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村上春樹が大好きだ。いや、大嫌いだ。そのせめぎ合いが絶えずある。結局、読んでしまう。故は、好きだからに他ならぬのであろう。
簡単に好きだと言えば、何だか浅い人間だと思われかねない。自意識過剰な自己防衛。これからも、村上春樹とはそうやって付き合って行くのだと思う。
本作は、見事に影響されてしまった。いつの間にか僕はランナー。でも、人に子の作品を読んで、走り始めたなんて、口が裂けても言わないのである。
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村上春樹さんは作家であると同時に、市民ランナーで知られる。以前より、マラソン本を出したい、とエッセイで表明していましたが、コツコツと書きためていたようです。村上さんは「考えを書く」ではなく、「書きながら考えていく」タイプだそうで、漠然と思ってきたことをまとめていったそうです。
地下鉄サリン事件の「アンダーグラウンド」をなぜ作家、村上春樹が書かなければいけなかったのか、という声もありましたが、村上さんを知っていれば、なんとなく納得してしまう。
ガザ地区攻撃を批判したイスラエルでの受賞演説もそう。村上さんは「卵」(市民)の側に立ちたいといい、「受賞を受けるべきではない」という批判には、世論が一極に集中するという最近の傾向には懸念を表明されていました。
さて、作家というと、夜中に起き出して、原稿を書くといった不健康なイメージもありますが、村上さんは朝型生活で規則正しい生活を送っていることは有名な話です。日に一時間、約10キロのジョギングを日課にされています。
走ることが小説を書くという行為に役立っているとも書いていますが、詳しくは言及されていません。
ただ、想像することは難しいことではありません。毎日、机に向かって、ストーリーを書くのは孤独な作業ですし、持久力も必要なことでしょう。ペース配分やモチベーションも維持し続けなければなりません。
そんな村上さんでも、走らなくなったこともあった、とか。勇気づけられる話です。走る理由は少ないが、走らない理由はいくらでもある、とね。
走ることも、小説を書くことも他人から頼まれて、やっているものではありません。続けることも、止めることも本人の自由。ご本人は走る理由について、「性に合っている」と短く説明するのですが、マラソンと作家は相通じるところがありますね。
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本当にこの人はストイックな長距離ランナータイプの人なんだなぁというのがよくわかって、とても面白い。確かにこういう構えでないと長編小説は書けないのかもしれない。私とは全然タイプが違うわ、と思いつつも、ちょっと走ってみようかな、という気になったりして。奥さんの地味な存在感も良かった。
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長い距離を走るというのは頭の中を整理するのにいいのかも?というより無になるためにいいのかも?かな。「誰かに故のない非難を受けたときは、いつもより少しだけ長い距離を走ることにしている」走っている人は読むといいかも。
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ハルキさんが書き続けていられる理由を垣間見ることができます。
ハードカバーで保存版にしておきたい大切な本です。
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僕はあまり身体が丈夫ではなくなりつつある現在において
ある事を気づかせてくれた一冊です。
走ることの素晴らしさ、今の僕にはまだ分からないですが
この著書を読み、僕もいつか村上さんの様に
長距離を走れる様になりたい。
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ひとつだけ近づけた気がする。
なぜなら私も走る事が好きで
走っている間だけは自分にストイックになれるから。
作者が語る自分の作品。
読者が感じる自分との共通点。
これだけで繋がれる、身近に感じる。
村上春樹は天才的な凡人だからだ。
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長距離走が嫌いなので、毎日10キロ走ったり、マラソンに挑戦したり、あまつさえトライアスロンにも挑戦するムラカミハルキ氏の傾向は、ちょっと共感しにくい。
ただ、「走る」という行為が、彼の作家としての骨格や、作品を生み出すための基礎体力になっている、という事は、比較的熱心な読者としてはすんなりと納得がいきます。
そういうことか、と腑に落ちる。
この本では、村上氏がどのように「走る」ことに取り組み、いくつかのレースに挑んだかを語りつつ、そのことが彼自身にどんな影響を与えているのか、また、どんな欲求があって「走る」行為にいたっているのかを語っています。
走る人はこの本を読めば、走ることについて言葉では表現しにくいことを村上氏が鮮やかに言語化していることに激しく共感するんだろうなあ、と。
走らない人にとっても何か学ぶこと、気づかされることのある文章です。大げさにいえば人生について。
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集中力と持続力をつける訓練を筋肉の調教のようだと書いていたところが非常に解りやすくて納得。思わず拳を掌で打って電球が閃いた。
最近自分自身よく走るので、タイムリーな本をということで気楽に読んでいたけど、ランニング以外の点でも思いの外収穫のあった一冊。
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ジョガーである身として読むととても楽しい。村上さんすげーとなる。
100キロマラソンはいつでも出られる地域に住んでるので、そのうち申し込みしそうで怖いですね。
どなたか一緒にいかがでしょう。ああこわい。
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村上春樹さんが走ることについて書いた本。たぶん読んだのは3回目。(ハードカバーで1回、文庫で2回)村上春樹は小説も好きだけど、エッセイも好きだなぁ、と再認識。走ることによる効用がたくさん書いてあって、この本を読むと無性に走りたくなる。体調がもうちょっと回復したら走りたいな、と思ったり。
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スリランカの旅行中に読んでいた。
村上春樹の本を読み始めたのはちょうど18歳のときの夏休みだった。
あれから10年か。
別にシリアスな小説でもなんでもないのだけど、
変な啓発本よりよっぽど心に残る言葉がたくさんあった。
「僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、
僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。
心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって
支払わなくてはならない当然の代価である。」
自分がパーフェクトな存在ではなくて、
日々落ち込む。
が、それを不可解なものではなく、
身体全体で認識する。
それが「走ること」なのだと思う。
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言葉というのはある種「猛獣」である。職業作家は,その猛獣の馴致に悪戦苦闘する。(そして半ば成功し,半ば失敗する)
ものを書くときに要請される,抽象と具体の間の遊弋,自己肯定と自己懐疑の間の逡巡。 その危険領域に継続的にさらされることで,体内に滞留する瘴気のようなもの。増大するエントロピー。
ほんとうの作家とは,あるいは,随時この形のない新種の猛獣に出会い,手なずけ,解毒化することで日々生き抜く開拓者なのかもしれない。
村上春樹の小説には,主人公が料理をするシーンが多用される。冷蔵庫の中身を取り出し,確認し,ありあわせで作れるレシピを考案する。野菜を水で洗い,まな板の上で切りそろえて,油を熱したフライパンに加える。
トマトの柔和で有機的手ごたえ。フライパンの上でリズミカルに騒ぐ玉葱の音,香り。 その行程ひとつひとつが,丁寧に描写されていく。
さながら創作作業の過程で「瘴気に中った」自らを癒すために覚えた「信仰」を,比喩的・迂回的に表現しようとしているかのように。
本書は,ランナーである村上春樹自身が「走ることについて」語った文章である。そして,村上が熱心に「走ることについて」を語りながら,同時に「書くことについて」語ってしまっている理由を,読者はもう充分に知っている。
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村上春樹という作家は執筆活動のかたわら年に1回はフルマラソンを走るというランナーだそうだ.この本は走るということについて,そして彼自身について,彼の言葉で書かれた一冊だ.
今まで彼の作品をずいぶん読んできたけれど,村上春樹という人間がどういう人物なのかを知ることのできる数少ない本.少なくとも僕にとっては初めての本だった.
初めて知る村上春樹という人間は,小説の中の「僕」と同じように,好きになれる人だった.(憧れや尊敬とは少し違う.)
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最近、泳ぐことを再開してみて、やっぱり泳ぐの気持ちいいし、もちょっと体力も欲しいしし続けたいけども、なんだか肌寒くなってきて、時間もないし、せっせとプール通うのも無駄かなぁとかモチベーション下がり気味のときに読んで、再びモチベーションアップしました。ボーっと読んでいてもやっぱりこの人の読み物は何度も読み返してしまう部分があって、今回はこの部分を何度もリピート読みしてしまいましたので、メモがわりに載せます。「そんな人生がはたから見て――あるいはずっと高いところから見下ろして――たいした意味も持たない、はかなく無益なものとして、あるいはひどく効率の悪いものと映ったとしても、それはそれで仕方ないじゃないかと僕は考える。たとえそれが実際、底に小さな穴のあいた古鍋に水を注いでいるようなむなしい所業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力をしたという事実は残る。効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。」この部分が意欲をなくしぎみの私の心を潤してくれました。じんわりと効いてきたので何度も読んでしまいました。私も気に入らないところばかりの肉体だけれども、これを持ち合わせて生きていくためにも鍛錬して乗り切っていけたらなと思いつつ、うっすら腹に割れ目をつけたいという野望も抱く、今日この頃です。