紙の本
自然に飄々は難しい・・・飄然じたばた
2016/04/30 09:28
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投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
不眠症で眠りたくても、眠れないように「飄然」としたくても、
ついあれこれ屁理屈を考えてしまう頭の中。
なかなか余裕に飄然なんてできるものではない、ということがよくわかりますし、
飄然としてる、なんて他人から言われるもので自分で言うのはおかしい、と思いつきました。
串カツ一本の後悔から東京に帰ってきてリベンジしようと思っても・・・ああ、日曜昼間の新橋なんてどこもお店やってないのに。
夏目漱石気取って芸術に超然としようと美術館に行ってもあらら。
ロックを感じに高円寺に行って沈没。飄然じたばたが書けるのは町田さんだけでしょう。
紙の本
よちよちの旅
2016/12/23 11:12
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
弥次喜多にも清八喜六にもなることができない2人の姿が、笑いを誘う。随所にちりばめられた、著者独特の皮肉やユーモアもよかった。
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町田康の本は初めて読む。
谷崎潤一郎賞もとっており、それなりの才能のある作家なのだろう。
内容はあまりないのだが、文章の面白さは際立っている。
落語を聞いているようだ。
自分を道化にして、読者を楽しませている。
私の読書の傾向として、一人の作家の本をとことん読むというスタイルだ。
新しい作家を見出す喜びは大きい。町田康の他の作品も読んでみようと思った。
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何でもない散歩を旅と呼び、
飄然と東京を歩き回る。
実際、歩いたことのある場所ばかりなのだが、
こんな風に街を眺めたことはなかったな。
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町田康の文体と東京ぶらり散歩が大好きな僕が、この本を読まないわけにはいかない。
本書は著者が飄然となるべく奮闘した記録である。
写真と共に。
東京を旅する。時に江の島。
アイアムアアンチクライスト、パンクスノットデッド、サラリーマンファックと呟いたりして。
銀座、新橋、王子、早稲田、上野、高円寺など、僕自身にとってもの活動エリアが、著者独特のぐるぐる思考によって切り取られていく、笑いと失敗の記録である。
まぁ、僕みたいな凡人からしたら町田康はとっくに飄然者だとおもうけどね。
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町田康の散歩日記みたいなやつ。写真があって読みやすいです。
こんな人いたら目立つだろうなあ、と思いながら町田康の行動に笑ってしまいます。
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瓢然とすること。すなわち目的地を決めず、ぶらぶらする。しかしそのぶらぶらは、然とした意味、趣、風情の類を含んでいなければならず、だから鎌倉駅に着いたとしても、下世話な観光客のように、鶴岡八幡宮の方向に、歩いてはならぬ。とはいえ、果たしてこの行為は瓢然か、はたまた只のぶらぶらか、都度都度思考は埒が明かず、”瓢然縛り”は歩行を阻み、結局、江ノ島で蛤を貪って虚無感。それも出来る限り瓢然にと、立派な建物、呼び込み等、通俗な類の全てを避けたが為に、不味い。ダブルパンチ。
町田康は歌う。世の中、なんて便利なんだ。けれど便利なものは、俗っぽくて、非瓢然的。そんなものはみんな全部、捨ててしまおうぜ。
ファックユーと心の奥で唱えながら、ジェーアールの一席に身を縮こまらせて座る。貨幣制度への反逆を叫び、100円玉を路上に投げつける。愛すべきパンクロッカーは、今日もどこかで瓢然としようとして、全然出来なくて、それでも少しの希望を胸に、抱き締めてる、と思う。ピース!!
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飄然者たらんとして飄然なる風を装いながら飄然と読みたい本。とか言いながら、「うひゃひゃひゃ」とか「あきゃきゃきゃ」とかいう笑いを堪えきれなかったり、無闇矢鱈と誰かれかまわずふれ回りたくなったり。いかん、ひょひょ、飄然としなければ……。「初文庫化」ありがたや。個人的にもほとんどの「旅」の場所に心当たりがあるだけに、却って見事な観察眼に驚かされて「マッタクもって飄然としてないじゃん!」って突っ込みたくなりますが、それまた飄然と受け流されそう。…六根清浄。筆致も内容も違うかもしれないけれど、すぐに思い出されるのは内田百鬼園(同じ匂いが)。「阿房列車」を読み返そう、っと。それから、写真には「写し手」の様がそのままあらわれるものだなぁ、とあらためて感じ入った次第。写真好きの方は、ここに載せられた写真を見るだけで、作者のことがわかるかも。そんなことも考えました。(ついでに言えば、私はこれらの写真、どれもみな「好き」になったのだった、書を捨ててカメラを携えて町に出たならば、自分もこんな写真を撮ってみたいものだ…とも)。
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毎度の独特の妄想や論理展開(言い訳、屁理屈の類い)が全開。
はいはいと笑い飛ばしていくなか、「ロックとは熱い血のたぎり、衝動。何ヵ月も前にコンサートを予約をして、何月の何日に熱い血をたぎらせようなんてそんな予定調和はロックか?」には妙な説得力を感じました。
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超面白エッセイ!妄想と言い訳が全開
夜のサルビアから人間と猿の境界の詩を書く件は傑作
小説も読んでみよ
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早稲田界隈、鎌倉・江の島、銀座で串カツ、上野で絵画鑑賞、高円寺でロック…。
マーチダさんのぶらり漫遊を写真とともに収録したエッセイ集。『苦虫』シリーズとは、ちょっと趣が異なり、ま、それは旅情というものが加わっているからであって、どことなく内田百閒の名随筆『阿房列車』を彷彿とさせます。鎌倉・江の島の話など、慶西くんがヒマラヤ山系さんと重なって見えますし。
そういえば、内田百閒は俗臭ふんぷんたる江の島なんぞに、死んでも行ってたまるかと宣うていて、マーチダさんも、「鎌倉、月並み、うーん」といった感じであまり乗り気にならず、慶西くんの都合に合わせる形で、まんまと旅立つのです。あ、この辺もなんとなく百閒。
で、エッセイを読み終わり、写真家さんの解説文を読み終わり、巻末の中公文庫既刊書を見ると、内田百閒の名前。
面白すぎるじゃないか…。
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見過ごしている何でもない情景も著者の目を通せば途端に色鮮やかなものに変わる。予想だにしなかった切り口、イメージの膨らみに度肝を抜かれる。研ぎ澄まされた感性さえあれば、どんな卑近なところにも題材は転がっている。そんなことに改めて気づかされる。しかも笑える。腹を抱えての破顔爆笑面だ。
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紀行文といっていいのか…。飄然と旅をしたいと思い立ったが面倒だし仕事はあるしで半日くらいで行けるところで旅愁を味わおうという趣向のエッセイ。どうにもいつものダメさかげんが愛おしくなってくる。「飄然」というのはひとつの美意識だがそれを実現しようとする姿が滑稽で、可笑しい。
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被害妄想の独り言がクセになっちゃう面白さ。
日帰りの旅というか、散歩、ということもあって妄想を反省して我に返るところなどもかわいらしく。味わい深い。
章が短いので、旅行に持っていくのもちょうどいいかも。