紙の本
紙型の管理が甘いと
2017/08/31 20:36
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内容は習知の事なので論じない。
「南京事件」の旧版のままの紙型と増補版の写真や字との違いが目につく。中公新書は紙型の管理が極めつけに悪いようで、版を重ねるごとに写真が汚くなって字も汚くなっても、そのままだ。増補版がきれいなのはデジタル化されたからだろう。旧版と違う写真があるのは紙型が悪くなったので差し替えたのだろう。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この事件の関して資料がほとんどないことで様々な論争を引き起こしているがわかっていることを冷静に取り上げている。県境の糧にもなり新資料の発見が望まれる。
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[ 内容 ]
満州事変以来、十数年にわたって続いた中国侵略の中で、日本軍が最も責められるべき汚点を残した南京事件とは?
日本軍の戦闘詳報、陣中日誌、参戦指揮官・兵士たちの日記など、多数の資料を軸に据え、事件の実態に迫る。
初版刊行以降二十年余、虐殺の有無や被害者数など、国の内外で途切れることなく続いた論争の要点とその歴史的流れをまとめる章を新たに増補。
日中双方の南京戦参加部隊の一覧、詳細な参考文献、人名索引を付す。
[ 目次 ]
ジャーナリストの見聞
東京裁判
盧溝橋から南京まで
南京陥落
検証-南京で何が起きたのか
三十万か四万か-数字的検討
蛮行の構造
南京事件論争史
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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いわゆる南京事件とは何かを解説した本。今までこの事件についてまとまった知識と理解を持たないままだったので、勉強しようと思って読むことにした。
一応確認すると、南京事件とは、日中戦争中の1937年12月13日に南京を占領した日本軍が、中国軍の捕虜、便衣兵(一般人の服装をした兵)、一般市民などを虐殺したとされる事件である。
まず著者はなぜ南京事件が起きたか、と言うことについて考察します。当時日本は近衛文麿内閣が不拡大方針を採っていた。だが、中支那方面軍司令官として20万の兵を率いる松井石根大将(上海に駐屯)は権限を超えて南京を攻撃することにした。当時国民党代表の蒋介石は首都南京を離れて重慶に逃げていた。
多くの兵士が軍靴も持たず、地下足袋で上海から南京までの400kmを踏破するという無茶を行ったのは「事変解決ヲ速カナラシムルタメ、現在ノ敵ノ頽勢ニ乗ジ、南京ヲ攻略スルヲ要ス」(松井大将)、「第六感的ニ南京ハ追撃ニヨリ容易ニ奪取シ得ベシトノ信念」(池谷半次郎)といった感情が渦巻いていたためである。
被害が拡大した理由として、著者は南京城外の兵営を焼かれたこと、憲兵が少なかったことの他、
1.捕虜の取り扱いの指針がない
2.軍政計画に欠ける
3.治安が確立しないまま、入城式を急がせた
というものを指摘している。中国側だけでなく、日本側の第一次史料(公文書、将官や兵士の手記)を含め、広く検討してみると、中島今朝吾中将の部隊が城内のゲリラや便衣兵の掃討を行ったことや、佐々木到一少将の支隊が投降兵や捕虜の殺害を行ったことを始めとしたことが行われたことがわかる。
南京事件の死者数として、著者は不法に殺害されたのは3.8万~4.2万人と推定している。内訳は便衣兵を含む兵士が3万人、民間人が8千~1万2千人。占領時の南京の兵数は10万人で、人口は約30万人だったとされる。
初版はここまでだが、私が読んだ増補版には南京事件に関する論争の歴史が収録されている。20~30万人という膨大な人数が虐殺されたという「大虐殺派」、そもそも虐殺がなかったと主張する「まぼろし派」という二大勢力が不毛とも言える結論ありきの論争を続けてきた歴史のことである。著者や下記の鈴木明氏は死者数万人とする「中間派」である。
大虐殺派の20~30万という数は、東京裁判の他、国民党や中国共産党の機関紙に載せられた数字である。60年代まで日本人が抱き続けてきた中国への「原罪」意識や、72年に出版された本多勝一氏の『中国の旅』に収録された南京事件の被害者とされる人の証言などによって、この数字は鵜呑みにされてきた。
そういった風潮の中、鈴木明氏は73年に『「南京大虐殺」のまぼろし』という本の中で、いわゆる「百人斬り」が事実でなかったことを指摘する。この年鈴木氏は大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員から賛同を受け、同賞を受賞した。
鈴木氏の指摘は中国側および大虐殺派の主張の盲信から脱却するという意味では有意義だったが、これ以降百人斬りどころか「南京事件そのものがなかった」と主張する人々が次々と著書を出す。例えば���松井大将の元私設秘書で84年に『”南京虐殺”の虚構』という本を記した田中正明氏のように。
以降、田中氏が本多氏を「無責任なレポーター」、本多氏が田中氏を「明白なインチキ人間」と罵倒するなど、現在に至るまで論争という名の泥仕合が続く。論争の激化の理由として、著者はジャーナリズムの過度な扇動を指摘する。
南京事件に関する著作が矢継ぎ早に生まれる状態は「南京産業」と呼ばれる。ここまで来ると、論争の当事者が南京事件の事実を追究するという本来の目的から乖離していることが明白にわかる。
歴史学者以外を含めた研究者の研究という営みが世俗化、ビジネス化しているという驚きと戦慄を感じることになった一冊というのが第一の感想である。もっと南京事件を知るには、大虐殺派、まぼろし派の両方の著作にも当たらないとなあ… 時代が違うとはいえ、大学で歴史学を学んだ者として真摯に受け止めねばならない内容だと思った。
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「南京大虐殺」については、2012年の2月にも河村名古屋市長が「南京大虐殺はなかった」と発言して物議をかもしたように、現在に至っても様々な意見が飛び交う「政治的テーマ」であるが、本書はその「南京大虐殺」の全貌を発掘・検証したものである。
「盧溝橋から南京まで」「南京陥落」「検証-南京で何が起きたのか」の事実の発掘や、「数字的検討」「蛮行の構造」等の考察。また戦後の「東京裁判」や「南京事件論争史」などの経過までおさえた総括的な論考は、「南京事件」の全容がわかるものと思えた。
当時の陸軍は「戦闘詳報」を上部機関に逐一報告しており、その大部分は終戦直後の焼却により紛失しているが,残存した「戦闘詳報」によっても、相当多くの「大虐殺」があったことは間違いがない。
それがなぜ、いまだに「大虐殺はなかった」との「論争」が出てくるのか。
本書の「論争史」を読むとその経過もよくわかるが、「虐殺派」「中間派」「マボロシ派」の論争を読むと、河村名古屋市長のような「マボロシ派」の論理は無理がありすぎて、別の思考があるのではないかと思わざるを得ないと思えた。
それにしても、「論争」の中で、昭和59年(1984年)に旧陸軍士官の親睦団体「偕行社」が取り組んだ調査と研究であるが、「会員を中心とする参戦者の証言と戦闘詳報などの記録類を大規模に発掘整理し」、総括部分で畝本正巳氏が「虐殺数を三千乃至六千」、板倉由明氏が「一万三千」との虐殺数を発表し、両論併記するとともに、「中国人民に深く詫びるしかない。まこと相すまぬ、むごいことであった」と発表したという。当事者が行った検証であるだけに、納得する思いとともに、武人として過ちを認める勇気に感歎する思いも持った。
本書は、歴史的事実を直視できる良書であると思う。「南京大虐殺はなかった」などという人々全員にはぜひ読んでもらいたいとは思うが、本件が歴史的事実ではなく、「政治的テーマ」となっている以上、無理だろうとも思えた。
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慰安婦問題について何冊か読んだときに、秦郁彦は朝鮮人慰安婦の強制連行について否定的だったので、そういう立場の人なんだと思い込んだ。で、南京事件について何冊か読む中で、事件を否定する側の代表のつもりで秦郁彦のこの本を選んだのだが、誤解だった。犠牲者の数こそ4万人(中国側の主張では30万人)と減らしているが、南京で旧日本軍が捕虜や民間人を対象とした虐殺、非行事件を起こしたことは動かせぬ事実である、と結論している。似た性格を持つ2つの事件について、それぞれ別の結論を出しているということは、主観にあまり左右されていないということなのかもしれない。この人の本をもう少し読んでみようかなという気になった。慰安婦や虐殺の被害者に対して妙に冷たい物言いをするのが気になるけれど。
というわけでもう少し、南京事件について読まなければならないようだ。いわゆる「まぼろし派」の主張に、どの程度の説得力があるのか。
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南京留学を機に、勉強してみようと思い本書を選んだ。現代においては「虐殺」ばかりが取り上げられている。しかし、「事件」としても見なければならないと感じた。
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論争史が増補されて増補版が出たのは2007年。気になっていたのに、読んだのは最近。秦郁彦さんはどちらかというと政府側というイメージがあったからだが、事実を重んじる人という印象はあった。今回、南京に初めて行き、大虐殺記念館を足早に訪れたのを機に読んでみた。日本では、いわゆる「大虐殺」肯定派と、大虐殺はなかったという派があって、その論争史も何種かでているほどだ。なかった派は「まぼろし派」とも言われるが、その人たちでさえ、虐殺自身を否定した人はほとんどいない。(それでも英語学の権威である渡部某などはなかったと喧伝している)事件の全貌を直接見た人もいないから、自分たちの部隊はそんなことはしていないとか、自分の親、親戚から聞いたこともないという人はもちろんいるだろうし、自分たちのやったことは恥故秘匿したいという人たちも多いだろう。しかし、あることを証明するのは簡単だが、ないことを証明するのはとてつもなく難しい。河村名古屋市長がないと言ったのは、誰か親戚のことばを受けたのだろうが、まったく歴史というものを知らない人のいうことばだ。秦さんによれば、一番信用のできる資料は憲兵隊によるものだが、それは隠匿か焼却されて見つけられないという。しかし、虐殺があったことは否定しようのない事実であって、現場にいた西洋人、日本人の兵隊、将校らの断片的な記録からも明らかである。一方、大虐殺派は中国人から取材するのはいいが、日本側資料とつきあわせる作業を怠っているという。まったく、一方聞いて沙汰するなである。問題は、いわゆる武器をすてて避難区へ入った兵隊たちをどうとらえるかである。この中には、大衆のふりをよそおい攻撃したものもいるという。それもあったろう。しかし、多くは捕虜をもてあまして処分したケースが多い。考えてみれば、南京に入った皇軍は現地調達を旨とし、なにも用意していなかったのだから。捕虜に食わせる食料などないのである。中国は30万の虐殺があったといい、この数字がいわば一人歩きしているが、数を問題にしていると堂々巡りになる。それより、南京入場において、はなはだしい狼藉、略奪、放火、強姦、虐殺があったことを認めることが第一歩ではないだろうか。
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1986年刊行書籍に2007年増補改訂版。
秦郁彦の事実検証と論拠については、何度読んでも感服するし史観もほぼ賛同するのだけど、何でこの人はしばしば産経系や歴史修正主義陣営と行動を共にするのだろう?
事実認定については意見をリベラル派と一にするのに、秦郁彦が右派に属しているように見える不思議。
もうちっと、著作を読み込まないとあかんかな。
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2007年刊。著者は千葉大学教授。日中戦争での南京攻略戦での虐殺事件に関し、不法殺害(=虐殺)は実在、その数は軍民併せて4万人とする見解を、多様な史料を引用して裏付けつつ検討。松井岩根日記改竄事件や南京事件ニセ現場写真に対する批判等、マボロシ派にも「大」虐殺派にも批判の眼を向ける。多様な史料の引用は良。本書の中で印象的なのは、南京事件のことを告白する日本兵の多さであり、「自白は証拠の女王」との観点からみて不存在論の展開は無理ありすぎの感が…。加え、おそらく未来永劫確定が不可なのは「強姦」件数であろう。
なお、本書が紹介する偕行社「南京戦史」も読んでみたいところ。そもそも偕公社は、陸軍士官学校卒業生等軍関係者の親睦団体。同社が出した「南京戦史」では陸軍従軍者からの聞き取りも踏まえ、1万数千人の虐殺ありとの立場を開陳しているらしい。
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南京事件の歴史のみならず、その論争史まで含めて体系的に理解できた。難しい史実をニュートラルに扱っており、大変面白く読んだ。
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実証主義そのものという人。それゆえ当時大衆迎合的だった新聞各社の記述を、批判的に見ていて面白い。
南京事件はあった、なかったという議論ではなく、南京入城や軍略、陸軍報告書から分かる師団の動き、海外の新聞からどのように事件と呼ばれるものが起きていったかを検証している。
盧溝橋から東京裁判まで、網羅的な説明がありがたい。
強いていうなら、松井大将の実録は多かったものの、谷中将に関する記述が弱かったことが残念。
第六師団の動きを詳しく知りたい。
どなたかご存知あれば、情報を。
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恥ずかしながら南京事件についてはまともな知識がなかったので大変勉強になった。とても詳しくバランスよく書かれていて、概要はわかった。巻末資料も詳細で、この資料を見ながら読むとどの部隊がいつどこで事件に関わったのかがわかる。
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南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書) 新書 – 2007/7/1
秦郁彦氏による著作。
秦 郁彦は、日本の歴史家、大蔵官僚。
1932年12月12日生まれ。
歴史家として、拓殖大学教授・千葉大学教授・日本大学教授を務めた。法学博士。
本書は増補版として2007年7月25日に発行。
初版としては1986年2月25日発行となる。
増補版として追加されたのは南京事件論争史として最後の章に追加している。
1986年に初版が出ているとすれば、もう古典の域に入っている。
主要人名索引、主要参考文献、南京戦に参加した日本軍、中国軍一覧が
巻末に掲載されており、まさに専門書として充実している。
*索引をつける作業は最後にならざるを得ず、多くの専門書で省略されがちで
あることを野口悠紀雄氏は指摘している。米英のまともな専門書には
必ず索引があるとの事。その意味でも本書は力作である。
南京虐殺事件と言えば、それは中国のプロパカンダ、
東京裁判で日本の愚行として無理やりつくられたとの言説がある。
しかしそれは誤りで、当時の南京で日本軍による虐殺はあったのだ。
1998年発売の小林よしのり氏の戦争論、2001年発売の戦争論2でも南京虐殺に関して取り上げられ、それはでっちあげであるとの解説があった。
当時は自分も南京虐殺は無かったのだと強く信じてしまった。
しかし、それは間違いなのだ。自分の不勉強を反省したい。
戦争論、戦争論2の参考文献などを読み返してみると、まぼろし派の書籍しか記載がない。
今、思えば南京虐殺に関して小林よしのり氏は不勉強だったとしか言えない。
秦郁彦氏が書いた本書について言及が無い南京虐殺の議論はもはや不毛といえる。
*ただ最近、百田尚樹氏の書いた日本国紀という自称通史のデタラメ本にも
南京虐殺は虚構だと記載したと百田氏はTwitter上でコメントしている。
百田氏に至っては参考文献も書いていないのだから、まるで真摯さが無い。
小林よしのり氏が当時言論をリードした1998年よりも自称保守派のレベルははるかに劣化していると言える。
南京虐殺を一言で言えば、十分な補給の無いまま戦闘を継続し敵首都を無計画に占領した為に発生したと言える。
捕虜の取扱も与える食料も無く、処刑が横行したこと。
徴発(事実上の略奪)が常態化していたこと。
慰安所などの整備も無かったこと
敵首都を占領すれば中国は屈服するとの安易な軍トップの思い込み。
色々な悪条件が重なった結果なのだ。
十分な補給の無いままの戦闘と言えば日本軍の第二次大戦のお約束レベルだがその前の日中戦争ですらこの有様だったのだ。
十分な補給の無いまま負ける戦争だったのが、東南アジアなどの戦争とすれば、十分な補給の無いまま(形式上勝った)勝利したのが南京戦と言える。
東京裁判に先立って軍事法廷が起訴した戦犯は1508人もいたのに、南京事件に対する起訴者がわずか4人に過ぎなかった。
東京裁判時点で既に8年前の事件容疑者を探し出し、確認する技術的困難。兵士の多くは他戦場へ移動して戦死��るか故郷へ帰り、中国にひきつづき留まっていた者は稀であった。
生き残りの被害者が見つかっても、加害者の氏名や所属部隊を特定するのはまず無理であった。
名前が知れている指揮官クラスも死亡している者が多かった。
中国国民党と中国共産党との内戦が再開し、予定された中国軍の日本進駐も中止せざるを得ないほどで、十分な捜査を進め追及するだけの余裕がなかった。
武藤章(A級被告)は選抜2個大隊だけを南京城内に入れる手筈にしていたのに、各部隊が命令を守らず、どんどん入城したのが事件を誘発した原因だと、率直に認めた。
皮肉なことに、便衣狩りを徹底しすぎて、警官、消防士、電気会社の技術者まで殺してしまったので、火事は消せず、電灯はつかずで、占領した日本軍の方も困り果てたという。
日本側の弱味は被害者である中国政府の言い分に対抗できる公的資料が欠けていることであろう。加害者側の記憶や印象で
「誇大にすぎる」「見たことがない」「ありえない」と主張しても説得力は乏しく、法的反証力は無いに等しい。
せめて憲兵隊や法務部の調査報告書があれば、個々に突き合わせて具体的なツメが可能なのだが、久しく探しているのに、まだ見つからない。
(著者は4万人ほどが殺害されたと考えている)
今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば 神のみぞ知る であろう。
曽根一夫氏による集団心理の推移の要約、
1,上海戦では苦戦し、多数の犠牲を払ったが、日本居留民の保護という明確な戦闘目的があったので、軍紀は乱れなかった。
2 しかし南京攻略戦には納得できる戦闘目的がなく、故郷へ帰還する期待を裏切られ、苦戦を予期した兵士たちは自暴自棄的な心境になった。
3 追撃戦が急だったため、弾薬、食糧の補給が追いつかず、兵士たちは徴発という名目の略奪で空腹をしのぎ、幹部も黙認した。略奪のついでに強姦もやるようになった。
4 略奪、強姦の横行におどろいた軍司令部は禁令を発し、憲兵を巡回させて取締りを始めたが、補給は改善されないので、禁令は無視された。
中級幹部や古参下士官は、生きた証拠を残さぬよう、強姦したら殺せ、と兵を指導するようになった。
5 残虐行為を繰り返しているうち、兵士たちは不感症になり、軍人、市民を問わず無差別殺人を平気でやるようになった。
クーニャンを殺してきたその足で、幼い女の子に菓子を与えカメラマンの宣伝写真にポーズをとるぐらいの演技力は、誰もが持ち合わせていたのである。
→人間は神にもなれば悪魔にもなる
とくに戦争中期以後の華北戦線では、中国共産軍が農民層をとりこんだゲリラ戦を執拗に展開したため、てこずった日本軍は悪名高い「三光作戦」と呼ばれる苛烈な対ゲリラ戦法で対抗した。
「三光」とは「殺す、焼く、盗む」の総称で、歴代の支那派遣軍総司令官は清朝の故事に習い「焼くな、殺すな、盗むな」を標語として全軍へ繰り返し呼びかけたが、単なるかけ声に終わった。
南京戦以後、中国軍は負傷兵で歩けない者は自軍の手で殺して退却するようになったという。捕虜になれば日本軍に虐殺されるだけと判ったからである。住居を失った民衆はゲリラに走った。
作らなくてすむ敵をわざわざふやして、さらに苛烈な三光作戦を誘発するという悪循環を断ち切れぬまま、日本は敗戦の日を迎えたのである。
アトローシティ・・単に虐殺だけでなく、略奪、強姦、放火など各種の戦争犯罪を広く包含している。
本文では実情にあっていると認めたので南京事件以外に南京アトローシティを併用した。
数字の幅に諸論があるとはいえ、南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、筆者も同じ日本人の一人として、中国国民に心からお詫びしたい。そして、この認識なしに、今後の日中友好はありえない、と確信する。
もしアメリカの反日団体が日本の教科書に出ている原爆の死者数(実数は今でも不明確だが)が「多すぎる」とか「まぼろし」だとキャンペーンを始めたら、被害者はどう感じるだろうか。
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読みながら大日本帝国陸軍の暴虐が往古の蒙古や現代のロシアに似ていると思ったらほとんど同じ言い方を本書でもみつけて笑ってしまった。
南京事件における日本軍の暴虐性は本当に異常。読めば読むほどその異常性が際立ち、ではその理由はという疑問に答える章節も本書にあるはあるが、発掘されている史料の乏しさもあってか、満足できるものではなかった。それを究明しないと、将来軍を設立する必要が出た時にまた同じ轍を踏むことになる。自衛隊員に女性を入れてジェンダーレス云々とか夢見たいな話に現ぬかしている場合ではない。
それと、根拠はないが、日本人はわりと自棄になってしまう傾向が強い気がした。これは別の本でも読んだが、日本人はというより、アジア人にその傾向が強いらしく、普段は統治者に従順して、忍んで耐えてして、ある時それがドンと弾けて大暴乱になる。中国の革命もその類だが、日本にもそういう傾向がある、と。ただ、日本の場合は何かをひっくり返そうという爆発よりも道徳観念をかなぐり捨てて自己中に陥る傾向が強いと思う。逆を返せばそれだけ普段から道徳という世間体に雁字搦めになっているということなのかな。南京の暴虐もまさにそのタイプ。上官のいうこと無視、気の向くままに殺戮、母親もあろうに強姦に耽る、何か線がプツッと切れるんだろうな。そして今にして思うのは、年寄りが戦争を語ろうとしないのは、戦争が辛いからではなく、自分も多かれ少なかれ、線がプツッと切れて、獣と化し、暴虐を働いたことを悔いたからなのではないかしらん。
ただ、『奉天三十年』(岩波新書) には、日露戦争の時の日本軍について著者クリスティーは統制がとれていて安心できたとする一方、日本軍が去って、平民や下士が入ってくると、風紀も治安も大いに乱れた、と書いて居る。同書には、ロシア人がとても親切に頼もしく振る舞う場面もでてくる。あるいは、西欧人同士だからかも知れないが、暴虐を極め、命令を無視する軍というのは、結局弱さから来て居るのかも。弱いということは人の交代もはやく、育つ前に教育も充分に受けていない庶民が兵にとられ、結果軍の統率も崩れ、悪循環で敗北に突き進む。