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紙の本
雪と祈り
2009/07/04 10:43
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はな - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和初期の物語というのは、どこか重い。どれほど華やかで明るい物語だったとしても、どこかに暗く重い影を感じさせる。それは現代を生きる私たちが、その後、物語の舞台たる日本がどういう道へ進むのかを知っているからか、あるいは、その時代を生きた人たちもどこかでその影を感じていたのか。少なくともこの『鷺と雪』のヒロインである少女は、軍事とも政治とも無縁の世界に身を置きながら、世界のきしみを感じている。
北村薫の「ベッキーさんとわたし」シリーズの3作目。(どうやら完結編のようである)
英明で、切ないほどに強い心をもったベッキーさんと、その導きを受け、素直で柔らかな瞳で世界を見つめる英子嬢の物語は、まさに開戦前夜の東京で紡がれる。描かれるのは、北村薫お得意の「日常の謎」だ。神隠しにあった子爵、ライオンを求める少年、映っているはずのない婚約者。一つ一つの謎は、英子嬢によって、するりとほどかれるが、その裏で暗い影は忍び寄り、物語は劇的な幕切れを迎える。
『鷺と雪』というタイトルがぴったりの美しい物語だ。けれど哀しい。
”騒擾ゆき”という言葉が出てくる。山村暮鳥の詩の中に出てくる言葉だそうだ。国を揺るがす動乱に、雪が似合うのは作中に書かれているように、桜田門外の変など、いくつかの歴史的動乱が実際に雪の中であったからだろう。しかし、それ以上に、この言葉には、痛みにも似た祈りが感じられる。流された血を雪で隠してしまいたい。悲鳴を、しんしんと降る雪に吸い込ませてしまいたい。真っ白な雪ですべてを覆ってしまいたい。どれほど白く染めても、消してしまうことなどできないとわかっているけれど。
雪で消してしまうわけにはいかない現実を、これから英子は生きる。その行き先を私たちは知るすべはない。”善き知恵”を信じ、”明日の日を生きる”英子の未来を、後世の私たちは祈ることしかできない。せめて、ふたたび、雪で覆いかくすべき血が流されることなきよう生きることを、誓いながら。
それが、作者の祈りのようにも思えた。
紙の本
物語の弧が行く末を案じる
2009/05/16 10:00
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
『街の灯』『玻璃の天』に続く、花村英子とそのおかかえ運転手・ベッキーさんが主人公のミステリー・シリーズ第三弾。本書所収の3短編は、それぞれ昭和9年から11年にわたる3年の物語です。
最初の「不在の父」はある華族の男が失踪し、今はルンペンとして暮らしているらしいという不思議な物語です。それは事実なのか、そしてそれはなぜなのか…。
「獅子と地下鉄」が描くのは東京三越本店近くの和菓子店の少年が夜中に上野で補導されるという事件。少年はなぜひとりそんな行動をとったのか…。
「鷺と雪」は英子の学友が銀座で撮った写真に、台湾にいるはずの許嫁(いいなずけ)が写っていたという怪異談。ドッペルゲンガーは果たしているのか…。
こうした個々の短編は、日常に潜むささやかな、そして罪のない謎を扱った一話完結の物語です。しかし、北村薫がこのシリーズで真に描こうとするのはもっと堅固で大きなアーク(物語の弧)です。
昭和の初期、巨大な時代の力がうねり、人々を飲み込もうとしています。押しとどめようもない波濤(はとう)を前に、市井の人々は無力であるか、もしくは気がつかない。しかし一方で、この「鷺と雪」の登場人物である軍人たちのようにわずかですが、なんらかの挙に出ようと決意する者たちがいます。
「真実とされていることも、時には簡単に覆る」(96頁)その時代にあって、それでもベッキーさんは「わたくしは、人間の善き知恵を信じます」(242頁)と語ります。彼女の孤高ともいえる姿勢に、心洗われる思いがします。
北村薫はこのミステリー・シリーズで果たして昭和のどこまでを描くのか、そして物語の弧はどこまでつながるのか。楽しみであると同時に、昭和のたどった道を知る身にはつらく痛ましい物語が立ち現れてくるであろうことを感じて、心さびしい思いがするのもまた事実です。