紙の本
じゃがいもの偉大さ
2022/01/12 11:12
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
じゃがいもの偉大さを様々な角度 エピソードから描き出している。読み物として大変に面白く読みやすい。印象に残った話は、アイルランドのジャガイモ飢饉 である。大英帝国の悪辣さを改めて感じた。と同時に 一つの作物 一つの産業に、傾斜しすぎることの危険性を痛感した。
紙の本
人々を救ってきた「貧者のパン」
2008/04/06 14:38
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
凶作、飢饉、あるいは恐慌や戦争などの非常時に、人々をしばしば飢えから救う役割を果たしてきたジャガイモに焦点をあてる。
前半では中東欧を含めたヨーロッパでの歴史や、発祥の地である南米(合わせてアンデス文明をほろぼしたスペインの話題)などが多めに描かれ、後半では日本での事情やさまざまな逸話が多めとなっているが、最初からぐいぐいと読ませる展開だ。
第一章の冒頭では栃木県の足尾銅山で発生した広範囲な公害と北海道の開拓民(常呂郡佐呂間町には字栃木がある)の関係、そして後半の章では政府公許の女性医師第一号である荻野吟子もまた、後年は開拓に関係していたことなどがつづられる。
いまでこそジャガイモ料理が当たり前のようになっているヨーロッパの国々(イギリス、ドイツ、ロシアほか、ほとんどの地域)において、ジャガイモが歩んだ道のりはけして平坦なものではなかった。
形状や見た目の悪さ、迷信などにより、人々はジャガイモを口にしなかった。やせ細った土地でも安定して育つ植物として各国の政府側はジャガイモを奨励したが、たび重なる命令や説得で、ようやく栽培がなされるようになったと聞く。それ以外に食べ物の選択肢がないという状況(戦争や作物の不作、経済的な問題も含め)が、人々の背中を強く押したことも事実だろう。
P.84に記載されたフランスの「奇策」が事実であるならば(昼間は厳重に警護し、夜は好奇心にかられた野次馬たちに盗ませて食べさせ、クチコミをひろげさせた)とても興味深い。
それが序章によれば、1991年のロシアのクーデター未遂とその年のジャガイモ豊作に関連があるとする説があるまでに、人々に愛される食べものとなったのだ。
痩せた土地でも手間がかからず育てられる植物だが、その半面、一度でも病気が出たら広まりやすい。この本では日本での品種や種芋の管理と流通についても記載され(P.160前後)ており、じゃがいも情報のハンドブックとしてもじゅうぶん役立つものと思う。
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「ジャガイモの世界史」というタイトルですが、中身はジャガイモに関する歴史エッセイで、半分くらいは日本に関することとなっています。南米のチチカカ湖付近を原産とするジャガイモは、土壌が悪くても収穫でき、栄養も豊富でまさに「貧者のパン」として救荒作物として世界を巡ります。ジャガイモが歴史に関与した事例は、有名なアイルランドのジャガイモ飢饉だけでなく、1991年のソ連クーデタにも顔を出します。また桜美林大学もまたジャガイモとつながりがあるそうです。ただ、著者がのべている「ジャガイモが「お助け芋」として登場する時代は「異常な時代」」という言葉は相当に重い言葉だと思います。
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じゃがいもの偉さがよく分かった。スペイン人がインカ帝国から持ち帰ったチューニョ(乾燥いも)がpatataとしてヨーロッパ史に参入し、痩せた土地でも育つため戦争や飢饉時、産業革命下では貧者のパンとして活躍した500年ちかい歴史を追っている。今目にするものより一層不細工で、普及当初は豚の餌に供されていたこの野菜に対する根強い偏見から、人々がじゃがいもを食べ、栽培するようになるまでには工夫が必要となることが往々にしてあったらしい。プロイセンのフリードリヒ2世は「じゃがいも令」を強権発動してじゃがいもの植え付けを義務付け、兵糧を確実にして強力な軍隊をつくった。フランスではプロイセンとは対照的に、農学者のパルマンティエはわざとこっそり隠れるようにしてじゃがいもを栽培し、農民たちに覗き見をさせ、興味を誘ってじゃがいも栽培に誘導し、洒落たじゃがいも料理を工夫したり、じゃがいもの花を宮廷ファッションとして流行させるといった努力をした。ロシアでは農民たちが宗教的、文化的偏見による頑迷さからじゃがいもを育て、食べることを拒み、じゃがいもの作付け強制に反対する農民の武装闘争すら起こったため、説得によるじゃがいも栽培促進に政策を変更してその後は現在にいたるまでロシア人には欠かせない食料となっている。デカブリストの乱でシベリア流刑になった青年貴族たちが当地でじゃがいも栽培をはじめ、時代が下ってシベリアのラーゲリに抑留された日本人捕虜が飢えをしのいだのもじゃがいもであった。一方、「じゃがいも疫病」と、単作のため代替作物が無かったことがアイルランド大飢饉の原因となり、日本ではオランダ船がジャワから長崎に伝えたじゃがいもは、飢饉時や労働者などのお助け芋となったが、青年将校を5.15事件に駆り立てるきっかけのひとつともなった東北の飢饉は、じゃがいもが当地ではマイナーな存在であったため救うことができなかった。満蒙開拓団もじゃがいも栽培に力を入れて引き揚げ時、食料が欠乏していた時に地中に埋めていたじゃがいもに助けられたという。朝鮮については本書では書かれていないけれど、『朝鮮食料品史』(朴容九)によるとじゃがいも(北甘藷)は1824年ごろ「北方から豆満江を越えて入って来た」(五洲衍文長箋散稿)。甘藷が対馬経由で日本から先に入って来ていたが、じゃがいもの方が栽培方法が容易で寒冷地でもよく出来たため穀類が希少な地域では主食の役割をするまでなったという。しかし植民地朝鮮では総督府はじゃがいもではなく、サツマイモを主食を補う野菜として生産奨励し(サツマイモの方がじゃがいもよりも日本人の口に合ったからとされているが)、39年から「甘藷増産計画」5年計画で投資をして朝鮮北部のハムギョン道以外の地方で薩摩芋畑を増やし、増産率もじゃがいもより高かった。ただし別の資料によると併合から解放までの間に、だいたい155%から236%程度の間でじゃがいもも増産している。著者は足尾鉱毒事件を調べる中で鉱毒被害民がじゃがいもを栽培して命をつないでいたというところからじゃがいもが只者ではないと気に留めたと言い、広範な地域、時代をカバーしながらも要領をえていてうまくまとまった面白い本だった。
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ペルーの高原地帯にその源を発っしたジャガイモが、アイルランドを襲った大飢饉、ドイツ(プロイセン)、フランス、ロシアの王政、産業革命、世界対戦からロシア崩壊を経て現在に至るまでを俯瞰する。必ずしも通史として形を成すものではないが、「ジャガイモ」という視点から世界史、日本史を様々なエピソードを交えつつ紹介するというのは、面白い試みだ。通常の通史を縦糸とするならば、この本はその中で様々な模様を織り描く横糸の一本と言えるだろう。
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「その時、歴史が動いた〜ジャガイモver.」といったところ。
人類生存のおける有数の貢献者、ジャガイモの歴史をたどる。
世界史というものの、日本史(近現代)が中心だったりする。
(2009/3/1読了)
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タイトルはジャガイモの世界史となっているけれども、ジャガイモの世界史と日本史、みたいな感じだった。取り上げ方のスケール感がかなり違うので。
あまり全体を貫く凄い知見みたいなのは無くてエッセー集のような感じではあるけれども、個々の話は文句なく興味深い。
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個人的に思わぬ収穫があったり行ったことのある場所が出てきたりして興味深く読めました。フランスでのジャガイモの広め方が上手いなあーと感心。
農業は大事ですね。
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ジャガイモ史はそのまま世界の歴史となる。といった具合に日本や世界の重要な事件にジャガイモがどう関わっていたかを説明している。
実際に世界中の人に話を聞いてきたようで、生の声が面白い。
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・ジャガイモを店頭でみかけた時、何とも言えない感慨を抱くことになりそう。
・食糧危機の話題を出すときはジャガイモに触れないわけにはいかないかもしれない。
・温暖化のなかで寒冷地でも育つジャガイモという利点が薄れていってしまいそう。
・ドイツのクラインガルテン制。ドイツの都市計画とかシステム系の話は本当に面白い。人と食、農がばらばらになってしまった日本において参考になる制度のように思えた。
・餓えって怖い…好きなものをお腹一杯食べられるということが、どれだけ幸福なことか…好き嫌いせず、腹八分目、残さず食べよう
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ジャガイモと世界を巡る本。
食糧を輸入出来なくなったら、ジャガイモを植えるしかないですね。
安芸津のジャガイモが、美味しい理由が判ったのは、細かすぎるけど、おーっと思った点。
今日の晩ご飯は、ギネスとフイッシユアンドチップスに決めた!!
あっ、巻末に参考文献リストがあったらもっと良かったのに、と思うのは我が儘でしょうかね。
自分で巻中から拾えば、良いのだけど。
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1、2年くらい前に読みました。まさかジャガイモだけで本が一冊できるとは。内容はうろ覚えですけど、豆知識はいろいろ知れました。
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[ 内容 ]
南米生まれのジャガイモは、インカ帝国滅亡のころ、スペインに渡った。
その後、フランスやドイツの啓蒙君主たちも普及につとめ、わずか五百年の間に全世界に広がった。
赤道直下から北極圏まで、これほど各地で栽培されている食物もない。
痩せた土地でも育ち、栄養価の高いジャガイモは「貧者のパン」として歴史の転機で大きな役割を演じた。
アイルランドの大飢饉、北海道開拓、ソ連崩壊まで、ジャガイモと人々をめぐるドラマ。
[ 目次 ]
第1章 オホーツク海のジャガイモ
第2章 ティティカカ湖のほとりで-ジャガイモ発祥の地
第3章 ペルー発旧大陸行き-そしてジャガイモは広がった
第4章 地獄を見た島-アイルランド
第5章 絶対王制とジャガイモ
第6章 産業革命と「貧者のパン」
第7章 現代史のなかのジャガイモ、暮らしのなかのジャガイモ
第8章 日本におけるジャガイモ
終章 「お助け芋」、ふたたび?
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[ 参考となる書評 ]
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十六世紀,インカ帝国を滅ぼしたスペインによって,南米のアンデスからジャガイモが欧州にもたらされた。これが,世界史にジャガイモが登場した瞬間である。耐候性がよく,栄養価も申し分ないこの食糧は,同世紀末には地球を半周して日本にもつたわる。貧者のパンとして世界中の人々の生活に大きな役割を演じるこの作物,ジャガイモがかかわった歴史的事件は多い。
当初ジャガイモに接した欧州の人々は,地下にできる植物など口に入れたことがなかった。聖書に記述のないような食い物はとんでもない,ということで,ジャガイモは「悪魔の林檎」と呼ばれ恐れられる。しかし,命をつなぐのに食はかかせない。いつまでもそんなことはいっていられず,ジャガイモは貧しい人々の間に次第に拡がっていく。普及に弾みをつけたのが,十七世紀前半の三十年戦争。宗教戦争から始まったドロ沼のこの戦争でドイツ全土が蹂躙され,食糧難により人口は激減。人々はジャガイモで糊口をしのぐ。
ジャガイモが普及していくと,それまで人口が抑えられていた地域の人口は増え,作物の生育が難しかった無人の地域にまで人が住めるようになっていく。十八世紀,欧州諸国を巻き込んだ七年戦争では,スウェーデン軍はプロイセンに攻め込んだもののなすことなく引き揚げる。が,兵士はジャガイモを持ち帰った。そのため,スウェーデンではこの戦争をジャガイモ戦争とも呼ぶそうだ。はかばかしい戦果はなく,妙な作物だけがもたらされたと思ったら,はからずもそれこそ空前の大戦果であったというわけだ。
ジャガイモ革命と呼ぶべき事件も十九世紀ロシアで勃発する。1825年のデカブリストの乱である。貴族出身の若手将校たちが圧政に苦しむ民衆を救うべく革命に立ち上がるが,準備不足もあってすみやかに鎮圧される。この事件,後のロシア革命の思想的支えの一つとなったことはよく知られているが,実はジャガイモの普及にも一役買っている。シベリア送りとなった叛乱者たちは,シベリアの地にジャガイモをもたらしたのだ。
十九世紀中盤には,アイルランドで悲惨なジャガイモ饑饉もおこる。八百年にわたりイギリスの苛斂誅求に喘いでいたアイルランドの人々。そのころ彼らはイギリスのために小麦をつくり,ジャガイモを主食としていた。そのジャガイモが病気で大打撃をこうむる。餓死者はおびただしく,アメリカへ移民する人々も百万を超えた。後にカトリック初の米大統領となるケネディは,このときのアイルランド移民の子孫である。
ジャガイモと日本史の関係も紹介しているが,こちらは少しインパクトに乏しい。北海道開拓や東北の饑饉で人々の命をつないだこと,敗戦前後の食糧難とシベリア抑留のことぐらい。やはり(特に昔の)日本人は米を食うもので,ジャガイモはあくまで代用食だった。世界には一人あたりのジャガイモ消費量が年間百五十キロという国もあるそうだが,日本は今でも二十キロ程度に過ぎない。食文化の違いというのはとても大きい。
食文化といえば,ここ数十年,主要穀物をはじめ様々な食糧が地球上を移動し,先進国をはじめ食の内容も水平化しつつある。いまや中国さえ沿海部では食生活が欧米���しているという。しかし,土地の気候に応じた食というのが本来の姿であろう。その意味で,ジャガイモが世界各地で栽培され定着していったことにくらべ,国を超えて大量の食糧が出入りする現状は不自然な感じがする。このような人間の営みが,今後何十年も続くのかどうか大いに疑問である。
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貧弱のパンとしてのジャガイモ。
多くの人々を救う。
世界中で、ジャガイモの物語があるのは、人々の生活に密接と言うこと。
冒頭の、ソビエトクーデター派のジャガイモ豊作の作戦決行は全くの初見。