投稿元:
レビューを見る
映画を見たのはかれこれ10数年前、福岡に引っ越して早々のこと。彼の地の情報誌を眺めていると、九電ホールだったか、無料の上映会が目についたので足を運ぶことに。以来、ずっとこの本を読んでみたいと思っていたのだが、思いのほか時間を要することとなった。
あれ、大宅壮一の著作だったのでは?そのあたりの事情もあとがきに記されていまして、案の定という感じ。
タイトルは、連合軍によるノルマンディ上陸作戦を取材した「The Longest Day」に倣ったのでしょう。「The Longest Day」は、連合軍の勝利の契機となる一大作戦を描いたいちばん長い日なのだけれど、「日本のいちばん長い日」は、ポツダム宣言受諾を決した御前会議から、軍部不穏分子の熾烈な抵抗の中、翌日正午の玉音放送至る敗戦の一日を綴っている。先人には失礼なことながら、阿南陸相の行動には感動しつつも、敗戦を受け入れられず、焦燥し、なおも戦争継続を叫ぶ者たちの愚かしい姿には、辟易させられてしまう。
とはいえ、やはりというか、映画を見るより、はるかに面白い。
(2006年記)
投稿元:
レビューを見る
映画は先にみてしまいまいた。原作が悪い訳ではないんですが、映画が持っていたものすごいエネルギーに比べると普通。すごく普通。
8/14にあった暴走と、あくまで泰然と腹をめした阿南大臣。8/15の12時にむかって話は集中していきます。凄いのは12時にを境に、まさに玉音放送を境に行間にただよう戦後感。緊張の糸がはらりと解れたかのようです。
投稿元:
レビューを見る
ようやっと読みえました…長かった…が、映画の緊迫感がこの著作にも表れているような気がしてなんとか飽きずに読み通せましたけれどもね。
ヽ(・ω・)/ズコー
こういったノンフィクション物? とでも言ったらいいのでしょうか…とにかく実録物というのは文章が無味乾燥な気がしてなんだか新聞を読んでいるような感覚になるのですけれども、今作は著者の書き方が良いのだろうか? なんだか面白小説を読んでいる時のような感覚を覚え、一気に読めましたね! いや、一気でもないか…
ヽ(・ω・)/ズコー
まあ、そんな感じでこれを読んで同タイトルの映画を見ればかなり事細かなところにまで理解が及ぶんじゃなかろうか…と思いつつ、終わります。
ヽ(・ω・)/ズコー
投稿元:
レビューを見る
力作。特に中盤以降はハラハラドキドキ。良質のサスペンス小説のよう。
阿南陸相はかっこいいねえ。あんなふうに死んでいきたい。
投稿元:
レビューを見る
玉音放送に至るまでの24時間の混乱を描いた一冊。
玉音放送をなしえんとする勢力と、
是が非でもこれを阻止せんとする勢力の攻防が
迫力を持って迫る。
陸軍内の反応には興味深いものがあり、
陸軍の責任やこれまでの信念にどう折り合いをつけるかなど、
あい矛盾する思いが大勢に共有されていた様子が
よく伝わる。
全国民に玉音放送を届けねばならない、
この終戦における一大プロジェクトをめぐるドラマに触れ、
ひとつの歴史の終焉を垣間見た気がした。
投稿元:
レビューを見る
もし昭和天皇が明確に降伏の意思を示さなかったら、もしクーデターが成功していたら、もし阿南陸相が辞任していたら、もし玉音放送の録音盤が奪取されていたら。ポツダム宣言の受諾は遅れて、3発目の原子爆弾が炸裂していたかもしれない。本土上陸戦が始まって、死ななくてもよい兵隊や一般人がさらに死んだかもしれない。そうしたら日本の復興はさらに遅れたかもしれない。そう思うと、命がけで敗戦処理に尽力した人々こそが、どこかの神社に祀られてしかるべきじゃないかという気もする。
その一方で、やや引いた視座から眺めてみれば、自分で始めたんだから、自分で終わらせるしかないよな、とも思うし、あの時は大変だったんだよ、と日本の外に言ったところで誰も同情してくれないだろうな、とも思う。どこかで読んだが、日本人は基本的に第二次世界大戦でひどい目にあったと思っているし、被害を受けた、と考えている。でもそれは自分で始めた戦争だったし、だいたい日本が戦争を始めたことで被害を受けたのは日本ではなく、攻めこまれた国に決まっている。やれやれ。
投稿元:
レビューを見る
半藤一利の本ということで手に取った一冊。
「社会科」や「歴史」、「日本史」というこの国の歴史を知る上で最も詳細な科目であってすら、終戦直後を習う時に”8月14・15日未明の日本”が取り上げられることはない。(私が知っている一般的な流れは8月6日広島 8月8日ソ連参戦 8月9日長崎 8月15日玉音放送にて終戦。)
15日未明にクーデター未遂があったことなど知らなかったし、この日がこんなにも緊迫した日だったことを本を読むまで知らなかった。
実録や歴史を知る上だけではなく、「価値観を変えることの痛み」について、客観的に書かれた本だと思う。
投稿元:
レビューを見る
終戦記念日前なので一読。核を落とされて無条件降伏、というざっくりとした流れしか知らない人(読む前の自分含む)に読んでほしい。
投稿元:
レビューを見る
大日本帝国の弔いって言葉がしっくりくる。それぞれの立場でそれぞれの責任を果たそうとする姿を8月14日正午から15日正午まで1時間ごとに描いたノンフィク ション。玉音放送の阻止を狙って一部の将校が蜂起したらしいとぼんやりした感じで知ってはいたが、詳細を知ることができて色々と考えさせられた。方法は違って も、誰もが祖国を愛していたのだと思う。
投稿元:
レビューを見る
今まで自分は何を学んできたのか反省させられた作品。国体護持とは何だったのか。この人たちを突き動かしていたのは何だったのか。重いの一言しかでなく、そんな一言で片づけてもいけないと考えさせられ。読んでおくべき1冊だと思います。
投稿元:
レビューを見る
貴重な近代史の教科書にして手に汗握るノンフィクション。終戦にあたり天皇がいかに大きな役割を果たされたかが良くわかる。再読必至。
投稿元:
レビューを見る
昭和20年8月15日正午までの1日を、「24」ばりに1時間刻みで描いたノンフィクション。天皇とその周辺、首相とその周辺、陸軍大臣とその周辺、叛乱を企てる青年将校、そしてNHK職員の動向が複雑に入り乱れ、えげつない緊迫感をもたらす。特に陸相・阿南惟幾の潔さが際立つが、足元の陸軍省の将兵の脱走、畑中少佐らの暴徒化など結局統制がいちばん効いていなかった点を鑑みるに、なんとも複雑な気分になる(この違和感をまだ整理できていない)。日本の現状認識の歪みが一気に矯正されていった時期のハイライトの1日の貴重な記録。傑作です。
投稿元:
レビューを見る
1時間ずつを、噛みしめるように読んだ。 「神の見えざる手」という言葉があるが、なにか大いなるものに動かされていたのではないかと感じるほど際どい展開だ。名の出ていない、徹底抗戦を訴えていた人たちは戦後をどう過ごし何を感じているだろう…。自分がここから何を学べばいいのかは、まだまだ見えない。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
昭和二十年八月六日、広島に原爆投下、そして、ソ連軍の満州侵略と、最早日本の命運は尽きた…。
しかるに日本政府は、徹底抗戦を叫ぶ陸軍に引きずられ、先に出されたポツダム宣言に対し判断を決められない。
八月十五日をめぐる二十四時間を、綿密な取材と証言を基に再現する、史上最も長い一日を活写したノンフィクション。
[ 目次 ]
十四日正午‐午後一時―“わが屍を越えてゆけ”阿南陸相はいった
午後一時‐二時―“録音放送にきまった”下村総裁はいった
午後二時‐三時―“軍は自分が責任をもってまとめる”米内海相はいった
午後三時‐四時―“永田鉄山の二の舞いだぞ”田中軍司令官はいった
午後四時‐五時―“どうせ明日は死ぬ身だ”井田中佐はいった
午後五時‐六時―“近衛師団に不穏の計画があるが”近衛公爵はいった
午後六時‐七時―“時が時だから自重せねばいかん”蓮沼武官長はいった
午後七時‐八時―“軍の決定になんら裏はない”荒尾軍事課長はいった
午後八時‐九時―“小官は断固抗戦を継続する”小園司令はいった
午後九時‐十時―“師団命令を書いてくれ”芳賀連隊長はいった
午後十時‐十一時―“斬る覚悟でなければ成功しない”畑中少佐はいった
午後十一時‐十二時―“とにかく無事にすべては終った”東郷外相はいった
十五日零時‐午前一時―“それでも貴様たちは男か”佐々木大尉はいった
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
終戦前の一週間のドキュメント。こんなに深く知ったのは初めて。戦争を終わらせる難しさんを学んだ。登場人物が多過ぎて難しい。