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戦後から昭和30年代まで、京都と東京にあったバーおそめは、
著名人(男性)で賑わい、その時代のHUBみたいな役目をしていたのだなと感じた。
そして、客が客を呼ぶ、お金がお金を連れてくるといったような場所でもあったのだろう。
連鎖が次の連鎖を呼ぶように。
おそめさんの全盛期に会ってみたかったなと思う。
人をとらえて離さない、「人気」の正体っていったいなんだろう。
「男に好まれる女の魅力は、女には理解されない」
といったことが、どこにいても同業者、同性の嫉妬を買ったことに現れているが。
人生はいいことも悪いことも半分ずつなのだなと感じる。
おそめさんは稼いでも、いろんなところでチップをばらき、金はあるだけ使ってしまう。
内縁の旦那が原因で、家庭や類縁関係は複雑だった。
また、興隆を極めたバーおそめは
「屏風とお店は大きければ大きいほど倒れてしまう」、
「おできとお店は大きければ大きいほどつぶれる」
というたとえどおりになってしまった。
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人を「もてなす」ということ
仕事をして「お金をもらう」ということ
一人の人を「愛し続ける」ということ
小説では得られない、心に迫る感じ。
誰かと強くつながりたい、と最後には思わせる本だった。
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祇園の元芸妓さんの半生記。
清楚な見た目と違い、飛行機が珍しい時代に京都と銀座を飛行機で行き来したり、銀座でライバルとやりあったり…と行動は大胆である。
その一方、異性についてはひとりの男を愛し続ける古風な一途さがある。
そのバランス感覚に柳のようなしなやかな強さを感じさせる。
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実在の人物について書かれたもので、これ程までに曇りのない目、寄り添うような温かな目線で書かれたものを、私は知らない。
白州次郎が通い詰め、川端康成がこよなく愛したバー「おそめ」のおそめママ。川口松太郎が彼女をモデルに描いた『夜の蝶』は一世を風靡し「夜の蝶」は華やかで妖しい夜の女たちの代名詞ともなった。その「夜の蝶」でありおそめママであった上羽秀なる女性は、文壇バーの世界の頂点を極めるに相応しい美貌と知性の持ち主であったことは勿論だが、世に知られたイメージとは正反対といえる素顔を併せ持っていた。その素顔が、著者のこれ以上ない程の丁寧でゆっくりとした文章で浮き彫りにされていく。
「夜の蝶」なる言葉にまつわる苦い思いが、私にはある。
Aさんは、59歳のケアマネジャーで私の部下だった。プロレスラーだったご主人を若くして亡くした未亡人でもあり、三味線と小唄を嗜み、訪問先のお年寄りに請われると一曲披露して帰ってくる、そんな異色のケアマネだった。半年前、定年まで1年を余し「これからは趣味に生きたい」と退職する事になったAさんを、後任として入った若い社会福祉士に紹介した。ひと通りの紹介の台詞の後に、「“夜の蝶”になるんだよね、Aさんは」と言った私のひと言に彼女はキレた。退職後は趣味の腕を磨き、やがてはお座敷デビューをも目指していたAさんは、本気とも冗談ともつかぬ調子ながら、「“夜の蝶”になるのが夢なの、ワタシ」と自慢していた。目をキラキラせながらそう話していたのは、他ならぬ彼女自身だったのにだ。
人からはそうは言われたくない。この言葉に込められた危険なニュアンスに私は無頓着すぎたのだった。
今は京都に隠棲する主人公の、「夜の蝶」であった過去をある意味で暴いてしまうことは、一歩間違えば下衆な暴露話に成り下がってしまう危険を孕んでいる。事実、今更書くことに抵抗を示す主人公の関係者も居たという。
毎日新聞の囲碁欄の記者という、これまた異色の経歴の著者は、写真を見る限り和服の似合う知的美人だ。彼女が、おそるおそる主人公を訪ね、「この箱は棺だ。中には、おそめ、と謳われた女の亡骸がいっぱい詰まっている」と書き著した、夥しい数の写真が詰められた小箱を見せられた場面から、この著者をしてはじめて描きえた真実の物語ははじまったと言っていい。
大宅壮一文庫は、物書きや研究者には欠かせない記事検索目録と膨大な雑誌の蔵書を誇る特異な図書館だ。また、優れたノンフィクション作品に贈られるのが大宅壮一ノンフィクション賞なのだが、『おそめ』はその年の最終候補にまでなった。一読すれば、著者が『おそめ』を書き上げるために、やはりこの大宅文庫の記事検索を活用したであろうことは明らかだ。昭和30年代を中心とした時期の膨大な数の「おそめ」関連の記事が引用されている。
しかし誠に皮肉なことに、引用されている数々の主に週刊誌の記事は、著者の目線とは正反対の色眼鏡に満ちている。あらかじめ、夜の蝶とはこんなものという偏見に溢れた決め付けと、結局は書く対象を揶揄するしかない、最早あわれとさえ思える雑誌記事の下劣性を露呈している。
著者の石井妙子は、まるでレンズに張り付いた色セロファンを一枚一枚丁寧に剥がしていくように、世間に流布してしまった虚像の虚を剥ぎ取っていく。ゆっくり優しいその真相への迫り方、描き方は、物語の素晴らしさを超え、読むものに著者への敬意を抱かせずにはいない。
先日、Aさんからお礼の電話があった。
在職中にいただいたヒルティーの『幸福論』のお返しに、何か一冊プレゼントしようと長らく考えた末、『おそめ』を差し上げたことへのお礼の電話だった。
「室長、いただいたご本読ませていただきました。素晴らしい一冊をホントにありがとうございました。それと・・・アノ、辞めるときに言った大変失礼なこと、スイマセンでした。私は馬鹿だから。許してくださいね」
魅力的な女性が、ここにも1人いた。
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面白い。読み応えあり。
白州次郎、寺島しのぶ、などについて、見る目が変わった。
女の子の育て方、東西の文化の違い、金銭感覚、家族関係、老い、ビジネス、時代など多方面に考えさせられた。
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ノンフィクションはあまり読まないのだが、腰巻の“白洲次郎が通った。川端康成が愛した。”という文句に惹かれて買った。
京都に生まれ、芸妓となった“おそめ”こと上羽秀。瞬く間に多くの客の心を捉え、やがてバーのマダムとなったおそめは銀座へ進出、いとも簡単に成功を収める。
その生い立ちも人間像もすべてがあまりにもドラマチックである。あっと言う間に引き込まれた。天真爛漫、素直すぎるがゆえに銀座のバーのマダムたちをはじめ周囲の女性たちには理解されずにきたおそめだが、取材者であり作者でもある石井氏が(おそめ本人が饒舌に語ったわけでもないのに)おそめの本質というかその時々のおそめの心情をよく理解し掘り下げているのが、読んでいてとても気持ちがよかった。
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『夜の蝶』と言ったら、今じゃ派手派手しいイメージの言葉ですが
元はあんなにも無垢な女性を指した言葉なのですね。
水商売の女の人の印象を覆された感じ。
とても不思議な夫婦だった様ですが、連れ添えて幸せでした、と思える程に一途に思われてたのですね。
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一橋MBAの楠木建教授推薦の一冊。これまたおもしろい。
京都出身、「おそめ」という昭和初期のバーを経営した上羽秀さんの半生を著している。
この人は、旦那に尽くしつくした「秀」としての一面と、バーで客前に立つ「そめ」としての2つの顔を持ったように思える。
詳しくはぜひ本書を手に取っていただきたい。大成功した「おそめ」であるが、どの経営者にも共通でいえることは、たいがい成功している経営者というのは仕事自体を楽しんでいるプレーヤーであるということだ。
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サブタイトルの通りの伝説の銀座マダム。男の小説家が書くヒロイン(化粧をしなくても美人、いるだけでそこが輝いている、芯が強いけど男を立てて万事に控えめ、自分からなにもしなくても男たちが寄ってたかっていろいろとやってくれる、etc…)って、女の私から見てどうもピンと来なくて、そんなキャラって男が都合よく作っているだけじゃないのか?って思っていましたが、「おそめ」を読んで、そういうキャラの人がほんとうにいたんだ、ということにまずびっくり。これでは錚々たる文士たちが放っておかないわけだ、と納得しました。おそめと対比されて登場するエスポワールのマダム川辺るみ子はおそめとは対照的に一所懸命にがんばっちゃうキャラで、晩年は辛いことが多かったようだけど、凡人の私としてはるみ子さんのがんばりに1票投じたい感じでした。
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読書でもなかなか出会えない人生観。日本の歴史の変遷や新陳代謝の重要性、自分に正直にいる意義など。沢山の業種業態の人に通ずる普遍性のある良書。
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図書館でたまたま見つけて、読み始めたら止まらなかった。俊藤浩滋が富司純子のお父さんとは知ってはいたが
秀さんと俊藤さんがの間にこんな複雑な人間関係が渦巻いていると知って衝撃だった。秀の母親がどんなに反対しても、俊藤との関係は死ぬ前ゆらぐことはなかった。
戦後から銀座のクラブやホステスが今の形の営業にどう変わっていたか、非常に興味が深い。
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この本を読む直接のきっかけは楠木健の戦略読書日記を読んだことから。そちらでは映画「夜の蝶」のモデルになったおそめの上羽秀とエスポワールの川辺るみ子がそれぞれ違うタイプのクラブのマダムとして銀座位置の人気店を争い、やがて新興の地方出身店がマダムではなく若いホステスを中心とした店を作り、女の子は他店から引き抜き、豪華な店構えの一方で金さえあれば敷居は低く、ボトルキープや指名制という今では当たり前のシステムを作り古いクラブは淘汰されるというビジネスモデルに注目されていた。また、夜の蝶では秀と川辺が白洲次郎をモデルとした男を取り合い最後は二人ともこの男のもとへ車を走らせぶつけて事故で死ぬという演出がされている。しかし、おそめこと秀の物語で面白いのは朝の連ドラにありがちな女の一代記のほうだろう。
京都木屋町の石炭問屋として成り上がった祖父とその放蕩息子が見初めた西陣の織屋の娘よしえ、長女として生まれた秀は祖父にかわいがれ何不自由なく育つが、妹の掬子はほおっておかれしっかりした子に育つそう言う家庭だった。ある日夫の不在を狙って義父元三郎がよしえに夜ばいをかける、実家に逃げ帰ったよしえは連れ戻され、いじめを受け再び元三郎が夜ばいをかけ今度は夫の元善の知る所となるが元善はすでによしえに飽いており、情婦を家に連れ込みよしえは下女扱い、そして掬子までもがいじめられるようにりよしえは二人を連れて飛び出した。「呪うてやる」よしえの呪いが通じたわけでもなかろうが元三郎の急死と元善の放蕩で三年も持たず店は潰れた。
よしえはカフェの女給として働くが二人を育てることはできず妹の掬子は義兄夫婦に預けた。母親に棄てられたとの思いを忘れられない掬子だが後に秀が開いたバーを何度も手助けしている。よしえは死ぬまで秀をかわいがり続け、秀の夫になった俊藤浩滋のことは死ぬまで信用せず、仕事をして溜めた金は秀のために残した。
小学校卒業となり成績は良かった秀だが昔からの夢の通り舞妓になることを決めた。よしえはなぜか京都ではなく東京新橋の置屋に秀をあずけ3年後には寂しがる母に京都に連れもどされた。どこに行ってもかわいがられ少なくとも金の苦労はあまりしなかったことや、東京のきっぷの良さや地味で渋好みの着物、一方で客の前ではでしゃばらず控えめにいつまでも話を聴く秀のスタイルは東京、京都というそれぞれの土地で後に異彩を放つことになる。本人が意識していないが差別化された店ができたのだろう。
舞妓になっても流派が違い踊りが得意なわけでもない、しかし酒は強く旦那集にはかわいがられる秀は周囲からは浮きいじめられるが意に介さない。後に舞妓をやめ俊藤と一緒になることを決めた時にわかるように外柔内剛で言い出したら聴かない心には強いものがある。そして秀は水揚げの時期を迎えるのだがその相手は松竹の白井信太郎、生家の向いにすみ息子は幼なじみだった。白井は秀に愛を注ぎ、何でも与えようとしたが秀は白井に囲われても愛情は持てなかった。そのころ出会った俊藤と一夜で恋に落ち子供を妊ると白井は何も言わず秀を住まわせた家を与え身を引く。本書では白井のことは仮名で書かれている。
俊藤と暮らすようになった秀が始めたのがバーおそめ、カフェで女給として働くと秀似合いにくる客があまりに多く馴染みの客に相談し自分の店を持つことになった。改装費用は大野伴睦、洋酒は京都西川の社長らが引き受けた。木屋町仏光寺の白井の残した自宅を改装し伝説のバーが開店した。会員制というか一見さんお断りそうしないとすぐにいっぱいになる店で服部良一、朝日新聞の門田勲に連れてこられた大佛次郎、そして戦前文壇茶屋「大友」で遊んだ面々がおそめの常連になりその後東京進出に当たっても常連として秀を助けた。当時の秀を白州正子は「白拍子かお巫女のよう」と評し正子の師で美術評論家の青山二郎は「織部の傑作」と書き留めた。
このころの俊藤はほぼヒモだ。しかも秀には内緒だったが妻子がおり籍もはいったまま。秀の娘、高子の一つ上の義理の姉が後の富司純子、尾上家に嫁入りし五代目尾上菊之助や寺島しのぶは俊藤の孫に当たる。秀はそのまま籍を入れず俊藤一家をまるごと面倒みることを選ぶ。そして秀の家の権利はいつのまにか俊藤名義に書き換えられてしまい、母よしえはいつか秀が捨てられると思い込んだが意外なことにそうはならなかった。
秀が東京に進出し銀座ナンバーワンの店になったあたりが絶頂期だったのだろう。飛行機で往復する秀は飛行機マダムと呼ばれ有名になった。しかしその後東京、京都とも店を大きくしたのが失敗で、秀に人を使う才能はなく、しかも金銭感覚がない秀はすぐに人に物やチップを渡してしまう。秀の人生観ではお金は流れるもの使うものでいつでも入ってくる物だった。
昭和23年に木屋町の小さなバーとして出発し、30年に東京進出。そして夜の蝶が発表されたのが32年で35年には京都のおそめ開館を俊藤が中心となって新装開店したがここから転落が始まりこちらは5年後の40年に閉鎖、それでも京都のおそめ開館は唯一美空ひばりがクラブで歌った店になった。しかもギャラはおそめの着物でだ。36年には店で使う洋酒が偽ものだと言うスキャンダルにはまり、新興店に人気を奪われていく。秀が川辺るみ子にだけ打ち明け銀座の店をたたんだのが昭和53年。そのころにはもう文壇バーと言う文化もなくなっていた。
バーおそめの凋落とは逆に俊藤は映画プロデューサとしてデビューし東映の任侠路線シリーズを作り上げた。山口組最高幹部の菅谷正雄は幼なじみで若いころからヤクザとつきあいがあり、一方でおそめつながりで映画界に知り合いができていた。その縁もあり鶴田浩二の引き抜きや巨人の水原監督の東映移籍を仕切り(いずれも35年)当時の大川社長から買われた。そして娘の純子とともに東映任侠路線を盛り上げていく。「仁義なき日本沈没」では役造りでほんまもんのヤクザはそんなことはしないなど、とにかく配役から演技指導まで俊藤が仕切ったらしいことが書かれている。そしてその集大成が仁義なき戦いだった。
秀は家に入ると俊藤につくし俊藤も秀のつくった者しか食べない、また俊藤も金銭感覚のない秀に苦労をかけないようにという心構えもあったらしい。二人は77歳と71歳で籍を入れた。世間的にはひどいヒモの様な旦那だったがそれも全て受け入れ最後は俊藤も秀の手のひらの中で踊���ているように見える。
ラストシーンでは著者の石井さんを見送る秀がワカリマシタカとつぶやきかけている。「うちのこと、わかりましたか」店をやったのも客に楽しんでもらいたかっただけでそれが自分でも幸せだったのだろう。いわゆるやり手ではないし、経営者にもなれない、でも出入りの小僧相手にも優しく接し分け隔てはない。他の店のままに攻撃されてもあくまで軽く柔らかくいなす。だいたいが物欲もなくなんだか浮世離れしたところもある。巫女か白拍子のようにこの世のものとは思えない所と織部のどっしりした土の景色が同居するとはどういう人なんだか。表紙の写真は店を慈しむ柔らかな表情が印象的だが。
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[無垢なる夜の精]戦後間もない頃に「おそめ」という名のバーを京都と銀座に開き、文芸界に属する人々をはじめとした著名人を文字通り虜にした上羽秀。そんな彼女に期せずして魅せられてしまった著者が、浮き沈みのあった秀の人生と、一筋縄ではいかなかった往時の人間模様を記した作品です。著者は、約5年をかけて本作を執筆したという石井妙子。
川端康成や大佛次郎、小津安二郎や白洲次郎と、「おそめ」に通った人物たちの名前をあげれば、いかに「おそめ」がとんでもないバーであったかが察せられると思うのですが、本作では何故に「おそめ」がこれらの人々を魅了したか、そしてその魅力ゆえに彼女自身はどのような苦労を経験しなければいけなかったかが丁寧に記されており、(まったくもって良い意味で)まるでよくできた脚本を読んでいるかのようでした。石井女史により書かれなければ、「おそめ」は誰しもの記憶からいつか消えてしまったであろうことを考えれば、単なる読み物以上の意味を有しているのではないでしょうか。
「おそめ」を軸に戦後から高度成長期にかけての京都、そして銀座の変貌ぶりがわかるのも興味深い点。特に(?)一世代ぐらい前までの人々にとって「銀座」という響きが有していたであろう艶やかかつ「大人もの」の雰囲気の淵源が、「おそめ」を始めとした銀座のバー、そして雇い上げた(当時は女給と呼ばれていたようですが)ホステスではなく、自身の魅力で勝負を賭けたママたちにあったことがよくわかりました。
〜うちはほんまに可愛がられました、せやけど、その分、憎まれました。〜
自分もいつかは銀座が似合うオトナに......☆5つ
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夜、酒の入った時の話は皆したがらないだろうし、当時のお客さんも鬼籍に入られた方が多い中、取材には大変な苦労をされた事と思う。しかし、文壇の大先生、各界の著名人を集めたという秀の魅力、おそめの本当の魅力は言葉に表せない所に有るようにも感じた。夜の世界の何か上澄みだけを飲まされているような感覚が拭えない。
年をとり、幻覚と現実の境目を失い始めた秀を見つめる著者の目線は暖かく、秀やその家族を守るためにあえて書かないことも多かったのではと推測した。そういう点では単なる暴露本ではない優しさをもったノンフィクションだったのかな。
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夜の蝶と呼ばれる女の世界が生々しく描かれた作品。文豪やタニマチも実名で登場。主人公おそめの生き様は清らか。身なりは地味に、男性を立て、義理堅く、稼いだお金は潔く使う。また、お客様に対するサービス精神も学ぶところがある。共感出来るところが多い一冊。