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紙の本
タイトルを逆から見るなら、「憲法は、(基本的には)国民に対する命令ではない」ということにもなる
2008/12/18 20:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者がはじめて日本語での書き下ろしにチャレンジした本とのことだ。そのわりには、こなれた日本語で読みやすいものになっている。校正の努力もあったとのことだ。
憲法論としては、護憲派のスタンダードな見解が主である。目新しいものは少ない。
注文をつけさせていただくと、もっと憲法の国家に対する「制限規範」、「授権規範」としての性格をアピールしてほしかった。それが、せっかくのいいタイトルを生かす道だと思う。
ひとつ、具体的に反論点をあげてみる。
著者は、憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」等を根拠に、《政治活動は市民の義務である》という。
さすがは、ラディカル・デモクラットらしい物言いだと思うが、この条文から市民・国民の義務を直接的に読みこもうとすることには賛成できない。「国民の3大義務」についての通説と同じように、せいぜいが「倫理的な指針」と見ておくべきだろう。そうでなければ、もしも政治活動を市民の義務と強制する法律ができたばあいに、憲法違反とはいえなくなる恐れがある。
政治活動とは、あくまで市民の自発的な行動によってなされるのが筋であり、権利の範疇にとどめておくものなのである。
しかし、最後のほうで「おっ」と思わせられたことがある。
《それと比べると(評者注 大日本帝国憲法のこと)、今の憲法は、条項には書いてないが、「無関心権」を保障しているとさえいえるだろう。政治活動家(私も含め)は「人びとが無関心だ」と批判するが、無関心を許さない全体主義のことを思い出すと、無関心権はきわめて重要な権利だとわかる。
「無関心」の人は、政治とは離れたところで、とても大切なことを考えたりつくったりしている場合もあるからだ。それが許されてはじめて豊かな、生き生きした社会になってくるだろう。》
やっ、わかっていらっしゃるではないですか。「無関心権」とはおもしろいネーミングだ。
もちろん、政治を一部のエリートに任しておけばそれでいいというつもりはない。ただし、くりかえすがそれは「義務づけ」でどうにかするものではない。
政治活動に熱心な市民を増やしたいのであれば、「一緒にやろうよ!」と呼びかけていけばよいのだ。
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