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小松実は昭和6年生まれ,終戦時には中学生,機銃掃射をよけて逃げたり,焼夷弾を消したり,戦後は闇市で商売のまねをしたり,旧制高校1年で学制改革により,京都大学文学部イタリア文学を受験して入り直した。旧制高校時代は読書三昧。体育と保健を落として1年留年。大学時代の共産党反戦活動が尾を引いて就職できず,くず拾いのバイトをしたりしながら,総会屋雑誌を作ったり,同人誌を中心に文学活動も展開。父親の工場がつぶれかけて家業を手伝うが,うまく行かず,借金返済のためにラジオ放送の台本を書く。SFマガジンが創刊されるとコンテストに応募,小説で金を稼げるようになった。SF作家仲間ができ,万博を考える会がやがてテーマを考えて採用される事になる。やがて,日本沈没が空前のセラーを記録する。戦争体験が日本沈没を書かせるきっかけとなった。暫く名前を聞かなかったので死んだのかと思ったら,誰かのエッセイで小松さんの酒席に呼ばれる話を読んで,生きていることを確認し,日本沈没第2部が谷甲州との共著で出たことを知った。SFとは文学のすべての可能性を引き出す方法だと云っている。そうかもよ。
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p.25
こうして戦争はあっけなく終わった。でも、僕は「本土決戦」「一億玉砕」という言葉に死を覚悟していた、あの絶望的な日々は忘れることができない。「地には平和を」はもちろんだが、『日本沈没』を書いたのも、「一億玉砕」を唱えるような本当に情けない時代の空気を体験していたからだ。玉砕だ決戦だと勇ましいことを言うなら、一度くらい国を失くしてみたらどうだ。だけど僕はどんなことがあっても、決して日本人を玉砕などはさせない――そんな思いで書いていた。
p.46
忘れられないのは、創刊一周年記念号の目玉として湯川秀樹博士に取材した時のこと。湯川先生は東洋史の貝塚茂樹先生の弟だから、高橋和巳に頼んで貝塚先生から紹介してもらったのだが、当時は取材に来る新聞記者があまりに不勉強なことにウンザリされていた。その時も、最近はどんなことに関心をお持ちかと僕が聞いたら、「小松君、この歌は知っているか」と仰る。
「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」
僕が「在原業平ですね」と答えると、「おっ、よく知っているね」と。当時すでに量子力学の観察者問題(極微小の量子力学の世界では、観察すること自体が観察されるものに影響を及ぼしてしまうという問題)が言われ始めていたから、「観察者問題ですね」と尋ねたところ、先生も一気にうち解けてくれた。
p.64
ただ、こんな日本は化け物に食わしてしまえという僕の気持ちもわかって欲しい。あんな戦争をやって負けても、何一つ変わらない夜郎自大さ。左翼も分裂し、くその役にも立たない――こんな国は人間の国と思いたくないという痛烈な皮肉を込めていた。その意味では『日本アパッチ族』は僕の実存主義作品といえるかもしれない。
p.126
僕だって、アメリカに対しては「原爆を落としやがって、くそったれ」と思うし、日本が戦争犯罪国だと言われる以上に、あんな負け方をしたことが悔しい。でも、あの戦争末期の「一億玉砕」「本土決戦」という空気は、どうしても肯定する気になれない。
政府も軍部も国民も、「一億玉砕」と言って、本当に日本国民がみんな死んでもいいと思っていたのか。日本という国がなくなってもいいと思っていたのか。だったら、一度やってみたらどうだ――そこから、日本がなくなるという設定ができないかと考え始めた。
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[ 内容 ]
『復活の日』『果てしなき流れの果に』『継ぐのは誰か?』―三十一歳でデビューするや、矢継ぎ早に大作を発表し、『日本沈没』でベストセラー作家となった日本SF界の草分け的存在。
高橋和巳と酒を酌み交わした文学青年が、SFに見た「大いなる可能性」とは何か。
今なお輝きを失わない作品群は、どのような着想で生まれたのか。
そして、意外に知られていない放送作家やルポライター、批評家としての顔―。
日本にSFを根付かせた“巨匠”が語る、波瀾万丈のSF半生記。
[ 目次 ]
第1章 作家「小松左京」のできるまで(『SFマガジン』との出会い 戦争がなければSF作家にはなっていない ほか)
第2章 「SF界のブルドーザー」と呼ばれた頃(吉田健一氏の言葉が励みに 新妻に書いた『日本アパッチ族』 ほか)
第3章 万博から『日本沈没』へ(大阪万博に巻き込まれる 未来学と『未来の思想』 ほか)
第4章 『さよならジュピター』プロジェクト(『ゴルディアスの結び目』から「女シリーズ」まで 「日本を沈めた男」の日本論 ほか)
終章 宇宙にとって知性とは何か(還暦と『虚無回廊』 阪神大震災の衝撃 宇宙にとって生命とは何か、知性とは何か SFこそ文学の中の文学である)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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一言で言うなら、小松左京おじいさんの懐古的自慢話。
興味深い点もいろいろあるんだけど、自慢げな顔がちらついてつらい。
一番おもしろかったのは、「小松ブルドーザー」の下りで出てきた、
「平井和正教会」というネタ。これには思わず吹き出したけど、
わからない人には全然わかるまい。
しかし、
久しぶりに古い小松左京作品を読み返したくなったのは確か。
2007/6/11
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フォトリーディング。面白い。小松左京ファンで無くとも彼の駆け抜けた時代を楽しめる本。高速リーディング。面白かった。小松左京が好きになった。こんな人生も良いな。
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先日亡くなったSF作家・小松左京氏の半生記。「私が日本を沈没させました。」―そんな帯のフレーズも微笑ましい。
僕が本を読むようになった時には、既に小松氏は幾つもの大作をものにした後で、後輩の作家さん達もたくさん出ていて、何というか現役の作家というより雲の上の存在みたいな感じだった。親戚の中で一番えらいおじいちゃんみたいな感じというか。
リアルタイムでその執筆活動に触れていなかったものだから、小松氏の“ナマの文章"に触れる機会があまりなかった。小松左京賞の創設など旺盛な活動はされていたものの、新作小説を発表することもほとんどなくなっていたし。
正直…もう“現役”の小松氏に触れる機会なんてないのだろうか、なんて考えていた。しかし『日本沈没』がリメイクされることになって、原作者である小松氏もにわかにメディアで取り上げられるようになった。
どんな人なんだろう…ドキドキしながら見た小松氏の表情は―笑っていた。そう、おじいちゃんどころか少年のように笑っていたのだ。
『日本沈没』の公開と同時期に日経新聞の「私の履歴書」コーナーで自身の半生の連載を始めていた。その第1回目でも小松氏ははしゃいでいた。
「少しくたびれた75歳のSF作家が昔書いた作品を、若い人たちが最新の技術を駆使して今によみがえらせた」「私はうれしくて仕方がないのだ」
肉体は年齢を重ねても、心は全然年老いてなどいないのだ。映画館で新たに甦った自作を食い入るように見つめる小松氏の姿が思い浮かんだ。
SF作家はその魂を永遠に失わないのだ。
本書は日経新聞に連載されたものと一部内容が重なるものの、読みやすく分量もちょうどいいので小松左京の入門書としては最適。あの戦争を経て何を思ったか、ドストエフスキーについて、親友であった高橋和巳のこと、阪神大震災に遭遇した経験…その語り口は訥々としつつも、熱い思いが込められている。そしてその思いが作品の1つ1つに反映されていることに気づく。
何のことはない。小松氏の本を手にとれば、現役の小松左京はいつだって僕ら読者の前に居る。
映画『日本沈没』公開後、小説として『日本沈没 第二部』が谷甲州氏との共著の形で出版された。そのあとがきで小松氏はSFへの溢れる思いを語っており、僕は嬉しくなった。そして自身の半生記である本書のタイトルを見て、僕は胸が熱くなった。
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大御所小松左京が、SFを書くようになってから今日までのあれこれを気持ちよく語っていて、読んでいるこちらとしてもたいへん気持ちよい一冊。私が大好きな映画『復活の日』のことを御大もお気に入りのようだったり、野田昌宏の名前がでてきたり、ちょっとしたことがいちいちうれしい。
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遺言のつもりで拝読。SF作家の使命とは何か。物書きの使命とは何か。その楽しみ方から文明論との向かい合い方まで、人間・小松左京のフィールドの広さが垣間見られた。
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鬼子であった、邪道であった。
現況から考えると「まさか」であるが、1950〜60年代頃の日本のブンガクにとって、SFなど子どもの遊び、とても小説とかブンガクの仲間には入れてもらえていなかった。
その黎明期から、力強く牽引してきた小松左京さんの半生記。
万博の時代に、「日本沈没」を書いていた人。
地震という意味では、阪神大震災、東日本大震災に際して、教訓や警告をなぜ生かせなかったか、と、悔しかったに違いない。
政府の対応という意味では、右往左往の頼りなさが露呈され、「日本沈没」から40年近い年月に大きな進歩はなかったことがはからずも証明されてしまったことになる。
SFの可能性を、常に、確信を持って指し示してきた人。
巨星墜つ、というにふさわしい。
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SF研だったくせに、小松左京とは微妙に自分のブーム時期が合わず、ほとんど読んだことがない。今度こそいろいろ読んでみる気になりました。
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小松左京のパワフルな創作力の源が,彼の底知れない好奇心と活動力にあると再認識させられる.また,京大の学際的なつながりが非常に重要な役割を果たしていたことが書かれており,その人間関係も興味深い.
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フッサール、読んでみようと思った。
かつて読んだ「果てしなき」や「ゴルディアス」、さらには「復活の日」も、よく分からなかったが、再読してみたいという気持ちになった。「日本沈没」は未読なので、これまた、読んでみたいと思った。
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【要約】
・SFこそ、文学の中の文学なのだ!
【ノート】
・
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筆致の熱量が徹頭徹尾変わらず熱い!行動の理念(なぜやったの?)がさりげないけれど一貫して語られ,ああ,この人は無意識なる科学者なのだと理解する.SFとは希望,と喝破するその心は,仮説導出とその思考実験としての作品群の立ち位置が理解できれば,なるほど将来の可能性の取捨選択の実践だったのだと納得される.幼少期環境の影響性だけで語れないが,しかし,人格形成には少なからず影響したことを思うと,数少ない二次大戦の正の面を垣間見る.聞きしに勝るノンストップ人生なり.
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日本が生んだ偉大なSF作家である小松左京さんの自伝『SF魂』。
『復活の日』という映画を映画館で見たときは、私は11歳だった。ずっと後になって原作者が小松左京さんだということを意識した。VHS、LD、DVD、Blue-rayと媒体が変わっていく中でも、『復活の日』は手元においておきたい作品だ。
大阪万博を始め、様々な国際博覧会の主催者的なことにも携わっていることも本書で知った。
『日本沈没』も好きな映画だ。
小説では、『首都消失』を読んだ覚えがある。スティーブン・キングさんの『ミスト(霧)』は、本書がヒントになったのではないかと思うほど。どちらが、先に書いたのかしら?
2021年2月、未だに新型コロナウイルスの封じ込めに必死な人類。こうした事態を含めた未来の行末を、考え続けてきたのが、SF作家の人たち。
そんなSFというジャンルが、粗末に扱われてきた時代を体験してきた著者だからこその、熱い思いが伝わってくる。SF作品を読むことで、未来に思いを馳せたり、歴史を振り返ってみたり、果てしない思考のたびに連れて行ってくれる。
こんな時代だからこそ、SF作品を読もう!読みまくろう!と思っている。
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大SF作家・小松左京の半生を描く自伝。
作品創作時のエピソードだけでなく、放送作家、ルポライター、万博プロデューサーの顔も描かれる。
あらゆる物事に関心を持ち関わっていく、作家の枠に収まり切らない活躍は、そのままSFの持つ無限の可能性に繋がるのだろう。