紙の本
ヨーロッパに今なお残る壮大なゴシック建築の秘密を解き明かしてくれる一冊です!
2020/04/24 10:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、今なおヨーロッパの各地に残るゴシック建築について、その様式の特徴はもちろん、その誕生から受難、さらに復活に至るまでを歴史的、社会的、そして文化的な観点から考察し、解き明かした貴重な一冊です。ゴシック建築と言えば、数多くの柱列や過剰と思えるほどの彫刻で有名ですが、こうした建築はなぜ、どのようにして生まれたのでしょうか。同書では、こうしたことを丹念な調査、文献研究から一つ一つ丁寧に読み解いて、解説してくれます。同書の構成は、「第1章 ゴシックの誕生ー自然とキリスト教の出会い」(大自然への憧憬・死と笑いの聖性・威光と調)、「第2章 ゴシックの受難―変わる美意識、尖鋭化する宗教感情」(戦争とペスト・反ゴシックの美学・宗教改革)、「第3章 ゴシックの復活」となっており、読み応え十分です!
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西洋にも、自然を畏れ敬う精神はありました。
ゴシック建築は、人間の力の到底及ばない大自然である「森」をモチーフにしているそうです。
高くそびえる柱、薄暗い堂内、グロテスクな魔物はすべて森を表しています。
そして、色んな意味でそこに光をもたらしたのがガウディだったのです。
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ゴシック建築による大聖堂は深い森そのものであり、中世の一般庶民が根っこに持っていた土着のアニミズム的な信仰を、キリスト教の中に取り込んで出来ているものということ。キリスト教の宗教性はそのような過程を経て醸成されているとすると、上がどのように論理的に整理しているにしろ、庶民の宗教観は一神教論理に貫かれているというよりもっと複雑なものだったのだろうと思う。次はケルト文化について読んでみなくてはと思う。
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ゴシック建築に関して書かれた本ですが、副題にあるように精神史を軸に書かれた本です。
芸術が個人の作るものではなく社会が作り出すものだった時代の内容なので歴史・哲学・宗教、権力者と庶民、そこから生まれる芸術、そんなものに興味がある方には楽しめる名著なのではないかと思います。
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[ 内容 ]
おびただしい柱列、過剰なまでの突起や彫刻、秩序や比例を超える高みをめざしたゴシック建築。
アミアン、ケルン、シャルトルなどヨーロッパの多くの都市に今も残るこれらの教会の異様な建築様式はなぜ生まれたのか。
聖堂内部は大自然のイメージで彩られ、故郷を追われた異教徒である農民たちの信仰心をキリスト教化するのに役立つ一方、その昇高性や過剰な装飾性は国王や司教たちの権威の格好の象徴となった。
ゴシック様式を論じるにとどまらず、誕生から受難そして復活にいたるまでを、歴史・社会・文化的な深みに降り立ち、十全に解き明かしたサントリー学芸賞受賞の意欲作。
ゴシック復活としてのガウディ論を追補した決定版。
[ 目次 ]
第1章 ゴシックの誕生―自然とキリスト教の出会い(大自然への憧憬;死と笑いの聖性;威光と調和)
第2章 ゴシックの受難―変わる美意識、尖鋭化する宗教感情(戦争とペスト;反ゴシックの美学;宗教改革)
第3章 ゴシックの復活―近代はいかに中世を甦らせたか(ゴシック神話―イギリスの場合;生ける全体―ドイツの場合;神秘と感覚と構造―フランスの場合)
補遺 ガウディの願い―近代の二つの表情のなかで
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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文庫本の一般書だが、非常に示唆に富んだ内容。もともと関心はあったが、これを読んで以降、ゴシック芸術への興味は増すばかり。聖堂の柱が木で、建物自体が森として、都市にやってきた孤独人の原点回帰の場であり、イエスは森の生贄。そしてなにに贄を捧げたのかといえば、森ーノートル・ダムーマリア、あるいは異教時代の女神という説はかなり興味深い。キリスト教の聖地かと思いきや、異教の聖地だったなんてことがあったとしたら(実際多くの場合がそうなのだが)、いったいカトリックのいう異端とは、プロテスタントのいう堕落とはなんだったのだろうか。カトリックとプロテスタントの宗教対立に視点が集中しがちな近代初期だが、彼らの宿敵がじつは土着宗教だったとしたら、信仰とはなにか、正統と異端とはなにかという問題はいよいよ大きくなる。その御名のもとに死した、死する人びとが存在するかぎり、この問いを発することにも現代的な意味があるだろう。
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イタリア旅行の前に読む本③。
建築はその国のことを体感するのに手っ取り早いジャンルだと思う。建てた人や施主がどんな考えをもって建てたのか、どうしてそういう構造になったのか、その材質を使った時代背景は、などなど。
建築の中でも宗教建築は、宗教に興味がある人間にしてみるとかなり面白い。イタリア(というよりフィレンツェ)は反ゴシックの精神でルネサンス建築をバンバン建ててたのは面白いし、イギリスやドイツでのゴシックリバイバルが起きた経緯もそれぞれの歴史背景と絡み合っている。
中世建築の威容もそれはそれで圧倒されるんだろうけど、ゴシック建築の生命力に目眩がしそうな土っぽさの方が、私の好みの傾向だとひかれそうだ。ミラノ大聖堂見るのが楽しみになった。
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ゴシックの大聖堂がヨーロッパ精神史のなかでどのように成立し、どのように受け止められてきたのかを明らかにしている本です。
中世のキリスト教とその深層に流れている異教的な要素とのかかわりや、偽ディオニシウスの新プラトン主義からの影響などをわかりやすく解説しながら、ゴシック建築がつくられるようになった経緯が説明されています。さらに、ルネサンス期におけるゴシックへの批判と、その後近代のイギリスやドイツにおけるゴシック再評価の精神史的な背景についても解説されています。
著者はバタイユの研究者であり、ゴシックへの興味もバタイユについての関心と密接に結びついていると述べられていますが、意外にもたいへん明晰でわかりやすい文章で書かれており、好印象をいだきました。
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なかなか面白かった、当方の教養があれば尚のこと本作の主張を楽しめたのかもしれない。
ただ、若干話が拡散しているかな、という気がした。特にガウディの辺り。興味があるのは分かるし、これはこれでほぉーっと感心するのですが、本作では止めておくべきかなと思ったりして。
いずれにせよこういう目で教会を見ないといけないのかと。忘れないうちに本場の教会を見てみたいもの。多分ダメだけれども。
森のイメージかぁ、なかなか思いつかないな。
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いや面白かった、、、!
印象派以前の話って全然勉強してないなって思って本読んでっていってる中で読んだ本やけど、
ゴシックはキリスト教の封建主義の象徴みたいな把握やったので、ゴシックの起源にある種キリスト教からしたら異教的な自然主義があったことからまず知らなかったし、そこからどうロマン主義や印象派、ガウディなどに繋がっていくのかが、歴史的背景含めて解説されててずっと目から鱗してた
あと、作者のゴシック建築に感動したっていう原体験が節々から出ててそれにもなぜか感動してしまった
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文庫版で付け加えられたガウディについての記述があって、本書は初めてきちんとした幕を閉じることができたと思う。同じ著者の後続の『魂の思想史』『ロマネスクとは何か』と通底する、合理的なものに対抗する、制御不能な横溢する生命力への関心に溢れている。
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ヨーロッパに旅行に行く前に読みたかった。『ノートルダムの鐘』に対する理解も深まった。
概要を記す。
自然信仰を心に残す農民たちが森林のよすがとして都市にゴシックの聖堂を求めた。堂内に居並ぶ石柱やアーチは森林の形象化である。
ノートル・ダム(「我らの女主人」の意)はマリア信仰に由来する。古くからの共同体から切り離され、都市で生活するようになった人々には普遍的な地母神が必要だった。教会側も異教の信仰形態をキリスト教のうちに包摂し、各種の地母神をキリスト教内の聖母マリアに結び付けた。
自然は清純な聖性(誕生・救済)、不浄な聖性(破壊・死)を持つ。物を作り、保存する、物のような人間にっとって、より根源的な聖性は「最大の他者」たる死と破壊である。ゴシック聖堂は自然の聖性をよく表している。この時代にあって、堂内の磔刑のイエス像も死のイメージを色濃くまとうようになり、まるで異教の神々に捧げられた生贄のような姿になっていく。
ゴシックの聖堂に集った人々(ほとんどが文盲)は建築物や儀式をメディアにして、不浄な聖性を前に死すべき人間として深い共同性を得た。
教会は異教に対する信仰を巧みにキリスト教に対する信仰にすり替えた。犠牲に対し感謝を求め、畏怖を愛へと転換していった。
この後、資本の集積、集権化としての聖堂建築やゴシックの流行り廃りが語られる。ゴシックの精神性について述べられた第一章が1番面白かった。
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ハリポタ、メガテン、これらの自分が楽しんでいた小説や映画、マンガなどのカルチャー、イギリスを始めた西欧の歴史、キリスト教、全てを説明してくれる、全てを繋いでくれる至高の一冊。
大きな時間の流れ、死と再生、大地の力強さ。
このダイナミズムを表現しているものこそがゴシック建築である。
この本を読むことでまさに時間の流れを追体験することができる。