紙の本
敢えてユートピアの中へ・・・
2009/11/29 16:57
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:碑文谷 次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「夫には秘めごとがあった。」の一節がある庄野潤三の初期短編『舞踏』は、「同じ課に勤めている十九の少女と恋をしている。役所が退けてから、こっそりと二人で映画を見に行ったり、夕暮れの市外を散歩したりしていた。」と続く。「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(ヤモリ)のようなものだ。」という書き出しの一行の音調が最後まで消えることのない、中年夫婦の哀しい格闘を活写する名編であった。
それから五十年以上経って書かれた本編には、いかなる家庭の危機も不安もなければ、夫婦・家族間の諍い、不信もない。いやそれどころか、この世に生きる幸せで満ち溢れる、美しい家族愛を謳いあげた日記風スケッチとなっている。妻や、長女、長男、次男の家族だけでなく、ご近所の人たち、滞在先ホテルの人たち、庭師や銀行支店長まで縁あって交わる全ての人々に善意と愛情を感じている著者の日々が、重複をいとわずに書きつくされている。その穏やかな眼差しは、庭にやってくる四十雀やメジロ、むく、コゲラにも等しく注がれ、読み進めるうちに甘美な昼寝に誘われてゆくような感じがしてくる。たとえば、「長男は、仕事を中断してテーブルの前の肘かけ椅子に座った私の前で、妻と二人並んで《ハッピーバースデイ》を手を叩いてうたって誕生日のお祝いをしてくれる。ありがとう。」妻と多分50代の息子が二人並んで《ハッピーバースデイ》をうたってくれたら、どんなに平穏な幸せで心が充たされることだろう。
生身の実生活である以上、実際には聞きたくない音や声、見たくもない光景や表情も否応なく侵入して来たに違いない。「守宮」のようにへばりついているものが消えてなくなることは本当はありえないことを、著者が一番よく知りぬいていたのではあるまいか。しかし、それ故に、それらを切り捨て、否定し、捨象したところに敢えて著者は立ち続け、一貫して「平穏な家庭」「美しい家族」を描き続けた。『舞踏』の愛読者からは、そういう家庭や交わりは、時としてどこか現実離れしたユートピアを見る思いがすることは否定できないが、それが著者の強固な信念であり文学観であることに敬意を払わざるをえないであろう。
著者は本年9月21日、家族に囲まれて88歳で逝去された。新聞には「老衰」とある。謹んでご冥福をお祈りしたい。
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華々しくはなくても、まずは恙無く晩年を迎えた夫婦。子供たちの家族も近くに住み、さりげないが満ち足りた日々の行き来がある。何気ない会話、手紙、届け物、庭を訪れる鳥、夕食、恒例の墓参の一つ一つが愛おしく感じられる様子が、何の衒いもなくシンプルな感想で語られている。ただ淡々とした営みが、どことなく覚束なくなった筆致でつづられていくだけの日記のようだが・・これで原稿料を稼げるのが作家というものか、と納得。
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僕は一年半ほど前から庄野潤三の作品を読みはじめた。最初はおそるおそる読んでいた庄野さんの作品が今では身体にすっかり馴染んでいる。孫のフーちゃん、山田さん、うさぎのミミリー。庄野さんの作品で度々語られるだれかや思い出の場所を挙げだすともうキリがないが、出てくるたびに「こんにちは」という気持ちになる。知らない人やものだった彼らを庄野さんが何度も語ってくれることで、徐々に愛らしく、親しみのある存在として自分のなかに落ち着いていった。
今僕は人生の大事な時期にさしかかり悩んでいる時間が多い。時おり本も読めないくらい心に落ち着きがなくなるときがある。けれども庄野さんの作品を読み出すとそういうざわめきが次第に凪ぐ。昔からの親しい人たちと会えたような、そんな気になり、心が暖まる。
今回は保谷の古本屋さんでたまたま見つけることができた。本当にありがとうございます。
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穏やかな、そして、心より優しい暮らしを送る、庄野のおそらく最晩年のエッセイ。※刊行は2005年、文庫化は2009年。
裏表紙によれば、庄野夫婦のおだやかライフエッセイの第10作だそう。
実は私は、庄野さんの本はエッセイの要素のあるものしか読んでいない。
庄野の友人である、小沼丹を長年愛好してきたわたしには、まるで自分の友人のような距離感で見る、庄野さんのエッセイの、飾らない世界が住み心地が良いのだろう。
三田文学ー!と叫び出したいような要素は薄いが、時折、ほのかにその匂いがして嬉しい。←実際、別に慶應とも関係ない…。
ガンビア滞在記、明夫と良二、に続いて、この本を読み、既に子供たちが50代に達し、長女には孫もいる(庄野夫妻の曾孫)という事実に驚かされた。
毎日、夫婦でのんびり暮らし、ハーモニカで楽しむ季節の歌、庭の鳥や花、優しい近所の人たち、時折様子がわかる子や孫たちの生活、年に二度の大阪行きなど。
豊かな心を持つ暮らしってこんなかんじかなあ。
私もよく手紙をやりとりする友人に、庭の鳥の餌やりやら庭木の花のことを書くと、庄野潤三じゃん、と言われていたけど、本当にそんな世界。
雑誌連載なためか、どうしても同じ説明を毎度読む羽目になるが、そこはそれ、まあ丁寧な暮らしってことで。
庄野氏の謙虚な人柄が印象深い。
この世に悪い人なんかいないんじゃないかと思ってしまう。
お礼状を孫や子からもらうとすぐ、いい手紙をくれたと喜ぶ。
近所の藤城さんは有名な巨人の投手→コーチらしいけど、飾らないお付き合い。
盟友・阪田寛夫(詩人、サッちゃんとかの童謡の作詞者でもある)や、故郷の人々との絆も強い。
庄野潤三の次兄が童謡作家であること、父が帝塚山の創始者であるのも初めて知った。
その流れからか、母校出身の宝塚、和央ようかを贔屓しているのも楽しい。
私も和央ようか&花總まり時代が好きですよ!!
第5章で、近所の山田さんから新潟の蟹をもらって食べ、妻にお礼の電話をするように言い、さらに
p89「庄野はカニをつまんでお酒を飲み、泣いております」といってくれと妻に頼む。
がなんかじわじわ来る。
巻末の長女による文によれば、2009年7月時点でそれなりの被介護ケア者になっているようだ。
wikiによればその2ヶ月後に庄野は亡くなっている。
(最後に。こういう世代の人だから仕方ないけど、台所仕事は全部、妻や長女がやるし、妻はいつも庄野に敬語なんだよなーー。そこだけ小さなストレスが残った。)
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東京石神井公園から多摩丘陵の生田の山の上に引っ越した庄野潤三夫妻。日記形式のほっとする温かさ、子どもたちとの交歓、四季折々の花鳥風月を描いたエッセイです。「けい子ちゃんのゆかた」、2009.10発行。夫婦の豊かな晩年を描くシリーズ第十作とか。他の作品も楽しみです!