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かつて、「時代劇は死なず!」という、京都太秦で時代劇を製作し続けるスタッフに焦点を当てた一冊を書いた著者。今回は俳優・勝新太郎と、彼を支え続けた大映京都、勝プロのスタッフを描く。改めて大映京都の技術水準の高さを感じました。そしてあの「影武者」降板の真相。本当のところはどうだったのでしょうか?
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取材力に驚きます。まるで見て来たかのような筆致にひきこまれます。が、我に返ってみると勝新太郎さん、アスペルガー症候群のような…コダワリが良い方向に向うと天才。主治医のような信頼出来る脚本家さん達の経過観察のもと、映画制作スタッフの理解と、介助によって、無二の俳優さんでありつづけた印象も拭いきれず、ひとりぼっちでは成立しない人生だったと思われます。玉緒さんはじめ家族から見た勝新太郎さんはほとんど登場しませんでした。
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評伝として、とてもよく書けている作品だと思う。勝という才能と熱情があふれている人物を、冷静にしかも息遣いも感じられるほどに描いている。勝という映画人が、天才とは思わないが、北斎が画狂人と称したようには、映像を愛した人だったのだろう。テレビシリーズの座頭市の記憶がなく、あらためて見直してみたいと強く思わせる、そんなパッションが伝わる文章でした。天才というタイトルは、著者の本意だろうか。
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小さな時に、勝新が「影武者」から降ろされた!!ってお袋が騒いでいたときからが僕の勝新に対する記憶なんだけど、全盛期ってそんなに知らないんだよな、ビデオの中でしか。三味線を弾いてる姿がエライ格好良かった記憶があるけど。
彼が「影武者」を降ろされたってのには、彼が演出家だったからって要素が強いんだね。ただの俳優だと思ってたんだけど、プロデューサーであり、演出までやってただなんて、正にスーパーマンだよ。僕も「座頭市」は何本か見てて、殺陣や演出がスゴいなあと思ってたけど、それも一手に引き受けてただなんて。
著者はまだ若いんだけど、当時のことをよくヒアリングしてるし、何より自分の時代でないことに、それも歴史的事実いなっていない近過去のことにここまで愛情を持って書けるのはスゴい。当時の熱気がよく伝わってくる。映画関連では「くたばれ!ハリウッド」以来の面白さだった。
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面白かった!カツシンのイメージが変わった!勝新太郎は、日常でも勝新太郎を演じることによって勝新太郎でいることができたのだろう。オレ何言ってんだろう(笑)いずれにしろ、「天才」とは周囲が作り出した姿に過ぎないということだ。
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現在、時代劇専門チャンネルで「座頭市」シリーズ全26作品を放映中なのです。
シリーズ後半の「勝プロ」製作作品の中には未ソフト化の作品もありますので、まことにありがたいのであります。
で、改めて感じるのは、「座頭市は面白い!」といふことですね。カツシンがいつまでも長谷川一夫ばりの白塗り二枚目にこだはつてゐたら、彼は映画界から消えてゐたのではないでせうか。
カツシンは旧来の映画がいかに退屈であつたかを人々に悟らせやうと、自ら映画製作にかかはるやうになります。脚本にがんじがらめになる演出を否定し、現場で演出プランが決まつていくので、勝監督にとつて脚本はあつてないやうなものでした。予定された驚きとかを嫌ひ、「偶然=完全」などと説いてゐました。
その独特かつ斬新な理論に、本書のタイトルにもありますが、人々は彼を「天才」と呼称したものであります。
凡才の私には、カツシンが天才であつたかどうかの判定など出来るわけもありません。
『天才 勝新太郎』は、若い研究者である春日太一氏による評伝であります。
市川雷蔵に追ひつかうとしてもがいてゐた若手時代、勝プロ時代、黒澤明監督作品での降板、最後の「座頭市」で死者を出してしまつたことなど、情熱的に語ります。カツシンに対する愛情といふか敬愛の念が感じられるのであります。力作と申せませう。
しかし彼の生涯を俯瞰して見ますと、常に不満状態で、満たされることの少ない映画人生といふ感じがします。カツシンの死後、奥方の中村玉緒さんが(世間ではカツシンは好き勝手なことをしてきたといふ声に対して)、あの人は本当に好きなことをやれたのでせうか、と語りました。本心でせう。
http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-196.html
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勝新太郎とマラドーナは同じタイプの天才と思っていたが、そうだと確信する一方、それだけではないことも知る。
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表題は「天才 勝新太郎」だが、紙一重の所で「奇人」、もっと言えば「狂人」としか思えない不世出の俳優だろうと思う。
数々の逸話を残して別世界へ行ってしまった「カツシン」。もし生きていたら座頭市に代わる何かを仕掛けてたのではないかと思うが、一方で、これに固執しすぎて映画界から追放されるような事件を起こしたかも知れないともイメージしてる。
よく、俳優は役柄になり切るというが、この人の場合は「憑依」してそのものになってしまう所が本当に怖さと凄みを感じた。
但し、絶対にこんな人とは付き合いたくないと誰しも思うだろう。
そういう意味でも、「狂人」とはこういうもの、かつて映画界に一人の「狂人」がいた歴史を知る意味でも一読に値すると思う。
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勝新太郎は、たしかに天才だったのだ。台本は初めからあって無きが如し。突然、即興で芝居を始める勝。プランの変更につぐ変更。混乱をきわめる現場と振り回されまくるスタッフ。しかしフィルムをつなげてみると、とてつもない作品に仕上がっている――こんな綱渡りのなかでよく作品をつくれたものだと思う。評伝を読む楽しみが凝縮された傑作。
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イオンモールで購入する。バスの車中、ドトールで一挙に読む。正直、期待ほど面白くない。ただし、面白くないわけではない。期待が高すぎただけです。僕のこの俳優への認識は、「迷走地図」、「中村玉緒」、「大麻」です。多分、この認識が世の多数派でしょう。第1に、幹部候補生ではなかった。最初は、ゲテモノ映画ばかりだった。芸術映画、社会派映画は好みではなかった。第2に、脚本家、演出家を兼ねた俳優だった。そのため、脚本家、演出家との衝突は必然だった。黒澤監督が例外ではない。全ての巨匠と衝突している。これは意外だった。最後に、テレビの内情は意外でした。大映崩壊後、組合管理になり、安価な料金で有能なスタッフが雇えた。徳間書店がオーナーになり、通常の料金を払う必要になった。東京へと仕事場を移すことになった。東映撮影所への評価の低さはどうもよく分からない。それだけです。
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勝新太郎という天才の魅力を、神話ではなく事実と証言から書ききった1977年生まれの著者の筆力を尊敬します。天才を形容するのは何よりも難しい。
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山城新伍さんの『おこりんぼさびしんぼ』読んでからの『天才 勝新太郎』だったけどどちちも素晴らしいし、魅力的な人をここまでうまく伝えられるのは著者の力量と対象への想いや気持ちがあるからだとわかる。いろんな人がオススメしてくれるのもわかる。
すごいわ。
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私たちの世代にとって勝新太郎といえばなんといってもパンツにコカインのイメージが強烈すぎて、子どもごころにもとにかく規格外なとんでもないおっさんだなということだけはわかった。
(この「とんでもなさ」は、おそらくあの時代の映画人が多かれ少なかれ共通してもっていた資質なのであって、私じしんまさにそこに魅力をかんじたからこそ黄金時代の日本映画にずぶずぶとはまりこむようになったのだが、それはまたのちの話。)
さいごの映画「座頭市」(勝新にとって最後の、という意味です)がせいぜいリアルタイムで、かつての、プログラムピクチュアとしての座頭市は東京の大学生として名画座やビデオでみた口だ。テレビシリーズにいたっては、まともにみたことすらない。
さて関係者への綿密な取材をもとに語られたここでの勝新の姿は、予想以上というべきか、やっぱりとんでもないものであった。
ただしそれは、みるひとそれぞれの内に消化できないほどの大きさ、強烈さ、を突きつけるなにものかなのであり、だからこそ「規格外」なのだ。制御できない何かを敬して遠ざける、といえばきこえはいいが、要するに「怖い」のだ。安寧とした日常を打ち破りかねない存在感を無意識にも感じとっているから、「パンツのおじさん」とレッテルを貼り、笑いをまぶして、どうにか自分のなかにおさまりどころをつくるのだ。
没後17年、そろそろ私たちは勝新太郎という存在をまるごと受けとめる時期にきているのではないか。
そしてそのために、この本はまたとない材料を提供してくれるだろう。
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勝新太郎が、ここまでの“クリエイター”であることは、まったく知らなかった。テレビの「座頭市」で勝が口伝いに演出プランを練っている音声が残されている。次から次へと口をついて出てくる市の世界観、ストーリー展開はすごい!と思った。まわりのスタッフはヒヤヒヤものだと思うけど…。それだけに、名監督はなかなかうまくいかず、黒澤明の「影武者」から降板させられる。現場で当時流行したホームビデオを回していた、というのが最終的な理由というのも面白い。完成しそうになると壊してしまう。そんな勝新太郎の生まれついての性が彼の人生を湾曲させまくる。とても読み応えのある評伝でした。
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昔いたという勝新太郎が目の前で生きているような内容だった。
時代劇のすさまじいまでの職人たちのつばぜり合いが見えてくるようで、そんな時代の中の、一時代を築きあげた勝新太郎という天才が何を追求し、何を映画の中に残してきたのか。
こだわり抜いた作品を作ろうとし、そのために周りを振り回しつづけてきたすさまじい生き様に驚愕した。
作者の取材力も素晴らしく、時代劇にほとんど触れずに来た自分にも伝わる良い本だった。