投稿元:
レビューを見る
一晩で一気読みでした。あまりに酷い、世の中は理不尽で不平等です。救いなんてちっともない。本のタイトルがどこから来ているか知った時、被害者や遺族のつらさの一端をほんの少しだけ見たような気がします。これは事実として知っておいたほうがいい本だと思います。
投稿元:
レビューを見る
2010/06/28、Nから借りた長く記憶に残るであろう一冊。被害者家族の生い立ちから事件後まで、ここまで肉薄したものも少ないだろう。
投稿元:
レビューを見る
たまたま雑誌で千原ジュニアが感銘を受けたというそれは、わたしらが生まれる前に起こった、同級生殺人事件のルポルタージュ。実話です。さかきばらせいとの事件が起こる、何十年も前に、そんな事件があったこと、これまで知ることもなく、そういう意味ですこし衝撃でした。
投稿元:
レビューを見る
高校生が同級生に刺殺されたあげく首を切り落とされる。被害者の家族が送ってきた人生は、どうしようもなくかなしいです。なのに、犯人だった少年Aは…。罪を犯した人間は、その後の人生をどう過ごせばよいのか。私は、この世に死刑はないほうがいいと思っているけれど、じゃあ、この犯人のような人をどう受け止めればいいのか、と気持ちが重くなりました。
投稿元:
レビューを見る
1969(昭和44)年に起きた、川崎高校生猟奇殺人といふ事件を取材したノンフィクションであります。この事件は、1997(平成9)年に発生した「酒鬼薔薇」事件と情況が良く似てゐるといふことで注目されたのださうです。
奥野修司氏は被害者の母親に取材しますが、母親は事件の直後からの記憶が飛んでゐたのです。それを被害者の妹から教へられるまでは、何度も母親に取材しては記憶の飛んだところを聞き込んでゐたので、かなり遠回りをしてしまふのです。それで、妹への取材が中心になり、彼女のモノローグ形式でルポが進むのであります。
事件後の遺族は、からうじて崩壊を免れてゐる状態だつたといひます。会話も笑顔もなくなり、ただ同じ家で生活するだけの日々。口を開けば「あの事件」のことに触れるのが恐ろしかつたからです。父親が壊れることなく、何とか持ち堪へたのが一家を最悪から救つた要因だらうと妹は語ります。
殺人事件の被害者遺族は、時間とともに事件について向き合へるやうになつていくのか。悲しみや怒りは薄れていくのか。本書を読む限り、それはやはり無理なやうです。何十年経つても傷は癒えることはないのでせう。
一方で犯人の元少年は、その後名前を変へ社会復帰して弁護士になつたとか。しかし遺族に対する謝罪はつひになく、それどころか電話で被害者の母親に暴言を吐いたさうであります。
加害者は少年法に守られてゐる一方、被害者に対するケアは何もない。
「一人の命を奪った少年が、国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府にはいって人もうらやむ弁護士になった。一方のわが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。にもかかわらず、弁護士になったAは慰謝料すら払わず、平然としているのだ。」(本書より)
肝心の被害者の人権が守られない国であることを露呈したこの事件。被害者遺族や関係者は、取材当初はおそらく「今さらほじくり返して欲しくない」と考へたでせう。しかし日本の法曹界を変へるきつかけとなつた本書が書かれ、多くの人の目に触れたといふ事実は、著者の執念の賜物ではないでせうか。
http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-140.html
投稿元:
レビューを見る
1969年、川崎で起きた10代による殺人事件の被害者遺族は
現在もなお心に深い傷を負ったままだ。
一方加害者は少年法に守られて普通の生活を送っているという…。
28年後、酒鬼薔薇事件が発生し
状況の類似性から取材を始めた筆者は
次第に被害者遺族の心理を理解しようと迫る、
という最終的に加害者の『更生』とは何を意味するのか
答えは出ないが考えさせられる書。
投稿元:
レビューを見る
1969年春、横浜の高校で男子生徒が同級生に惨殺された。
「28年前の酒鬼薔薇事件」の被害者を追ったノンフィクション作品。
当時は少年犯罪の加害者の更正ばかりが問題となってたようです。
私は「酒鬼薔薇事件」もそうだけど、少年犯罪ということで山口県の事件も含めて考えさせられました。
加害者の更正と事件の解決は違うんじゃないかと。
本当の事件の解決は、加害者を裁判するのではなくて、被害者も含めた全体の解決が必要かと。
よく裁判でも焦点が精神鑑定にいくけど、それは加害者だけの話ですからね。
事件は加害者と被害者表裏一体のはずなのに。
そんなこんなで非常に重たいテーマですが、オススメの作品です。
投稿元:
レビューを見る
犯罪被害者、その遺族のあまりにも重く深い傷、なんの因果でこのような闇を背負って生きなければならないのか、暗澹たる気持ちにさせられる。
その一方で謝罪も反省も無く、少年法の下で前科もつかず、どころか場合によっては国からの援助もうけて、更生の名のもとに幸せな人生を送る加害者、どう考えても間違ってるとしか思えない。
もしも我が子が、と想像すると、当然湧き上がるであろう復讐の殺意を抑えられる自信はオレには無い。
投稿元:
レビューを見る
川崎での事件。
近所での事件だったのに知らなかった。
加害者のその後は、読んでいて非常に憤りを感じる。
殺人に関して、少年法なんて不要。
投稿元:
レビューを見る
長かった。少年犯罪被害者遺族に興味があるか、ノンフィクション、ルポタージュに興味がある人以外には、あまりおすすめできないです。
投稿元:
レビューを見る
30年以上経てど、被害者への謝罪はなく、少年Aの父親からの慰謝料も僅かしか払われていなかった。少年Aは、弁護士となり(2008年、『週刊文春』で被害者の母親の手記が出る頃、登録を抹消している)、家族を築き「普通の人」として生活をしていた。殺人犯であるという自分の「前歴」を隠すことが、彼にとっての「更生」で、被害者家族や社会一般の人が望む「更生」とは遠い現実。被害者の父親が拠り所にした「人を憎まず平和でいたい」という言葉が印象に残った。
投稿元:
レビューを見る
【内容】
男子高校生が同級生に首を切り離されて殺害されるという事件が起こった。本書はその事件後の被害者家族を追ったノンフィクション作品。母親は「ただ生きているだけ」の状態となり、後に思い返しても事件後の三年間ほどの記憶がないという。妹は両親に死んだ兄の分までの期待を背負わされて、自分の存在意義を見つけるために母親に反抗し続ける。父親は家族を支えるという自覚から決して家族の前では泣かなかった。ようやく家族の雰囲気が明るくなってきて、喫茶店を営業し始めた頃、父親が亡くなってしまう。それでも懸命に前へ進もうとする妹と母親。しかし、彼らの傷が完全に癒えることはないのだ。
【感想】
タイトルからもわかるようにとても暗い作品だった。今自分が置かれている環境とこの家族が置かれている環境に差がありすぎて感情移入しにくく、常に第三者の視点からしか見ることができなかった。でも、犯罪は被害者だけでなく、その周りの人々にもこれほどまでに大きな影響を与えるのかと改めて思ったし、実際の被害者家族の証言をもとにして書かれた作品だったので、リアルで説得力があり、書かれていることを信じることができた。
投稿元:
レビューを見る
「28年前の酒鬼薔薇事件」と呼ばれる
1960年代に起きた高校生による同級生の首切り落とし事件を
10年に渡り取材して、被害者遺族と加害者の時系列。
加害者は、当時少年だったことにより刑罰歴は残らず
弁護士になっているものの、何の反省もなく損害賠償金を
支払う意欲も見せないばかりか、遺族を罵倒する場面も。
投稿元:
レビューを見る
本のタイトルからは、両機な事件を引き起こす人間の心理を描いたもかと思っていた。内容は、被害者家族の事件によってその人生がいかにゆがめられて言ったkということを克明に描いていた。私はこの本を購入するまで知りませんでしたが、実際に1969年に起こった事件をジャーナリストである著者が克明に丹念に取材した内容でした。遺族たちの人生がいかに重いものを課せられゆがめられたかが分かります。
加害者に、本当の厚生はありうるのだろうか?
少年A加害者のその後は、簡単にしか紹介がありませんが、Web上で見る限り、完全にこの事件から解放されることはできなかったようです。むしろ彼は、この事件から解放されるため無関心であろうとしていたのかなと想像してしまいます。
残された両親が心が壊れながらも”生きていく”辛さが伝わってきます。こころの重荷を負わない人間が素晴らしい人生を送っているわけではないでしょうが、罪を背負わないこと、悲しみを背負わないこと、怒りを背負わないことが、何かを得ることよりか、人を幸せに導くのだと痛感しました。
しれにしても、神戸のサカキバラ事件にしても、なぜこのような猟奇的なことができてしまうのか?
人間の中に潜む残虐性の箱のカギは、何かによって開けられるのを待っているのでしょうか?
だとしたら、私たちは非人間的な行為から、常に遠ざかって生きていくべきでしょうか?
投稿元:
レビューを見る
酒鬼薔薇事件の何年も前に類似した残酷な事件があったことには驚いた。そしてまた少年Aの心理がまったくもって理解不可能。
少年法、被害者家族へのあまりのケアの無さについて深く考えさせられる。読後も少年Aへの怒りはおさまらない。