写真コラム」がないことを本当に悲しく思っています。
写真コラムはその名の通り、原稿用紙2枚ぶんのコラムと1葉の写真が対に並んで雑誌巻頭のグラビアページに載っていました。
「原稿用紙2枚で書けないものはない」と言い、現にその素晴らしい見本を毎週読ませてくれたコラムは、山本さんの物事の本質を衝く批評眼と厳選された言葉、そして自らを「ダメの人」と称すユーモアで「史上最強のコラム」とも言われていました。
その一方で「毎回同じようなことを書いている」と言うような声もあったようです。
愛読者の一人として、山本さんの著作を多く読んだ私にはわからなくもない意見です。
しかしそれは、物事に対して一本筋の通った山本さんの目線にぶれがなくて、それゆえにいつも同じことを書いているように見えたのではないでしょうか。
ぶれがないから、時流に合わせて言を左右にすることがない。
これをマンネリと言う人は、時に応じて右にも左にも向く風見鶏であるかもしれません。
肝心なのは、山本さんのぶれのない目線は、読者にもぶれのない感興を与えてくれるものであったと言うことです。
本書には「寄せては返す波の音」と表題されたコラムがあります。
この「寄せては返す波の音」こそ、山本コラムの本領を言い得て妙な表題だとずっと思っていました。
波の音のように、繰り返し寄せてきては返す。
同じ波に見えて、ひとつとして同じもののない波。
時に高く時に低く、それが山本さんのコラムでした。
そして晩年最後の仕事である本書につけられた書名が「最後の波の音」であるのは、実にふさわしい書名であると思います。
波が引けても、名コラムと名文句の数々は遠い波音のように私の心に響いていて、折りにふれ読み返しては今も変わらず楽しんでいます。
紙の本
人生最良の師
2007/07/29 09:31
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が山本夏彦のコラムにはまったのは、30代半ばである。なぜ、私が山本コラムにはまったのか。それは山本が「太平洋戦争」前後の日本について、非常に新鮮でしかも深い洞察力に満ちたことを書いていることを知ったからである。「『戦前』という時代」がその代表であろう。「むかし戦前という真っ暗な時代があったというのは、戦後サヨクがいいふらしたウソである。戦前はいまとかわらぬ面白おかしい時代であって、日本人は連日連夜暖衣飽食に明けくれていた。真っ暗だったのは特高に追い掛け回されていたアカたちだけである」。これは陸軍航空士官学校に通っていた兄を持つ母の記憶に見事に符合した。「戦争中は反戦を唱える人なんて、誰もいなかった。みんな兵隊さんと気持をひとつにし、バンザイ三唱して外地に送り出したものだった。それをナンですか。今では日本人が全員戦争反対だった見たいに描く映画・ドラマばかり」。その他、「なぜ教育総監渡辺錠太郎は2.26事件で殺されねばならなかったのか」など、遺族すら知らない仮説を山本は次々と披露した。「戦前という時代が知りたい」とかねて思ってい私は俄然山本のコラムを読むようになった。山本のコラムだけではない。山本が推す作家・学者の本まで読むようになった。「本を読むということは、死んだ人と友になることである」と山本は言う。こうして私は永井荷風と友になった。田中美知太郎と友になった。小泉信三と友になった。山本夏彦は本当のことを書いている。その筆致はあくまで辛らつである。毒舌コラムニストという評もある。「ジャーナリストは資本主義の権化である。商売として言論を売っている輩である。だから正義や良心とは対極にある存在である。だからジャーナリストは己の存在に対し内心忸怩たるものをもっていなければならない。ところが人間は金よりも正義が好きなのである。しかし人間、生きるためには何を売ってもいいが正義だけは売り物にしてはならないのである。その正義を朝日や岩波は売り物にした。私が朝日・岩波を許さない所以である」というようなことを書いた。朝日新聞の記者は山本に対する書評で「本当のことを書くと人間は友を失う。山本は生涯孤独だった」などと憎まれ口を書いていた。なら、その朝日記者に友はいるのか。あの世で山本氏は「それは友のようでいて友ではない。友の如きものに過ぎない」と笑っているように私には思える。今日も朝日新聞は正義を売り物にして恬として恥じ入ることがない。岩波書店「世界」は北朝鮮に肩入れする和田春樹らを誌上に登場させすぎたせいか、最近すっかりその勢いを失っている。次は朝日新聞の番であろうと私は山本翁に代わって確信する次第なのである。
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