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1:屋久島で、唄歌いの女性に出会った。
3:新百合ヶ丘有隣堂2006年11月。
4:一番最初に読んで衝撃を受けた「できればムカつかずに生きたい」から6年、好きは好きだけれど似たような内容が多く、乱筆に思えて敬遠していたが、久しぶりに手にとってみてびっくり。彼女の芯にあるテーマは変わっていないようだけれど、ずいぶん考え方や文章が落ち着き、色々な面で深みを増していた。この本からスタートして最初に遡るのも面白いかもしれない。
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ランディエッセイ集。私が好きなのは書き下ろしと思われる広島での「語り部」との触れ合い。人と人が関わること、出会うこと、分かれること、伝えなきゃいけないこと、いろいろ考えさせられます。でも結構軽めに読めるのもよし。
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この本の特徴を良く表していると感じた部分。
>かつて村上龍さんが、米国の脚本家レナード・シュナイダーのこんな言葉を教えてくれた。「世の中に物語の種類は二つしかない。ある男が歩いて来て、穴に落ちて死ぬ、か、穴から這い上がる、だ」
これを読んで、フ〜〜ン、面白い!と思える人には、お奨めできるのかも知れない。だけど、ちょっと待って。誰かが誰かから聞いた話しを、そのまま活字にしてしまっていいの?
たしかに、あとがきに、「この2年間にたくさんの人と出会った。それらの人たちの言葉に魅了され、その果てにぼんやりと感じたことがあった。それがこの本のタイトルになった」と書いてはある。だけど、本当にそれだけとは思わなかったなぁ(笑)。
ただ、読んだ後に考えさせられる事は多い。別の価値観、視点、世界観。そういったものを感じさせてくれる部分もある。ので、評価は星一つ!
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田口ランディさん、初めて読みました。
エッセイはいろんな人の考え方が分かり、視野が広がりますね。
きれい事ばかりではなくて素直に感じたことを表現するこの人、好きになりました。
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人を信じたいというランディさんの言葉は力強い。そして気取らない文章だから、ぐいぐいと読ませる。
広島の原爆を想像するにはより具体的な言葉が必要だ、そのように表現しなくてはいけないという。「放射能をあびた」では伝わらない。それが何千本という針のように細いモノが瞬時に肉体を通過すると聞いて初めてその恐ろしさが実感を伴って感じられる。
靖国の話も興味深かった。天皇制→そのせいで戦争をおこした→靖国は何となく悪いもの…という左翼思想にとらわれていたと自身を振り返るが、わたしもまさにそう。南方熊楠という人は、明治時代に神道が国家のものにされそうな流れに反対した人で、興味をもった。何か読んでみたい。
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タイトルに惹かれて手に取ってみた本。私にとっては、"初"田口ランディさんでもある。
タイトルの持つイメージとその実、内容の重さのギャップにあっさりと呑まれてしまった。
今の私にとってはとても重い内容で。
正直に言うと、読み進めるのが辛かった。
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ヒロシマ、水俣、薬害エイズ、チェルノブイリ、幼児虐待、出会い系サイト等を取り上げながら、社会派というのもちょっと違う、あくまでも自分目線で描いたエッセイ。恥ずかしながら著者の本は初めて読みましたが、結構自分の感覚に合っていて驚き。他の著作も読んでみようと思います。
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原発事故や薬害エイズ、未成年犯罪の実名報道、水俣病、環境問題などといったディープなテーマに、著者が体当たりで挑んでいくプロセスが赤裸々に綴られているエッセイです。
本書を読みながらもっとも印象深く感じたのは、優柔不断であることを恐れない著者のスタンスです。評論家的に結論を急ごうとせず、自分自身がほんとうに身をもって納得できる言葉が出てくるまで待つこと、そして、そうした言葉の静かな声に耳をすますことは、著者の稀有な才能だと思います。
とはいえ、そのような著者のスタンスばかりがクローズ・アップされて、問題そのものへの問いかけが深まっていかないのことに、ちょっと不満を感じてしまいます。簡単に結論を出さないことにツッパッているようなところが感じられますが、もう少し肩の力を抜くことができれば、池澤夏樹のような類まれな小説家・エッセイストになりえるのではないかという気もするのですが。
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・「なぜって・・・・・。川って原爆が落ちる前も、今も変わらずあるでしょう。この町のなかで不変的なものの一つでしょう。だけど川の水はいつも変化してる。不思議だよね。つねに変化し続けているのに、不変なんだもの」
お線香を焚いて、それから花を川に流した。トルコキキョウとコスモスが下流へと流れていく。下流へ。そして海へ。
流れるものに憧れる。
すべてを水に流す。
・そうだ。私は感情的で自己中心的な女だ。だけど、自分が満足して納得してる時は力が出せる。自分が納得できないときは一歩も踏み出せない。八月六日の広島で、川に花と水を流して「ふるさと」を歌う。こんな行為は自己満足に決まっている。私は戦争を体験していない。だけど、ここまでやってきた。私が来たのは、ここを描くためだ。言葉を使って書くためだ。だとしたら、自分がひとつひとつ納得していくしかない。
・「ノサリ言うのは、どう言うんかなあ・・・・・。自分が望んだんではなくて、向こうからやってくるものをさす言葉です。大漁もノサリ、病気もノサリです」
・そう言って、杉本さんは姿勢を正し、おもむろに遺影に向かって語りかけた。
「どうも、みなさん、お久しぶりでございます」
その声は、真実だった。
そこに人々が「いる」と感じるしかなかった。
いったい杉本さんの、あの語りを聞いて、いまここに彼らが「いない」と思えるだろうか。死者はここにいる。自然で力強い、いたわりと親愛に満ちた声。
・だって、大人って、なるものじゃないんだ。私はずっと、小さいころからもうちゃんと「私」だったんだよ。大人でも子供でもなく、私だった。それでよかった。だのに、「子供」だって言われ続けて、そしたらある時、急に「あんた大人でしょ」って言われて、自分がなんだかわかんなかった。
・これからの時代は聴くことがとても大切な意味をもつんじゃないかな。耳を傾ければ、感じることができる。たとえ、自分のことではなくても。少し感じることができる。その実感を持たずして、きっと何も新しい解決策を見いだすことはできない。
当事者のそれぞれの言葉を、それぞれが聴こうとすれば、そこには必ず、なにかしらの変化が心に起こるものだ。鎮魂とは、死者とともに行う創造的仕事。私はそう思っている。
・人間は体でも思案するんだって私は思っている。そして体でも会話する。
考えるのは頭だけじゃない。この体も考え感じる。体の思案は言葉を使わないから実感するのが難しいけど、体はたくさんのことを感じ考えている。頭と同じだけ体も考えてる、会話してる。でも、それは体を使わないとわからないんだ。体に注意を向けないと聞こえない。体と体がふれあわないとわからない。
・「私は私にできることをやり続けるだけ」
国が老人福祉を切り捨てるようなことがあってはいけない。とにかく福祉に意識が向くようになんでもやる。やれることをやる。正直なところ彼女が「大人のオムツを送った」と言ったとき、なにそれ、と私は思った。そんなことやってどうなるの。たぶん「そんなことやってどうなるの」という��が私の発想の限界なのである。やってみなければわからない。それがスティーナだ。やってみてダメだったら別のことをやる。やれることをすべてやる。
・知覚とは、可能性なのだ。私の心が変われば目が変わる。私という認識の世界はこの程度だ。近くは大嘘つきだ。真実は何ひとつわからない。この大発見は私にとってコペルニクス的転回だった。そうなのだ。世界とは果てしもなく、不確実なものなのだ、という認識。
そこに立てた時に、いきなり、芸術の扉が開いた。
アートの呪縛が解けた。あんなにわからない、と思っていたアートを、ようやくいま、楽しめる。ずいぶん遠回りをしたものだ。
・江戸時代まで日本はリサイクル国家。見事なリサイクルによって、大便小便から古着に至るまでリサイクルされていた。近代に入って西洋から科学技術が導入され、産業が起ると同時にゴミというものが出始める。この自然界にあるものだけを利用していた時代には、ごみの問題はなかったはず。そもそもゴミという概念がなかったと思う。
いったいゴミとはなんだろう。ゴミって・・・・・。
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立て続けに田口ランディさんを読んでいる。
この本は20代の若い女性に薦められました。
エッセイ集。
まず、どぎもを抜かれたのは、「死のなかにある命」のなかの一節。
「人は死ぬ、いつか死ぬ、絶対に死ぬ」とオウム真理教の標語に麻原は言うとある。
私はまず、オームなんて厭なのに「う~ん、真理!」感心してしまう。
田口さんはその語録を端緒として、「死」をもっと社会の中で見つめて「今を生きる」に直結させるべきなのに、科学が陳腐化させたという。
『…宗教も、オカルトも、なにもかもいっしょくたに科学の前で陳腐化させて、魔法をといてしまった。…』と。
そして、
『なぜ生物は生命のプログラムのなかに「死」を組み込むことを選択したのか。』
命の連鎖のために生物の戦略として「多様性」と「死」を選択したのだと。
すなわち、
『「生物」としての人間は数十億年の果てに、私と言う存在をここに在らしめてい
る。』となり
『「根」とはルーツだ』に、つながる。
すごいです!!
前編、田口さんの根っこになるものことと、「翼」を飛翔させる「意識」のこととを次々と語って下さる。
田口さんの「意識」なんだけれども、普遍的真理で共感してしまうのは私だけではないと思う。
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初めて読むつもりで読み始めたけど、昔々読んだことがあるようだった。
死ぬこととか、呪詛の話とか、そうなんだよね、そうだよねって気持ちで読んだのは、私が歳を取ってきたからなのかな。ちょうどこの本を書いたランディさんと同い年くらいになったから。
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胸に残る本。
起きた事件や見た景色、聞いた話をさらっと流したり、分かったことにせず、とことん考え尽くす。
彼女の徹底ぶりと愚直さが好きだ。
この作家は、物事を考える際、 自分の意見をはっきり言ってくれる。
私は好き、嫌だ、怖い、悲しい。感情を露骨に明示するから、読み手にダイレクトに伝わる。
その上、じゃあ相手はどう思っているか、そちらを書き記す。
客観的視点を加えることを忘れない。
物事は多面体で、色々な視点で見ることができることを裏付けるかのように。
特に、 原爆や戦争を語り継いでいる 語り部よ方々の存在意義について言及した巻は見事。
彼女の舌鋒ぶりに文字通り舌を巻いた。
意見は言うけど言い過ぎない。
鋭い言葉だけど凶器にはならない。
絶妙なバランスを保ちつつ、概念を自分の中の言葉で生み出す。
上手いなぁ。
「できればムカつかずに生きたい」
でファンになったが、この本ももれなくいい本だ。
ランディ! グッジョブ( ¯꒳¯ )b✧