紙の本
80歳代の回顧と博識とを日常へと呼びもどす呪文の書。
2010/04/20 14:22
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この新書、読み応えがありました。なぜならば、80歳から月一回の連載を7年つづけたのを、こうして一冊にまとめてあるからなのでしょう。さて人間80歳を過ぎるとどうなるか。
「出典をあきらかにして、引用を正確にするところから、私はもはや遠いところにいる。」(p60)
そういう鶴見氏が、自分のことを回顧しながら、それが自慢話にならずにすんでいるのは、たとえばグレタ・ガルボを語ったこんな箇所に、その気構えが出ているように思えます。
「この人は、晩年、ニューヨークにかくれて住んだ。老夫婦とすれちがう時には、うらやましく感じることがあると友だちに言い、『名声と欲望が自分をほろぼした』とつけ加えた。自分の生涯をふりかえって、こんなふうに言える人はすばらしいと思った。」(p21)
こういう「すばらしさ」をどうやら、この新書でめざしておられるように読めました。
さまざまな出会いを、そのつどの一期一会として、反芻しているような文章で、さまざまなお名前が登場するのでした。その一般的にいえば有名人を語って、イヤミにならないのは、どうしてなのか。たとえば柳宗悦の本を紹介しているこんな箇所。
「蒐集は、美術館に行っても、そこにあるものとくつろいでつきあう感じにならないと、心に残らないそうである。」(p28)
「私は今でも、自分の小学校の級友四十二名をあだ名でおぼえている。」(p66)
それでは、すこし長い引用。
「丸山真男は、自分の雑談が活字になることを嫌った。丸山さんは亡くなり、その雑談を私はここに書くことになるが、許してくれるだろうか。
1967年のある日、私は何か用事があって、都内の喫茶店で丸山さんと会った。ちょうど私は校正刷りをもっていて、丸山さんに、『評論の本を出すので、その題を、『日本的思想の可能性』ということにしました』と言うと、『それはよくない。君が僕に教えてくれた最大のことは、日常的ということだ。』私はおどろいた。・・・私はすぐ出版社に電話し・・本の題名を変えた。・・友人をどう定義するか。私は、その人に敬意をもっていることが第一の条件と思うが、それに加えて、その人と雑談することがもうひとつの条件としてあると思う。」(p136~137)
う~ん。あなたが読めば、あなたの別の視点で、芋づる式に言葉がつながって出てくる。そんなような、豊かな新書一冊。博識を日常の次元に呼び戻す呪文を、手放さずにいようとする80歳代の回顧の記録。
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心がささくれ立つようなことがあった日、鶴見さんの文章を読むと,なんとほっとすることか。
書き始めの一文で,そうなんだと思い、2行目で妙に納得する。
お肌には美容液だろうが,私の,乾いた心の何よりの美容エキス。
週末、ゆっくり味わいたいな♪
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その時代(戦中)を生きたインテリの方の思い出で、
とってもリアルな感じでよかったです。
著者と年の近い実家の父(数年前に死去)に読ませてあげたら、
さぞ面白がったことでしょう。
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やんちゃな少年時代を過ごした作者。楽しく読ませていただいた。
思い出に「2・26事件」や「安部定」があり感慨深かった。
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戦中・戦後の自身の経験や記憶を辿った小話集。著者が影響を受けた人や本のこと、戦争という記憶や「言語」に対する姿勢など、いろいろと考えさせることが多く含まれていた。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/3f161cfe2910d51f3b4b9c4c80434084
http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/3fcb64deeb4af50c20d1d20586ee7f45
http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/34fc80ce66e03f96d38b484707f0528e
http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/15340d4f121c0698d32331bc1d397da1
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名前も知っているし、原稿を読んだこともある。
けれども、自分にとっての読み時があると言うのか、
突然、その人の文章が身体に沁み込んでくる感覚がある。
鶴見俊輔『思い出袋』を読む。
岩波の雑誌「図書」に著者80歳の時から
7年かけた連載をまとめた新書である。
鶴見はハーヴァードの哲学科に学び、
戦時中はシンガポール、インドネシアで短波放送の解読や
幹部向けの新聞づくりなどの任務を果たした。
後に鶴見がベ平連の活動として
良心的兵役拒否の米兵を助けたことは
幼少から大学時代、そして戦時中の体験に連続した行動であった。
僕が鶴見に共感するのは、
国家から意識の距離を置き、国家の過ちも見逃さないことと
それでも国家に属することを受け入れる個人を貫く生き方だ。
本書はそうした鶴見の考え方、生き方が
平易な文章で書かれている。
難しいことを平易に書くのが真の知性である。
自分の中に生きる不良の自分に水を枯らさぬようにする
と断言する80代。
鶴見の全著作と時間をかけて対話したいと僕は思った。
昨日は若手同僚の結婚パーティに出席した後、
電車を乗り継ぎ、西太子堂の会員制角打ちKに寄り道した。
うまい酒と簡素なつまみで鶴見の著作と対話してみたかった。
Kの親父がで愛を込めて綴る
名酒「小左衛門超活性にごり」は季節ものだけに
店にあるうちに味わっておきたい。
親父や常連らしき客が「あわあわ」と呼ぶのがこの酒だ。
家族経営のこの店で「チーズ盛り合わせ」を注文すると、
忘れかけた頃合いにおばあちゃんが運んできてくれる。
わずか300円のつまみと侮るなかれ。
4種のチーズ(ブリー、ほうれん草、トマト、クリーム)
と軽く焼いたプレーン・ラスク3枚が小皿に並ぶ。
これが日本酒に実に合う。
親父の日頃の研究成果の一端を披露するつまみなのだ。
テーブル代わりの酒樽に酒とつまみを並べ、頁を繰る。
いい感じに酒が回り始めて、
鶴見の言葉がするりするりと身体に入ってくる。
にごりは気づくと腰を取られるから用心が要る。
が、この「あわあわ」、もう一合だけ飲んで帰りたい。
家までちゃんと帰れるかな?
(文中敬称略)
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吉本隆明「追悼私記」
「中井英夫戦中日記」
「おだんごぱん」
「いっしょうけんめい生きましょう」
内山節
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[ 内容 ]
戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。
抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。
著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。
[ 目次 ]
1 はりまぜ帖
2 ぼんやりした記憶
3 自分用の索引
4 使わなかった言葉
5 そのとき
6 戦中の日々
7 アメリカ 内と外から
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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岩波の「図書」で読んだはずだが,記憶のない話もかなりあった.でも,哲学者というのはものを考える基本が異なっている感じがする.
膝を打つ話が満載だ.
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戦中、戦後を通して出会ってきた多くの人、本、出来事について語る。歯に布着せぬ物言いで読んでいて心地よく、簡素な文体であるにもかかわらず非常に滋味溢れている。気が利いたこと、本質を突くようなこと、その鋭さは、二人は全く違ったタイプの人間であるが小林秀雄先生を思い起こさせた。
吉本隆明の『追悼私記』「三島由紀夫」には、こうある。
「知行が一致するのは動物だけだ。人間も動物だが、知行の不可避的な矛盾から、はじめて人間意識は発生した。そこで人間は動物でありながら人間と呼ばれるものになった。
<知>は行動の一様式である。これは手や足を動かして行動するのと、まさしく同じ意味で行動であるということを徹底してかんがえるべきである。つまらぬ哲学はつまらぬ行動に帰結する。なにが陽明学だ。なにが理論と実践の弁証法的統一だ。(中略)こういう哲学にふりまわされたものが、権力を獲得したとき、なにをするかは、世界史的に証明済みである。こういう哲学の内部では、人間は自ら動物になるか、他者を動物に仕立てるために、強圧を加えるようになるか、のいづれかである。」
他方著者は今もって三島について感想をまとめられないという。三島の自死のしらせを聞いたときのうろたえがまだのこっているのだと。
追悼の言葉は日常の言葉とかわらない。まにあわないことがあるのだ。と
そして今日、アップルのCEOであるジョブズの死の知らせを聞いた。追悼の心はある。しかし感想はまとめられない。
言葉がいま感じているその心に足りないこともある。
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著者、鶴見俊輔が80代で連載していたエッセイを纏めた本。著者は、ハーバード大の哲学科卒の哲学者であるが、文章は平易で読みやすい。
青年の頃にアメリカに留学(放逐された?)した経験もあり、日本への視点も鋭い。その主義・主張・軸は加藤周一に通じるものがある。
この主義・主張・軸は明治を知り、戦前、戦中、戦後を知る者の感性から生まれてくるものであり、現代社会の我々も心に留めておきたい。
(引用)
・ベネディクトが日本文化を「恥の文化」としておおざっぱに規定したのに対して、作田啓一は、日本文化の流れに恥とは別に「はじらい」の感覚があることを、太宰治の作品の分析をとおしてくり広げた。
・「〇〇は古い」は、明治以来百五十年で最も長持ちしている文化遺産かもしれない。・・・文明はエスカレーターに乗っているように二階三階と進んでゆく、というまぼろしが日本の近代史にはあり、それは敗戦をはさんで復活した。・・・・温故知新は、新知識の学習とともに、私たちの目標としてあらわれる時がくる。
・なぜ、日本では、「国家社会のため」と、一息に言う言い回しが普通になったのか。社会のためと国家のためとは同じであると、どうして言えるのか。国家をつくるのが社会であり、さらに国家の中にはいくつもの小社会があり、それら小社会が国家を支え、国家を批判し、国家を進めてゆくと考えないのか。
・心は自分以外のものを見ていないと、正気を失う。アウシュビッツの強制収容所に閉じ込められたフランクルは、おなじ仲間の老女がいきいきと毎日を過ごしているので、どうしてかとたずねた。すると、彼女は道に見える一本の樹を指して、「あの木が私だ」と言う。
・日本の大学は、日本の国家ができてから国家がつくったもので、国家が決めたことを正しく正当化する傾向を共有し、世界各国の大学もまたそのようにつくられていて、世界の知識人は日本と同じ性格をもつ、と信じている。しかし、そうではない。若い国家であるアメリカ合衆国においても、ハーバード大学は1636年創立、アメリカ合衆国の建国は1776年で、そのあいだのしばらくの年月は、米国の知識人の性格に影響を与えてきた。
・2百年前の渡辺崋山、高野長英、百五十年前の横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作、百年前の児玉源太郎、高橋是清、さらに夏目漱石、森鴎外、幸田露伴たちは、大づかみにする力を、その後の人たちにくらべてもっていた。
・日本の国について、その困ったところははっきりと見る。そのことをはっきり書いてゆく。日本の国だからすべてよいという考え方をとらない。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける。
以上
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鶴見氏の様々な戦前からの体験談が書かれていて非常に興味深い。
日本を代表する哲学者の青年時期にどのようなことを考えていたのかがわかる。
19歳で開戦を迎えて、その時ハーバードに留学していたのか。
私も鶴見氏のように生きていきたい。
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不良少年として生きる……国家と個人との関係を思考し続けてきた鶴見俊輔氏の力強い回想録。
「くに」にしても「かぞく」にしても、それは現象として仮象的に存在するものにすぎず、モノとしての実体として存在するわけではない。しかし、誰もが一度は「くに」や「かぞく」を巡って「引き裂かれてしまう」のが世の常だろう。戦後思想史に独自の軌跡をしるす哲学者・鶴見俊輔さんは「不良少年」としてその歩みを始めた。名家・後藤新平の孫として生まれるが「不良少年」は日本を追われるように15歳で単身渡米、ハーバード大学へ進学して哲学を学ぶ。日米開戦とFBIによる逮捕、そして交換船での帰国と軍属の日々……。
本書を著した時点で氏は88歳、自身の経験した出来事や人々との交流、そして印象的な書物の思い出を率直に綴っている。
鋭利な知性と人間味溢れる感性が光る多彩な回想のなかでも、北米体験と戦争経験は、著者の思想的原点を鮮やかに示している。そしてみじんも変節がないことには驚くばかりだ。
戦前、友人と日米開戦はあり得るのかと議論になったという。そのとき氏は次のようにいう。「日本の国について、その困ったところをはっきり見る。そのことをはっきり書いてゆく。日本の国だからすべてよいという考え方をとらない。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける」。国家と個人の関係を正視眼で思考し続けてきた氏ならではの重みある言葉だ。
しなやかな知性とは、神の眼をもつことではない。たえず揺れのなかで自己を鍛え上げていく事なのではないだろうか。そのために必要なのは「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」ことだろう。
社会の不条理に苛立つことは避けられない。そんなとき本書をゆっくり読むことをお勧めする。読むごとに目を閉じ、その言葉を噛みしめることで、もう一度歩み出す勇気をもらうことができる。
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「自分にとってしっかりした思想」という話が印象に残った。
「この戦争で、日本が米国に負けることはわかっている。日本が正しいと思っているわけではない。しかし、負けるときには負ける側にいたいという気がした。」という一文。