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江戸幕府時代に鎖国していた日本は、ヨーロッパよりも遅れており、開国し欧米諸国が入ってきて、援助したからこそ近代化した。西洋人が苦労して勝ち得た技術を、ポッと出の日本が横取りして世界の表舞台に出てきたことが気に食わない。というのがヨーロッパ人から見た日本。そもそも西洋人は自分達が世界の中心だと思っている。自分達と違う人は劣っている。だから未開の地に行って搾取するのは当然のこと。技術の供与やキリスト教の布教をしてあげた分感謝して欲しいと思っているくらい。
しかし鎖国前から日本は識字率が高く、飛脚や寺子屋といった郵便や学校の元となる下地が既にあった。だからこそ技術を取り入れることができた。植民地化されて搾取されるだけの国にならず、独自の発展を遂げることができた。
ヨーロッパは陸続き、貧富の差を解消するためには、隣国に打って出るのが常。日本は島国であり、打って出る相手がいなかった。内乱を防がないと自滅するため、国内で問題解決しなければならなかった。実際にヨーロッパでは戦乱が絶えなかったが、鎖国中の日本では戦乱や一揆などはほぼ皆無であった。自然災害による飢饉が引き金になることはあっても、人為的に起こる戦乱は無かったとされている。
日本では開国して一気に内乱が増えた。ヨーロッパの考えに基づいた農地改革がされ、これまで士農工商で豊かだった農民が、富裕層に搾取されるだけの弱者になってしまった。
ヨーロッパはインドや中国に進出してきた際に、貿易赤字に陥った。貿易黒字にするために、奴隷を輸出したりもした。最終的には徹底的にインドや中国を潰した。攻撃し、産業を破壊し、ヨーロッパへの原料産出国としてのみ活用する。自国で生産できないようにすれば、ヨーロッパで加工したものを植民地に売りつけられる、というシステムを編み出した。アヘン戦争などもヨーロッパの戦略である。
江戸幕府はそれを見て恐れた、最初は友好的であっても、一度開国したら根こそぎやられる、という恐怖から開国を拒んだが、攻撃に耐えきれず開国する。平等だと言われた通商条約は全く平等ではなく、領事裁判権、関税、換金率などで日本は大きな痛手を受けた。日本人が殺されても裁けず、逆行して西洋人を殺害すると、街全体が砲撃される。人々の不満が募り幕府は崩壊する。新政府は天皇を中心とした明治政府になる。
明治政府は今の苦しみは全て幕府のせい、と幕府をスケープゴートにした。西洋を見習うべきだ、日本は恥ずべきだから耐えて忍んで、いつか西洋に肩を並べるのだと言い聞かせた。西洋が優れていると叩き込まれた日本人は、日本を卑下するようになった。
日本は第一次世界大戦、日露戦争で西洋諸国にその地位を認められ、朝鮮侵略で西洋と同じことをしてしまう。西洋人に習い植民地化する側に回った。第二次世界大戦で敗戦すると、逆に西洋人に諌められ、争わない誓いをすることになったのは皮肉でもある。そもそも植民地や戦乱を持ち込んだのは西洋人の風習であったのだが。