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高齢者本位の介護ってどれほど達成されてるんだろう?
高校の卒論書いててふとそんな疑問が生まれた。やっぱり音楽施設と一体化した介護施設創りたいなと思った。QOLの向上とか口先ばっかでいってるんじゃなくて本当のニーズを見つけないとだめだ。
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(「BOOK」データベースより)
へんくつなじいさんと会話を楽しみ、ガンコなばあさんとも笑顔でつきあう―そんな介護ができる秘策は?老いに直面するじいさん・ばあさんたちの実情と、彼らを愛してやまない介護者の日常を綴りながら、現場を知る第一人者が、介護者の気持ちも楽になる全く新しい介護のコツを伝授します。「老い」とは新しい価値観との出会いです。じいさん・ばあさんとつきあえれば、老いても楽しく過ごせます。
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強い感銘を受けたし、老人介護について希望の光を見つけた気がする。著者は実際の老人介護の経験から、実に理にかなった、時に胸のすくような指摘をし、しばしば簡単な改善に気づかない(あるいは敢えてしない?)現在医療機関に問題提議する。遊びリテーションの効果や、排泄ケアが必要なく、女性一人が機械装置なして入浴ケアをこなすリハビリクラブの成立など、ほんとうに眼を開かせられる話がたくさんつまった本。
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読み終わり。
だいぶ前の本だが、割と赤裸々であんまり現在と変わりない気がする。
わたしは「あるある」と割と軽く読めたのだが、母はこれは重すぎて読めない、という。
ナイチンゲールの本はこれをきっかけに読んでみたいと思った。
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(2012.05.15読了)(2012. 05.14拝借)
かみさんが読んで廻してよこした本です。田舎に引っ越してきて、80半ば過ぎの老人二人を相手にすごすことになったので、参考になることがあればと思って読んでみました。
実に面白い本でした。医師、看護師、理学療法士、作業療法士、等の医療従事者より養護老人ホームやデイケアサービス等の老人の日常生活に接している方々のほうが老人介護についてよく知っているようです。
ベッドの高さを適切にするだけで、寝たきりが防げるとか、朝食後に排便排尿の癖をつけるだけでおむつなしで過ごせるとか、遊びや目的を持った作業で、リハビリ効果が上がるとか、認知症の人は一人だと手がかかるけれど、複数人一緒にすると手がかからなくなるとか、驚くような話が満載です。
「この本は、老人介護の具体的方法を記したものでもないし、老人論を直接提起したものでもない。ボケや寝たきりのじいさん、ばあさんたちと、そのじいさん、ばあさんを愛してやまない介護職たちとの出会いをつづった私的エッセイである。だがその体験の中にこそ、求められている新しい介護の方法と老人論の〝原石〟が宿っていると、私は思っている。」(252頁)
【目次】
まえがき―介護現場の不可思議な法則
第1章 老いとの出会いは偶然だった
1 ここの老人、かわいそうだと思う?
2 年をとると個性が煮つまる
3 仁ちゃんのタバコ
4 風呂に入らない理由
第2章 介護の発見は必然だった
5 ウメさんの検査入院
6 ナイチンゲールはベッドの足を切る
7 下からは世の中がよく見える
第3章 専門知識と介護現場をつなぐ
8 知識が現場に届かない
9 訓練の持っている致命的欠陥
10 帰らすくらいならいかさにゃええじゃない
11 遊びリテーションとは?
第4章 在宅の老人はもっとたくましい
12 「一千万円もろうたよりよかった」
13 ムシロ・キャタピラー
14 五右衛門風呂のつり革
15 会話にならない会話
16 「救急車呼んだほうがたしかだもんね」
17 フェニックス小野田
18 ボケた老人のほうが好き
19 オムツ外し学会
20 老いと出会ってよかった
あとがき
文庫版あとがき
ギャグの向こうに 鷲田清一
●慰問(26頁)
私は、老人ホームに慰問に行こうという心優しい人たちに、来るな、というつもりはない。だが、「下手で、どこにも見せられないけれど老人ホームでなら」なんて気持ちで来ない方がいいよ、といいたいだけである。
●人生(35頁)
人生は、人格完成へいたる一本の道ではない。行き着く過程も行き着くところも百人百通りではないか。だとしたら、外れてしまった既成のコースに未練を持つ必要もないし、さらに、ドロップアウトしたということにもことさら意味を与える必要もない。
●効率(36頁)
一般の仕事では、効率をよくすることが至上命令である。ところが老人相手の仕事では効率主義が通用しないのだ。通用しないどころか、効率よく仕事をするほど効率が悪くなるのである。
●まごころ(50頁)
自分のまごころで相手を変えてやろうという、その意図そのものが、老人の反発を呼ぶのである。そこには、今あるがままのあなたは、本来の人間の姿ではないから早く人間らしい人間になりなさいよ、という、自分の人間観、老人観へ相手を誘導し閉じ込めようとする気持ちが無意識のうちにあり、それが老人の心を開かせないのだ。
●尿意(71頁)
トイレへ行けることがわかるや、彼女の尿意は回復した。不思議なものである。目の輝きが戻り、もとの松平さんに戻るまで一週間。
(病院に入院して、ベッドが高いためトイレに行こうとしたときにベッドから落ちたので、トイレにいけないようにされオムツをあてられて老人ホームに帰ってきた人)
●リハビリ対象外(90頁)
脳卒中で倒れて入院しても、リハビリの対象となるのは若い病人だけで、高齢者は相手にしてくれないのだ。つまり、若くてやる気があり、家族も回復を待ち望んでいる患者に行うのがリハビリテーションであるらしい。
●訓練とレクリエーション(139頁)
専門家による訓練ではどうやったってできないことが、レクリエーションで可能になるのである。訓練とレクリエーションはいったいどこが違うのか。
訓練にはなくてレクリエーションにあるものといえば目的である。
(2012年5月17日・記)
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久しぶりにレビューを書きたいと思えた本。介護に長年携わっている著者のエッセイ。老いるということ、介護についての見方が前向きに変えてくれる。良書。
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おもしろい!やっぱり介護の話を書かせたら、三好春樹はバツグンだ。
この10年、徐々に呆けていく母や老人施設にいる他の高齢者を見るたびに、『高齢者介護』というものについて様々なことを考えざるを得なかった。
福祉大学に通っていた長女が学ぶ“福祉”“介護”“高齢者”と、現実との間の埋めがたいギャップ。でも、この本を読めばそこが埋まるかもしれない。
高齢者を『じいさん・ばあさん』という一個の人間として、あるがままを受け入れるということはどういうことなのか。楽しく面白くわかる一冊。
同じ著者の「老人介護 常識の誤り」もオススメ。
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昨夜は満月。三月最後におすすめする一冊は、三好春樹著『老人介
護 じいさん・ばあさんの愛しかた』です。著者は、特別養護老人
ホームに勤務したことをきっかけに老いの世界と出会い、以後、40
年近く介護の現場に関わってきた介護の世界の第一人者です。
この人の言うこと、書くことの背景には、現場での豊かな実践があ
ります。全くのシロウトとして、目の前にいる老人を何とかしよう
と悪戦苦闘する過程で一つ一つ培ってきたものです。
それは同時に、それまでの老人観や人間観を解体するプロセスだっ
たとも言います。彼が出会ったのは、わがままで強烈な個性の持ち
主ばかり。「人生は人格完成へいたる一本の道」ではなく、「真面
目な人はますます真面目に、頑固はますます頑固に、そしてスケベ
はますますスケベに」なる、つまり、齢を重ねると「個性は煮つま
る」のです。老人達と向き合う中で、そういう悟りを得る。
そこからが著者の素敵なところで、人間、最後にこんなに個性的に
なるのなら、若いうちから生きたいように生きたっていいじゃない
か、と開き直ってしまうのです。老いと出会うことでむしろ自由に
なってゆく生き様がここにはあります。
勿論、そんな綺麗事ばかりではないでしょう。老いと出会わざるを
得なかった人達もいる。でも、著者達の実践が教えるのは、たとえ
そうであっても、老いは一人で抱え込んではいけない、ということ
です。どんなに立派な家族が、どんなに完璧な介護をしても、どう
したって行き詰まってしまうのです。なぜなら、そこには介護する
者とされる者の関係はあっても、対等な関係性がないからです。
人はボケが深くなるほど関係的な世界を求めるようになると言いま
す。その関係的世界とは、言葉以前、思考以前の、共感的世界です。
そして、それはむしろボケ老人同士の中に成立しやすいものだと言
います。会話の内容など全く噛み合っていなくとも、同じ生き物と
しての共感があれば、コミュニケーションが成立してしまうのです。
そういう共感的世界を老人の回りにどれだけ作ってあげることがで
きるかが、老人と向き合う上での鍵となります。身体的、精神的な
障害ではなく、関係の障害に目を向けてゆくアプローチです。
人は最後は関係的世界に還ってゆくということです。ボケが深まる
ほどに関係を求めるということは、DNAの深いところに関係性への
希求が埋め込まれているということでしょう。そして、どんなにボ
ケが深まっても、生命としての共感能力は失われない。そのことに、
希望を感じます。生命であることをやめない限り、あらゆる存在と
関わり合える可能性がここにはあるからです。
近親者や自分自身の老いとどう向き合っていけばいいのか。それは
これからの切実なテーマです。切実だからこそ笑って向き合いたい。
そんな「老いる」ショックの乗り越え方がある、ということを教え
てくれる一冊です。是非、読んで��てください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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あなたは自分の老いと付き合えるだろうか。老人が嫌いだという人
は難しかろう。だってそれは自分の未来が嫌いだということだから。
今、老人とうまく付き合っている人は、未来の自分ともうまく付き
合えるだろう。老人と楽しく付き合える人は、自分の老いとも楽し
く付き合えるに違いない。
人間が丸くなるどころか、人格が完成するどころか、年をとると個
性が煮つまるのだ。真面目な人はますます真面目に、頑固はますま
す頑固に、そしてスケベはますますスケベに。
私は自分の中に抱いていた勝手な老人像を打ち壊されたが、なぜか
ホッとしていた。人間、最後にはこんなに個性的になるのなら、若
いうちから個性的に生きていけばいいじゃないか、そう思ったのだ。
人生は、人格完成へいたる一本の道ではない。いきつく過程もとこ
ろも百人百通りではないか。だとしたら、外れてしまった既成のコ
ースに未練を持つ必要もないし、さらに、ドロップアウトしたとい
うことにもことさら意味を与える必要もない。生きたいように生き
る、それだけだよ、とホームの老人たちがいっているように思えた。
介護も看護もきつくて、臭くて、汚い。だが、大変なのはそのせい
ではない。この仕事のほんとうの大変さは、そのきつくて、臭くて、
汚い仕事をとおして、老人をダメにする力も、逆に生き返らせる力
も持っているということなのである。その怖さがあることが、大変
なのである。
私はこの過程を見ていて思った。まごころ、なんてものは通じない、
と。いや、正確にはこういうべきかもしれない。本当のまごころが
相手に通じるということは、とてもきれいごとじゃないんだ、と。
自分の“まごころ”で相手を変えてやろうという、その“意図”
そのものが、老人の反発を呼ぶのである。
私たちは命を救うことはできない。だが、ただ生きているだけの人
や、生きていくのをやめようと思っているような人に、もう一度笑
顔を取り戻させることならできるかもしれない。
世の中は、下から見るとよくわかる。少なくとも、上からや横から
は見えないものが見える。なぜなら、人は上に対してはいい顔を見
せようとするが、下には無警戒にその素顔や本音を見せてしまうか
らである。
正しくなくてはならないのなら、多くの老人たちの人生は過ちだら
けだった。私のこれまでの人生ももちろん過ちだらけだ。明るくな
ければならないのなら、老人の多くが抱え込んだ暗さはどうなるの
か。明るい光の世界からはその影の部分は見えないのではないだろ
うか。それじゃ老人と付き合えないだろう。
科学は後からついてくる。現場の実感のほうが先である。実感こそ
が科学の根拠だともいえる。つまり、科学的根拠のないことしかし
ない、という人は五年遅れ、十年遅れの実践しかしていないという
ことで��る。
人が元気を出すには仲間が必要なのだ。自分と同じように年をとっ
ており、同じように障害を持っている人との、横の人間関係が必要
なのである。(…)だから、私たちは、家から老人を引っ張り出す
ことに全力を注ぐ。
ボケ老人を一人見るのは大変である。だから家族は疲れ果てる。で
も二人になれば、会話にならない会話が成立する。ボケ老人同士の
共感的世界が成立するのだ。三人で秩序ができあがり、五人で誰が
ボケているかわからなくなる。
認知症老人へのアプローチは、老人そのものを対象とした治療から、
老人の回りに人間関係を作り出していく“関係づくり”へと方向を
転換していくのである。
ボケ老人こそ人間関係を求めているのだ。
高度経済成長を支えた世代を襲った自らのアイデンティティを突き
崩すショックが二つあった。一つはオイルショック。もう一つが
「老いる」ショックである。
私は医療が変わりうるとしたら、老人と関わる現場からだと考えて
いる。なぜならそこが最も近代の矛盾が凝縮していて、医療関係者
が最も自らの無力さを痛感させられている場だからである。
老人たちは、私自身のこれから訪れる老いとの付き合いかたをも教
えてくれたし、老いる前に、老いを内包した生きかたをも考えさせ
てくれたのである。
だから多くの介護職たちは、老いと出会ってよかった、という。で
きることなら、老いと出会わざるを得なかった、介護家族をはじめ
とする多くの人たちも同じような思いに至ってくださることを願っ
ている。
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●[2]編集後記
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2週間前に引っ越しをし、新しい暮しが始まりました。新居(と言
っても貸家ですが)は、湘南の西側、西湘と呼ばれる地域の、山と
海に囲まれた小さな町です。
電車に乗っているのがちょうど一時間。自宅を出てからオフィスに
着くまで大体一時間半かかります。一時間以上の通勤なんてあり得
ない、と思っていた昔の自分からは考えられないことです。ほんと
人生は想定外です。
でも、これが全然苦ではないんですね。まず、行きは絶対座れます。
帰りも途中からは座れます。まとまった時間がとれるから、仕事に
も読書にも、ちょうど良い時間です。
何よりも、朝晩の駅と家の間の徒歩の時間がいいです。朝は野の花
や畑に季節を感じ、夜は濃密な闇の中に自然の息遣いを感じます。
潮騒も聞こえるし、星もよく見えます。東京から一時間で、こんな
に自然が濃厚になるのかと驚くばかりです。
住み始めて、情報が少ないということは、実は豊かなことなんだ、
ということに気付かされています。特に夜。暗いからこそ気付くこ
とってあるんですね。駅前のネオン、人並み、行き交う車、何時ま
でも開いているお店。そういう外界の刺激が減ると、こちらの感覚
が鋭くなるから、そこにしかないも��の存在に気づくようになるの
です。
そのせいか、転居してから娘が描く絵が変わった気がします。お地
蔵さんとか、今までは出てこなかったモチーフが、極めてリアルに描かれてい
るのです。子どもは「そこにしかないもの」をちゃんと感じ取っているんですね。
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長年介護の現場にたずさわってきた老人介護のプロ、
三好さんの自伝的エッセイである。
訳あって高校を中退し、いろいろな職を転々とした後、
特養で介護職員として働いてきた三好さんはかなりの反骨の人で
本書ではユーモアにくるまれた反骨精神が随所にみられる。
世の中の権威的なものに対する批判はずいぶんと容赦がない。
“よく医療の専門家は「高齢のため適応力に乏しく」
なんて高齢者のケース報告をしているが
適応力に乏しいのは病院のほうではないか”
私がぐっときたのは次の一文。
“老人が変えようとしない性格や行動、生活習慣を
専門家が無理やり「正しい」ものへと変えてしまうことで
老人をダメにしていることが圧倒的に多い”
これは認知症高齢者の家族にもあてはまること。
自分たちにとっての「正しいこと」を押しつけても
きっとうまくいかないのだよね。
三好さん、ちょっとファンになってしまったな^^
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【本の内容】
へんくつなじいさんと会話を楽しみ、ガンコなばあさんとも笑顔でつきあう-そんな介護ができる秘策は?
老いに直面するじいさん・ばあさんたちの実情と、彼らを愛してやまない介護者の日常を綴りながら、現場を知る第一人者が、介護者の気持ちも楽になる全く新しい介護のコツを伝授します。
「老い」とは新しい価値観との出会いです。
じいさん・ばあさんとつきあえれば、老いても楽しく過ごせます。
[ 目次 ]
[ POP ]
岡田マサさん。
84歳。年相応に目も見えなくなり、指先も震えているから、白髪染めなどとても出来るとは思えないのに、頑として「やる」と言ってきかない。
「白髪は年寄りみたいだから」
八十過ぎて、「年寄りみたい」とは、なんてチャーミングか。
この本には、そんなすてきなお年寄りがたくさん出てくる。
老人介護という「ウンコ・オシッコの世界」を歩いてきた著者による「くそリアリズム」の作品だから決してきれい事ばかりではない。
それどころか、人間、年取ると丸くなるどころか、頑固な人はより頑固になるなど個性が煮詰まってくるという。
現場は大変だ。
でも、老人相手の仕事では〈効率よく仕事をするほど効率が悪くなる〉という著者は、相手の個性や生活習慣を尊重し、老人の歩調に合わせて介護する。
だからこそ、老人がすてきに見えるのだろう。
〈あなたは自分の老いと付き合えるだろうか。老人が嫌いだという人は難しかろう。
だってそれは自分の未来が嫌いだということだから〉。
この言葉、かみしめたい。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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老人力を本音で理解できている中年以下ってなかなかいないよなー、と実感させられました。
幼児もそうなんだけど、世の中のペースが加速一方で、結局弱者側のことは我慢しているだけで、存在が納得できるような仕組みになってないんだなー、と。
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痴呆老人同士の会話が集団的独語のようだ。それでも人間関係を結べるという点が面白い。西洋的個の発想に基づく介護ではなく,日本ならではの集団的自我に基づく生活を維持する介護という考えが,研究のアイデアに結びつく。人間という存在が他者を前提にしていることが浮き彫りになるところも面白い。
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長年介護にかかわってきた著者の思い描く「介護」とは。
まったくの素人から介護にかかわり、その後、資格をとり、第一線で活躍している方。
老いたとき、こういった介護を受けたいとは思います。
この方のいう、ヘルパーや施設に入りたいとは思います。
賛否両論なんじゃないでしょうか。
三好氏の言っていることはすごくよくわかるし、皆そういう理想を掲げたいでしょう。
そうありたいと、願うでしょう。
でも。
たとえばある施設でボランティアが入っている。というのがあるんですが、そもそも(運営に)ボランティアが入っている時点で、もう経営としては破たんしていると思うのです。(レクとかでボランティアが来てくれた、なら、わかりますが)
今、ボランティアで介護施設で働きたいと思う主婦って、どれだけいるんでしょうか?
働くからには、(正当な)賃金がほしいと思うのは当然じゃないでしょうか?
働く、働いてもらう、賃金を支払う。そういったうえで、ある程度の利益があり、継続し続けることができる。
そういう実績を見せてくれた上で、理想を掲げてほしい。
もちろん、ギリギリの賃金で構わないと思う人もいるでしょう、理想を高くあげるために、質素な生活で構わない、と。
でもそんな人ばかりじゃないし。
大事なことがいっぱい書いてあると思います。だけど、ちょっと古い本だから仕方ないのかもしれないけど、「今」に合ってない気がします。
あと、医療関係者(看護師とか)、これ読んで、いやな気持ちになったりしなかったのかな。看護師の方に、聞いてみたいです。
個人的には好きです。
好きですよ?
でも、素敵だな、と思う一方、片隅に苦いものがこみあげてきます。
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経験から語る老人との関わりのエッセイ。若い世代との比較で、「若さを失う」という価値観から、「若さから解放される」「老いを獲得する」という見方は目からウロコ。2017.2.16
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著者をはじめ、登場する様な看護師さんやら保健婦さんのお陰で今の介護システムが確立されてきたのだと知る事が出来た。
特に、使命感に燃える若手の新人介護士さん達は机上の理論だけで、介護は済まされないという事を知るには良い本かも知れない。
ただ時の流れは早く、ここ数年家族も介護のプロも人手不足、介護される身は独居という現状は如何ともしがたい。人生100年時代、長生きしたら自分の80.90代はどうなってしまうんだろ?