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CDを聞いてファンになり、為人が知りたくなって購入。
志ん朝の弟子たちが師匠志ん朝について語っています。
内容自体はエピソード満載で、家族の志ん生や馬生にも話が及んでいます。
ただ志ん朝像を掴むのには個人的に物足りなかったです。
他の志ん朝関連本も読んでみようと思います。
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2001年に逝去した噺家、古今亭志ん朝さんのお弟子さん達による回顧録。
それぞれがどのように入門したのかから始まり、師匠に対するしくじりや、稽古の様子など、間近にいた弟子でなければわからないことについて、思い思いに語りあっている。
特にしくじりについて思うことは、目端がきかないのは使えないということ。自分の行動がどのような結果を招くのか、ということを絶えず考えるというのは、芸人に限らず、広く社会人に必要なことだなぁと感じる。
ただ、若い頃は人に指摘されないとどうしてもわからないこともある。時には怒鳴られることだってあるでしょう。志ん朝さんもそこには様々に苦労されていたのだなぁ、と思いました。
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ここに語るのは最後まで仕え抜いた面々で、師匠あって今がある。師匠の魅力どうこうよりも、内弟子の苦楽を伝えてくれた。芸人は表舞台を知ればよし。裏舞台は人間臭いんである。
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▼2001年に志ん朝さんが亡くなってから、かれこれ22年になるわけですが、DVD、CD、関連本・・・この22年は産業として「志ん朝」は破竹の勢いで落語界を盛り上げてますね。「死後の関連商品数」というのは如実に売り上げとしての人気を示すものです。という私も大いに参加している訳ですが。
▼もう、どうということはない一冊なんです(笑)。落語がある程度好きで、詳しい人。例えば「落語協会の分裂騒動と、そのときの志ん朝さんの動き」とかをある程度もともと知っている人。・・・の方が確実に楽しめる、言ってみれば他愛もない思い出本で。当てはまる読者は、それなりに「へえ~」や「ふむふむ」があります。
モダンジャズについての本、とか欧州サッカーについての本、とか。司馬遼太郎についての本、とか。そういうのと同じくで、ときどきこういうのが読みたくなります。なんかこう、「今更大きな刺激も感動も絶対ないんだけど、まあでもぬるま湯的に、保守的かつ退廃的な楽しみができる(笑)」、そういう、なんだか幼少時から親しんだブランケットをたまに抱きたくなるような感じです(笑)。
▼こういう本って、出す側からすると、「一定数は売れる。けどそれ以上絶対に売れない」と分かってるわけで、やっぱりそれだけじゃなく「志ん朝の本をまた一冊、俺が世に出したい」という実利益だけじゃない趣味的な情熱があるんだろうなあ、と思います。
▼つまりは、志ん朝の弟子たちが、思い出を語る対談本、です。
なぜだか志ん朝は「すばらしい弟子を育てまくった名伯楽」ではないんですよねえ。あちこちに失礼ですが・・・。正直、唯一、古今亭右朝さんがキラリと光るものがあったんですが、これが師匠より早世してしまうという悲劇・・・。
▼で、読んで思ったのは、志ん朝さんは師匠としては
折り目正しく筋を重んじ、けっこう厳しく、でも通底音としては人間的な師匠だった。真面目な師匠だった。
という感じかなあ、と。(まあ、誰も志ん朝さんの本気の悪口恨み言は、在っても言えないんですけどね。死して尚、師匠の人気で多少は稼ぎになっている訳だから…。)
分からんですが、もうちょっと「放任主義的良いかげんさ」があるほうが、大化けする弟子がその中から出て来るものなのか・・・。
うーん。でも柳家小さんなどの例で言うと、「そりゃさ、あんなにいっぱい入門させてれば、打率的に?ひとりやふたりは人気者が出るよね」という醒めた言い方もできるし。こればっかりは分からない。落語ばっかりは、二世だからってどれだけ下駄履かせても、テレビに出ても、売れない人は一定以上は売れない。高座が爆笑を呼べないから。素敵だし、不可解に満ちた残酷な芸です。
▼昭和の名人・桂文楽のけだし名言があります。
「落語家ほど良い商売は無いですよ。資本はいらない。ひとりで出来る。定年も無い。最高ですよ。え・・・? 売れなくても良い商売かって? 売れなきゃだめですよ。売れなきゃ、こんな惨めでつらい商売はないですよ」