投稿元:
レビューを見る
忙しい時期なので、買っちゃダメ!と思いつつ、ちょっとずつ読もう!と思いつつ一気に徹夜で読んでしまいました。
読んでいて、映像が浮かんでくる描写力は健在。
前作ヒトのオスは飼わないの(ああこのネーミングセンス!)を読んで米原家の毛深い家族たちのその後が気になった人も、単なる犬猫好きも、米原さんのふぁんも皆楽しめる一冊です。
残念なのは、これでこの世で読める米原さんの本がまた一冊減ってしまったこと…ああ、もっとゆっくり読めばよかった−
投稿元:
レビューを見る
生まれ変わったら、我が家のネコになりたいと思っていたけれど、万里さんとこでもいいな・・・ ニャースを見送ったばかりで読むにはちと辛い本だった。また、落ち着いたら、前作の「ヒトのオスは飼わないの?」から読み返そうかな。
投稿元:
レビューを見る
何度か聞いたことがある作者だったのですが初めて読みました。タイトルに惹かれて(笑)。
私は犬も猫も好きなのですが一人ではこれほどの子の面倒は見られないだろうなあ…とただただ感心致します。そんな作者ですから子供や孫とまで称した子をおいて逝くのはどれほどの心残りだったろうかと思います。ご冥福をお祈りいたします。
今度はこの方の翻訳について書かれたエッセイを読んでみようかなあと思いました。
投稿元:
レビューを見る
タイトルとジャケ買い(南伸坊さん)
ねこと犬をたくさん飼っていた翻訳家の一生。とりあえずパワフル。
好きなおばさんがまた一人ふえて、うれしいです。
投稿元:
レビューを見る
『ヒトのオスは飼わないの?』の続編。第2部には祖父や父の生き方とごく小さい頃の子供の頃を振り返った記載もあり、これまでのエッセイと少し趣が違い新鮮でした。こんな風に育ったのかー。秘書さんによる毛深い家族たちのその後の報告もあります。ゲンにはついに再会できなかったのか、、、ととても残念。巻末の年譜を見ていたら未読の著書がまだあることが判明。順番に読まなくては。
投稿元:
レビューを見る
米原作品との出逢いは『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』を
大学時代の通訳のコマの先生からの課題図書で読んでから。
そのユーモアとウィットに富んだ文体がとてもおもしろくて、
ロシア語とは無縁ながら、ずーっとファンで作品を読んでいる。
本書は米原さんがこれまでに一緒に暮らした猫や犬にまつわるエッセイ『ヒトのオスは飼わないの?』の後日談。
米原さん亡き後、犬たち、猫たちはどうなったのか、のお話。
投稿元:
レビューを見る
ヒトのオスは飼わないの?の続編。併せて一気に読破。
エッセイに涙することもあるものなのです。
犬猫の話だけではなく、ところどころに本職であるロシア語通訳の話も出てくるが、原子力に関する仕事も多く、核の阿保さを織り交ぜてつづっている。昔なら、なんとも感じないであろうトピックも、今この時、この状況では痛いほどに心に染みいる。
しかしこのシリーズ、何かに似ている…。どこかで読んだことがある…。
ホワッツマイケルの活字版だ…。
投稿元:
レビューを見る
作者の書く文章は、一見辛口で手厳しいが愛情に溢れている。
これまで読んだ本ではそれが全て人に対しての表現だったが、今回は違う。
犬や猫、動物に対しての、人に対するそれと同じ(もしくはそれ以上?)の愛情を感じられるのがこの本である。
逃げ出して戻ってこなかった犬、病気になった猫、大切な“毛深い家族達”を失う度に、作者はとてつもない喪失感、自責の念にかられる。
それを読んで、改めて作者の愛情の深さを感じることができた。
これ以外にも家族の思い出などが収録されており、作者をより深く知ることができる一冊である。
投稿元:
レビューを見る
子供の頃、家で犬を飼っていたことがある。それはかわいいものだったけれども、それでも、子供にとっては犬の世話は最優先事項にはならないので、自分が遊びたいときだけ犬にかまうというような飼い方だった。それは、良い飼い主とは言えないということがこの本を読めばよく分かる。全く犬や猫に対する愛情に溢れた本だが、ヒトのオスは愛情をそそぐに値しない、ということだろうか?まぁ、別に反対はしないけれども。
投稿元:
レビューを見る
前作「ヒトのオスは飼わないの?」の続編と自身の両親や自らの「死亡記事」を収録した「終生ヒトのオスは飼わず」の二部構成になっている本です。僕が彼女を知ったのは彼女の死後でしたので、その辺が悔やまれます。
この本は筆者のエッセイ「ヒトのオスは飼わないの?」の続編と、自身の両親や旧チェコスロヴァキアのプラハですごした幼少時代。そして、自身の手による「死亡記事」が収録された「終生ヒトのオスは飼わず」の二部構成となっています。
前作の「ヒトのオスは飼わないの?」で筆者から惜しみのない愛を注がれた「毛深い家族たち」がその後、どのような運命をたどったのかということ。飼い犬のゲンが行方不明になったり、野良猫との情事で子供が生まれたロシアからもらってきたソーニャ。貫禄を持ったオス猫としてほかの猫たちを見守り続けた無理。人間の年齢に換算すると80歳以上の「おばあちゃん」のノラ。
過酷を極める通訳という仕事の傍ら、筆者の彼ら彼女らを見守るまなざしはこちらも読んでいて、和むというか、癒されるというか…。筆者のようにたくさんとは行きませんが、僕も将来、「毛深い家族」を持ちたいな、という気持ちになりました。
「終生ヒトのオスは飼わず」では自身の家が共産党である関係からか、さまざまなヒトが出入りして暮らしていたということや、ご自身の両親のことなんかも書かれてあって、興味深く読むことができました。僕が彼女のことを知ったのは佐藤優さん経由で、しかも彼女が亡くなってからのことですので、その点が非常に残念でなりません。初めて彼女のエッセイを読むには向きませんが、面白いとは思いますので、できれば彼女の本を2・3冊ほど読んでから読むことをお勧めします。
投稿元:
レビューを見る
とてもわかりやすい文章。
猫などの動物に対する心。
人であっても、動物であっても、同じようにやさしさが向けられる。
本当は、人間に向けられるとよかった思い。
もし、米原万里さんが、人間の雄を飼っていたらよかったのにと残念に思いました。
あるホテルの文庫コーナに常備してありました。
面白くて一晩で読めました。
投稿元:
レビューを見る
毛深い家族たちは、家族だからこそ溺愛もあれば腹の立つことも、気持ちが通じなく感じることもあるんだね。だからこそ、ペットじゃなくて家族なんだね。
投稿元:
レビューを見る
著者のイヌ、ネコに注ぐ愛情の深さは、ハンパじゃない。頭の下がる思いだ。ちゃんと彼らの視点からも考えて行動しているから。ただ可愛いというだけじゃない。一緒に生活している仲間としての『目』だ。どのコのキャラもしっかり立っている。著者の芯がブレていない。
投稿元:
レビューを見る
しぬまで独身だった著者が飼っていた猫や犬について書かれたエッセイです。ペットは家族という意味を履き違えていない著者の”家族”へのやさしさに心がほっこりしました。
九州大学
ニックネーム:山本五朗
投稿元:
レビューを見る
著者が一緒に暮らした猫たち犬たち、ご近所の人や友人、仕事について書かれた前半部と趣を異にする自身の生い立ちや両親、言語についての後半部から成る本書は目のつけ所のニクい映画の二本立てのよう。
ほんわかした装丁デザインを気持ちよく裏切ってくれる著者の骨太な筆致、生き方はひれ伏したくなるほど熱い。仕事にも動物にもなぜこんなあふれんばかりのエネルギーで向い合うのか合えるのか、後半の生い立ちが種明かしのようになっている。後半部は「文藝春秋」「諸君!」への寄稿の再録でテーマは憲法第九条からロシアの叙事詩と多岐にわたるが掲載後十年以上たった今も深く刺しこんで来る。憲法第九条を「貞操帯」に喩える彼女の重くも軽やかなセンスは外国語や他の文化に半分以上足を突っ込んでることにも無縁じゃないのだろう。猫好き、犬好き、言語好きな人は全員読むとよい。