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○***ここにエコノミスト評価の基準を書く***
●エコノミストは経済動向を予測するための職業ではないと思う。
エコノミストは起きた事象を分析し、それを改善する提言をすることであろう。
●一貫性があることについても良いこととばかりはいえないと思う。
●エコノミストが優秀であればバブルを予測することは可能なのだろうか。
☆きっかけは竹中平蔵氏への批判的な意見を確認したかったため。
読了日:2010/04/23
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[ 内容 ]
米国発の大不況によって世界経済の局面は一変した。
神様グリーンスパンの名声は地に落ち、ノーベル賞を受賞したクルーグマンは日本に謝罪した。
アメリカという手本が消えたとき、日本のエコノミスト達にとっての「大恐慌」が始まった。
[ 目次 ]
エコノミストたちの「大恐慌」
金融崩壊を予測できた人、予測できなかった人
新自由主義の罪と罰
格差社会と「小さな政府」
なぜ日本が世界で一番落ち込んだのか
神様グリーンスパンの正体
インフレターゲット論の着地点
財政出動は時代遅れなのか
中国とインドが未来の支配者か
日本経済を復活させる鍵
エコノミストたちの採点評
エコノミスト格付け表(〇九年版)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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著者自身はエコノミストではない。
経済学を学んだ経歴や使った経験がないと本人がそう書いている以上、たぶんそれは事実なんだろう。
結果として、本書のエコノミストの評価はその内容ではなく、主に外面によって行われる。
「市場も経済学も完璧ではない」ことを例示するために9章かけた上で、終章でエッセイとともに外面的なエコノミスト評価を行なっているのが本書である。
主張に一貫性がないとか、結果から見て予測が外れているとかいうのは外面からわかることであり、それを近年(ちょっと前だけど)のエコノミストの主張についてまとめたのは読み物としてそれなりにおもしろい。
でもそれ以上の意味があるんだろうか。
金融危機を殆どのエコノミストが予測できなかったのは確かだろうし、経済学が完全でないのはもちろんである。
しかし、(著者が経済学を科学として認めたくなかったとしても)何らかの理論で現実を捉えようとする営みは欠かせない。
理論なしに外面を捉えてもそこから先はないと考える。
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地元の駅ビルで購入する。編集者出身なので、非常に読みやすい文章です。興味を持った点は、バブルであることを認識できるのかという点です。多くの経済学者は、バブルがはじけた後、はじめてバブルとわかる。バブルのときは、それを認識できない。日銀総裁の見方は、さらに、冷ややかです。バブルが崩壊しても、バブルを認識できない。この見方を極端だと批判するのは容易です。日本の現実は、どうだったのでしょう。バブル崩壊後も、すぐに回復すると思っていました。政治家、官僚、そして、財界人は先送りしました。つまり、バブルだと認識していなかったのでしょう。宮沢元首相のように、バブルだったと認識していた政治家もいます。しかし、それは例外です。事後ですら、認識不可能にもかかわらず、その時点で、バブルを認識できるわけないと思います。それだけです。
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難しいことが分かりやすく書いてあって、たいへん参考になりました。
エコノミストの格付け、というアイディアは、とても良い。
これから迎えるインフレターゲットや、消費税増税、など不安なことがいっぱいあって、どうなるんだろう?って、心配しながら読みました。
バーナンキやクルーグマンみたいな一流のエコノミストであっても、あんまり信用できないんだなー、ってことが分かりました。
そして、そういったアメリカ経済学をひたすら信仰している日本のエコノミストは、もっと信用できない。
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およそ21世紀に入ってからの日米経済について検証したもの。
経済学といわゆるエコノミストの限界について書かれている。
結局、後出しだとどうとでも言えるし、経済学は、まだまだ科学ではないのかもしれない。
自分には、竹森氏の主張が一番しっくりくる。それにしても、筆者は竹中氏が嫌いなんだろうな。自分も同感だが。
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経済学者の言説について綴った一冊。
自分が経済学者の動向にもう少し詳しければ理解が深まったと思うが、それでも経済学者の言説がいかに信用できないかがよくわかった。
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2001年から2009年までの経済状況に関するエコノミスト(経済評論家)の発言を評価した本。前著『エコノミストは信用できるか』の続編。
エコノミストの評価は前著と同じく「主張の一貫性」を重視したものになっています。そのため、本書の評価はエコノミストの信頼性を評価するものではありません。
ただし、著者がどのエコノミストに信頼をおいているのかは、本書を読むとよくわかります。
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「格付け」は「ブクログで誰かをフォローする目的」と重なる。
飲食店選びの「Retty(レッティ)」と同じだ。ちなみに高級レストランを探すわけじゃないので「ミシュラン・ブックガイド」ではないし、”みんなの評価”を確認したいわけじゃないので「食べログ」とも異なる。”信頼してフォローした人の評価”を参考にしたいわけだ。本書の場合、筆者の中谷巌さんを信頼できれば、彼の評価を信用の指標とすることができる。
でも残念ながら、中谷さんはエコノミストを格付けするに値する人ではなさそうだ。エコノミストの言説の揚げ足を取ってもあまり評価と呼べないからだ。エコノミストの主張はそもそも一貫性を問われてはいない。直近の結果を言い当てたかどうかも評価にならない。
というのも、経済は常に浮き沈みのある「波」のようなものだからだ。上げ潮にあっても「沈む瞬間」はいくらでもあるのでその瞬間を捉えて揚げ足を取っても意味がない(天気予報が突風や落雷をピンポイントで予想しないのと同じ)。
そういう意味では、ほとんどのエコノミストは「後講釈(直前の経済的結果を後付で説明している)」に過ぎないのでこれに該当する。経営者やスポーツチームの監督を批評する人たちも同じ認知バイアスにハマってる。政策も戦略もそういう意味で似ている。自分のキキカジッた知識に溺れてリーダーに対してマウントを取りたい衝動にかられている(ダニング・クルーガー効果)。
話が横道にそれてしまった。何が言いたいかというと、「勝敗(景気)は波である」ということ。さまざまな要因が複雑に折り重なって結果(現在の状況)を生み出す。複雑系、システム思考などと呼ばれるが、写真のようにその瞬間を切り取って説明しても次の瞬間にはその説明が成り立たなくなることが当たり前に起こる。だから評価するならエコノミストが主張する複雑系ネットワーク全体を捉えてそれをもっと中長期でどの程度合致していたか?を評価する必要がある。
さらに言えば、本書でグリーンスパンやバーナンキに尻尾を振る日本のエコノミストを酷評されているが、ぶっちゃけ経済学というジャンル自体、覇権国主導の資本主義を権威付けるための存在と思っておいて丁度良い。アダム・スミスからこの路線だ。米国に覇権が移動した後のノーベル経済学賞も米国人ばかりだ。
でもどうだろう、日本の芸能界におけるジャニー喜多川氏やダウンタウン松本人志のように「権力を敵に回すと業界から干される構造」が壊れたりすることがあるだろうか。経済で言えば、米国が自壊したり、中国やロシア、グローバルサウスが米国覇権を崩すようなことがあれば…。エコノミストの世界は面白くなるかもしれないが、そのとき世界は現在よりはるかに混沌としているはずだ。