紙の本
死を迎える心構えとして(とりあえず元気なうちに)
2010/03/07 21:56
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:カフェイン中毒 - この投稿者のレビュー一覧を見る
伊藤比呂美という人が、いつか必ず書くであろうと思っていたテーマ「死」について。
生きるうえで避けて通ることのできない数々のことを、赤裸々に言葉に乗せてきた彼女が、
熊本とカリフォルニアを行き来しつつ直面するのは、親の介護と、友人や師の闘病です。
年齢的なものもあるのでしょうが、彼女の周りには今回「死」が溢れています。
そして無宗教である彼女が、即席のまじない代わりの言葉を選ぶことから派生して、
しだいに「お経」というものに興味を持ち始めるのですが……。
そういえば「お経」には、とても心地の良いリズムがあり、
わからずに聞いていても、心の中で波打つものが穏やかになるような気がします。
と、無宗教の私が体験した少ない記憶を集めて書いてみましたが、どうやら著者もその程度の知識だそうで。
しかし、やはりというか、彼女は詩人なのでした。
言葉に鋭敏で、好奇心にあふれる彼女は、
気になるお経を原文で読みたい、訳したものを見たい、
自分の言葉に置き換えたいとの欲求に突き動かされます。
寝たきりの母親、元夫の父親、親しかった友、忘れられない師。
いくつかの死を前に、彼女は考えます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
死ぬ人は、たいていは、命が尽きてぽっきり死ぬんじゃない。老いて病んで苦しんで死ぬ。
「老いる」も「病む」も、そして「死ぬ」も、ありふれた苦しみである。
でもほんの五年前まで、私はそれに気づきもしなかった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
じつは、これがとても意外だったのです。
たしかに直接言葉にすることはなくても、いろいろなことを背負い生きてきた彼女が、
まさかそこまで「死」に対して無防備だったとは。
ふと思いました。
生きていくことに、そして目の前の厄介事に振り回されているあいだは、
誰しも案外、さらりとしか考えないのかもしれません、死ぬということを。
本当は、生きることの延長線上にある死というものを、
ついつい対極のものと考えてしまうからでしょうか。
著者が直面した「死」やそれにまつわる出来事がエッセイでつづられ、
気になるお経を取り上げ、果敢にもそれを自らの言葉に置き換える作業をしています。
とてもわかりやい言葉になったお経は、今度は詩のリズムで、スルスルと頭に入っていきます。
普遍的なものというのは、時を経ようと言葉が変わろうと、多くの人に受け入れられるのですね。
「死」というものを、むやみに怖がるのではなく、
いつか超えるべき線として捉えている著者の目線が、とても新鮮に映りました。
そんなに簡単に割り切れないことでもあるのだけど、
「死」と向き合わずにすむ人生など、そうそうあるとも思えません。
ならば、なにかの力を借りて、心を静めるのも良いのではないでしょうか。
まずは「言葉の力」を借りてみることにします。
いつかくる、その線を越える日のためや、線を越えて行く人たちを見送るべく。
紙の本
詩人がお経と出合ったとき
2010/01/21 08:13
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:狸パンチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
伊藤比呂美さんという詩人は背負ってしまう人なのでしょう。どうしようもなく背負ってしまう。詩人は本質にじかにふれる人びとだと、誰かが書いたことを思い出しました。人間にとって避けられない生老病死。伊藤さんは50歳をすぎて、それを背負ってしまう。誰もが背負うことだけれども、詩人が背負うことで、詩人は何かを見つけ出し、そして言葉をつむぎます。見つけ出したのは仏教であり、紡ぎ出したのは、やわらかく、それでいて生老病死の無常さに深く分け入っていくような、そんなお経の翻訳でした。
伊藤さんは離婚をし、娘たちとカリフォルニアで暮らしています。娘の一人は日本語を話せるが、書くのは苦手で、英語まじりになる。「負うた子に教えられ」。このエッセイが私は好きになりました。娘はすでに家を出て、介護士として心を病んだ人びとのいる施設で働いています。その娘が詩人の母に「般若心経」を教えます。ひらがなの多い、英語まじりの言葉で。
五蘊、ごーおん。「現実は、いつつのごーおんでできていることがわかりました」「ごーおんというのはね、かていかな。英語だとmodesっていうかも。過程。あ、でもけいたいなのか、かていなのか、よくわかんない」。こんな調子で、般若心経を娘が母に教えていきます。般若心経の教えの中心である「色即是空 空即是色」も、娘が独特の解釈で、やわらかい言葉で説明をする。「クウっていうのはね、あるものは、すべてほんとは別に意味も理由もないんだよってことだと思うの」「ソラとの関連はある?」「あると思う、宇宙ってことだと思う」
離婚、父母の老い、子育ての後悔、伊藤さんはいろんなものを背負っています。その過程、「ごーおん」のなかで宗教に出合っていく。その出合い方が、この本には書かれています。多くの日本人のように、宗教を強く意識せず、教わってもきませんでした。でも、老いや死に向かい合うとき、やはり人は宗教といやおうなく出合ってしまうのでしょう。伊藤さんにとっては、それが般若心経だったようです。
こんなふうに翻訳しています。「おしえよう このちえの まじないを。さあ おしえて あげよう こういうのだ ぎゃーてい。ぎゃーてい。はーらー ぎゃーてい。はらそう ぎゃーてい。ぼーじー そわか。般若心経でした。」。テレビドラマの古畑任三郎が「古畑任三郎でした」と終わるように終えたといいます。くすっとさせるユーモアがあります。
伊藤さんは、ふんわりとお経を現代語訳します。それが、とても心地いいのです。でもお経というのは、苦しみと死にどう向き合うかというものです。伊藤さんは自分の家族との向き合いを、うそまじりなくつづります。そのことが、私の心にじーんとしみいってきました。私じしんも自分の家族のことを思いながら。
私はまだ宗教とは出合っていません。でも、この本を読んで、いつかどうしようもなく出合うのだろうという予感を持ちました。お経は言葉です。伊藤さんの現代語訳を読みながら、こういった言葉が自分に必要なときがいつかくるかもしれないと思いました。よい本です。
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いや~おもしろかった!!
たくさんdog earができてしまいました。
それからなんだかわかんないけど、涙がいっぱい出た。
伊藤さんのオリジナルな視点での般若心経、すごく心の中にすっと入ってきました。
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100228by朝日 お経は詩であり人間くさいのだ 死についてたっぷり、but 読み終えるとさっぱり明るい気持ち。
121027bookDirector衆生無辺誓願度.....四弘誓願。訳ほか。
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読み解き「懺悔文」女がひとり、海千山千になるまで
読み解き「香偈」「四奉請」おはいりください
読み解き「般若心経」負うた子に教えられ
新訳「般若心経」
読み解き「発願文」忘れること忘れないこと
読み解き「大地の歌」浄土をさがして
読み解き「ひじりたちのことば」いぬの話
読み解き「白骨」ほらほらこれがぼくの骨だ
読み解き「観音経」あなたにはかんのんがいる
読み解き「地蔵和讃」母が死んで、父が残った
「七仏通戒偈」「無常偈」いつか死ぬ、それまで生きる
「四弘誓願」ぼんのうはつきません。あとがきにかえて
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死にゆく母、残される父の孤独、看取る娘の苦悩‥‥生老病死、愛別離苦の苦しみを癒やすのは、日々の暮らしに結びついたお経だった。「華厳経」の懺悔文を訳して、自らの半生を悔いてあやまりたい。「般若心経」を読むと、介護士の娘から教えられることがある。そして母の死には「地蔵和讃」で、向こう側へ送り届けたい。エッセイ、お経、そして詩人の技を尽くした画期的な現代語訳。
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伊藤比呂美さんと言えば
「おなか ほっぺ おしり」「良いおっぱい悪いおっぱい」などなど
幼子育児真っ最中には、ずいぶんリラックスを頂きました。
そして本書は、エッセイ+お経+現代語訳。
近頃、何気に流行っているらしいお経、般若心経ですが
やっぱりどうにもこうにもハードルが高い。
加えて、私って無宗教かつ無信仰だし。
でも伊藤さんが翻訳したならば
きっと面白いだろうと手にしてみました。
はい、面白かったです。
伊藤さんの語り口はもちろんのこと
このように訳して頂くと、「なるほどねー」「ほー」と目から鱗。
「観音経」とキャロル・キングの「you've got a friend」が
そっくりなことに、ほほーー!!!!
「母が死んで、父が残った」は涙…。
一読の価値あり!!オススメです。
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熊本の両親を介護しカリフォルニアに住む。二カ国を往復しつつとうとう熊本でお母様が亡くなり、カリフォルニアでは家族ぐるみで親しくしていたおうちのだんな様が亡くなる。それに比して娘3人はカリフォルニアで良く育つ。老いさらばえて行く者といま一瞬を精いっぱい生きているような娘たちの中で、ひーひーいいながら介護介護の日々の比呂美さんが、詩人の性であるとし、お経をわたくしのコトバで現代語訳していく。いろいろあってもやはり般若心経がいちばん良いかな。「ない」が「ある」とか「ある」が「ない」とか分からな過ぎるところが何度読んでも飽きないです。蓮如の白骨は原文の「されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。」そのままがいちばん良いと思いました。
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今日の訳ではなくって、
心の中で消化されたものを
詩人が自分の言葉で綴っているのがいい。
懺悔
発願文
は、是非どこかにメモしておきたい。
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「懺悔文」/「香偈(こうげ)」「四奉請(しぶじょう)」/「般若心経」/「発願文」/「大地の歌 告別」/「となえるがよい-法然」「髪の毛いっぽん切るようなこと-法然」「そこがわからなかった-親鸞」「ころしてくれよ-親鸞」「ひとり-一遍」/「白骨」/「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんげ)」※念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)・・・あのかんのんの力を念じれば/賽院河原地蔵和讃(さいのかわらじぞうわさん)/「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」「無常偈(むじょうげ)/「四弘誓願(しぐせいがん)」
「四弘誓願」
ひとびとはかぎりなくいます。
きっとすくいます。
ぼんのうはつきません。
きっとなくします。
おしえはまだまだあります。
きっとまなびます。
さとりはかならずあそこにあります。
きっとなしとげます。
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意味、なんてものはどうでもいいようなもので、お経はコミュニケーションのためにあるのだと思いました。
私事ながらうちは日本人にありがちな浄土真宗か浄土宗かもわからない浄土真宗で、帰省すると祖母だけが熱心に、亡くなった祖父の為毎日お経をあげます。祖母曰く、お経だけが死者と会話出来る共通言語だと、お経をあげることにより爺ちゃんは喜ぶのだと。私は全くそうだと思わないのですが、祖母の喜ぶ顔が見たいので祖母と一緒にお経をあげます。つまりお経ってのは生きてる者の為にあるような気がしてならないのです。
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信仰を持たない私ですが、中学の頃、美術の先生の口から初めて聞いた時から「色即是空」の4文字の魔力にとりつかれっぱなしで、それに、なんてったってこのお経の中には、私の名前の一文字もあったりなんかして。 (父よ、ありがとう。)
そんな単純な理由で魅かれてはおりますが、たぶん「般若心経」を理解するのは、なかなか単純なことではないのでしょうね。
てなことは、置いといたとしてもです!
お経の訳とともに語られている伊藤比呂美さん自身のエッセイでは、その飾らない生き方や感性に触れ、私は何故か気がすっと軽くなりました。
あぁ、私のしてきたことなど、まだまだヒヨッコww
そして、そんな詩人の手にかかると、「般若心経」は
たまらなくカッコイイ詩になってしまうのだーー!!
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異様なオーラを放つ1冊。何遍でも読み返したくなる。あちこちのページを開いては朗読したくなる。
自分の人生を「誤魔化してはこなかった」と、いともあっさり言い切れることの凄さよ。その詩や育児エッセイ(後続の有象無象とはまったく異質)を読んできた者は、それが掛け値なしに本当だと知っている。
老いていきどんどん死に近づきながら長らえている自身の父母を詩人は見つめる。感傷にくるまず、偽悪的にふるまいもせず、ただ見すえる。現代人はなかなか死ねない。死ぬのは大仕事だ。「死」について考える時間はたっぷりあって、もてあましてしまう。
詩人が智慧を借りようとするのが般若心経をはじめとする教典の文章だ。信心するわけではないが、そこにある「言葉」に深い叡智の手触りを感じ取る作者の感覚に共鳴する。詩人により平易な言葉に訳されたお経が驚くべき新鮮さで胸に迫る。
「良いおっぱい悪いおっぱい」シリーズでアカンボから少女までを見てきたカノコちゃんが、働く大人として時々登場していて、まあまあ立派になってと親戚の子を見るような気持ちになった。それぞれの人にそれぞれの人生…。
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著者の環境と重ね合わせながら般若心経についてわかりやすく訳をのせてくれています。
般若心経について全く何も感じていなかった著者が般若心経に触れていく様子から身内の介護に関して寄り添っていく様が描かれています。
わかりやすい訳があるといいなと思っていたときの一冊です。
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昨年末に読んだ、
「とげ抜き」があまりに面白かったので、
これも読んだ。
伊藤比呂美は「家族アート」を、
以前読んで、あまり面白くなかったので、
読まなかったけれど、
「とげ抜き」と同時期に出た、
これを読んで、
やった! と思った。
予想通り、文体が同じなのである。
「家族アート」の時とはたぶん違うはず。
この本も、素晴らしい語り口で、
ん? 誰かに似てるっぽい、
と思っていて、
高橋源一郎に似ている。
今回は般若心経。地下鉄の中で読む。
翻訳がポップで素晴らしい。
笑えるし。
伊藤比呂美はもの凄く、
今、面白い。最高です。
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宗教に関する本、というと
この煩悩まみれの自分が読んでもいいのであろうかと、
なんだかかしこまった感じ、恐れ多い感じがして
手に取るのを躊躇するのだけど、気になる…
お経や祝詞の音やリズムは心地よいものがあるし。
ざっくばらんに、俗人にもわかりやすく
経を著者の言葉で紡ぎなおす。
詩人の綴る言葉、リズムが美しい。
その美しさはシミやしわさえも美しい、
そんな奥深く、味わい深い美しさ。
全く堅苦しくなく、
ところどころでクスリと笑え、ほろりと涙する。
信心深くなるわけではないけど、
“そう思えば心も軽くなる”と感じる。
宗教はそんなところに救いがあるのだろうと思う。
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老母の死を軸に、生、老、死を見つめ直すエッセイが、お経の訳詞とあいまって、りっぱなお説法になっている。きれいごとなく、本音をさらけ出しているのに、抵抗なく身にしみてくるのは、観察眼の素晴らしさと、表現力の成せる技か。おすすめ