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第2弾事業仕分け前の必読書!
2010/04/17 02:49
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ムー民 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「事業仕分け」というトピックスにまず手がのびた。
結局どういうことしてたのか、どういう成果となったのか、メディアの報道の抜粋情報だけではよくわからなかったから。
もっと堅いことが延々と述べてあるのかと思っていたら、枝野さんの任命のお声がかかったときの戸惑いだったり、どのようなことを考え、注意して統括していたのか、等々個人としての視点が反映されてあり、その責務の重大さに対してどのように応えていったのかがよくわかった。
こうした重要な責務を担う人を適切に選ぶ義務がある私たちは、より正確に物事を認識する力が個々人に求められている、と思いました。
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「事業仕分け」は、二つの部分から成り立ちます。議論して仕分けるまでが前段、で重要なのは仕分けた結果を実施し、無駄をなくす部分。実は、政治家や官僚はこの後半の部分で、実施をしません。私たちは前半だけを見せられ拍手をしていたわけ。そうやって国民をだました男の弁がこれ
2011/06/13 20:59
11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災、原発トラブルに日本が見舞われていたとき、私は家族でドイツ旅行をしていました。いえ、地震当日は日本にいました。夫は会社で一晩過ごし、翌日の昼に漸く帰宅。長女にいたっては当日、日光で遊んでいたのが祟って、その夜は友人となんとか見つけた避難所で一夜を明かし、歩きとバスでJRの駅まで出て、一向に出る気配のない電車が動き出すのを待って、土曜の夜帰ってきました。私たち一家が離日する外国人で溢れる成田を発ったのは翌日の日曜日でした。
前々から決めていた家族旅行は、ともかく出発こそできたものの、乗り継ぎは失敗、帰りの便は飛ぶかどうかも分からない、そういうある意味、スリリングなものではあったわけです。そして、ドイツ、ウィーンのホテルで繰り返し見る日本の被災の映像の後に、最初は頼もしく、後にはまた言葉ばかり、と思わせるほどに繰り返し登場したのが、この人、枝野幸男でした。
そして、この本は枝野がその名を一般に知られるようになった〈事業仕分け〉について、語ったものです。〈事業仕分け〉については、すでにそのメッキの皮が剥げ、結局あれはパフォーマンスでしかなかった、あの場での決定は、あくまであの場限りのもので、なんの効力もないもので、現に、仕分けられたはずの多くのものが、そのままの形で、或いは名前を変えて生き延び、無駄が続いていることは周知の事実です。一体、あれは何だったのか、それを当事者の言葉で語ったのが、この本です。
カバー折り返しには
*
二〇〇九年一一月、新政権が設置した行政刷新会議による「事
業仕分け」は、世論調査で国民の八割が支持。日本における
政治文化のターニングポイントとなった。この仕分けの「統括」と
して、議論をリードした著者が、事業仕分けの意義と仕組みを
平易に説き明かす。国の債務残高は、二〇一〇年度末で九七三兆
円超。この巨額の財政赤字を前に、これ以上、税のムダ遣いは許さ
れない。意義の不明確な事業、事業の重複、ピンハネ、中抜き構造、
組織のための組織など、あらゆるムダを炙り出し、税金の使われ
方を国民主権の観点から見直す事業仕分けの実相とは? そし
て、仕分けに対する数々の誤解や批判にも答える。
*
とあります。仕分けについての誤解はとけても、最大の仕分けである公務員給与の引き下げと、公務員数の削減の声は全く民主党からは聞こえず、東京の一等地にオフィスを構える特殊法人や、日本橋や赤坂周辺にひっそりとフロアを借り切っている政府の出先機関としか思えない実態不明の組織はその数を減らす様子も見えません。まして、原発を推進してきた組織と官僚たちの関係など、マスコミは調べる気配も見せません。勿論、民主党が何かをいうこともない。その現実を見れば、この本の価値も大きく減じざるをえなくなります。逆に、政治力学の目で見れば、別の価値があります。
そう、反小沢一郎の代表者としての枝野の考える政治のありかたがよくわかるからです。要するに政治の放棄です。分からないではありません。民意の反映を素直に数の論理で行おうとすれば、政治家はたんなるその数を代表する装置に過ぎないはずです。そういう考え方に立つ枝野が、政治家が政治の主導を握るべき、と考える旧来の政治家、或いは小沢一郎を嫌うのは当然かもしれません。
その結果、生まれるのが何か、政治を放棄した政治家では、今の国際社会には対応しきれないという現実です。尖閣列島問題、領土問題、安保問題となれば何もできない。逃げ込むのは民意という名の無責任の陰。それが一番よくわかるのが第三章 事業仕分け最前線、の〈「ピンハネ、中抜き」――宇宙飛行士毛利衛さんの訴え〉と、第四章 事業仕分けに対する批判に答える、の〈「二位じゃだめなんでしょうか」発言の真意〉ではないでしょうか。
まず前者。でも、「ピンハネ、中抜き」が絶対に悪いなら、なぜそれをもっときちんと書かない? それこそ日本の天下りの最大の問題点であり、まさに官の汚職の源泉でしょう。本一冊まるまるかけて、実例を挙げ、論じるべきものでしょう。それをしない。
それと〈「二位じゃだめなんでしょうか」発言の真意〉の言いわけ。私たちというか我が家で蓮舫議員の発言が受けたのは、まさに「ピンハネ、中抜き」があるとか、「そこに無駄がある」からではなく「一番でいなければいけない」という学者、政治家、大人の考え方が、子供たちから夢を、自由を、奪い、貧者を負け犬として弾きだそうとする現代日本の病根となっているからです。
この国威発揚的考えは、そのまま「少子化は国のためにならない、日本は国連の常任理事国でなければならない、オリンピックは日本で開かれなければいけない、原発は必要で、国が言うことは絶対に正しい、国産ロケットは必要である、そして防衛は自国で」となっていきます。まさに自国軍を持たねばならないとする前原と同じ考えです。
逆に不要な組織、天下った官僚は撲滅されたのでしょうか。もし、それらが温存されたままだとすると、少なくなった予算はまず、その諸悪の根源たる天下り高級官僚や無駄な役人が先に分捕り、残った僅かのものだけが文化事業の当事者に施されることになります。私たちは、事業仕分けの劇場的な場面は見ましたが、現実にどの天下り先が消滅し、無駄な組織がなくなり、役人がどれだけ減ったのかを知らせれない。マスコミは追いかけない。結局、上の官僚は生き延び、企画だけが矮小化し、下で働いている人だけがクビを斬られる。
総じて、この本はマスコミに甘い。触れない、ということは基本的に今のマスコミを認めるということです。確かに、民主党はマスコミの誘導により政権を取りました。そして枝野たちは、マスコミの一方的な報道により政敵小沢一郎を葬ろうとしています。マスコミ様さまです。でも、私たちは知っています。役割を終えたのは55年体制だけではありません。それを支えた行政、経済、マスコミも既に死に体であることを。
本来であれば、全ての行政法人について、自らその必要性を証明させ、自分たちの事業の正当性を論じさせるべきでした。そして、それが出来なかったものは、現実の政治の中で本当に不要なものとしてその場で解体させる、その姿を見たかった。それなくして、消費税議論は不毛です。まして、震災があったから増税という安易な発想。みんなんの党の言葉ではありませんが、「どうなったんですか、肝心の行政改革は?」です。事業仕分けは、その中の一項目でしかありません。
この本は、結局、政敵小沢一郎たちの政治を否定するのを目的にしているのではないのか、そう思えるのです。マスコミは、自分たちの世論調査は正しく、ネットにおける小沢有利はオカシイ、だからネットは危険だ、と論陣を張ろうとしました。それは風評被害を一方的に断罪し、自分たちの流す官製ニュースこそが正しい、という今につながって行きます。
私に言わせれば、55年体制をそのまま引きづり、広告主に頭を下げるだけのマスコミの正当性コソ怪しい、そしてそれに支えられた菅政権こそマスコミの傀儡だと思うのですが・・・
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自画自賛もあるが,自民党時代からのいきさつも記述している
2010/06/12 09:29
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
民主党政権による事業仕分けで主役をはたした著者が,そのいきさつから経過,結果などについて書いている. 事業仕分けを企画し実行した側からの記録なので自画自賛も感じられる.しかし,事業仕分けの実現にいたる軌跡に関しては,自民党政権時代につみかさねられてきた努力を民主党がひきついで実現されたことが記述されている.
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『マスコミ報道は、事業仕分けの一部しか報道していない』という点は理解は出来るが、事業仕分けをする事によって、どうしたいのか、そこが知りたいのですが・・・。
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[ 内容 ]
二〇〇九年十一月、新政権が設置した行政刷新会議による「事業仕分け」は、世論調査で国民の八割が支持。
日本における政治文化のターニングポイントとなった。
この仕分けの「統括」として、議論をリードした著者が、事業仕分けの意義と仕組みを平易に説き明かす。
国の債務残高は、二〇一〇年度末で九七三兆円超。
この巨額の財政赤字を前に、これ以上、税のムダ遣いは許されない。
意義の不明確な事業、事業の重複、ピンハネ、中抜き構造、組織のための組織など、あらゆるムダを炙り出し、税金の使われ方を国民主権の観点から見直す事業仕分けの実相とは?そして、仕分けに対する数々の誤解や批判にも答える。
[ 目次 ]
第1章 「政治文化」の革命としての事業仕分け
第2章 事業仕分けとは何か
第3章 事業仕分け最前線
第4章 事業仕分けに対する批判に答える
第5章 有権者の意識改革としての事業仕分け
補章 事業仕分けの歴史
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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民主党も事業仕分けはよく頑張っていたようだが、世間の賛否両論は大きい。
政治文化を変えるきっかけになった。
事業仕分けで評価、判断するのは、多数決民主主義が適合する分野じゃないものについて。論理的、合理的、客観的に結論が出るべきことについてだk事業仕分けでやる。
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実務の統括役、また行政刷新担当大臣として、民主党政権で行われた「事業仕分け」に中心的にかかわっていた枝野幸男氏が、事業仕分けの意義や内容について解説し、批判にも回答している。
民主党政権が終焉を迎えてから、取り上げられることがすっかり少なくなった事業仕分けだが、予算編成過程の透明化、事業のゼロベースでの見直し、官僚、国民の意識改革などの点で非常に可能性のあったものであることを再認識した。
事業仕分けは、個々の事業の政策目的について、その適正さや優先順位等を議論し、判断するものではなく、それらは多数決民主主義のプロセスで決めていくことであり、事業仕分けは、個々の事業がその政策目的達成の手段として合理的で有効かどうかを判断するもの、という指摘には納得がいった。この点が誤解されることが多かったのが、事業仕分けに対する批判の大宗ではないかと感じた。
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現役の行政刷新担当相による「事業仕分け」の解説書。実際の仕分け過程の文章が当初のページの多くを占める。
当書で示されている事業仕分けの目的は、
・事業のゼロベースでの見直し
・政策の効果を検証する(PDCA)サイクルの確立
・予算編成の透明化
・政治主導
・官僚の改革への当事者意識
といったものがある。事業仕分けは単なる無駄削減と思われがちだが、仕分けを経て予算が適正化されれば、金額の上では削減されても、効率的に資金が投入される。事業のゼロベースでの見直しなどは民主党マニフェストに書かれていたと記憶している。
「素人集団による一方的な断罪だ」とする意見もあるが、必要性を立証できないような事業をそのまま行うことが果たして良いことなのかといった反論がなされている。事業仕分けには有権者の意識改革という目的もあり、一概に「事業仕分けは悪」と断言することもないと思った。
マスコミで分からない事業仕分けの実態を知りたければ是非。当事者の意見というだけあって、手前味噌な感じは拭えないが。
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民主党政権になって初めて「事業仕分け」という言葉を知りました、しかしその作業自体は自民党政権時代からやられているのですね。また事業仕分け自体に法的効力はないので、その結果「廃止」と決定されても、予算がなくなるわけでは無い(p60)ということも知りました。
事業仕分けは単なるパフォーマンスショーという見方がある中で、事業仕分けを推進しているサイドと、それに批判的なサイドから、両方の意見を知りたいと思い、まずは体制側から書かれた本を読んでみました。
以下は気になったポイントです。
・事業仕分けは以下の3点で日本政治文化を変えるきっかけになった、1)議会の役割は予算を減らすこともある、2)事業の目的と手段というのは区別して議論する、3)事業は必要だと主張するほうに立証責任があり、不要というほうにはその責任は無い、ということ(p27)
・事業仕分けは、非営利独立の政策シンクタンク「構想日本」によって生み出された行政改革の手法、2002年2月に岐阜県で行われて以来、2010年3月までに、6つの省、46の自治体で63回実施(p45)
・地方においても国においても、事業仕分けの結論は、あくまでも「参考意見=勧告」であり、最終的な決定事項ではない、予算への反映は、予算編成権をもつ財務省の予算査定の動向、内閣の政治判断、国会の決議で決まる(p60)
・日本科学未来館は、独立行政法人科学技術振興機構が運営しているが、そこが、科学技術広報財団へさらに業務委託している、仕分け人が問題にしたのはこの構造(典型的なピンハネ)である(p102)
・同じような事業を4つも5つも抱えていて、合計すると24個に分かれるケースもある、その典型が、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)と、産業技術総合研究所である、二つとも、経済産業省所管の研究開発を担う独立行政法人として存在している(p108)
・原発が是か非かという議論は、多数決のプロセスであり、国会や内閣でやる必要がある(p119)
・事業仕分けの議論には、その道の一番の専門家が加わっていた(p147)
・今回の争点は、科学技術の振興といか文化、芸術の振興とかの目的自体を議論して否定したわけではない、議論したのは、目的達成の手段としてのそれぞれの事業が、本当にその目的達成のための最短距離でやっているのか、余計なお金がついていないかを議論したのみ(p151)
・予算じゃなくて決算で事業仕分けするべきである(p159)
・国の事業に対する事業仕分け(名称は政策棚卸し)が実現したのは、2008年8月、自民党内に設置された「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」の河野太郎氏らの強い要望による(p184)
2010/11/23作成
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著者自信が「劇場型政治に加担した」と述べているように、事業仕分けの報道は、蓮舫の官僚いじめのようなことばかりが取り上げられましたが、実際はそんなウワベじゃないんだよ、という本です。良く言えば、メディアの報じない事実を書いた本。
著者は歳出削減が主な目的ではなく、いろいろな制度改革をするための先鞭だといいます。
事業仕分けは多数決型で決められないことを対象にすべき、そして「原子力発電所はどうするか」等の問題は、「多数決民主主義でやるべき」とも述べています。
著者はこの事業仕分けの功績(?)もあり、行政刷新大臣、官房長官、経産大臣となっていきました。ここで書いてしまった「制度改革」「原子力発電所問題の多数決民主主義」の実施にむけて、どういう答えを出すのかを注視です。
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著者は事業仕分け統括責任者枝野幸男氏。仙谷氏から要請を受けてからの日々を綴る。決して財務省主導ではなかったこと、報道の誤報、労苦、多くの皆さん方の献身など。これまで抱いていた多くの誤解を解くことができた。事業仕分けで評価、判断するのは、多数決民主主義により決せられる分野ではない。論理的、合理的、客観的に結論がでるもののみである。すなわち予算の効果が見えないもの、重複、ピンハネ、不要な中抜きがあるものなどである。今後の展望では大きな夢も語っていたのだが・・・・・・・
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論点をぶらさない。目的以外の議論はやらない。(議論の的を絞る) など、討論する上での進行方法に関してはとても参考になりました。
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だめだこりゃ。
事業仕分けは実行力がない。その点については政府も十分にもちろん把握している。透明性を確保することで次に繋げる。
しかし次が明確に立っていない。検証の方法が明示されていない状態では、
後年の役に立つことこそポジティブに考えればあれど、繋がらない。
そのうえ、以下一部を要約。
スパコンが一位でなければならない理由を問い質したことについて。
合理的な理由を説明してくれればよかったのに。
天下りを問題視してるんだから論点がずれてる。
以上。
じゃ国民の質問は、その質問は必要だったんですか?
になる。
一位でなければならない理由は知っていて、その説明がしっかりなされようがなされまいが論点は違うことになる。
わざわざ相手の神経を逆撫でして、必要な回答を引き出すのを遠回りする必要があったの?時間も限られてるのに?
必要だと考えてることが明確なら、そこに焦点を絞ってやってくれ。不要な狡猾さが誤解を生むことも前提と出来ないなら、実行力のある政策ができるとは評価できないよ。継続できなくなる。
読んでなおがっかり。
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今となっては懐かしい事業仕分け。当時の責任者の枝野元大臣による回顧録。予算の無駄遣いを切るにはこうした舞台装置が必要だったことが分かる。今後も続けて欲しい。簡単に読めるので星2つ
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民主党が政権をとって最初の目玉となった事業仕分けについて、責任者だった枝野氏による説明書。当時から仕分けの趣旨と批判の論点がずれているような気がしていたが、趣旨の解釈が正しいかどうか確認するために本書を読んだ。
結論としてはやはり自分の解釈は正しかったと思う。スパコン予算の削減などで批判する向きも多かったが、事業自体の妥当性ではなく「事業の目的に対して本当に必要なお金の使い方をしているか」という観点での評価であるならなんらおかしなことではない(と言いながら事業の妥当性も議論の対象になっていたようだが)。
個々の仕分けが本来の趣旨に沿った議論になっていたかどうかはわからない。テーマによってはどうしても政治的な思想が割り込んでしまう場合もあったようだ。しかし、新しい取り組みは最初からうまくいくものではない。まだ国家事業のほんの一部しか俎上に乗せられていないので、恐らく今後も続けられるだろう。初期の熱気を忘れることなく、注視していくべき試みだと思う。