紙の本
ドイツ語圏の文学を久しぶりに手にとってみようという思いが湧いてきた
2010/11/05 22:40
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドイツ語圏文学の翻訳者としても知られる著者の初エッセイ集。
この著者の訳書は『遺失物管理所 』(新潮クレスト・ブックス)しか読んだことがありません。(ベルンハルト シュリンクの『朗読者』は邦訳が出る前に英訳を手にしてしまったので。)
それほどなじみのあるわけではない著者の本ですが、翻訳を生業(なりわい)としている人のエッセイにハズレはないというのが持論の私としては、手に取らないではいられませんでした。
本書前半は割と軽めのジャブといった感じのエッセイが並んでいます。
本書のタイトルにもなっているエッセイ「誤解でございます」は、翻訳者の職業病ともいうべき性癖から発する勘違いについて綴られていて、微苦笑を誘います。
本書の真骨頂はむしろ後半に綴られているドイツ語圏の文学や人々の交流から生まれた著者ならではの味わい深い随想にあります。
10年来のハンブルクの友人アネグレットと、図らずも過ごすことになった「最後のクリスマス」。
東西ドイツ統一までは手紙のやりとりがあったものの今は連絡の途絶えてしまった東ベルリンのアンティエと幼い娘ヴィープケとの「ベルリンの壁の思い出」。
どちらも、人とのつきあいの積み重ねもいついかなる形で終わりを迎えるかは誰にも予想がつかないことを、しっとりと思い起こさせる文章として私は味わいました。
このところドイツ語圏の文学に手を伸ばす機会がないな、とふと思い、著者の訳書を何か手に取ってみようという気持ちが湧いてきました。
紙の本
ドイツ文学の紹介者という立場で
2018/06/30 16:23
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
『朗読者』の翻訳者でもあり、ドイツ文学研究者として大学に籍を置く筆者のエッセイ。
帯に、“エレベーターの「5階でございます」が「誤解でございます」と聞こえるようになってから気になって仕方がない・・・”的なことが書いてあったので、翻訳者特有の面白話が詰まっているのかと思ったのです。なんか表紙もそんなイメージを助長するし。
そういう翻訳家的エピソードもあるのだが、面白小話中心というわけではない(というか笑えるところは帯のエピソードだけかも・・・)。
それよりも筆者の学生時代からの私生活を綴る部分のほうが興味深かったかも。
ぼんやりとではあるが研究者を目指していながらも、大学院生時代に妊娠・結婚(あえて書いていないのかもしれないが、それに対するためらいめいたものが見られない。 「当時はできちゃった婚などという便利な言葉はなかった」と書いてあるところを見ればいろいろ苦労はされたのだろうが・・・)。はっきり言って就職も厳しく、先の見えない昨今ではある意味考えられない生き方である(やってみればなんとかなるのであろうし、実際そうやってる方もいらっしゃるでしょうが)。
昔の人は(といってしまうのは失礼だが)あまり先のことを考えて生きてなかったんじゃないだろうか。今は、みんな、考えすぎてる。だから少子化なのかもな、と納得したりして。
子供と母親を連れてのドイツ留学、同じく研究者である夫からの経済的・精神的な自立とか(なんだかんだ言いつつ子育ては女性のほうに負担が掛かる社会的重圧・それを男性側も女性側も当然と思ってしまうことなど)、今から見て変わってること・変わっていないことがこの2・30年のスパンでもあるんだな、と。
が、いちばんの読みどころはドイツ留学中に知り合った人々との交流(その後も続く人たち・途絶えてしまった人たち)のあたりかもしれない。
東西ドイツが統一され、世界的には華々しい出来事に思われたベルリンの壁崩壊。けれどその土地に生きている人たちにとってはそれより重要なことがあって。重い筆致ではなくあくまでさりげなく書かれているのでさらっと読み飛ばしてしまいそうだが、筆者のかつて出会った人々への愛情は深い。
そして翻訳家の人は専業では食べていけないんだな・・・というかなしい実態の産物でもあったりする・・・。読者は、もっと海外文学読まないと。
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タイトル買い。
帯に、
「あるときからエレベーターに乗るたびに、「5階」が「誤解」と聞こえるようになってしまった。同僚に打ち明けると、その人は心配そうにわたしの顔を見つめ、「それは病気です。翻訳者がかかる病気ですね」と言って降りていった……。」
とあって、わたしは翻訳家でもなんでもないけど、
会社のエレベーターが「5階です」というのが
いつも「誤解です」にきこえて笑いそうになってしまうので
あ、おんなじこと思ってる人がいる、と思って買ったのでした。
ただ、うしろ帯に「留学」のことが書かれていたので、そのときの話を中心にしたエッセイかと思ったら、そうでもなく、そこはちょっと期待と違った点。
でも、内容はおもしろかったです。ドイツ語翻訳で、『朗読者』の訳者といったら勝手にもっとシリアスな方を想像していたら、ぜんぜんそんなことはなく(もちろん良い意味で)、楽しく読み進めました。
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翻訳者がいてくれるから、外国語の小説が読める。いつもありがたく思っております。
その有難い人がエッセイをお書きになりました。
翻訳者でありドイツ文学の研究者でありW大学の教育者であり、八面六臂の活躍ながら、奔走し時に学務に翻弄されているさまが、親近感のわくところで(笑)
学生が連れて行ってくれるから、普通の中高年女性にはしづらい経験もできたり、翻訳者としての覚えがめでたかったから著者本人とコンタクトが取れたりと、研究一本やりでないから広がったり深まったりする人生の味もある。そんなエピソードのあれこれに、禍福はあざなえる縄であり、人間万事塞翁が馬だなあと思います。
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装丁に惹かれまして。松永さんの事を全く知らずに読んだ1冊。エッセイの中で松永さんと言う人物像がボンヤリと浮かんできました。何歳になっても、興味を持ちチャレンジする事って良いな、と。
ええと、ええと。ドイツの事に全く興味がなく、世に出版されている翻訳された本を殆ど読んだ事の無い私がこのエッセイを読んで良かったのか?と。
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朗読者の翻訳者。
現代ドイツ文学の大学教授。
ドイツ留学したり書評書いたり。
同時期にひとり百物語の立原透耶(中国語専攻の大学の先生)を
平行して読んだためどっちが誰だか
分からなくなった。
著者近影を見れば可愛らしい人なのに
結構運動されるのだそう。
大学生のときバレーに打ち込み
バレー部のコーチと学生結婚(!?無計画……)
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エッセイ集なんですけど、なんだか「知的」な雰囲気が漂っています。気持ちよく読めます。そして、著者に対して勝手に親しみを感じてしまいました。この本を通して、新しい音楽や本など、さらに自分に広がりを与えてもらいました。たとえば、CD「エウミール デオダートのツァラトゥストラはかく語りき」をさっそく聞きたくなり手配しています。数冊の書評ものっているので、その本も今度読んでみようかと思っています。
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『朗読者』が初めて読んだ新潮クレストという人はけっこう多いんではないか? かくいう私がそうなだけなのだけど、これはその『朗読者』の翻訳者の松永さんのエッセイ集である。この本、ブクログに来なかったらたぶん知らずに見過ごしていたと思う。出会いに感謝。
学生から「みほちゃん」と呼ばれてしまう松永さんは、自分を「おまつ」と名付けて任侠の世界の妄想に走り出す、なかなかラブリーな方である(TVで藤井隆がマシューに扮していた頃、松たか子のことを「おまつ」と呼んでいたことを思い出した。全然関係ないけど)。 で、じゃあお嬢様かと思いきや冒険好き、好奇心たっぷりで、娘が旅先で現地の人が持って来たヤギの死体を一緒にさばいて食べたりした(娘なにげにすごい)、というエピソードを聞きつけるや、自分も負けじとアフリカに繰り出す、といった始末である(あんたも行くんかい!(笑))
各エピソードは平易な言葉で綴られ、アカデミックで高尚な感じはほとんど無い(失礼)である。面白いけど笑いをとりにいっている感じはない(いや、とりにいく必要はない)。天然さんですね。でも経験上こういう人は事務処理能力が高いような気がするけど気のせいか。
素直な筆致なのでエピソードによっては追体験するような感じになった。9・11のテロが起こった時に、ドイツにおられた時のことの文章などはその体験がありありと目に見えるような感じで不思議に印象に残った。「たぶん本当に印象に残ったんだろうなあ」と思わせるからだろうか。
多和田さんの『尼僧とキューピッドの弓』を読むのが楽しみになってきた。100周年書き下ろしだからうかうかしてると文庫になってしまうかも… 単行本は買ってあるというのに…
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ドイツ文学者・翻訳家である著者の初エッセイ集。
略歴やプロフィール写真を見るといかにも才女といった風情だが、ちょっぴり妄想癖があったりと可愛らしい一面もお持ちのようで…(にやり)『へんてこ任侠伝』(本作に収められているエッセイの一つ)ではその妄想癖が炸裂、オチがきれいに収まらないところも松永氏らしくて推しエピソードとなった。ちなみに「続編」もある笑
おっとりした印象の反面、たくましい一面も兼ね備えられている。
周囲からのサポートがあったとは言え院時代は2児の子育てに追われ、その後は留学のため子供達(+お母様)とドイツに長期滞在された。留学前には国際免許を取得されていたという。(どひゃー)
タフなマインドにも感服したが一番凄いと思ったのは、「もし〇〇していたら今の私はいない(別の私がいて、それはそれで良かったかもしれないけど)」という彼女独自の視点。
「今の私はいない」でストップせず、別の世界線を生きていたであろう自分も尊重する。何てことない一文だろうけど、まさに雷に打たれたような衝撃だった。こういう視点、欲しい!
『校閲者は偉大である』ほか、翻訳家さんの仕事にまつわるエッセイはやっぱり興味深い。ただ訳すのではなく、作品の世界観を崩さずに翻訳家ご自身の言葉でアウトプットまでしなきゃいけない。更に作品によってラテン語やフランス語が混じっていることがよくあるらしい。(ドイツの方言も然り…)
ライプツィヒの書籍見本市見聞録も良かった。(「ライプツィヒ ブックフェア」で検索すればヒットする)市では書籍(コミック含)の販売だけでなく原作者による読み聞かせから質疑応答コーナーまで設けられている。
見本市以外でも都市部では日常的に作家による朗読会をやっているみたいで、読書好きにとってまさにドイツはユートピア!一人活字を追うのも楽しいが、本の言葉があちこちから聞こえてきたらもっとワクワクすると思う。
思えば作品に多言語が溢れているのも、読書文化が豊かな証拠だったりして。
「目が見える限り、ずっと本を読んでいたい」
"通訳翻訳WEB"というサイトのインタビューで松永氏はこう語っている。
読書大国に引けを取らず、氏も幼い頃から大の読書家。今のお仕事はその読書好きから高じたようなもの。東独時代の作家C.ヴォルフのメタファーに満ちた原書を読み解いた時は、とにかく楽しかったという。
妄想力がたくましいのも読書の賜物?…という戯れ言はさておき、本が氏の人生を切り開いてくれたのは確か。そんな彼女が手がけてきた翻訳本も俄然読みたくなってきた!