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人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、残されたもの同士の団結ではなく、分裂である場合が圧倒的に多い。束ねる役割を果たしていた存在が消滅したことによって、それまで自分たちよりは上の存在によって束ねられていた人々は、いったんはバラバラになるしかないのかもしれない。(p.12)
人が住むということは、その土地に、有形無形の力を与えることになる。(p.18)
軍人は政治を理解していなくてもかまわないが、政治家は軍事を理解しないでは政治は行えない。(p.39)
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http://blog.livedoor.jp/masahino123/archives/65147828.html
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「三世紀の危機」の時代からローマでは、キリスト教が浸透していく。蛮族の襲来、疫病の蔓延、次々と変わる皇帝と内戦、こういった社会不安が帝国に拡がった。キリスト教の浸透は、ローマ人らしさを失ない、やがては帝国の崩壊へとつながっていく。
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軍人皇帝の時代が終わり、終にディオクレチアヌス帝の時代に入る!!というところで以下次巻です。
しかし、国が衰退して居る時に限って何故人は団結せずに分裂していまうのだろう?
そして帝国の衰退の不安にキリスト教が浸透していきます。
ローマの精神とは相容れないキリスト教がローマに浸透しきったときローマはローマでなくなるのだろうという予感を秘めて・・・。
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能力ある物を暗殺することが、全体の利益に反するということを、理解できないのか?。。。
なんかまじで萎えるよ。この巻。終わりが近づきつつあることを実感できます。
ローマ700年の歴史が三十何巻の本に収められているので読んでいる側からすれば短い気もするけど、アメリカの現在の200年強の歴史と比較すると長さが少しは実感できる。よくもまぁ、こんなに長い期間…
キリスト教徒について
信仰を横軸、論理性を縦軸に取って、負の相関が表れそうな。
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ローマ帝国の栄華も今や昔となった。蛮族対策に東奔西走する軍人皇帝の足元を掬うのは、味方であるはずの一般兵の反乱である。軍功の多さなど関係なし。誰もかれも暗殺され、一人の皇帝の治世は僅か数年。そのような混迷の3世紀を描いた本巻の最後にはディオクレティアヌス帝が登場する。帝政ローマの終わりがいよいよ近づいてきた。
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ローマの歴史には興味があり、内容的には面白いのだが、時々出てくる作者の理屈のこねくり回しが、鬱陶しく感じる時がある。
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ガリエヌス帝からヌメリアヌス帝の治世まで。
この一冊では久しぶりに才能溢れる皇帝が次々に問題を解決していく昂揚感を得られた。アウエリアヌス帝の活躍がそれである。
たった5年の間に、ローマに城壁を築き、北方の蛮族を牽制しながら、パルミラ王国、ガリア王国を相次いでローマ帝国内に再編成した実力は3世紀の皇帝の中で出色だと思う。
しかし、彼も等位後5年で、秘書の謀殺によりこの世を去る。老年のタキトゥス帝を挟んで、その次のプロブス帝も有能と思われたのに6年で軍団兵により殺される。当時のローマ市民の人心の不安定さも露わだ。
続く皇帝が落雷で死んだのも、ローマ帝国が天にも見放されたことの示唆であるようなトラジスティックな感想すら持ってしまうな。情緒的にすぎるけども(笑)
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260年の皇帝捕囚からディオクレティアヌス帝の出現までの迷走が描かれる。蛮族、荒廃する農地、都市の人口流入、失業、インフレ、デフレ、度重なる戦時特別税と神々の守護がローマから離れ、キリストの来世への願いへと移り変わる様がわかる。
皇帝の交代が暗殺による点に、なにか引っかかるのは現代人だからなのだろうか。ローマの軍人にも、なにかサムライと同じ血を持って償うような同時代に共通の精神が流れていたのだろうかと想像している。
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ローマが衰退の一途を辿る場面になってから、以前よりも読む速度が遅くなった気がする。仕事が忙しくなったとうこともあるが、それ以上に衰退していくローマの姿が痛々しく、それが現実であったということが読んでいて辛くなってしまったからだからだと思う。何人かに1人現れる皇帝は蛮族を蹴散らしたり、ガリアを再統合したり(例えばアウレリアヌスのように)それなりに活躍するのだが、あっさりと死んでしまう。これが、ローマ帝国の衰退の象徴だったのだろう。巻末に塩野七生氏がキリスト教徒のキプリアヌスの言葉を借りて語っているように「ローマはもはや老いた」のである。次巻以降はキリスト教の勝利か…
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「同性としては毎度のことながら残念に思うのだが、女とは権力を
手中にするやいなや、超えてはならない一線を越えてしまうもので
ある。しかもそれを、相手の苦境につけこむやり方で行う。」
うぅ…耳が痛い。でも、著者が言う通りなんだよな。
ガリアとパルミラが独立したことで、広大な属州を持ったローマ帝国の
領土は3分された。この時期、ローマ皇帝として就任するのは、叩き上げ
の軍人皇帝たちである。
蛮族やオリエントの君主国の侵攻を防ぐ為、ローマ軍の最高指揮官で
ある皇帝たちは首都ローマに留まることが出来ない。
その中でも特筆すべきはアウレリアヌス帝だ。ペルシア王の策略によって
捕囚となったヴァレリアヌス帝により抜擢された属州の辺境出身の人材だ。
蛮族とオリエントの君主国に対し、ローマの反攻が開始される。注目は
クレオパトラを気取ったパルミア女王・ゼノビアとの対決である。
アウレリアヌスは、女王ゼノビアにローマに降伏すよう手紙を書き送る。
それに対しゼノビアは「私はオリエントの誇り高き女王よ。なんで皇帝が
捕囚になったローマになんか降伏しなきゃいけないのさ。こっちには
ペルシアが援軍を送ってくれるし、アラブ人だってアルメニア人だって、
私の味方よ。堂々と戦場で決着をつけようじゃない?」と答える。
この勘違いした傲慢さで、開戦決定。ペルシアからの援軍は来ず、
アラブ人もアルメニア人も、既に他の蛮族を撃退し、以前の武勲を取り
戻したローマ側になびいいていた。
戦闘には、兵士の数だけではなく情報も大切だということに無知だった
ゼノビアの完敗である。
アウレリアヌス帝の疾風怒濤の軍略で、ローマ帝国は再び帝国としての
再統合がなった。これで安泰…と思ったところで、皇帝付きの秘書の
どうしようもない思い込みで暗殺される。
「アウレリアヌス時代の帝国は幸福であり、市民からは愛され、兵士たち
からは尊敬され、敵からは怖れられた」。
この人の治世がもう少し長かったら、帝国の崩壊はもう少し遅れたかも
しれない。
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迷走する帝国にあって有能な皇帝も出現するのだが、ことごとく不幸な死に方で、短期政権に終わってしまう。
例えばカエサルがこの時代に出現したら、帝国を再び繁栄させることができただろうか。多分無理なのではないかと思ってしまう。
国民自身が劣化していてはいくら指導者が優秀であっても再びの繁栄は望めないのではないか。
我が日本はどうなんだろう・・・・
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3世紀に入って、ローマ帝国が崩壊する兆しが出てきた。皇帝は軍人から推挙され、不信任の時には簡単に殺害される。ローマ帝国の外で戦争をやっていたのが、防衛線の中に押し込まれてから戦うようになったために耕作地や防衛拠点の都市が荒廃し、「ローマ市民」の自信が無くなっていく。そんな中、人々の心に安らぎを与えるキリスト教が静かに勢力を伸ばしていく。
ガミラス(宇宙戦艦ヤマト)や銀河帝国(スターウォーズ)も、こういう歴史を踏まえて描かれているのかなぁ。。。
ローマ人の物語完読まで、あと9冊。
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ローマ帝国の危機に対し、アウレリアヌスもプロブスも敢闘する。しかし、彼らの在位はわずかなうちに、しかもあっけない形で幕を閉じてしまう。”つまらないことに、時間と労力を浪費してしまうのも衰退の証なのだ”という著者の指摘は、そのまま今の日本に当てはまるように思えてならない。沖縄問題における”犯す”発現は、世界経済危機やTPP問題、中国の台頭、社会保障費の抑制など、待ったなしの課題が山積する中では、その発言が個人のエリート官僚に帰するのならば、あまりにも次元の低い問題である。野田内閣にはもっと前進して欲しいと思いながら、読み進めた。
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ローマ人の物語の第12シリーズ目の3分冊。ローマ帝国が凋落に向かい,明らかな下降線をたどり始めることが誰の目にも明らかになる三世紀を描いた作。
ローマはこの時代,ゲルマン民族に何度も簡単に,帝国領内への侵入を許し,しかも屈辱的な講和を何度も結んでいる。「平和は最上の価値だが,それに慣れすぎると平和を失うことになりかねないという『パクス・ロマーナ』の逆説的な現象が,現れ始めた」と書かれているが,現代日本でも同じである。平和が当たり前のことであるという社会は素晴らしいが,それはあくまでも平和維持の種々の努力の上に成り立っているに過ぎない。
皇帝が頻繁に変わることによる政策の一貫性のなさ,それによる国力の無駄遣い。まるで今の日本をそのまま言い表しているようである。また,大衆は数人のアジテーターがいれば簡単に煽動できる,ということも頻繁に語られているが,これも然り。ローマほどの影響力はなかったかもしれないが,それでも大国であった,しかし今は下降線をたどる一途の日本。今までのどの巻よりも,現代日本への示唆に満ちているような気がする。