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閉塞された町の閉塞された人々に振り回されるストレンジャーの物語。妄想というか悪夢というソースがふんだんにかかってます
2011/07/13 21:25
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mayumi - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界的ピアニスト、ライダーはコンサートのためにヨーロッパのとある町にやってきた。
町の住人は、それぞれに問題をかかえ、その解決をライダーに求める。
ごついです。
1000P近くあります。ま、これを上下巻とかに分けなかったハヤカワ文庫は、グットジョブだと思いますよ。
ライダーは、ホテルのボーダーや支配人に始まって、とにかくありとあらゆる人から相談を持ちかけられたり、依頼をされたりするんだけど、どれも彼を尊敬しているといいながら、とにかく利己的なのだ。多分、本人も気づいていない欺瞞であったり、偽善なんだろう。
そして、そういうのを延々と読まされるわけだ。
ライダーじゃないけど、いい加減にしてくれといいたくなるのである。
このどうしもようない不条理な感じが、カフカっぽいといわれてるらしいが、カフカの主人公には確固たる自我があるのに対して、ライダーには自我がない。
その自我の変容は、まるでコンピューターグラフィックで人の顔が微妙に変っていく様子をみている感覚に近い。
確かに、他人は自分を映す鏡ではあるけど、本来そこにあるべきゆるぎなさが、ない。
ピアニストでコンサートのためにやってきたというのに、ライダーがピアノを弾くシーンはとても少ない。
そのことが、彼のゆらぎの要因なのだろう。
で、読み終わって「タイトル通りだな」と思った次第である。
充たされない者は、なにがどうあっても、何を手にしても、結局は充たされることはないのだ。その充たされてない所以は、結局自身のせいであると気づかない限り、悪循環は続く。
…そうか、そういう悪循環の話だったのかと、思う。
まるで自分の心の中を描かれているようで
2014/09/28 09:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wayway - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはこれは、分厚い長編であった。
まさしくタイトル通りに、読後の私も「充たされざる者」として
ポツンとして存在していた。
まずは、本書に対しての「充たされざる者」の感じであるが、この物語を
どう読むかということでその感じは増幅されるのであろうが、とにかく
ぼやかされ続け、はぐらかされ続け、最後までいくとは思わなかった
だけに、その感じはかなり大きい。
しかしながら、自分の中の「充たされざる者」として捉えてみると、案外
人ってこんな感じで処しているのではないかという、余りはっきりとは
したくない発見めいたものがあったのも事実だ。
まるで、自分の心の中を描かれているような感じさえした。
見事に、読者を裏切ったという点では著者快心の一作なのだと思う。
カフカの小説のような気持ちの悪い世界
2022/05/04 22:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「遠い山なみの光」、「浮世の画家」、「日の名残り」に続くイシグロ氏の4作目、訳者の古賀林氏のあとがきによると、イシグロ氏は日英の文化を語るエキスパートと見なされたり、リアリズムの作家と呼ばれるのが不本意で、この悪夢の連続のような小説を書き上げたらしい。主人公ライダーは世界的に著名な音楽家なのだが、どういうわけかあらゆる登場人物に慇懃無礼に扱われる。いろいろな頼みごとをいろんな人からされてしまう、そして引き受けてしまい本業がおろそかになってしまう、初対面だったはずの登場人物の何人かはなぜか顔見知りだったりする、荒唐無稽で(どこでもドアのようなものまであらわれる)、現実なのか、夢なのか、たしかに行きたい場所になかなかたどり着かないというのは悪夢の典型だ、私もたまに見る、当然、目覚めはよくない
悪夢、とでも言ったらいいのでしょうか。タイトルの意味が、ジワジワと染みこんできたときには、胃が痛くなっています
2007/09/28 21:30
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、中公公論社からハードカヴァーで出ていたもので、一般的な常識から言えば、そのまま中公文庫になるのに、今回は早川書房から一巻ものの弁当箱文庫として登場しました。これは昨年、早川が出した同じイシグロの『わたしを離さないで』成功が背景にあるのかもしれません。旧作を私が読むのは『わたしたちが孤児だったころ』に続いて二冊目となります。
装幀に関して言えば、やはり民野宏之のカバーイラストが大きいのですが、全体としてはハヤカワ・デザインの手になるカバーデザインが効いています。特に『わたしたちが孤児だったころ』と並べれば、写真を使った後者と画を利用した今度の本は、一つのシリーズとして実に調和のとれた、しかも単なる海外小説とも違い、イシグロのあり方を意識させずにはいない高見を感じさせるものです。
カバー後の内容紹介は
「世界的ピアニストのライダーは、
あるヨーロッパの町に降り立った。
「木曜の夕べ」という催しで演奏
する予定のようだが、日程や演目
さえ彼には定かでない。ただ、演
奏会は町の「危機」を乗り越える
ための最後の望みのようで、一部
市民の期待は限りなく高い。ライ
ダーはそれとなく詳細を探るが、
奇妙な相談をもちかける市民たち
が次々と邪魔に入り……。実験的
手法を駆使し、悪夢のような不条
理を紡ぐブッカー賞作家の問題作」
ですが、確かに悪夢というのがピッタリくる話で、読みながら迷路の中に入っているような気になってきます。ま、ある意味で、主人公のライダーはヘタレみたいに優柔不断というか付和雷同というか、自分の疲労や予定を無視して干渉してくる見ず知らずの人びとに引き摺られていきます。
断りの言葉が口の端に上る前に、説得されてしまう。というか納得します。しかも、一瞬前までは見ず知らずと思っていた相手が、どうも以前からの知り合いだった気分になり、その記憶すら朧げに甦ってくる。しかも、予定を変更し出かけた先で彼を待ち受けるのは、またしてもわけのわからない、しかし、どうも彼のことを待ち受けていた人びとで、またも思いもかけない行事に巻き込まれていきます。
人と人とが連続し、場所が繋がり、町の中に取り込まれてしまうとしかいいようの無いライダー。正直、読んでいて苛々が続き、胃に穴が明くんじゃないか、って心配になります。しかも、睡眠をとったかどうかも分らない、食事をしたかも不明で疲れ果てているはずのライダーは、フラフラになりながらも自分の子供かもしれないサッカー少年や、その母親のわがまま、いや街じゅうの人の身勝手に不死鳥のごとく付き合うのです。
いやはや、悪夢とはよく言ったものですが、それはホラーではありません。いや、ある意味怖いんですが、それは他人の押し付けを自分が断りきれない不快、その状況の恐さであって、その不条理がいやで仕方がないのですが、一体イシグロはこの混沌にどうケリヲつけるのか、とついついお腹を心配しながら読み進めてしまうわけです。これって、罠ですね、実際。
で、読みながらなんだか、こんな話に以前出合ったなあ、と思い、考えたら分りました。奥泉光『鳥類学者のファンタジア』ですね。奥泉の作品は2001年の出版だから、影響を受けたかもしれませんが、もっとエンタメ色が強い。でも、入り組んだ時間、縺れた空間という部分と文章の粘りつくような感じは似ています。
ま、だから何だとはいいません。ともかく、この不快感はただものじゃあない、そう思います。最後に主な登場人物ですが、主人公は世界的なピアニストのライダー。その彼の演奏で指揮を振ることになるのが酒飲みのブロツキー、その元妻がミス・コリンズ。
で、ホテルの支配人がホフマンで、その奥さんは主人公の切りぬきを集めています。で、二人の不肖の息子、というか両親の期待に応えられず潰れそうな音楽家がシュテファン。ライダーのホテルのポーターで彼に娘のことを依頼するのがグスタフ、そして父親と会話をしなくなった娘がゾフィーで、その子供、グスタフの孫にあたるのがボリスです。
あとは、ゾロゾロと町の名士、幼なじみ(本当にそうかどうかは不明)、音楽家、趣味のサークル、新聞記者、カメラマンといった連中が、現れてはライダーを連れまわし、次の人間にかれをバトンタッチしていきます。思い出しただけでも、胃がキリキリしてきます。健康、特に精神的なそれに気をつけて読みたい一冊。
最後に一言。全体は大きく4部構成で、通しで38の小さな章に分かれている本文と古賀林幸の訳者あとがきからなりますが、既に書いたようにこの本は1997年7月に中央公論社から出た単行本を早川で文庫化したものですが、前回の訳者が全文に手を入れたとあとがきに書いてあり、あとがきは1997年の旧版と、今回の改版にあたったもの二つが掲載されています。これぞ新版のお手本と言った感じです。他社さんにも見習って欲しいものです。