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計器信仰、計器依存にはとんでもない落とし穴がある。
重要なことは、便利さや効率のよさの思慮に浴した時、「だが、しかし」と踏みとどまって考える視点を持つこと。
「専門家の言説を疑え。専門家はある前提の下で安全だと言うが、前提が違ってくれば結果も変わる」
人には「閾値」がある。閾値とは、ひとそれぞれのストレスの許容量あるいは限界値である。自分の「閾値」を知っておくことは大事だ。
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(「BOOK」データベースより)
残忍な少年犯罪の続発、効率優先が引き起こした重大事故、相次ぐ企業の不祥事―この国は本当におかしくなってしまったのか?急激なIT化が私たちから奪ったものを徹底検証し、曖昧な故に芳醇だった日本文化再生を訴える。便利さを追求すれば必ず失うものがある。少し不便でも、本当に大事なものを手放さない賢い選択をしよう。ちょっとだけ非効率な生き方を提唱する警世の書。
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現代の情報化社会で、便利さとセットでもたらされた様々な問題。
誰もこれで良いとは思っていなくても、後戻りできない。これが現実の姿か。
何とかしなければ日本は本当におかしくなってしまう。
もしかしたら、もう手遅れなのか。
ちょっと後半部分付け足し気味という感じもするが、問題を投げかける良書の一つである。
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「人の痛みを感じる国家」という最新刊を探していて、それが本書からはじまる連作の三作目であるということを知りました。それで、三冊まとめて購入し読み始めました。雑誌に連載されたものをまとめて単行本にし、それから文庫になっているので、話題は少し古くなっているものもありますが、どのテーマも考えさせられるものばかりです。その中でもちょっとおもしろいのがカーナビの話。タクシーに乗ると、行き先の住所を聞かれ、その後、運転手はカーナビの操作に夢中?で、話しかけることすらできない。レンタカーを借りてはじめて山陰地方をドライブして講演会のある目的地に向かうとき。わざわざ、ご丁寧にカーナビのセットまでしてくれていた。地図を見ながら、わき道にそれながら、のんびり目的地へ向かうつもりが、カーナビがうるさく曲がれ曲がれと言ってくる。無視してまっすぐ進んでいたら、あきらめたのか?黙ってしまった。さらに、カーナビのモニターは進行方向が上になっており、どちらが北か分からなくなる…などなど。その他、マニュアル主義が危機管理を危うくしている話、佐世保の小6女子殺害のこと、ケータイのこと。文庫版あとがきにも書かれているが、「ノーケータイデー」「ノーテレビデー」「ノーゲームデー」「ノーネットデー」などを提唱されている。私の場合は仕事が休みの日なら四つとも難なくこなせるのだけれど、皆さんはどうでしょう。→スマホになってからそれができない!
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柳田氏の提唱するテレビと携帯とゲームの使い方を、正反対で実践してきた結果、残念な家族になりました。読書したり自己啓発など考える事をが選択肢に無い、社会貢献なんか眼中に無い自己中心的な人間と、結婚してしまった私自身に問題がある。
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やー、これは完全にはずしました。
話がそれるそれる。そしてこじつけくさい。
言いたいことはわからなくもないが、鋭さはないやね。