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世界の屠畜場の現場を取材した、著者自筆イラスト満載のルポルタージュ。
普段パック詰めでずらーっとスーパーに並んでいて、当たり前のように買っているお肉。狂牛病だとか、鳥インフルエンザとか、口蹄疫のときばかりやたらニュースで取り上げられるお肉の現場。
そして、日本に古くからある屠畜を職業とする人々への差別――。
それら全部をひっくるめて、ひとつひとつ向き合って自分で考えてみて、それでも「屠畜という作業が好き!」ときっぱりと断言する作者に拍手。
これまで日本で何かとブラックボックス扱いされていた屠畜という仕事に、「好奇心」で挑んだ力作にして良作だと思う。
この、「好奇心」というのはともすれば諸刃の剣だ。ただの興味で首を突っ込むと、無責任な「野次馬」になりかねない。
屠畜のルポ本だと聞いていたときから、「屠畜職の差別のことはどう書かれているのかなぁ」と気になっていた。私自身が、差別はとてもとても、ナイーブなテーマだと思っているためだ。
しかし、著者のあっけらかんとした屠畜作業自体への好奇心と、屠畜に携わる人々およびその技能への純粋な敬意が、そんな湿っぽい私の心配を吹き飛ばしてくれた。
そうか、そうだよな、だって私達お肉を食べてるんだものな。それが事実なんだもの。しかもそれが現代社会の日本で支えられているのは、立派な「技能」と食品の品質に対する「意識」があってこそのものなんだものな。
著者の言うことはまっとうで、しかもとてもシンプルだ。変な理屈をこねたり、頭でっかちになってわかったようなことは言わない。
肩肘張らない、そして責任意識もきちんとある、素敵なルポルタージュであった。ぜひとも、もっともっと多くの人に読まれてほしいと思う。そして、おいしいお肉が食べられる幸せを、素直に噛み締められるようになれば、それでいいと思う。
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日ごろ私たちが口にしている肉がどのように解体処理されているのかをルポした本。日本だけでなく著者が世界数カ国を実際にまわり、イラスト付きで食肉加工の過程を丁寧に説明している。お国事情が分かって面白い!しかし、ときどき著者の「私はこういうの大丈夫」系のコメントが不要と思ったりした。
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いやあ、もっと早く読むべきだった。評判になってるのは知ってたけれど、なんかもっとこうガチガチの本だと思って敬遠してたのだった。こんなに楽しい本だったなんて。
本の雑誌での連載が面白いので読んでみる気になった。あっけらかんと開かれた感じの文章で、この人が書いてるなら、べたーっと重いものじゃなかろうと思ったのだ。
まさに予想通りというか予想を超えたフットワークの軽さに驚嘆。多くの日本人が考えようともしない屠畜の現場に、ホイホイといとも軽々と出かけていき「いいなあ、やりたーい」「うまそう」といいながらスケッチしてくる。そのスタンスが実に自然で肩肘張ったところがない。時におたおたしたり、うまくコミュニケーションがとれなくてもやもやしたり、まったく飾り気のないルポになっている。読みながらウチザワ(筆者の自称)と一緒に色々考えさせられる。
日本では「屠畜」と「差別」を切り離すことはできない。みんな肉を食べるのになぜ?という当たり前の疑問にウチザワは正面から当たっていく。自分が納得できないから、という姿勢にすごく共感する。まっとうな暮らしのあり方についてのイメージや、職人への敬意についても同様。混じりもののない好奇心とイラストが最大の武器だと思った。「社会派」ルポライターが書いたらこうはいかないだろう。
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なぜ「肉」を食べるのか、屠蓄することは、人間にとってどんなことなのか・・、韓国、バリ島、エジプト、ヨーロッパ、モンゴル、アメリカ・・日本の屠蓄場をルポ。内臓処理業者、皮なめし工場など徹底した取材で丁寧なイラスト付き。
動物愛護の視点からも屠蓄論を展開するが、さまざまな矛盾にウチザワさんは、いつも「なんだかな・・」と答えの出ない問題の前で立ち止まる。
凄絶そうな屠蓄の現場もウチザワさんにかかると「オモシレ~、自分もやってみたい!!」になるし、まだ温かい湯気を出している肉を見て「ウマソ~」というのが救いとなる。
肉は正直、旨いけれど、「肉屋の陳列ケース」にあるのが、私にとては肉であり、どうも動物そのものとしての肉対峙は遠慮したいな。
圧巻の書でした!
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家畜をつぶして肉にする行為を、日本を含め約十カ国で取材したノンフィクション。挿絵つきでわかりやすく、文章も会話調で読みやすい。
筆者は、屠畜が家族単位でなされる国の場合は、ある家族に頼んで豚を一頭つぶしてもらい、工場でなされる場合はそこを見学して本書を書いている。
バリやエジプト、チェコでは屠畜行為は、ごく一般的な行為と見なされ、羊ほどの大きさになると肉屋を呼んでつぶしてもらう。遊牧民のモンゴルに至っては、男子ならだれでも羊をつぶせる。屠畜作業も挿絵つきで詳しく述べられている。頸動脈を切り、身体外に血を流す放血をおこなうバリやエジプトにチェコ、腹に手を入れ大動脈を切り、体内の一部に血をためて外に血を流さないモンゴル。いっぽう日本やアメリカでは、大量の牛や豚が大屠畜場で効率よく処理されている。炭酸ガスを吸わせ仮死状態にしてから、放血し、次々と流れ作業で解体されていく模様が順を追って詳細に描かれている。
本書では、屠畜作業の説明の他に、屠畜という命を奪う行為がもたらす職業偏見についても、宗教にからめて踏み込んでいる。屠畜行為を食事の用意と見なしている国では、家族の一員が屠畜するため、偏見が介在する余地はなく、逆に祭りや客をもてなす意味合いが強く、豊かな家を象徴する行為と見なされる。朝鮮戦争で身分制度が崩れた韓国、社会主義国のチェコでは、職業偏見がそもそも存在しないため、肉屋に対しても偏見を持たない。いっぽう、日本やインドでは屠畜行為に対する不浄感が強く残っているため、偏見はある。
野菜の育て方に関する書物が多いなか、肉をつくる行為を特別視する日本において、この手の書物を出す意義は高いと思うが、残念ながら、のぞき見趣味が多い印象を受ける。
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お肉を解体するテクニカルな描写が大変面白い。
フランスの市場でマル剥きにされたウサギを見て「美味しいそ♪」と思ってしまった私は、作者とかなり感覚が近いんだろうな。
食べるという行為をとても愛する私にとって、モンゴルの章で語られてた、
「たくさんの命をもらって自分が生きているという自覚、それがまずないとダメ。そうしてらはじめて誰かがやってくれている事に対してありがとうという気持ちになる。」
という言葉に深く共感しました。
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屠畜という行為に差別意識を持つことが不当であることは理解できるし、肉を食するということを正しく受け止めるためにそのプロセスを避けることなく知ることは大事だと思う。でも理屈じゃなくて血を流すという行為に対する抵抗感を覚えるのも偽らない本音だ。生の営みというのがきれい事だけで済ませてしまわないようにするにはこういったことも受け止める必要があるんだと思った。
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内澤旬子さんというイラストルポライターの方が、屠畜と差別についての問題意識を根底に持ちつつ、臆せず挑む体当たりルポルタージュです。といっても、そんなに難しいものではなく、好奇心旺盛で怖いの知らずで、タブーを知りつつ物怖じしない内澤さんの視点が気持ちいいほど。
単に屠るだけでは「肉」にはならないのです。
その中にちらりと『鋼の錬金術師』のアニメの話が出てきていました。第一期第8話の肉屋の倉庫に牛肉が天井からずらりと鉤に引っ掛けられてぶら下がっているシーン。「あり得ない」とダメ出しされています(苦笑)確かに、肉で牛の体重は支えられません。(ちなみに、原作コミックにはこのシーンはないと書かれています)よく見ていらっしゃる。
ちなみに、そういう風に作画が間違った表現になるのは、資料自体が存在しないせいもあるのだと思います。
手書きの味のあるイラストがたくさんあって、しかもその視点には「愛」がある。屠畜という営みを心から愛している人なんですよね。興味がありましたら、ぜひご一読ください!むしろ、興味がなくても読んでみてほしい本です。
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動物からお肉への橋渡しを生業とする人々の仕事ぶりの記録。文化や宗教、生活環境によって、「命のいただき方への思いが違うんだ」と気付かされます。自分の食べてるお肉はどうやってお肉になったの?ちょっと気になりますね。
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長年取材を重ねたドキュメントもの
人間の嘘と偏見と差別と支配の隠された恥部を
食と殺という視点から覗き込んでいる
「屠殺」を「屠畜」と言い
「殺す」を「切る」と言い変える
生きると言うことは他の命をもらうと言うことだそうだから
つまり死ぬと言うことは他の生物に命のエネルギーを譲り渡すと言うことになる
殺すことと違ってお互いにいずれ順番だと言うことで
生きている間は生きる力を吸い取って魂の成長を楽しみ
地球という共通の苗床を生命の進化のために広げるという仕事らしい
当然生きると言うことは自分でバンバンするマスターベーションなのだろう
遊牧民の子供は日々屠畜を見て育つ
2才のころまではその騒ぎに驚いて泣き
その後血によって起こる痛みの連想でビビったり
友達を殺す矛盾の悲しさに泣くけれども
6才頃からご馳走と結び付いて歓びを感じ出すらしい
本来家畜を可愛がって育てるということと
食材にして食べると言うことが対立するものでない
もし家畜をいじめて邪険に扱うと食物としての栄養価も味も悪くなる
過剰なストレスは血やホルモンに影響して内臓や肉の質を落とし
命を短くさえする
満たされるという至福感が他者との一体感や感謝に発展して
お祭りへと繋がっていくのだろう
手塩に掛けて育てた米を食べるのと同じように
餌を与え共に育った家畜を食うという行為には
単なる物的我欲と精神的な愛に繋がる
二つの厳しい悟りというベースがしのぎを削っている
家庭から屠殺の姿が消え
見えないところで処理されている社会で育つ人間は
歪んだ意識を固めてしまう
産まれたら死ぬことが待っていること
創るには壊すことが関わっていること
遊ぶには片付けておく必要があること
誰かが生きるには誰かが死ななければならないこと
相対の世の中であることを隠してしまうと
独り占めが当たり前となって
ヒステリックな社会を認めることになってしまう
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日本を含む屠殺(畜)現場のイラストルポなんだけど、サイコーにおもろい。皮剥いだり、切り分けたりする職人技がむちゃくちゃかっけーんだよね。芝浦って普通の人には見せてくれんのだろうか、マジに解体するとこ一回見てみたいわ。
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世界の屠畜(家畜を肉にするまでの過程)事情をレポート。屠畜にはどの国においても少なからずの偏見がある。南の島ではそれが少ないみたい(沖縄・バリなど)。インドでは最悪。日本や韓国なども。これを読んで、「肉を食べたくなる人」と「肉を食べる気を失くす人」と二つに分かれるでしょう。私は食べたくなるほう、でした。
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少しずつ読み進めた世界屠畜紀行がようやく読み終わった。
本の中をひたすら貫いている「屠畜が穢れっていうの、ってどうなの?」っていうブレない目線が、タフな女性だな、この人、という印象で、内容そのものもそうだけど、一人の人の生き方として見ても、面白い本だな、と思いました。
食文化や動物とか、あまり興味ない人とかでも、一読してみたほうがいいんじゃないか、と思います。
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好奇心旺盛な一般人視点、素人視点での、
世界の屠殺(屠畜)の現場レポートとして
大変優れた 1 冊。
普段考え無い事を思い出させてくれる。
東京芝浦と場の詳細は、
イラストもありわかりやすい。
差別云々に関しては、
あえて深い考察にまで踏み込まなかったようだ。
エネルギッシュな著者に好感を抱く。
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屠畜場に行ってみたくなった。
ぶら下がる枝肉。
うまそう。
じゃぶじゃぶ洗われる腸などの内臓。
この作者も世界をとびまわり、屠畜されるのをしっかり見て食べる。
屠畜なくしてはお肉は食べれない。
勝手にトレイにのってくるわけじゃない。
子ども達もみんなお肉を食べる人は屠畜を見るべき。
そしていただいた命と本来食べる自分達がしなければならない「殺す」ことをかわりにしてくれる人達に感謝することである。
そのことを改めて教えてくれる本である。