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みんなのレビュー177件

みんなの評価4.1

評価内訳

174 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

SFの特質と魅力にあふれつつ、強烈なリアリティを持つ作品。

2009/02/04 21:15

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:紗螺 - この投稿者のレビュー一覧を見る

思いやりが社会の根底にあり、《Watch Me》と呼ばれる医療分子によって人間の体調がコントロールされる《生府》。そこには病や怪我もなく、痛みもない。「でも、自分の身体が他から管理されるなんておかしい。私の身体は私のもの」――そう考える少女が、二人の友人を誘って自殺を図る。中心人物のミァハは死に、トァンとキアンは生き残る。それから十三年、世界保健機構で働く主人公トァンはある事件の中にミァハの影を見出し、彼女を追うことを決意するが――。
一ページ繰るごとに驚きが満ちていた。奇抜な設定、緻密な論理が見事で、読んでいる間息をもつかせない迫力がある。文章のスタイルとして変わっている部分(コンピューターの記号のようなものがところどころに入る)に意味がある仕掛けは、ミステリといってもいいほどだ。最後の最後まで爆弾級の驚きを用意しているといった感じだろうか。
けれど、そういったことよりももっと深く心に響いてくるものが、この本にはある。それはひたひたと押し寄せてくる悲しみ。人間は意識を捨てるのが一番いいのだというミァハの考えは恐ろしく、禍々しくそして悲しい。ミァハの考えを受け継ぎながら、ミァハの影を追うトァンの行動は激しく、悲しい。ぎりぎりのところにいるミァハを受け止めたかったというキアンのひそやかな思いは切なく、そして悲しい。彼女たちの姿を通して、思いやりで支え合っているはずのユートピア、でもだからこそ不自然で窮屈な世界のほころびが胸に迫ってくる。ラストのシーンの荒涼とした寂寞感は、圧倒的のひとことに尽きる。
《生府》というのは架空の世界である。《Watch Me》も他の様々な発達した機械も、もちろん現実には存在しない。それでいて、今という現在につながる部分が、この物語の中には確かにある。民族紛争の背後にある暴力、自殺と人間の意識、社会問題、善なるものの定義。そういった、現実と重なる重い問題を提起している本でもある。純粋に楽しみ、かつ深く考えさせられる一冊だった。

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紙の本

フーコー、バラード、スターリング

2010/03/04 23:41

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

デビューして一年半の間に三冊の長篇を出したのみで逝去した伊藤計劃の遺作。「虐殺器官」もかなり面白かったけれど、これは前作からさらに先に踏み込んでいる。現実のあり得るかも知れない延長を組み合わせて、妙にリアリティのある近未来設定が面白い。

今作では、人類社会が未曾有の災厄に見舞われ、人間の資源としての希少価値が極端に増大し、結果、各成員の健康維持が社会の至上命題と化した「生命主義」社会が舞台となる。

生命主義とは、「各構成員の健康の保全を統治機構にとっての最大の責務と見なす」ことで、成人を恒常的健康監視システムに組み込むこと、薬剤、医療処置の大量消費システム、生活習慣病予防のためのライフスタイルへの助言を、人間の尊厳の最低限の条件と見なす考え方、となる(P54-55を適宜要約)。

各人はWatchMeと呼ばれる体内環境の監視装置をインストールし、その観測に従って健康に努めなければならない。そこでは身体は私的な自由に従うものではなくなり、「社会的に希少なリソース」ゆえにほぼ全的に「公共的」なものとして扱われる。つまり、健康至上主義で生政治の極点に達し、愚行権(というか「幸福追求権」といった方が分かりやすいのかも)が極端に切りつめられている。

「人類は今や、無限に続く病院のなかに閉じこめられた」

タバコは禁止され飲酒は社会常識的にあり得ないこととされ、果てはカフェインすらが白眼視される。人を傷つけたり、嫌悪を催させたりするものはことごとく遠ざけられ、検閲されて視界から消されていく。人々はそれぞれが希少な価値ある存在であり、それがゆえに優しく見守られ、優しく見守られ過ぎる。

そして国家はほとんど解体し(夜警国家化)、生府(ヴァイガメント)と呼ばれる各々の合意によって運営される共同体が林立している。そこでは中心的な権力者はいない。

これらは明らかにフーコーの「生政治」に基づいた設定だろう(実際作中でフーコーが引用されている)。そして主人公たちは、そんな優しさのファシズムに覆われた世界に憎悪を燃やし、「公共的身体」となった自分自身の身体を自分の手に取り戻すために自殺を試みる。

これが冒頭部分の物語だけれど、この出だしは近年のバラードが病理社会の心理学シリーズで描いてきたモチーフをなぞっているように思える。

監視社会化が進み、セキュリティの保証された社会で死んだように生きることに耐えられなくなった人々が自ら危険を求めるような行動をとる、というのがバラードの近作の乱暴な要約になるかと思うけれど、伊藤計劃はそれを叩き台にして、そこからさらに先へと踏み込んでいく。

さらにブルース・スターリングの「ネットの中の島々」が参照先として暗示されている。

スターリングの他の作品を読んでいないのでとりあえず「ネット」しかわからないけれど、冒頭に出てくるトゥアレグ族はまさに「ネットの中の島々」で重要な役割を持つし、マリ共和国も出てくる。たぶん「生府」の「合意員(アグリーメンツ)」というのも「ネット」の「ライゾーム」という企業共同体に範をとったものだろうと思う。「ハーモニー」でのジュネーヴ条約軍というのも「ネット」のウィーン条約機構をネーミングに使っていると思う。これはただガジェットを名前だけ借用したというのではなく、ネットが遍在している社会という舞台の重要な参照先なのだろうと思う。他にもいろいろ共通点を見いだせると思うけれど、「バラードの心でスターリングのように書きたい」という伊藤氏の言葉は伊達ではなかった。

言ってみれば、フーコーを使って、バラードとスターリングの問題意識をより深く突き詰めてみようとしているのがこの小説なのだろう。そんな伊藤氏がバラードより、スターリングよりも先に死んでしまうというのは悲劇としか言いようがない。

科学技術の進歩によって、人間の人間性がどんどん解体されていくところをこの作品は描いている。すでに現代においても、精神病は薬で治すものとなりつつある。感情、性格、性向なども薬物等によって影響される事例はしばしば目にする。脳科学、認知科学の進展は、人間の意識や感情などの、こういって良ければ「神秘性」をプラモデルを分解するように即物的に解体してきた(といっていいのかな)。

サイバーパンクとはテクノロジーの領域への批評的な視点だと伊藤氏は書いたけれど、テクノロジー、メディアの進歩、変化が、人間をいかに変えるか、ということが伊藤氏の諸作を貫く重要なテーマだということは間違いないだろう。伊藤氏は、とりあえず私の読んだ三作(「虐殺器官」「ハーモニー」「The Indifference Engine」)すべてにおいて、人間の意識、認識、情動等に対するコントロールを扱っている。「人間」にとって、意識や感情といったものは特権的な位置付けを与えられてきたと思うけれど、伊藤氏は進化論や脳科学、認知科学の知見を使いつつ、その特権的な位置づけを突き崩していく。

ここらへん、小説の核心に関係するので書きづらいのだけれど、様々な知識を動員して人間の「人間性」とは何か、そして人間の終焉を小説は描いていく。サイバーパンクは技術による人間の変質を描くと言うけれど、今作はそれを極限までドライブさせてみせた強烈な代物だ。

管理社会ものの定番といえば、奪われた人間の尊厳を取り戻す、というものだけれども、ここではその尊厳自体が解体されてしまう。生政治、生―権力の極点としての姿。これは「セカイ系」と呼ばれるものへの批評的スタンスでもあるだろう。「セカイ系」を定義するのは面倒だけれど、世界が個人の実存に従属するものとして現れるもの、という感じで私は捉えている。自意識の問題というか。ここはちょっとご意見ある方もいるかも知れない。で、「虐殺器官」について、伊藤氏はこう書いている。

「社会そのものが、テクノロジーを経由して、個に投影される、という。だから、「虐殺」をセカイ系だという方もいらっしゃたんですけど、それはちょっと待て、違う、流入経路が逆方向だ、と(笑)個がセカイに直結しているんじゃなくて、セカイが個に直結している。逆セカイ系なんです」

というように、伊藤氏には「セカイ系」に対して批評的な観点がある。「ハーモニー」にも「涼宮ハルヒ」ネタの引用があったけれど、それは「セカイ系」的問題がやはり関心にあるからだ。そして、「虐殺器官」が「逆セカイ系」だとするなら、「ハーモニー」は「セカイ系」の枠組みそのものを破棄する。人間の「人間性」それ自体が問われるならば当然そうなる。「セカイ系」の端緒となった作品ととても類似した部分が存在するが、その意味合いは対照的ですらあるように。

バラードの「溺れた巨人」にフーコーの「そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」というナレーションが被せられる映像を私は想像する。

できれば、同時代を生きながら、新しい作品を読み続けたい作家だった。
元記事と補記

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2009/01/25 09:17

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