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民衆の鬱屈したエネルギーは発火点に達し、ついに燃え上がる。それは旧体制打破の革命を牽引する快挙か?革命を封じ込める旧体制に都合のいい口実を与える愚行か。大衆は政治舞台の主役になりうるのか。民意とは? 政治は民意を反映できるのか?現代に通じるこの葛藤の構図を佐藤はミラボーに託して語りかける。
2009/05/27 14:12
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ややのんびりした第一巻であったが、この第二巻は一気にクライマックスがやってきた。議会における第三身分の主張が貴族の陰謀によって空回りをしている事態に、業を煮やしたパリ民衆が実力行使で革命を牽引する。第三身分にもいろいろある。大ブルジョアジー、大地主、開明的な貴族出身者、弁護士、インテリたちという上層部は議会における論争で革命を進める。ここでは第三身分の圧倒的多数、底辺の民衆が主役になった武力闘争という新たな展開である。
フランス革命といったらバスティーユ監獄襲撃とはわかっていたが、そこへいたるプロセスはまるで知らなかった。私は政治犯を解放するための襲撃だと思っていたのだ。なるほどなるほど、バスティーユとは監獄というより要塞とか城塞であったかなどと、知らないことが幸いしてか、先が読めないサスペンス小説と同様、思いがけないストーリーが展開する。
著者の創作であろう、暴動のきっかけが実に愉快である。策士・ミラボーが劣等児・恋するデムーランにささやく。「あの娘の親から結婚の許しをもらうためには男になる必要がある」そのためには一斉蜂起の主導者になれ。まさに佐藤賢一の面目躍如といったところだ。
ところで歴史的にパリはやたら「燃える」ところのようだ。
しばらく前にビデオで見たルネ・クレマン監督作品『パリは燃えているか』。第二次大戦最後の数週間、ドイツ軍の制圧下にあったパリの解放を描いた大作である。
大仏次郎が膨大な資料を収集してまとめたノンフィクションに『パリ燃ゆ』がある。学者の批判に耐え、だれが読んでも面白いと評価が高い作品だが、圧倒されるボリュームと難しそうで、私は未だ積読のままにある。
なお、『パリ燃ゆ』は1871年に起きたパリ・コミューンを描いたものであって、『パリは燃えているか』同様、フランス革命の話ではない。
第二巻にある「史実」を平凡社世界大百科事典より適宜抜粋すると次のようにまとめられる。こういう比較をすると、いかにこの作品が「学者の批判に耐え、だれが読んでも面白い」傑作だと手放しで賞賛できるのだ。
「89年7月14日、パリの民衆は蜂起してバスティーユの牢獄を占領し、議会を守って旧体制に反対する意志を明らかにした。すでに農民もこの年の春から各地で蜂起し、領主の館を襲い(大恐慌 グランド・プール)、貴族や領主の支配を実力で粉砕する意志を示した。旧体制の維持が不可能であることを悟った自由主義的貴族は、第三身分と妥協し、8月4日、議会は「封建制度を廃棄する」という決議を採択、身分制と領主制を廃止して国民的統一と市民社会の実現を図ることを決定した。こうして民衆と農民の実力による介入を得て、旧体制を根本的に変革しようとする革命の方向が定まった。同年8月26日、議会は「人権および市民権の宣言」を採択した。国王ルイ16世は8月4日の決議や人権宣言を直ちに裁可しようとはしなかったが、10月に再びパリの民衆が蜂起してベルサイユ宮殿に押しかけ、国王と議会をパリに移転させたので、国王もやむなく8月の諸決定を裁可した。」
第二巻の二つ目の山場である。佐藤賢一は10月、パリ民衆がベルサイユに集結し、国王をパリに拉致した事件を抱腹絶倒の喜劇に仕立てている。この主役はパリ民衆、といっても5000人のご婦人方・オバチャンである。人権宣言?個人の自由?そんなことより懐具合が不自由だ、パンをちょうだいよ!と国王におねだりしに押しかけるという寸法だ。これをまた策謀家・ミラボーがそそのかす。大衆におもねる国王の叡慮がここで民衆にパンを配るというハプニング。昨日の敵は今日の友ではないが、オバチャンたちはこのバラマキ行政に感激し、マリー・アントワネットの慈愛に共感。親近感から私たちとパリで暮らしましょうと、相成る。
どこまでが「事実」でどこまでが「虚構」かの問題ではない。フィクションならではの「真実」をそこに見出すのだ。民衆のおろかさでもあり、したたかさでもある。そしてこれがフランス革命に限った現象ではなく、なによりも民主主義国家・現代日本へ向けた痛烈な皮肉であることは指摘するまでもない。
ミラボーという人物がこの第二巻でどうにか明らかにされたようだ。彼は政策を実現するには大衆のエネルギーが欠かせないことを熟知している。一方で政治がシロウトである大衆の手に余るものだということも。彼は政治に理想を求めない。ただ優れた洞察力を持ち、地殻変動による潮流の新たな方向性をとらえる才が図抜けている。その流れに政策を乗せるだけだとする徹底した現実主義者だ。自分こそがこれを可能にすると自信家であり、野心家である。人間というものは、所詮自分のことだけしか頭にないものだと、覚めた目で大衆という群像を見ている。だから万民を納得させるには「魔法」が必要だと奥の手を吐露する。
ここに、いかにも佐藤賢一らしい人物造形がある。
食えない政治家ではあるが、現代という座標軸から見た政治家として、その獅子吼する悪の魅力には凄まじいものがあった。
紙の本
革命の成否を決した女性たちの活躍
2009/04/10 16:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヴェルサイユで打ち上げられた烽火は平民の町パリの要塞で大爆発を遂げ、それが7月14日の革命として結実した。
この小説の冒頭で大活躍するのは、ミラボーの陰謀によって暴発した弁護士デムーランである。パレ・ロワイヤルの行進からはじまった反貴族、反軍隊、ネッケル復活を旗印とするパリ民衆のデモンストレーションは、ついにテュイルリー公園でのドイツ傭兵との武力衝突を引き起こすが、フランス衛兵隊の支援によって竜騎兵を撃退したデムーランは、一夜にして一躍パリ市民の英雄となる。
しかし王と政府は、シャン・ド・マルスなどパリの四囲に強大な外国軍を待機させ、武力介入の機会をうかがっていた。武器には武器で対峙しなければならない。ダントン、マラーなどとともにデムーランを指導者とするパリ市民は、武器が隠匿されていると思われたバスティーユ監獄に弁天橋さながら遮二無二に突入し、ついに難攻不落の要塞を陥落させる。
フランス革命の一里塚は、このような偶然の暴発ともみえる民衆の盲目的なエネルギーの全面展開によって築かれたのである。暴動こそが革命の母なのだ。かくしてパリの権力は、各種ブルジョワ混成軍の手によって奪取された。
このような首都の高揚を人民の果実とせず、王冠の祝祭と化すためにミラボーは、ルイ一六世のパリ訪問を提起し、それは実現される。一七八九年七月一七日、パリ市政庁の露台に上がった国王は、ヴィヴラフランス、ヴィヴルロワの大歓声に包まれた。
ヴェルサイユの憲法制定国民議会は、ミラボーなど保守派の逡巡躊躇を押しのけてルソーがかつて種を播いた人権宣言を採択し、ロベスピエールを感涙させたがその革命的な法案をルイ16世は批准しようとはしなかった。閉塞状態に陥った事態を打開したのは、パリの平民女性の蜂起だった。降りしきる雨の中「パンを寄こせ」とシュプレヒコールを挙げながらグレーヴ広場からヴェルサイユまで歩き続けた彼女たちは、ミラボー、デムーラン、ロベスピエールなどの革命指導者たちを乗り越え、ヴェルサイユ宮殿の内部まで乱入しルイ16世と王妃マリー・アントワネットを実力で拉致し、再びパリに取って返してテュイルリー宮に幽閉する。無名の、無数の女性たちの活躍で、フランス革命は決定的なメルクマールを刻んだのである。
♪女性の蜂起なくして真の革命なし昔も今も 茫洋
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佐藤氏の書く戦闘シーンは、他の作品でも読みどころなのですが、今回もバスティーユ陥落のシーンは、まさに面目躍如です。
映像とはまた違った細かい情景描写と心理描写がすごい臨場感です。
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小説フランス革命2:表紙の肖像はパリの貧乏弁護士デムーラン〜ロベスピエールはミラボーに同行して,パレ・フランスで下級生・デムーランに出会い,「論議だけど重ねて行動を起こさないのなら,女を得られないぞ!」に云わせ,旧宮殿で短銃を発砲させ,「武器を持て」と叫ばせた。それは国民会議を宣言してしまった全国三部会の第三身分部会を守るためだったが,ドイツ傭兵騎馬隊を激戦の末に撃退し,フランス衛兵隊を味方に引き入れてパリ市庁に迫り,スイス傭兵が守備するバスティーユ牢獄を降伏させて,危機は去った。国王は祝辞を述べたが,国民会議が採択した人権宣言に批准を与えず,立ち上がったパリ市民はパンを得ることを求めた女たちだった。雨の降る朝から歩いてヴェルサイユに6時間掛けて到達したフレジール公会堂のミラボーを訪ねたお上さんたちは,国王に宮殿のパンと小麦粉を供出することを約束させ,回廊に泊まった人々は国王をパリに移した。ミラボーは苦々しい思いを抱え,パリに引っ越す準備をしている中,オーストリア大使の訪問を受ける〜今回の主役は,女が自由にならない貧乏弁護士と,その相方の女性だ
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今回は、恋人と結婚したいけど金も力もないので求婚できない冴えない弁護士デムーランが、ミラボーに炊きつけられて、すっかりその気になってしまった挙げ句、成り行きで暴動をぶち上げついでにバスティーユ攻撃までしてしまうお話から。
うわー、デムーラン君かわいそー(笑)
後半は、パンを求めて主婦がベルサイユまで行進するあたりまで。
このへんを読むと、いまだにベルばらが頭に浮かびます。ふるっ!
ところで革命の天使ことサン=ジュスト様はまだかしら?
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佐藤賢一のフランス革命シリーズの2冊目。
だんだん文体の癖にも慣れてきましたw
食べ物に例えるとにおいがきついチーズみたいな。
この巻ではバスティーユの襲撃~10月事件までくらいの時間が経ちました。
1冊目の方が面白かったかなーと思いながら読んだのですが、
10月事件の描き方がなんだかユーモラスで、一気に楽しくなりました。
目に浮かぶような光景というか。
このシリーズのおかげで、ミラボーが好きになってきました(*´艸`)
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フランス革命。人類の歴史において、市民が最も輝いていた時代かもしれません。
そんな歴史的イベントを、上からではなく下から、大上段ではなく、小手から、抽象でなく、具体から語る作者の手法。
面白くないはずありません。誰もが新しいフランス革命を発見するでしょう、彼の作品に。
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民衆の不満は頂点に達し、ミラボーは遂にパリ蜂起のきっかけを作る。バスティーユ陥落だけで一巻もつのかと思ったが、話の持って行き方が上手いなぁ。
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思ったほどのれなかった。カミーユ君のキャラクターの造形はいいんだが。突然切れる、カミーユ君の彼女はよくわからん。でも、リアルといえばリアルだな。作者の女の描き方は、非常に好みが分かれるところで、世の中、こんなビッチだらけなのか?と苦笑しながら読んでしまう。なんだかんだでだいたい作者の本は読んだ気がするが、このシリーズ、次巻以降、読むかどうか悩むところ。
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ミラボーに焚きつけられ、パリはデムーランをリーダーに動き始める。いざバスティーユが陥落され理想に燃えるロベスピエール、そして王政を守りつつ貴族を倒すべきと画策し、また議会が特権となることを危惧するミラボー。ミラボー伯の言ったことが正しかったと、いずれロベスピエールは思うのでしょうか…。理想と現実が既にじわじわと分かれ始めています。デムーランはインテリぶってるけどかなり単純猪突猛進タイプ。「ベルばら」のベルナールのモデルだった彼ですがどのような人生を送ることやら。このままだと突っ切ってすぐ死にそう
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舞台はパリに移り、デムーランのパリ蜂起~バスティーユ牢獄襲撃~人権宣言採択~ヴェルサイユ行進~国王一家のパリ連行まで。世界史の資料集を見るとバスティーユ牢獄襲撃時点でフランス革命となっているが、小説を読むと全然そんな気がしない。というか年表を見てネタばれしてしまったorz3巻からは未読なので、新鮮な気持ちで読めるかな。
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2巻の三分の一を読み終わった時点では、複雑な展開は期待していなかった。ミラボーがすべての糸をひいていた という展開になるのかと思っていた。ミラボーがデムーランを焚きつけてパリ蜂起を起こしたくだりも おそらく史実ではないと思われ、小説なので仕方ない と大目に見ることにしたものの、それだとあまりにも単純すぎやしないか と興ざめしていたのも事実。
が、2巻の終盤、ヴェルサイユ行進~王のパリ帰還の件に及んで、最初の予想は覆された。結局、みなが状況に流されていたのがフランス革命だった と実感できる展開。そうでなくては。
おまけにミラボーと父の確執が、ミラボーの王権擁護の伏線になっていたり、だんだん物語が複雑になっていくのも快い。
これだけだと評価★5つとしたいが、肝心のバスティーユ襲撃の件の盛り上がりに欠けるので★一つ減らします。
思うにこの作者、政争劇を描くのはうまいが、戦闘シーンは不得手なのではなかろうか。
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本書(佐藤賢一『バスティーユの陥落 小説フランス革命II』集英社、2008年11月30日発行)はフランス革命を描いた歴史小説の2作目である。本書ではバスティーユ襲撃からヴェルサイユ行進までを扱う。前巻のミラボーやロベスピエールに加え、本書ではパリ市民に蜂起を促したデムーランがフィーチャーされる。
著者の佐藤賢一氏は濃厚な性的表現が多いことで知られるが、これまでのところ「小説フランス革命」シリーズでは抑え気味である。しかし、ミラボーがデムーランを扇動するシーンなどで卑猥な表現が使われている(48頁)。性愛シーンでないにもかかわらず、性的な表現が盛り込まれているところに著者らしさが感じられる。著者の描く人間像は、人間が性の衝動(リビドー)に支配されていると主張するジークムント・フロイトの人間像を想起させる。
パリ市民の政治への不満は爆発寸前であったが、知識人は批判するだけで、自分からは行動しない臆病者ばかりであった。しかし、ミラボーに焚き付けられたデムーランは「武器をとれ」と扇動する。この演説が契機となって、パリ市民は武装闘争に突入する。
私は新築マンションで大手不動産会社と裁判闘争をした経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。裁判を続ける中で同種の被害に遭った被害者にも数多く出会った。その中には行動を起こす意思はなく、愚痴を聞いてくれる仲間が欲しいだけとしか考えられない人もいた。真剣に相談に乗った自分が馬鹿らしく感じられるほどであった。それ故に行動しない知識人に対するミラボーの失望には共感する。革命への口火を切ったデムーランの意義も高く評価する。
前半のバスティーユ襲撃は変革を求める男達の熱い情熱で突っ走る。デムーランの感情の揺れや興奮の高ぶりは滑らかな筆致で書かれ、読者の胸も高揚させる。ところが、封建的特権の廃止宣言や人権宣言では様相が異なる。理想の実現にまい進するロベスピエールと覚めた目で見守るミラボーを対比させているためである。ミラボーの冷ややかな姿勢のために、人類の金字塔とも言うべき人権宣言にも高揚する気持ち一辺倒で読み進めることはできなかった。
ミラボーは議会の独断専行の危険性を以下のように指摘する。「自らの保身に有利な法律ばかりを通過させて、実質的な特権を築き上げて、あれだけ貴族を責めながら、自らが新たな貴族と化すだけだ」(212頁)。これは世襲議員ばかりになった現代日本への痛烈な批判にもなる。
ヴェルサイユ行進では男性達(ミラボー、ロベスピエール、デムーラン)は傍観者に成り下がった。女性を中心としたパリ市民がヴェルサイユ宮殿まで行進し、フランス国王ルイ16世をパリに連行した事件である。この事件を本書では支離滅裂な女性達の行動の結果として描いている。混迷を深めるフランス革命の行方が気になる終わり方であった。
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デムーランがずいぶんな扱い(笑
ひどいよ、ミラボー。
デモで人が死んでいるけれども、また、名指しで処刑するような暴力は始まっていない。ミラボーが議会の暴走というのでそれを警告しているけど。
でもそれは、デモで死んだ群衆や、バスティーユで撃たれた群衆の積み重ねの上に一線を超えるものなのだろう。
「一線」というのがどこにあるのか。どういうプロセスを経て超えるのか。
この後どうなっていくのか楽しみ。
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早速、デムーラン大活躍。というか、あおられて御輿にされた感ありありですが。
その御輿も、2巻のラストでは恋人に取って代わられてます。
なさけない。
ミラボーとロベスピエールの関係は、どうなるのか?蜜月ではなかったけれどね、決して。情熱と理想で熱くなりがち、ロベスピエール。先が見える上の沈着、ミラボーでしょうか。
場面場面で、表面に出てくる仮面が違うので、ミラボーがよくわからん。でも、好きだな。
ルイ16世とミラボーの握手が、どうパリを動かしていくのか。3巻は、政治力の戦争になりそうな感じ。