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社会の現状に照らし合わせた必要性からは乖離した法令をただ闇雲に遵守することで起こる弊害を、談合問題・ライブドア事件・村上ファンド事件・耐震強度偽装事件などの具体例をあげて説明している。法令本来の目的を見失い法令遵守が自己目的化したり、包括的規定に基づいて処罰するべき案件を形式犯として罰則を適用したりするために不利益をもたらしていることが多いという点を指摘しながら、法令の背後にある社会的要請に応えていくという日本型のコンプライアンスとそれに基づく組織づくりを提案している。面白くためになる本でした。
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検察官出身の著者が法律さえ守ればいいという考えが現代社会とマッチしていないことを実例を持って解説している本。
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なんらかの必要があって、あると思われるから決めたルールなのだろうが、それを守ろうとする中で、本来の、制定の目的を見失ったり、他人に無理を押し付けたり、身動きが取りにくくなったり、息苦しさを感じる。最近仕事上非常に多いことです。次のブームは安全と環境保護のルールでしょうか。(もう、過去なのかも)
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長崎で大活躍した郷原元検事の痛快な一冊。法の背景にある社会的要請を忘れて、細かな法令にこだわる”法令遵守”が大手を振って歩く最近の日本は、大間違いだと説く。
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ゼネコンの談合、ライブドア、村上ファンド、パロマなどの記憶に新しい問題を例に、「法令遵守」に固執することの弊害を説いています。
法令によらない、倫理観・信頼・社会的責任を果たそうとする姿勢によって支えられた日本が、変化しようとしているのを感じました。
現状では法的責任を追及されるのを恐れるあまり、会社や官庁の組織が硬直化し、ものごとの全体を把握できなくなっていることがよくわかりました。
法律に違反しているかしていないかを最重要視するマスコミの報道のカラクリも解説してありました。
とてもおもしろいオススメ本です。
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まっとうな本。
コンプライアンスを言葉の武器にしてはならい。そしてまたバックラッシュを主張しているわけでもない。
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http://d.hatena.ne.jp/essa/20070510/p1
ライブドア事件について
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この手の本色々読んだが・・・ふむふむと納得させられる点があったことではこれが一番かも。5つ星あげちゃいます。
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タイトル負けした内容。
特に目新しいことはない。しかし、事実関係荷は問題ないので、毒にも薬にもならない感じか。
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「未熟な」法治国家である日本で、法令のみを守るだけでよしとする風潮に警鐘を鳴らす。
「なぜ」は色々な事件によって詳しいが、「ではどうすれば」にもうちょっと...という感じ。
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発売当初に購入して中途半端なままだったので、読み返してみたんですが、改めて再読すると新たな発見というものがあります。視点が変わったり、気付かなかったところが浮き彫りになったり。読書自体が自分の成長の目安になったりするんでしょうね。
(+)
・『会社法と労働法の関係』P135
会社は株主のものという考え方が一般的に認知されだした現在、労働者(つまり社員)はその利益獲得に必要な労働用益であり、その労働契約の相手方であるという考え方。会社はだれのものかという前提にたった「会社法」と雇用や労働者保護を目的とする「労働法」は相互に密接に関連している
・『法の背後に何があるのか?〜社会的要請と法令遵守〜』P100
法の背後にある社会的要請と、法令遵守の精神で締め上げた自らの守備範囲への意識の歪みがいわゆるテキサスヒットが生まれてしまう原因になってしまう。
→自分がかつてそうだったと反省。意識するあまり、潜在的に法令遵守がインプリンティングされることによって、手がでなくなる可能性がある。
(−)
途中からコンプライアンス論からマスコミを暗に批判しているような内容にも見える。またフルセットコンプライアンスについては、どうしても5W1Hのような漠然とした話に終始して、実態例にそぐわない気がしてならない。
【「法令遵守」が日本を滅ぼす】
郷原 信郎 (著)
出版社: 新潮社 (2007/1/16)
ISBN-10: 4106101971
ISBN-13: 978-4106101977
発売日: 2007/1/16
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新潮社
郷原 信郎
むずかしかったなーw
普段新聞を読まない俺にとってはねw
物事には多面性があって、
ありき論や、善悪とか正誤とか、それだけで考えるのは幼いことですよー。
っていいたいんだと思う笑
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何でも法にすればいいというわけでもない。むしろ、何でも法にするから現実と法令の離隔が生じる。(2009.05.13)
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なんかあると審査、検査を強化しよう、となる。また間接業務が増える。いまに間接業務だけになってしまうのではないだろうか?著者の言われるとおり「日本の建築物の安全性を支えてきた」のは「会社の信用と技術者の倫理」(p.80)なんですよね。文系の間接業務じゃない。
まあそうはいっても信用だの倫理というのは文明だから、なかなか一朝一夕には対策が取れない。そこで、本書も背後にある社会の要請ってものをよく考えろ、というメッセージになっている。「常識が大事だよ、常識が…」というわけだ。著者は「本来、人間が持っているはずのセンシティビティ」(p.103)という表現をされている。まあ要するに、よく考えろよ、ということなんですね。だけどよく考えても報われないんだよね。それでも考えろ、と。そういうわけだ。
読みどころはやはり実例が書いてあるところ。バカヤローという表現はとっていないが、困ったことがありますよ、という実例を使った文脈が面白いです。
専門家のバカヤローという文脈がある。法律家ってのは生活にはたいして役にもたたない。そういう専門家だから、面倒なことは法律家に丸投げしていた。それでよかったし、法律家も少ないから偉かった、重宝された、というわけだ。win-winですね。著者は「巫女のようなもの」(p.130)だったとしておられます。
縦割りのバカヤローという文脈もある。法律は個々にあるけれども、背後の価値観ってのはつながっているんだから、「タコツボの中に入ってでてきません」(p.138)というのは困りますよ、というわけだ。例えば企業法にしたって「企業に関する法全体を体系化して『面』でとらえるということ」(p.139)が大事とのこと。その通りですね。専門家ってのはその専門のオブジェクトのほうをキーに考えるんだよな。それをあてはめる相手の側の体系にあてはめないんだよなあ、と思いました。このくだりは賛同しました。しかし、面で捉えるには実体経済に近づかなければならないですよね。そこがイヤなんでしょうね。専門家の人は。そもそも実体経済がイヤだから専門家になった人が多いんじゃないのか?これは私の邪推。
すぐ間接業務に持ち込むっていうところで、法令遵守ってのも、これもまた、わが国を覆う文系の禍いの一つだな、と解釈しました。
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遵守してなにを達成するかというその先の目標を見ないまま、
法令遵守なんて言っても何の意味もない。
経済活動を萎縮させてしまうような規制ばっかりまかり通るだけ。
なのに法令遵守に異議を唱えればバッシングされることうけあい。
「法令を遵守しましょう」っていう言葉は「人を殺してはいけません」っていう言葉くらい
あまりに一般的で否定できない言葉だから。
そう考えると、日本を滅ぼすのは何も法令遵守だけじゃない。