紙の本
ぜひ野崎訳でどうぞ
2002/05/22 08:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:カレン - この投稿者のレビュー一覧を見る
フィツジェラルドを読むと、言葉の天才とはこういう人のことをいうのだなあ、と感嘆する。
デイズィは、いわゆる誰もが惹かれずにはいられない女なのだが、冒頭、震える声でささやくような話し方をする、世界中でこれほど会いたかった人はいないといいたげに人を扱う、と書かれている。
これだけで、その可憐な様子が目の前にありありと浮かんでくるではないか。
読者にもすぐに、彼女が特別な魅力を持って生まれてきた娘だということがわかる。
対してギャツビーは、「永遠に消えぬ安心を相手に感じさせる微笑」「こちらが人に与えたいと思う最上の印象を、まさにそのとおりぴたりと受けたと相手に信じ込ませる微笑」の持ち主とされる。
その非のうちどころのない様子と、こっけいなほど四角四面な言葉づかいから、虚飾の、どこかしっくりこない、自分であることにとまどっている人物だということがわかる。
ギャツビーの館で毎週末繰り広げられる、無意味に贅沢でメリーゴーランドのようなパーティ−からは、つかの間の、すぐに消えてしまうものの持つ強い輝きともろさが感じられる。
あまりにも美しく完璧なので、そのままそこにいる人々ごと切り取ってスノーボールに入れてしまいくなるほどだ。
本作は異なった訳者で他にもいくつか翻訳が出ていて、他の訳も原書も読んだことがないので比べることはできないが、野崎孝さんの訳が個人的にすごく好きだ。
女の人の話し方が、ちょっとはすっぱでかわいらしいのが良い。
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好きな小説の5本に入る一冊。特に最後の記述が好きだ。
『こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。』
人生には一度失うと二度と手に入らないものが沢山ある。私たちはそんなふうにして毎日を過去に置き去りにして進んでいるのかもしれない。
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映画を見てすぐに本を探して読んだ。映画は成功していてもしかして原作よりもすぐれていたかもしれないと思ったりもしたけれど、字幕が頼りの私には、誰彼をつかまえて「親友」なんて呼ぶギャツビー氏の不器用さが読み取れなかったのが悔しい。
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優雅でおおざっぱなくせに思慮深いアメリカ人らしい小説。当時を情勢をにおわせる。“きれいに忘れ去られた夢を、年から年へと持ち続けてゆくことの愚かさをわきまえている女だった”
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孤独だなあ・・・・淡々とした孤独です。上流階級の人々の豪奢で優雅な生活が描かれながら、その誰もが孤独なのです。なぞに包まれた邸宅の主ギャッツビーはただ一人の良家の子女を自分のものにするためだけが望みでした。そして彼女は愛のない結婚生活を絢爛豪華な社交で紛らわせています。主人公ニックは夢を抱いて東部に出てきたものの、東部の社会になじめない自分に劣等感と居心地の悪さを感じています。
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これを卒論にしようか迷ったくらい好き。文章が綺麗。ストーリーは悲劇。
これを高校生で読んで、大学受験の面接で「フィッツジェラルドが好きなんです」って言ったら教授が「君はなかなかやるね・・」ということで合格したんです。
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昔大学にいたネイティブの先生が言ってました。アメリカの(どこかは忘れたけど)図書館が置きたくない本が三つあると。その一つがこの本。アメリカンドリームが破綻するからかな。
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場面場面の情景は思い浮かぶが、話はうまく思い出せない。
マッチョな人が出て来て、その人に対する憧れと軽蔑の入り交じった感情に共感するところがあったように思う。
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実は舞台となった町は湾を挟んで対岸にあるのだが、100年近くをタイムトリップできる良い作品である。村上作品に影響を与えたということは、とてもよく分かる作品。
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「ノルウェイの森」(村上春樹)の主人公が読んでいたのを思い出して読んでは見るものの、途中で『華麗なるギャツビー』(映画版)に逃げました…
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ブックトークテーマ 「憧れ」「成功」
物語の語り手として、証券会社に勤務している男の目線から
謎の多い男の姿を明かしていきます。
憧れの女性と出逢った若き日に
自分の立っている場所とその女の立っている場所の距離感を感じ
その女を想うことを忘れずに
その女が自分が主催のダンスパーティーに来てくれる日を夢見て
来る日も来る日も財を成してきたのでしょう。
夕闇の中、対岸の光を眺め
「やっと、ここまで来たぞ」という思いを胸にしまいこんで
庭にたたずむギャッツビーの姿がとてもよい場面です。
この場面、そして健気に事件後にデイジーの家の外で見守るギャッツビーの場面
そして、葬式の後の語り手の目線からギャッツビーの人間関係を見せる場面
どれも小説としてよい場面が多いものでした。
ボクは映画とあわせてみることをオススメします。
映画のほうはロバートレッドフォードがかっこいいですよ。
イタリア製のシャツをクローゼットから無邪気にこれでもかと出しまくる場面が最高に素敵です。
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淡い夕暮れの光のような、乾いた金色の世界。アメリカン・ドリーム的な物語なのに、あくまで距離感が保たれている部分に、リアルかつロマンティックという不思議な感触を覚える。偉大で哀れな、夢に生きた男・ギャツビーの人生。
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憧れは、手が届かないほうがいい。その方が、永遠に輝き続け、自分のいいように姿を変え、一生心の中にいるからである。
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(最初の文)ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」
(最後の文)こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。
日本では30年くらい前にこそふさわしい本。今はギャツビーの時代の価値観は遠いので、日本経済が繁栄を謳歌していた(?)時代に読めたなら、少し違う心情でこの本を受け止められただろうと思う。
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こまぎれかつ時間をあけて読みすぎたので全く入り込めず、意味わからないまま終わってしまった。次は春樹訳のほうでしっかり読んでみようと思う。