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紙の本
書評詩 ともだち
2009/07/24 08:17
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
丸い心に 四角い紙をあてがって
自由に描いてみようじゃ ないか
あなたのともだち を
太いクレヨン 細い色鉛筆
よじれた絵の具 まっすぐな絵筆
自由に描いてみようじゃ ないか
あなたのともだち を
ともだちは すこし ひねくれ
ともだちは すこし さびしい
ともだちは すこし くやしい
ともだちは すこし かなしい
赤い心に 白い紙をあてがって
自由に描いてみようじゃ ないか
あなたのともだちのともだち を
だって
ともだちはひとりじゃ かわいそう
山崎ナオコーラの、不思議な物語。荒井良二のさし絵とともに楽しめる、童話のようでもあります。
主人公のモサは東京近郊のニカイという町に住む、14歳のニートですが、人間ではなく、カルガリ族の男の子。 粗筋はありますが、実はそんなものをおいかけても意味はありません。自由に読むといい。
モサの正体とかモサの悩みとか、山崎ナオコーラが何を書きたかったなんて考えることはありません。読み終わったあと、ふっともう一度表紙のモサにもどって、やさしくなでてあがれたら、それでいい。あなたの心のなかにモサがいるか、たずねてみれば、それでいい。
ちょっと天文台に行きたくなるような、一冊です。
◆この書評詩のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。
紙の本
この本は献本していただきました。書評自体は僕の正直な感想です。
2009/06/22 19:47
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
モサ、とは主人公の名前である。
本の裏の帯からモサについての紹介を引用しよう。
「カルガリ一家の長男、モサはニートである。
モサはカルガリ家のみんなと同じように、全身が白い毛でおおわれている。
身長は一五〇センチ。耳は頭の上部についていて、ものすごく大きい。
遠くから見るとモサの頭はハート型である。目は、かんろあめ。歯は、はっかあめ。
年は十四歳。
モサは男だが、服装はセーターにスカート。スカートをはく理由は、ただの反発だ。
髪の毛は特に生えていない。白いまつ毛はカールしている」
本書では文章と絵が有機的に配置されている。絵を描いた荒井良二氏の功績も大きいのだが、装丁の名久井直子さんの役割も大きいだろう。
『モサ』の舞台は日本である。固有名詞も色々と出てくる。たとえばこんな具合に。
「もし学校へ行き続けていたとしたら中二という時期なのだが、文部科学省に対して違和感を抱いたモサは、登校しない」(p4)
「モサはサッポロ一番塩ラーメンをゆでた」(p16)
モサには家族がいる。でも両親とはうまくいってなくて(と少なくともモサは感じている)、優等生の妹のミサも好きになれない。学校に行かなくなってから、気を使うような言動をとる友だちのハリともしばらく会っていない。
モサは学校にいかない代わりに家事をする。そして、母親にお弁当を作ってもらって、小高い丘に行く。「薄目で空を見上げると、雲がうねうねと地球上を移動していることがわかった。モサは、「生きていて良かった」と急に思う」(p12)
この文章の後に続く9行は『手』の最後の短編を思い起こす。このような書き方は77~78ページでもなされている。
「ぱたぱたとはためく洗濯物たち。
太陽は絶え間なく光を降り注いだ。
肯定するよ、肯定するよ、肯定するよ。
すべてのものに光を与えるよ。
何もかもを温かくするよ。明るくするよ。
善も悪も区別しないよ。
だめな感情も、もう湧いてしまったんだから、受け入れる。
現時点で存在しているものを、否定なんかして、どうするの?
太陽は全部に光を届けるよ。
しっとも、いじわるも、なかったことにしないよ。
虫も、草も、カルガリも、生きとし生けるものは、みんな、光を浴びなくちゃ」
まるで詩のようだ。
日が暮れると、モサは丘から下りて「町を縦断し」(p14)、ケーブルカーに乗って、天文台に行く。
そこにはホシヨミさんがいて、天体観測をしている。この日の夜、流れ星がいくつもきらめいて……。というのが、ストーリー。
僕はこれを読みながら、『海辺のカフカ』を思い出していた。田村カフカくんは十五歳。モサとほぼ同じ年齢だ。
違うのは、(たくさんあるだろうが)『モサ』には、モサの家族や友だちなどのそれまでの関係がある点だ。
僕は『男と点と線』について書いたときに、「山崎ナオコーラは「関係」についてずっと書いている。「関係」を損なう暴力や死について書くのも読んでみたい」と書いた。(ちなみに、このとき死について「関係を無化する」と書いたが、今は考えが変わったので、その点はご留意願いたい)。
『モサ』にあるのも基本的に「関係」だ。そしてそれは肯定されている。
僕も基本的にこの山崎ナオコーラの姿勢に賛成だ。
『モサ』は家族ともうまくいってない(と少なくとも本人は考えている)モサの関係小説だ。
そして帯の文が言うように、「この世界は住みづらいと感じているすべての人に贈るファンタジー」なのである。