紙の本
今 大川周明を読むということの意義とは
2010/09/05 08:42
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕は現在、インドネシアの日系企業に勤務している。その立場で本書を読んだ。
一点目。少子高齢化の下、多くの日本企業は、アジアでの成長を求められている。それが大川周明等、戦前のアジア主義に重なる点を再度痛感した。
大川は、仏教や儒教等の東洋の思想が純化結晶化されたのが日本であると断じた上で、欧米に対抗するアジア連合のリーダーとしての日本を主張した。これは現在言われる「日本の技術をアジアで展開することでリーダーシップを取る」という姿に実に似ている。日本だけでは生きていけないという切迫感は同じだ。アジアに進出している日系企業で働く僕自身はまさにその尖兵とも言えないだろうかと絶えず自問しながら読んだ。
二点目。イスラムを踏まえて世界を見るという視点は日本には極めて薄い。例えば代表的なイスラム圏である中東に対する原油依存度が高い割に、中東への知識も興味も少ないのが日本である。
イスラムは世界第三位の信者を持つ世界宗教だ。かつ、断食や食事制限等の厳しい戒律を、今なお維持している活きた宗教である。インドネシアに住んでいると、イスラム教が生きていることは日々痛感する。
大川は、戦前という時代に、イスラムの可能性に目を付けた。これは慧眼以外の何物でもない。イスラムという宗教に一種の世界統一を見出した大川の予見性は、今なお新鮮だ。イスラムがいまだに信者を増やしており、近い未来には25億人になると聞く。世界同時期に一斉に行われる断食等を通じて、国を超えた大イスラム圏という意識も高まっているという。グローバリゼーションと唱えるからには、一大思想であるイスラムをある程度理解していないといけないのではないだろうか。
大川という思想家は、今見直されてよい方だ。それが本書の最後の感想である。
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★大川を媒介にイスラムの理解を深める★民間人(それも右翼)として唯一A級戦犯となり、精神病になったとして東京裁判の訴追を免れた大川周明。大川についての知識は全くなかったが、書評と副題(イスラームと天皇のはざまで)に惹かれて読んだ。大川の分析以上にイスラムの見方について勉強になった。
井筒俊彦は「イスラームの2つの顔」として、シャーリアによる統治を重視する共同体的イスラーム(スンナ派的)と、個人の内面を重視するスーフィズム(シーア派的)があるという。これは現世主義と来世主義に相当し、大川の分析では、アジアは後者に偏る「小乗」(修行により個人の解脱を説く小乗仏教からの比喩)となり、利他救済の立場から広く人間全体の平等と成仏を説く「大乗(仏教)」から離れていった。そのために西欧に征服された。
大川はイスラムの現地に暮らしたわけではなく、理念の研究から「宗教と政治に間一髪なき」ものとしてイスラムに共感した。イスラムとの関連では天皇は「神」とはなりえず、ムハンマドのような預言者(教祖=指導者)として存在する。そして「理想型に対する偏差として現実を見る」姿勢を取る欠陥があったため、当初は社会体制としてのイスラムを評価しながらも、現実ではイスラム世界が敗れたために、精神世界(小乗)へと再び関心が戻って行った(ひきこもった)、と著者は指摘する。
ナショナリズムとイスラムとの関係では、著者は大川の態度を「国民国家の変革の文脈でナショナリズムを鼓舞する限りにおいてイスラームを評価する」と指摘する。トルコのケマル・アタチュルクのように「カリフ=スルタン制」を廃止して国家制度としてのイスラムを否定しようが、サウジ初代国王のイブン・サウードのように国家機構にイスラムを組み込もうが、西欧列強の帝国主義的介入に対して民族国家としての独立と統一を維持・達成した点で指導者を評価する。つまりナショナリズムに力点があり、ここではイスラムは背景に消えうせる。
また一神教と日本との関係については、丸山眞男の指摘によると、世界の創造を「つくる」「うむ」「なる」を線上に位置づければ、「つくる」論理が強いのがユダヤ=キリスト教(一神教)であり、「なる」論理が強いのが日本神話だという。日本では主体への問いと目的意識性とは鮮烈には現れず、宇宙に内在する生命と力が神として顕現する。だから自然界に偏在する。
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尊敬するイスラエル研究者の臼杵陽さんが大川周明を論じる、それも「イスラームと天皇のはざま」という副題をつけて。これは興味をひかれずにいられない。
大川周明と言えばA級戦犯として東京裁判で裁かれたものの、東条の頭をたたくなど奇行のせいで免責され生きながらえた人物としてしか知らなかったが、儒学宋学など東洋思想に造詣が深く、日本におけるイスラーム研究の先駆であったという。本書では、戦後早い時期から大川の業績の再評価をうったえた竹内好にならい、日本帝国主義イデオローグとしての大川への批判をいったんおき、大川自身の内在的論理から、そのイスラーム理解における断層を検討している。
著者の議論をまとめて言えば、初期の大川はイスラームの「2つの側面」のうち、内面的信仰を重んじるスーフィズム的なものに強くひかれる様子を見せながらも、1913年頃にはアジアに対する西欧の植民地化に憤激、その克服のためには内面的・個人的生活と外面的・社会生活の統合が必要であると考えるようになる。ここから大川は、天皇と日本国民が一体となる日本国家の改造、そしてそのような日本を指導的地位におくアジアをめざす超国家主義の道を歩み始めることになる。そのイスラーム理解における現れが、「政治と宗教が一体となって間髪を入れぬ」イスラームの律法的側面への関心の転回であった。
著者は、大川が日本帝国主義のイデオローグとして祭り上げられたことは基本的に本人の責任ではなく、民間人ではただひとりA級戦犯として東京裁判にかけられたことを不当であると考えており、フセインを死刑に処したイラク高等裁判とならべて「勝者の裁き」を批判することさえしている。イラク裁判と東京裁判が勝者による裁判であったことは事実そのとおりであるし、大川がA級裁判として起訴されたことが不当であったというのもその通りかもしれない。だが大川に対する一面的断罪を批判するのであれば、大川自身の内在的論理がはらむ問題についても、もうすこし自身の言葉で突っ込んだ批判をすべきではなかったのだろうか。どうしてもこれまで否定的評価が強かった大川を擁護する構えが強く、特にイラク法廷と連関させる章の議論は、ややバランスを欠いているように見えるのである。
「アジアは一つ」はたしかに大川というより岡倉天心の思想だったかもしれないが、さまざまな思想を取り入れて自身のものにしてきた日本こそがもっとも「アジア」的なものを体現しており、したがって西洋の克服において指導的地位を占め得るという歪んだ自民族中心主義は、大川自身の議論からも明らかに見てとることができる。理想主義から英雄を重視した大川のイスラーム論も、現代の水準から見ればあまりにも多様な社会と多様な人々の存在を無視した大上段な議論であり、彼のうつくしき理想論にひそむ傲慢さと暴力性はショッキングですらある。
もちろん臼杵氏自身はそうした問題点をよく承知しているだろう。ただ、専門的なテーマをあつかった研究書とはいえ一般読者も接近する書物にしては、当時の「アジア主義」のはらんでいた問題性に関する分析が、大川の思想再評価の陰で弱くなりすぎているように感じるのである。実際、本書以外の大川周明関連書籍のレビューをざっと見ただけでも、彼のアジア主義の問題点から目を背けて歴史修正主義にも通じかねないような見解が多く目につく。日本帝国主義イデオロギーの問題点が広く共有されているような文脈で読まれるとはもはや限らない現状においては、もうすこし異なる書き方が必要だったのではないかと思う。