紙の本
政策の“有効性”を保証するものは何か
2009/03/10 15:13
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投稿者:hisao - この投稿者のレビュー一覧を見る
“本書がそのタイトルからして、支配的見解とは相容れない、エキセントリックなものであることは、十分に理解している”と著者は言う
グローバリズム、“構造改革”の“多数者専制”の風潮化、経済産業省気鋭の俊才ながら、あえて“蟷螂の斧”を振りかざし“国民国家”“経済ナショナリズム”の再評価を訴えられたそうである
しかし世の動きは速いもの、サブプライム問題をきっかけにグローバリズムは世界的に反省され、著者の見解は 今や“先見の明”どころか、私達庶民からすれば“国策”の書と思えるほど時節に叶ったものと思えるようになっている。まさに著者の説は著者自ら期待された通り“当たり前”にさえ思えるようになったのだ
でも著者の“経済ナショナリズム”は付け刃ではない
英国留学中にものされた学術論文に手を加えた“国力論 経済ナショナリズムの系譜”はヒューム、ヘーゲル、マーシャルなどに“経済ナショナリズム”の源流をたどり経済学説史の改築を試みられた理論書である
本書はその理論の上に立って、著者の主張する経済政策を易しく論じられたものである
さて 著者は“グローバリゼーションを引き起こしたのはアメリカの経済ナショナリズムである”と明言される
ロシア、メキシコ、ブラジルそして東アジアで引き起こされた金融危機は主流派経済学にのっとった市場原理主義が引き起こした
もっとも巷間そのような主張をされる方は多い、しかし経済産業省の若手高官にとっては勇気ある言葉であろう
日本の“構造改革”も“経済ナショナリズム”から発せられたものだとされる
つまり“あらゆる経済政策はナショナリズムで動いている”
その通りであろう
しかし全てを“経済ナショナリズム”で引っくるめてしまうと、どうやら“良いナショナリズム”と“悪いナショナリズム”があるらしい
”大切なのは富を求めて国の外へ向かう力より富を生み出す国の内なる力である”
まず“国力”を高めるにはどう有らねばならぬかを考えろという事だ
しかしグローバルな経済環境は厳然とある、国家の経済政策は勿論それを無視して成り立たない、それを利用してグローバリズムを掲げて発展する事も大いにあり得ると言われる
だから私には著者の主張がグローバリズムを否定されているようには思えない
対立概念はグローバリズム対ナショナリズムではなく“経済自由主義”対“経済ナショナリズム”、“小さな政府”対“大きな政府”のようだ
*経済自由主義
世界経済の効率向上、厚生増大、資源の効率的配分のため経済は自由市場に委ねるべきであり、政府の介入は最小限であるべきとする
*経済ナショナリズム
経済の秩序有る発展のため国家権力は欠かせず積極的に役割を果たすべきとする、一般に保護貿易・産業政策を重視する
本書の主題は単なる反グローバリズム論ではなく、グローバルな経済環境を外部要因として国家の“良い政策”はどこから生まれるのかの問い掛けに思える
では何が“良いナショナリズム”なのだろうか?
人は群れなす動物である、経済活動を個の活動と捉える“経済学”としての“市場原理主義”は虚構の学問かも知れない
著者の言う通り人は共同体の利益のために働く、私達に必要なのは“共同体の経済学”であろう
“はじめに国家ありき”と言われたのは言葉のアヤかも知れないが、著者によれば“ネイション”はあたかも人類最後の“共同体”のようである
“経済ナショナリズムの主たる関心はステイト自体の利益追求ではなくネイションあるいは国民国家の利益追求にある”
著者は“国家の政策は国民の利益を追求する”と言う事を前提として、“経済ナショナリズム“の正当性を共同体の論理に求める
国家の政策が“ネイションの利益追求を目的としている”と言いきって良いかどうかは問題である
支配機構としてのステイトの利益追求を目的とする事も有ろうし、“善意”の誤りも大いに有るだろう
そこに“国家論”の難しさ、“政策論争”の意味がある
国家共同体の利益を追求しておれば“良いナショナリズム”と言えるかどうかも私には解らない
市場原理主義の先生方から国家の無力をさんざっぱら聞かされてきた私には“大きな政府”への逆戻りで問題が簡単に解決するとも思えない
“国家論”“金融資本主義”の運動法則に関するより深い考察が必要だろう
しかし国民を生かすも殺すも国家なのだ
家族、地域、国家、連邦国家、人にとって共同体の密度は相対的である
“宇宙戦艦ヤマト”の時代になれば兎も角、今の世界を共同体と考えるには無理が有る
国家は家族ほど強く結ばれた共同体ではないが、少なくとも“近代国家”は国家を共同体と認識し統合される事を建前とする
“政策”が国家の発するものである限り、政策の正当性を前提にしなければ、何ものも為す事が出来ぬし、“政策”の是非を問う事も出来ないだろう
現実に“経済ナショナリズム”が国家共同体の利益を追求していると見るかどうかは保留しても、国家共同体の利益の追求は“良いナショナリズム”の必要条件である事は間違いない
個別資本の利益追求が国家共同体の破壊を結果している今日、個別資本を牽制し共同体を防衛する事は国家の政策の最大使命であり存在理由なのだ
今一つ著者が“経済ナショナリズム”を主張されるには大きな意味がある
国民が“経済ナショナリズム”を認めぬ限り、“政策”は有効に働かない
“国家がナショナル・アイデンティティを自らの統治を正当化する権威として利用し、人々を国民として統合する時、その国家は国民国家となる”
“国家は自分達のために存在するという信頼感が国民のあいだになければ、民主国家はうまく働かない
ネイションとはまさにこの信頼感を生み出すもととなる“
“経済政策”が有効である為には、“政策”の善し悪しより前にまず、国家共同体の政策であるという国民の認識が必要だという事だ
オバマ大統領が改革の理念を高らかに謳い、メイフラワーに遡ってナショナル・アイデンティティを掻き立てたのは、そうした理由だろう
オバマの打ち出す経済政策でこの難所を脱出できるかどうかは解らない
しかし国民の意識を統合出来ぬ限り全ては前に進み得ないのは現実だ
その点、旧通産省は戦後復興をナショナル・アイデンティティとして国民を統合、日本の経済発展を主導した。
現在の日本国家共同体にその様なアイデンティティを見出せないのはとても残念かつ不安な事である
そうした意味で
政府と政策への不信が蔓延する現代、ひとまず国家の政策が国家共同体の利益を追求するものと主張、その政策の有効性は国民の“共同体意識”によって保証されるとされた本書はまことに現実的かつ時節に叶った“啓蒙の書”と言える
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『序にかえて-不都合な真実』
・多くの論者が,次のような時代認識と将来展望を示してきた.「世界経済は急速にグローバル化しているため,国家が経済に対して果たす役割は,大きく後退している.グローバル化した世界では,企業や資本は,非効率な経済システムの国からは逃げていく.したがって,そのような国は,改革を余儀なくされるか,さもなくば滅びるのだ.」
・ところが,現在,国民国家,ナショナリズムは,世界の中で後退するどころか,ますます台頭するようになっているのである.象徴的な事例.中国の石油会社がアメリカの石油会社を買収しようとしたが,アメリカ議会が安全保障を脅かされると言う理由で猛反発し,買収を断念した.フランス,スペイン,ポーランドなどでも類似例がある.なかでも目立つのは,フランス.外国資本による戦略産業の買収に対し,政府が拒否権や条件をつける権利をもつことができる法令を定めた.
・ところが,肝心の経済学の教科書には,ナショナリズムが経済にどのような影響を与えるかについて,まったく記されていない.著者の確信.世界経済は,たしかにグローバル化しつつある.しかし,国民国家はその力を失いなどしない.ただ,国民国家は力を失うと信じ込んだ国が,その力を失うだけである.
『第一章 見失われた十年』
・ソ連と東欧の社会主義国の崩壊後,国家介入ではなく自由市場によって経済を統治するべきであるというイデオロギーが正しかったと確信した.ところが,実際には,冷戦終結後発足したクリントン政権は,戦略的貿易政策や産業政策を提唱して,「経済ナショナリズム」をむき出しにした.後期クリントン政権は,グローバリゼーション増幅の戦略をとったが,その背景にはアメリカの金融技術と情報技術の優位を活かして世界で勝ち抜こうという「経済ナショナリズム」があった.
・経済ナショナリズムがグローバリゼーションを生み出した.グローバリゼーションは,自然発生的なものではなくアメリカという強大な「国家の政治意志の産物」なのだ.
・冷戦の終結後信じられていた,国家権力を排除し,民主主義や資本主義の法制度を準備しさえすれば,市民社会が成立するという自由主義哲学は誤りだった.市民社会を育成し,保護するためには国家権力が必要だったのだ.これがヨーロッパが90年代前半の苦い経験を通じて学んだことだった.
・結局,欧米における資本主義の多様性の論争は,思想のレベルにおいては,ほぼ決着がついたと言ってよい.正しかったのは,「資本主義は国ごとの文化や社会的価値を基底にするものであり,またそうあるべきである」.ロナウド・ドーアは,日本的経営を破棄すべきではないと説いた.しかし,ウォール街やシリコン・バレーから聞こえてくる夢物語にあこがれる日本の指導者は,彼の忠告を聞き入れようとしなかった.
・わが国が見失っていた90年代の世界の動き.①各国は,政府の主導のもと,戦略的に国家の力を強化している.それは,世界経済で勝ち残るため.②資本主義は,国ごとに多様であり,そうであるべき.
『第二章 なぜ経済ナショナリズムの本質を見誤るのか』
・一般に,そして経済社会科学��のあいだでも,経済ナショナリズムは,厄介者として扱われてきた.なぜか?世界経済の戦後史を簡単に振り返ってみる.
・世界恐慌以後の1930年代,各国は自国の国益を守ることのみに目を奪われ,地域ブロックを形成した.各国は自国の経済圏を囲い込み,世界は戦争状態へ突入した.この経験に対する反省のもと,第二次世界大戦以降の資本主義体制を正当化するイデオロギーは,「自由市場こそが,経済を豊かにする最良の手段である」という経済自由主義だった.GATTの締結によって関税の引き下げと世界貿易の拡大に目覚しい成果を収め,世界経済は飛躍的に成長したのである.
・その一方で,戦後の世界では,政府が,財政金融政策によって総需要を管理するようになった.いわゆるケインズ主義である.また,福祉国家の理念が登場し,政府は積極的に経済に介入することが認められている.しかし,これらの理念は,経済自由主義の理念を完全に否定するものではなく,枠組みの中に取り入れられていった.これらは,資本主義では完全雇用や社会福祉が保証できないというマルクス主義の批判に答えるために必要だった
・他方で,60~70年代は,旧植民地,中東諸国を中心に,第三世界が戦線国の政治的支配に対抗するためとして,経済ナショナリズムが有力視されていた.しかし,開発途上国の輸入代替戦略,および中東産油国の原油支配力の低下から,「経済ナショナリズムは誤った経済思想である」というイメージが強まることとなった.
・さらに,80年代には,ケインズ主義政策や福祉国家の失敗が顕在化してきた.そこで,ミルトン・フリードマンらが唱える「新自由主義」が台頭する.アメリカのレーガン政権,イギリスのサッチャー政権など,おなじみの「小さな政府」や規制緩和,民営化といった経済自由主義的な政策を推進した.
・経済ナショナリズムとは具体的にはどのような考え方を指すのか.一般的に.経済ナショナリストは,経済の秩序維持,発展のために国家権力が欠かせないと考える.とりわけ経済発展のためには,政府が積極的に役割を果たすことが重要だとする.そのために,保護貿易と産業政策を使う.国家は戦略的に重要な産業にターゲットを絞り,振興しなければならないとする.
・筆者の考え.正しい点.①経済に対する国家の介入.②自国の政治力と経済力の強化を目的としている.二つの重大な点.①「ステイト(国家)」の利益ではなく,「ネイション(国民)」の利益をどうするかを考えること.②保護貿易と産業政策がネイションの利益に反すると考えた場合には,経済ナショナリストはこれらの政策を採りはしない.さらに,国力増強のためには,自由経済を採用することもある.
『第三章 はじめに国家ありき』
・法制度は,その権威を受け入れ,それにしたがう諸個人が,共通の理解,観衆,制度あるいは文化を共有する場合に有効に機能する.すなわち,近代法が機能するためには,それを受け入れる共同体が必要なのである.つまり,共同体や社会集団がなければ,個人を道徳的に規律することができない.
・歴史を見てみると,大規模で近代的な市場は,自然発生的に形成されたものではなく,国家によって創造されたものである.経済成長とは,社会に帰属し,共同体にアイデ���ティティを持つ社会動物としての人間の活動から生まれるものなのである.
『第四章 本当の「国力」とは何か』
・国家は,人民をまとめるために,「権威」を必要とする.「権威」とは,「人々に有無を言わさずに受け入れさせるもの」である.ここで言いたいのは,どんな経済政策にも,人間がおこなうものである以上,「動機」というものが必要であり,ナショナリズムはその強力な候補となる.
『第五章 「国力」を強化する政策とは』
・筆者の言う「経済ナショナリスト」とは,「国力」を,経済政策によって強化することを目的とする.では,国力を維持し発展するためにはどんな政策手段をとるべきなのだろう?これが本章のテーマ.
・産業政策は,典型的な経済ナショナリストの政策.経済自由主義では,保護主義や産業政策は,市場メカニズムが達成するはずの資源の効率配分を阻害するものであるとして拒否される.たしかに,産業政策には,経済的に見て失敗と言わざるを得ない例が多いように見える.しかし,経済自由主義者と経済ナショナリストとでは,目的が根本的に違う.経済自由主義の関心は,産業政策が経済構成を向上させるか否かにある.しかし,経済ナショナリストは,安全保障や国土保全といった,政治的あるいは社会的な目的も含めた,総合的な国力を強化するために,産業政策をおこなう.
・貿易保護政策.特定産業の既得権益を保護するため,国内市場を閉鎖的にする.あるいは,用地産業の保護は,一定の効果はあるかもしれないが,それは限定的なものに過ぎない.自由貿易とは異なり,保護貿易は世界経済全体の効率化や厚生の増大を妨げる.これが一般の見解.しかし,経済ナショナリストが保護貿易に訴えるのは,正当な理由がある.ネイションの独立と連帯を守るため,工業化を留保し,経済成長を犠牲にしてでも,農業を重視し,保護することがある.
・企業防衛政策.経済自由主義に寄れば,グローバルな金融市場によって資本は最適に配分されるはずである.自由な市場を通じて資本が多く集まる企業が効率的な企業であり,そのような仕組みを通じて,世界全体の経済厚生は最大化するというのだ.問題点.①グローバル資本市場が本当に効率的であるとは言えない.なぜなら,企業の所有者である株主が,経営の現場から離れており,実体を把握していないからだ.②企業の所有権は,単なる物品の所有権とは異なる.企業とは,社会的影響力のある存在である.③企業の所有権は,企業という人間の集団に対する支配権である.株主の政治権力が企業の雇用者の権利を侵害することのないよう,一定の制限を受けるのは当然であろう.
・アメリカは世界的な金融危機を防ぐため,住宅金融公社や保険最大手のアメリカン・インターナショナル・グループを政府の管理下におくなど,強力な政府介入を次々と実施した.国境を越えるとされるグローバル金融市場もまた,結局のところ,その秩序を回復するために,最後は,国民国家の力に頼るのである.
『第六章 経済ナショナリズムを超えて?』
・多くの政治経済学者,財界の指導者などは,国民国家は,もはや世界秩序における唯一の政治主体ではなくなったということを強調してきた.彼らが主張する国際機関,たとえば国際連合などは,諸国家が締結した国際条約のうえに成立しているのであり,国民国家を必要としている.NGOは,活動の実効を上げるために,国民国家の枠組みを利用せざるをえない.というのも,NGOがその目的を達成するためにもっとも効果的な方法は,国民国家の政府を説得し,あるいは圧力をかけることだからだ.
・国民国家より大きく,国際組織より共同体的な政治的枠組みを作り上げることは,文化の画一化をもたらす危険があることにも気をつけなければならない.
・このように考えると,国民国家に依存せず,グローバルな諸問題を解決する新たな政治共同体が,国民国家よりも望ましいものになるとは,とても結論できないのである.
『終章 国力の基本戦略』
・正しい経済政策を実行するためには,ナショナリズムがどのようにして経済を動かすのかを理解しておかなければならない.90年代以降の日本の構造改革について見ていこう.
・第二次世界大戦後の日本は,経済成長を成し遂げるために,保護貿易や特定産業振興策といった,典型的ナショナリストの経済政策を採用した.そして,アメリカとは異質な経済・経営システムによって,高い経済パフォーマンスを実現した.これによって,日本独特の機材システムや産業政策は,1980年代には世界から注目された.
・しかし,1990年代の平成不況により,日本は一転して,伝統的な経済ナショナリズムの政策や,日本型経済・経営システムを否定するようになった.代わりに,経済の柔化や規制緩和といった経済自由主義的な政策を急進的に断行する「構造改革」を推し進めた.
・しかし,構造改革論もまた,実際には経済ナショナリズムの一種.自由化と規制緩和を訴える改革論者は,自国を生き残らせたいというナショナリズムに動機付けられていたのだ.
・今日,わが国は,格差の拡大をはじめとして,ニート,地域社会の疲弊,社会道徳の弱体化,拝金主義の蔓延,社会保障に対する不安といった問題がある.これらは国力衰退の兆候にほかならず,かつ構造改革がもたらしたものだと言えるのではないか.
・イギリスとスウェーデンの大蔵省が共同で発表した政策理念「ソーシャル・ブリッジ」.両者は,ナショナルな価値観を尊重し,国民の連帯を強化し,その連帯から生み出される力を強化しようとしている.そして,それを実現するために,市場ではなく,政府の役割を拡大・強化しようとしている.
・しかし,日本の構造改革論者たちはそうは考えてこなかった.彼らは,経済がグローバル化した時代においては,企業や資本を国内にひきつけるよう,投資先として魅力的な環境を整えなければならないと,繰り返し主張してきた.国家による社会福祉政策や累進性の高い税制は,企業や資本化の負担を重くするだけである.また,市場を制限するさまざまな規制は,投資先としての魅力を損なうものである.こうした政策や規制を嫌がる企業や資本家は海外へと逃避し,グローバル経済の中で,生き残ることができなくなる-これが,ここ十数年,日本を支配してきたレトリックであった.
・ここで強調しておきたいのは,日本の構造改革論者は,国力は,グローバルな資金を外から呼び込むことで強化されると考えている.他方,本書や次世代の政策理念は,国力の源泉をネイションの中に見出そうとする.
・真の国力とは,他国から資源や富を収奪してくる強制力ではなく,富,文化,制度そして思想を生み出し続ける能力である.「富を生み出す力は,富そのものよりも無限に重要である.
----------以下感想----------
「世界はグローバル化し,国家の果たす役割は小さくなる」
これが近年の一般的な見解.
資源問題については,国家が果たす役割が大きいことは認識していた.しかし,本書を読んで,資源以外の分野でも国家が果たす役割はまだまだ大きい.むしろ,経済はいつでも,どこかの国家に踊らされているのではないかという意見に傾いた.
ナショナリズムに対する筆者の考え.
①経済に対する国家の介入.
②自国の政治力と経済力の強化を目的としている.
これに尽きる.日本政府がこの役割を果たしているのか,他国に負けていないか.置いてけぼりではいけない.
真の国力は,富,文化,制度そして思想を生み出し続ける能力である.にも共感.国策がない日本には,「本当の実力」は欠かせない.