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『(p71)傍から見れば退屈に見えるようなことの中に、当人が退屈を感じずに喜びを見いだしていく力』を退屈力というらしい。静かな世界をとことん味わえ。静かな世界を十分味わって、たまーに刺激を受けるくらいの方が健康だし、新鮮だと思う。なんとなく、今のバラエティ番組などを見てると集中力や退屈力がない人向けに作られてるなぁーと感じる。あれはあれで、内容が退屈なものが多いけど。
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反復練習など、一見、退屈に思えるトレーニングから「技」を身に付け、本当の感動を体験せよ、と。
齋藤孝のなかで読書力に並ぶ良い著書と思います。
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これは新しい概念! じっくり読ませていただきました。
・勉強は、「退屈力」を鍛えるものである。
・勉強というのは基本的に退屈さを含んでいて、それを乗り越えて、面白いと思える段階が来る。
・本当の豊かさというのは、ゆるやかな刺激の中にこそ、そして、退屈なものの中にこそあるのだということを強調したい。
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反復に耐えうるだけの豊かさを持つ。
とてもいい言葉だと思う。
一定の価値のあるものは時代を超えて愛される。
薄く表面だけをつくろうのではなく、
無骨でもいいから、内面、とくにその信念を感じれるようなものを作りたい。
退屈しない、静かだけれど豊かな本だと思う。
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齊藤孝シリーズ☆第4弾☆
関東に来てすぐ思ったことは
「関東の人って、遊び方の種類少ないよね」
これの理由が、この本に書いてあった。
現代人は「退屈」を恐れている。
だからこそ、退屈と向き合える人が大事なのだ、と。
*退屈力の定義*
外からの強烈な刺激で脳を興奮させるのではなく、
刺激の少ない状況の中で、
自分の脳と身体を満足させることの出来る能力のこと
*効用*
「わからない」状況を楽しめる
「面白くない」環境を「面白く」する方法を習得している
基礎を怠らない
脳トレで一躍有名になった川島教授の実験結果:
脳トレという「楽しませる」ゲームをやっている時より、
くだらない反復作業を自主的にやっている時の方が
脳が活性化している。
これでは、ゲームが売れない。
というのが、とても印象的でした。
***
斉藤孝は「○○力」を定義するのが大好きな人です。
中でも、3本柱があることに発見!
それは「真似る力」「段取り力」「コメント力」
これに集約されるらしい。
あと、
「自分の古典を持つこと」が大事ってのに納得
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薬物は刺激を求める社会の流れの中で考えるべき問題。
刺激の多い社会において、脳の活性化は厳しい。寧ろ音読、筆写等により脳を涵養する。
武道の型を覚える等繰り返しに飽きず、訓練することが大切。
仕事では退屈なこと多い。それを耐えて成長していく。
クリエイティブな仕事は退屈な作業の集積で成立する。
ラッセルの幸福論においては、「退屈は人間特有の感情」。ラッセル曰く、「退屈を恐れ興奮を求めるようになった。興奮を求める人間の気持ちはレベルアップ(強い刺激を求める)した。
戦争等の人類の罪の一部は退屈を恐れる人間の気持ちだ。
偉人の人生の大半はつまらぬ(退屈)なもの。それに耐えて偉業を成し遂げた。
子供時代、小保も自信の工夫で娯楽を引き出す必要がある。
ゲームは親が管理するべき。
烈しい刺激ばかりの日常は避けるべきだ。
作業の正確性高めるため、チェックリストを作ると良い。
視点を移動させる方法は大切。
読書は我慢力つける。
古文を味わうには、先に現代語訳を読んでから読むと理解が早い。英語も同じだ。
中学、高校での学力は基礎だ。
古典は自らの資本となり得る。
何かをゆっくり味わうことも大切。
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言いたいことは分かる、共感さえ覚える。けどちょっと、主観入りすぎじゃない?確かにデータをあげて推察するような話ではないけれど…。途中批判のごり押しに飽きてちょっと退屈(笑)だった。
もうちょっと冷静な話だったら素直に聞けたのに。22/5/10
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退屈な時間をどう楽しむかについての本かな、と軽い気持ちで読み始めた。しかし、いざ読んでみると、どうやら「退屈力」とは情報化社会では忘れがちである、退屈なものに向き合う忍耐力を指しているらしい。
膨大な情報が間断なく脳に流し込まれる現代において、脳はより刺激的でおもしろい情報を求め続ける。すると、脳は刺激の少ない状態を退屈と感じるようになってしまう。しかし、刺激の少ないものから読み取ることができた情報なら容易に飽きることはないようだ。本書では、武道の型や読書、美術品の鑑賞などがそれにあたるという。
退屈な反復に耐えて、微妙な違いに注意を凝らし、試行錯誤を繰り返す。そういう地味な作業を繰り返すことで、自らの技を磨き、本物の感動を手にしろ、と筆者は述べる。
情報を消費するのではなく、生み出す。つまり、本書の言う「退屈力」を身につける(というか取り戻すかな?)ことが、現代人の閉塞感を打ち破り、心の豊かさを取り戻す突破口ではないかと思った。
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「現代人は退屈を怖がって刺激を求めてばかりいる」ということを、いろいろな例を出して証明し、退屈の効用について説明する本。
不思議なタイトルだったので、何が書いてあるるのかと思いましたが、どこかで読んだことがあるようなありがちな内容だったので、少し期待外れでした。
ただ、バートランド・ラッセルの『幸福論』についての記述はおもしろく、原文を読んでみたい気持ちになりました。
おそらくは、『幸福論』の中の「退屈と興奮」という章から、本書の題名を決定したものと思われます。
現代の、外部から刺激を当たられ続けるテレビやゲーム文化の中で、人々は切れやすくなり、忍耐を忘れ、練習を嫌い、仕事をすぐ辞め、短絡的になったと嘆く著者。
クラシック、武道、禅、短歌・和歌、落語など、退屈を越えて存在する芸術。
古典を学ぶ大切さ。
聞き慣れたような話であるだけに、すいすいと軽く読むことができました。
「退屈」という言葉にプラスの意味を含ませた点は、斬新だと思います。
外からの刺激ではなく、内からの継続により得るものが何より大事だとする意見は、納得できるものでした。
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退屈力…それは一見つまらないと思えることでも、基本の型であり、続けていくことで得られる意味があるというもの。つまらないという理由だけで簡単に刺激を受けられる方向に走るのはどうか、というもの。
ある意味納得できる。まったくもってその通り。退屈力、というより忍耐力、継続は力なり、といったほうが近いのでは。
ただ、一方で「百聞は一見にしかず」という言葉もあり、たとえば、全然予備知識なく見に行った美術館で本物を見て何がどうでも素晴らしい、と思うことがある私はどうなのか。そのあと勉強する場合だってあるだろうし。著者はテレビゲームとか動かない刺激を照準にしているのか。
しかし、言いたいことはわかる。最近は我慢が足りない人が多いと思う。実はどうやったら退屈を退屈でないにかえる方法がわかる本なのかと思っていたら違った。もっと根本的なところだった。やっぱり王道はない。
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「退屈力」3
著者 齋藤孝
出版 文藝春秋
p71より引用
“傍から見れば退屈に見えるようなことの中に、
当人が退屈を感じずに喜びを見出していく力、
それが「退屈力」である。”
教育学者であり文学者である著者による、
人生をより良く生きる為の能力について書かれた一冊。
刺激に囲まれた生活に対する批判から、
地味な作業を続ける事の大切さまで、
著者の人生の経験が存分に生かされているようです。
上記の引用は、
著者が提案する「退屈力」についての解説の一文。
この力を自分の物にする事が出来れば、
いつどんな時でも楽しく時間を過ごす事が出来そうです。
第一章・高度刺激社会批判を読んでいると、
自分達がいかに刺激にさらされているか、
身につまされて考えさせられます。
ゲームが好きな私としては少々耳に痛い内容でしたが、
ゲームがコロンバイン事件と、
因果関係があるように書かれているのは残念なことです。
極めて微妙な例だと思いますが・・・。
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今の子どもたちに足りないもの…「退屈力」
わたしが子どものころは,紙と鉛筆があれば何時間でも遊べた!
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AudioBookとして視聴。音源はFebeで購入。基本を諦めず、コツコツと形になるまで身に付けていき、それが実生活まで役立つレベルまで血肉化していく、ワザ化していくことが大切だ。
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これはなかなかよかった。
刺激を求めすぎる現代人。
武道の型、受験勉強、スポーツの基礎、仕事など
退屈なことを繰り返した末、何かを獲得するという体験が非常に大切。
読書もそう。退屈さの先に待っているものがあるのが名作。
目から鱗。
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いままで読んだ「ナントカ力(りょく)~」というタイトルの本の中でいちばんマトモな本でした
型・反復・修練
古典は尽きることのない資産になる