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表題作は第140回直木賞候補作です。
なんだか共感してしまった。
おじさんは性の対象ではないが可愛いと思ってしまう。
おばさんもだが。
そう思えるのも家族のおかげかしら。
暖かい家族に育って良かった。
今は多少怪しいが…。
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四半世紀も私にくっ付いたまま離れない指が、今日もキーボードを叩いていた。
昔、ユーラシア大陸の右端に、小さな国があった。
私は昔、狩をしていたことがある。
「いたわり」という感覚が全ての人間に備わっているのは不思議だ。
山崎ナオコーラの新作「手」の中に収められている、4つの物語の出だし。
いつも思うのだが、彼女の小説は僕にとって読みやすい。かなり読みやすい。
年齢が近いからか?はたまた登場人物が僕にとって身近な存在だからか?やはり、年代が近い=感覚が近いような気がする。
今回の小説では特に、「手」の中の25歳の女性。似ているような気がする。
きっと僕だけ感じる感覚ではなくて、この年齢の人は強く感じていると思う。
どこか、現実逃避をしているのだ。
仕事にせよ、趣味にせよ、攻めているようで、逃げている。きっと寂しがり屋が多い。この25歳女性寅井さんは、寂しがり屋。けれども、気づいていないのだろう、本人は。
好きな一文を書いて、締めくくりたい。
京浜東北線の社内は、ほど良い混み具合で、皆でビル群を抜ける。そんな中、隣りで吊革をつかんでいる二十七歳の男が泣き出すのを眺める、というのは素敵な体験だ。
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ひどく純粋な童心と冷静な大人心が巧みに絡み合って、20代の女の子としての主人公亀井さんがとても身近に見えた。
同時に、亀井さんの面白い価値観が見え隠れして、陳腐に終わらせない素敵な要素になっている。
おじさん、菩薩、お墓。こんな見方もあったのね。
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芥川賞候補になっていた表題作の『手』の他に、『笑うお姫さま』『わけもなく走りたくなる』『お父さん大好き』の4篇収録。
『手』
25歳のOL、寅井さんが主人公。
おじさんの写真を載せるHP、「ハッピーおじさんコレクション」をつくることで幸せを感じているおじさん好きのちょっとズレてる子。
なんだか、おじさんをほくそ笑む趣味がちょっと悪いなぁ、と思う反面、うちもこうやって誰かを影で笑うことをやってるわ〜、と黒い心がむくむくした。
ナオコーラの小説はめっちゃ正直な気がする。
寅井さんの菩薩に対する描写が面白かった。
━大河内さんは、私のことを「可愛い」と言う。自分は自身の見た目に全く気を遣っていなくて、でか過ぎるスーツを着て、長過ぎるストラップの肩掛けカバンを持って、ハゲの上に伸ばした髪を載せているのに、女の見た目に対しては評価する基準を持っていて、それに関して「他の男とは違う、女を見る独自のセンス」「いわゆる美人とは違う女の良さを、わかっている自分」というものがあると信じ切っている。おじさんという人種の持つ図太い精神に、私は圧倒される。
寅井さんが読んでた金子光晴の本が読みたい!
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「朝になり、森さんのアパートの最寄駅である大森から京浜東北線に乗って、新橋の会社へ移動する。車内を見渡すと、男がたくさんいた。そうだ。男というものは皆、繋がっている。男は、長い長い道だ。」『手』
ああ、ほっとする。山崎ナオコーラの文章はいい。読みながら、はらはらしたり、何が起こってしまうのかとどきどきしたり、期待してわくわくしたりしなくても、坦々と進んでいるような、何もないような顔をしながら、その実、様々な思いが胸中で渦巻いているのに敢えてそれを大袈裟に言葉にしたりするすることのない、そんな小説が好きなのだ。いつもいつも、こればかり言っているような気もするけれど。
どこかで山崎ナオコーラは、自分自身がカメラになって世界を写し取ってそれを文章にしたい、というようなことを言っていたと思うが、この本に納められた文章には、そんな彼女の体(時に人はそれを、フィルター、とも言うだろう)を通して切り取られた風景が満ちている。ここに山崎ナオコーラに対する、個人的な思い入れの根源がある。
もちろんそれは、単純なカメラではない。そもそもレンズが向けられた先はカメラでありカメラを持つ人でもある山崎ナオコーラ自身が選び取ったものだ。そこに映った風景に「意味」という色を付けるのも、また、カメラであるところの作家である。どうしたって作家の思いが溢れてくる。そして、それが余りにも隠し立てのするところのない態度で「色」をつけているものだから、時として少々扇情的な言葉として読まれてしまうこともある。しかし、それが彼女の文章の良さの本質だとは思わない。
恐らく、柴崎友香の文章に感じるものと同じようなものを、自分は山崎ナオコーラの文章にも感じているところがある。それは言葉にしにくいものでもあるのだけれど、目の前に広がっている現実をあるがままに受取ろうとする態度なのだろうと思う。やはり、そんな風に言葉にしてみると何かが違ってしまうのだけれど、受取ろう、というのは、世の中に自分の見たいものだけが存在していている訳ではない、という理解のことである。逆に、それ以外のものは存在していないかのような言葉で埋め尽くされている本もあると思う。それとの対比という訳ではないのだけれど、山崎ナオコーラの本にあるその態度に安心ができるのだと思う。
ただし、山崎ナオコーラはかなりはっきりと見えたものを断定するような言葉を使う。その句読点と句読点の間に随分と連想の飛躍があるようなことも、どんどんと言葉にして連ねていく。その小気味よさも、もちろん感じるのだけれど、そのキッパリとした言葉とは裏腹に、彼女の中に存在するであろうモヤモヤとした感情が、あちらこちらでこぼれ落ちているところも好もしい。そんなことを知ってか知らずか山崎ナオコーラは言葉を重ねていく。それをどんどん自分は読んでいく。
映画になったりする部分も、もちろん山崎ナオコーラの文章の中にあることなのだし、この本の帯にある(これはひどいコピーだと個人的には思う)扇情的な要素がないとは言えないけれど、それは必ずしも山崎ナオコーラの本質的な魅力を捉えることに繋がっているとは思えない。それでも、この本の山崎ナ���コーラには改めてそんなことを突き抜けたような雰囲気がある。それはとてもすばらしいことだと思う。
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相変わらず不思議な小説、特に表題作『手』が。読者を選ぶ作風だ。
『笑うお姫さま』は童話風。他に2編収録。
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わたしは、この作者の書く女性が好きじゃないっぽい(´・ω・`)
何考えてんのか、よくわかんないんだよなあ。共感できない。
というか、おじさんとデートしようという気がまっっっったく起きないので、共感のしようがない。。。
物語は淡々と進んでいく感じ。
大河内さんとはその後どうなったんだろう?
相変わらず同じ会社で働いてるんなら、毎日顔会わせてるんじゃないの?
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書き下ろしとそうでない作品の質の差がハッキリしていたという印象。けれどもハッとする表現がいくつもあって、よく練られているだろうにさらりと入ってくるのは素晴らしいと思う。
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「手」という短編は、きわどいけど、うなづけるところもあった。
ちょっとうらやましく思えたり。
主人公に共感する部分もあった。
他の短編は、めっちゃ短いものもあったりで、不思議な感じ。
最後の短編だけ読めずだったので、また読みたいです。
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なるほどねぇ、おもしろい。おもしろいけど、共感できるかというとそうではない。まだまだチャレンジしているんだなーと感じました。
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若者っぽい話。
病的にドライだと思った。
ハッピーおじさんコレクション。
お姫様は高らかに笑いながら、空に帰っていきました。
そうそう、女は魔物。
巻末の、お父さん大好きは、内容を忘れてしまった。
また読む予定。
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意外と面白かった。というかスラスラ読めた。
ロリコン文化に対抗したファザコンサイト。
純粋におじさんが好きなわけじゃなかったのね。
ちょっと、ちょっとだけ怖さを感じた。
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なんだかさ、読むたび彼女の魅力が分からなくなっていく。
もうこれで最後にしようとおもってしまった一冊です。
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図書館にて。
この人すごいな。きっついし、腹黒くて毒舌。
「これが社会なのだ」「私は最後まで笑っていた」
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森さんの別れの言葉で「生理的に」っていうのがあったけど、言葉の意味わかって言ってるのかってどついてやりたくなって、しかも、寅井さんの優しい言葉かけに泣くぐらいだったら、始めから、やめときなさいと野暮な説教をしたくなる。
でも、寅井さんの言葉を借りて言えば、これが社会なのかもしれない。
寂しさをアピールしつつ近寄る大河内さんもなんだか気持ち悪かったし後味悪い。
ナオコーラさんの作品の登場人物は、自分の知り合いのキャラとかぶることが多く、つい身近に感じてしまうのだ。