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紙の本
絵本というものは、つくづく
2010/07/18 06:30
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵本というのは、字のごとく、絵のついた本であるが、詩人茨木のり子の生涯唯一の絵本を手にして思うことは、これはまちがいなく絵本なんだという不思議な感心だ。
絵を描いたのは、山内ふじ江。
山内ふじ江の絵がなければ、茨木のり子のこの作品はもっとちがった印象を読み手に与えたような気がする。あるいは、山内の絵があって初めて茨木のり子の絵本が成立したのだと。
もともとは朗読のための童話だったというこの作品は、「さみしくなると エンエンエンと泣き」だす「ちいさな ちいさな 貝の子ども」プチキューの、切ない物語。
ちいさな貝をどう描くかで、きっと絵本の表情も違ってきただろうが、山内は貝の姿をあえて擬人化することなく、それでいて子どもの動きと貝ならこういう動きをするだろうと思わせるぎりぎりのところで描いていく。それはほかの海の仲間、えびであったりいかであったり、かにであったりも同じである。
茨木のり子が童話だからといって子どもに迎合するような結末を用意しなかったように、山内ふじ江も子ども向きの絵本だといって、簡単に絵筆を走らせることはなかった。
海の青と夜空の青。それにはさまれるようにして、貝の子プチキューがどうなっているかは読んでもらうしかないが、読み終わったあと、もう一度表紙の海底の世界にもどれば、やはり絵本は文と絵がうまく合わさってできるものだということを実感する。
なんときれいな世界だろう。茨木のり子が描いた世界は。山内ふじ江が描いた世界は。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
紙の本
そうか!ぼくはあるけるんだ!
2007/04/28 11:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人の茨木のり子さんが唯一残した絵本…ということで
手にとってみました。
海のなかに住むちいさな貝の子どもプチキューは
いつもひとりぼっちで
さみしくなるとエンエンエンと泣いていました。
ある日、
「つまらないさあ
つまらないよう」と歌う波の声に
「そうか!ぼくはあるけるんだ!」と気づき、
一度も行ったことがないところへ行ってみようと思いました。
どんどん歩きながらプチキューは
小さな魚やひとでやいそぎんちゃくやくらげと出会います。
そしてかにの子に会い、けんかをして…。
プチキューの目を通して見える海の中の世界が
描かれています。
いろんなことへの憧れ、
自分の持っている力、
そして自分の進んでいく道。
さまざまな顔を見せる海と
海の中から見上げる満天の星や月を
プチチューと一緒に体験しながら、
いろんなことを考えました。
紙の本
ちいさいけれど、確かな矜持がつたわってきます。
2010/06/06 16:55
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildflower - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人茨木のり子さんは、私の大好きな詩人のひとりなのですが
この作品が在ることを知ったのは、実はごくごく最近のことです。
どこで出逢った記事だったのか……
唯一、遺された絵本だったと知ったのは今年の春ごろのこと。
巡り合うように、棚にあったのがごく最近のこと。
蒼くどこまでも深みを宿した海の色と、海のいきものがこまやかに
描きこまれている表紙に吸い込まれそうになります。
茨木のり子さんが、1948年にラジオ番組の朗読用に書かれた童話を
福音館書店から絵本として出版されるまでのエピソードは、出版社のサイトに詳しいです。
作品のできるまでのエピソード、著者のお人柄などが偲ばれます。
ご本人がとうとうご覧になれなかったというこの作品。
瑞々しく細やかな絵を描かれているのは、山内ふじ江さん。
「母の友」の表紙や「こどものとも」の作品を多数描かれているほか、
タッチが違うように思えて気づかなかったのですが、朽木祥さんの
『かはたれ』、『たそかれ』の絵も描かれていました。
本作はさらに渾身という表現にふさわしく、幻想的でしみじみとゆかしい
雰囲気を宿した絵です。
先行評の佐々木なおこさんが書いておられるように、主人公の貝の子
プチキューは、浅瀬の海のなかで、最初はたったひとりで淋しがって
なく、いたいけなちいさな存在でした。
或る日、繰り返し寄せてかえす波のことばがきっかけに
ひとりぼっちでじっとしているよりも、と歩き始めます。
プチキューに話しかけてくる、たくさんのいきものたち。
そのそれぞれが訪れるまでの、海のいろ。
少しずつ、わずかに、ちいさな歩みのたびに
うっすらと明るく日の透けていた水のいろは
だんだんと暗さと深さを増してゆきます。
タツノオトシゴと出逢ったプチキューは、どこへ行くのかと問われて
こう応えます。
「みたことないもの みようと おもって
ぼく いろんなものみたいんだ
いいもの みつけようと おもって」
「いいものって なんだい?」
「いいものって きれいなものが いいよ」
親切な助言をくれた彼と別れ、いろんな美しくきれいなものに出逢ったのち
プチキューが見た、降るような星月夜。
蟹の子との出逢いが描かれるラストには哀しい結末も訪れます。
「だれが なんて いったって ぼくは 海で うまれた 海の子だ」
美しい星月夜が冴え冴えと照らす海。
プチキューの生涯が茨木のり子さんの矜持を映すようで
美しくも凛とした読後が残る作品でした。
紙の本
絵本
2019/01/15 02:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人の残した絵本、なのですが奥が深いですよね。こども向けというより、大きいおともだち向けの本なのかな……
紙の本
幻想的
2016/12/30 20:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のきなみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
幻想的な色使いの海の世界がうっとりします。
プチキューが自分の意思で歩きはじめた時から物語が始まるのが一歩踏み出すことの大切さを教えてくれる気がします。