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とても客観的に戦争、そして俘虜というものを論じている一冊。生と死の間で、ここまで冷静に客観的に自分を見つめていることに驚いた。
そして、さらに著者が俘虜と言う立場に置かれてからの人間観察。目上の者に阿諛し、目下の者にはえらそうに振舞う人。男ばかりの収容所で女形を演じるようになった俘虜。米雑誌を見ていたためか、日本人女性の姿に魅力を感じなくなっていた自分。
戦後に生まれた私には計り知れないことばかりだけれど、この本を読んだことで、俘虜と言うものに対する考えがいい意味でも悪い意味でも少し変わった気がする。
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従軍した著者が語る捕虜収容所の実体験。正直、南方の収容所のエピソードはだいたい似通っている。日本人の戦記ものに特有の、軍隊の上下関係や食料調達などの滑稽さ・理不尽さ・悲惨さを描くのが普通だがこの作家のは違う。明晰な文章や視点が明らかに異質で息を呑む部分がある。特殊な状況に遭遇した自身の感情を冷静に分析していくのは面白い。理知的なはずの著者がところどころで感情をあらわにするのは見ものだ。のちの「野火」などで使われるモチーフがでてくる。
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著者がフィリピン・ミンドロ島で従軍し、収容所で日々を過ごした頃の記録。
鋭い人間観察と心理描写。
緊迫した塀の外とは裏腹にコミカルに描かれる収容所内部の様子。
多彩な人物が織り成す一種の密室劇は純粋に面白く、ページをめくる手が止まらなかった。
一小隊が飢えのあまりにフィリピン人を撃って喰おうとして、逆にアルミ缶をドンドン叩かれて集まった仲間にグルグル巻きにされて米軍に突き出されるシーンと、田辺哲学を信奉する学生との煙草の箱をめぐるやり取りが特に好き。
あと自ら投降した兵士達のエピソードの数々。
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優れた記録文学でありながら、人間の本質をも抉り出している。インテリである自負と、それを嘲笑うかのような態度が同居しているのが何とも言えない。
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大岡昇平の戦争文学。『野火』のもとになった逸話を含む連作集。米兵の捕虜となったが心臓病で療養テントで過ごすまでと、ふつうの収容所での日々から帰国するまでとの、前後半の雰囲気が異なる。
戦線では病人たちをないがしろにしたり、衛生物質を独り占めにしたり、隊列を離れ危険区域に自分だけおちのびた伍長や隊長たち。大岡がマラリアで発熱しても薬さえくれなかった班長が、療養テントでは、半病人のままの大岡を召使いのように看病させようとする。捕虜の身であっても、自分が上司であるかすかな威厳を示したかったのだろう。
インテリの著者は英語ができるので捕虜になっても通訳として重宝され、かつての威丈高だった上官たちを冷静に見下ろしている。戦争になったら格差社会がなくなって、俺たちにも平等に這い上がるチャンスがある、などと考えるおバカな文士きどりやたちにぜひとも見つめてほしい現実だ。
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20141227 スラスラは読めない戦争の記録。戦う事には悲惨な現実も伴うという事を知っておいてもらいたい。ゲームとは違う生身の生を理解するために若い人に読み続けてもらいたい。
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太平洋戦争末期、南方で俘虜となった日本軍兵士たちの歪んだ心理状態をつぶさに書いている。
大岡昇平の著書を読んだことがなかったので、彼の作品の中からこの「俘虜記」を選んでみた。暗号手として任務についていた由である。とにかく大岡氏の学識の豊富さには驚いた。特に外国文学には精通しているようだ。当時一般の兵士で、英語が読め話せるということはかなりのインテリと言っていいだろう。軍隊ではこういう人物が訳の分からない上官からイジメを受けやすいそうだ。俘虜になってからは別だが。
私の叔父は海軍の航空機の整備兵だったと聞いている。あまり詳しいことはわからないが、やはりガダルカナル方面へ向かう途中、米軍機の爆撃にあって撃沈され帰らぬ人となったという。菩提寺には彼の出征当時の写真が収められており、お盆などお参りに行くたびその写真を見て手を合わせたものだ。だから当時兵隊さんたちは戦場でどんな生活をし、どんなことを考えていたのか知りたいと思っていた。大岡氏はこの作品の中で極めて冷静に周りの俘虜たちを観察し記録している。小説というよりは記録文学である。
奇しくもちょうど今、NPTの国際会議が開かれ紛糾している。全体会議の合意が出来ないらしい。核保有国と非保有国との足並みが揃わないのだ。日本は唯一の被爆国として、世界のリーダーたちが被爆地を訪問することを明記するよう提案したが、中国の反対で実現しなかった。私はやむを得ないような気もする。
大岡氏はこの中で面白いことを言っている。原爆投下の報に接した大岡が驚いたのは、原子爆弾という新しい兵器の登場であり、しかもそれがあまりにも破壊的であったからだと書いている。しかし反面「戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一言に尽き、その死に方は問題ではない。」とも言っている。
私も概ね同様に考える。確かに原爆により亡くなった広島、長崎の人々は大変気の毒だが、例えば東京大空襲で亡くなった東京市民とはどんな違いがあるのだろう。亡くなった人にしてみれば、大岡の言うように死に方は問題ではないのかもしれない。
核兵器は無くして欲しい代物だが、現実問題として可能なのだろうか。これまでのように広島、長崎に固執した感情論は世界ではもはや通用しないのではないのか。悲しいが中国には日本は戦争の被害国ではないと言われる始末だ。
もう一つどうしても記しておきたい。それは、もし飢えたら人肉を喰うかという問題である。ある一人の上官がそんな提案をしたそうだが、結局大岡の部隊は幸い最後までそんなシチュエーションにはならなかった。だから大岡はそんなことはなかっただろうと思っている。
しかし最近でも山中に墜落した旅客機の生き残った乗客たちが、亡くなった他の乗客の肉を喰って飢えを凌いだという噂があった。また昔の中国では人喰い風習が実際にあったらしく、これについては魯迅も書いているし、有名な小説水滸伝には度々人を喰う場面が登場する。博学な大岡はそんなこと百も承知だろうが、人喰いなんて想像もしたくなかったのに違いない。
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収容所における俘虜の営みを冷徹な目で観察し、その観察が思考を支えている。また、装飾を排した硬質の文体が観察という行為には相応しい。著者は日本の新聞社が在外俘虜のために作った四つ切版の新聞で「我々は今度の戦争が「敗戦」したのではなく「終戦」したのであり、その結果日本に上陸した外国の軍隊が「占領軍」ではなく「進駐軍」であることを知った。」と語ることにより、事実の隠蔽と曲解を暗に非難しているのだ。日本の戦後はまさにこの隠蔽と曲解からスタートしたのだ。
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『野火』以来の大岡作品を読もうと思って本作をチョイスしたら、結果的に戦後70年にふさわしい読書となった。まずはこのタイミングで読めたことを喜びたい。さて、肝腎の内容についても、もちろん優れているのだが、なかでも白眉は冒頭の「捉まるまで」。著者が米兵と遭遇し、なぜ銃を撃たなかったかについて冷静に考察している。もちろんのちほど「潤色」した部分も多少はあるのだろうけど、戦時下の前線において、生死のはざまを前にして繰り広げられる「哲学」には、月並だが考えさせられるものがある。その他の部分も示唆的な内容に満ちていて、あまり注目されにくい俘虜というものの存在について、あるいはもっと広く日本人というものについて、そのすべてを浮き彫りにしている。負けたのもさもありなんという気がする。また、単なる文学としてのみならず、貴重な戦争の資料としても眼を瞠るべき部分は多い。捕虜の扱いはハーグ陸戦条約で明確に定められているが、そのことについて触れたくだりもあって、当時からすでにそのことが意識されていた――つまり、それに背く扱いがなされた場合は、意図的に条約を無視していた――ことがわかるし、また、いまだに論争のやまぬ「南京事件」についても、もちろんそれをメインに描いた小説ではないから多くは語られていないが、南京占領のさいに旧日本軍においてなにかしらの残虐な行為があったという記述もあり、この時期ですでにそういうウワサが広まっていたことを考えると、ネトウヨの一部にみられるような事実無根という主張は無理筋であることもわかる。わたしはふだんから歴史認識問題についてもある程度関心があるので、その点からいっても本作を読むことができてとてもよかったと思う。
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大岡昇平さんの小説はテレビドラマを見て読んだ「事件」以来かな。俘虜の心理を自ら分析してみせるくだりが秀逸です。俘虜となってから日本に帰るまでが描かれているのでけっして楽しい展開ではありませんが、戦時中の日本人の考え方など理解できました。
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戦争を内から見つめた文学。渦中にいた著者が見た、「戦争」とは。読み始めるのが少し怖かったけど、意外なことに、凄惨な描写はほとんどない。どこまでも冷静な筆致で、主に俘虜収容所で考察した日本社会、現代の文明に関する批評が書かれている。
この本は、大きく捉まるまでと捉まったあとに分けることができる。
捉まるまでの情景や心理描写は、戦場で紙とペンを持っていたわけではないだろうから、彼の記憶によってのみ書かれたものだ。しかし、その生々しさはズシンとくる。死につきまとわれると、人はどうなるのか。目の前の米兵を打たなかった心理。緊迫感を持ってページを繰り続けた。
捉まったあと、つまり俘虜になってからは、一気に弛緩する。豊かな国アメリカの俘虜になるということは、毎日2700kcalの食事をとり、煙草を喫み、博打に興じ、文化・芸術を求め、同性愛者においては自己を主張できるということだ。不正はあっても犯罪はない。このような生活で著者は、人間を、日本社会を、戦争を指揮した軍人を、現代の文明を静かに見つめている。頭の良さに感服してしまう。
これこそ次世代に読み継がれるべき本なのでは。今の社会のおかしさを考える上でも、この本のどこかにヒントがある気がする。
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また新たな視点で「戦争」についての示唆を得られた1冊。
「米軍が俘虜に自国の兵士と同じ被服と食糧を与えたのは、必ずしも温情のみではない。それはルソー以来の人権の思想に基く赤十字の精神というものである。人権の自覚に薄い日本人がこれを理解しなかったのは当然といえば当然であるが、しかし俘虜の位置から見れば、赤十字の精神自体かなり人を当惑さすものがあるのは事実である」(p80)
「天皇制の経済的基礎とか、人間天皇の笑顔とかいう高遠な問題は私にはわからないが、俘虜の生物学的感情から推せば、8月11日から14日まで四日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である」(p323)
「我々にとっての日本降伏の日附は八月十五日ではなく、八月十日であった」(p323)
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長い…とにかく長かった。
それに加えて記録を語るのが敗戦色濃厚となった頃にかき集められた年嵩のいった補充兵なのだから軍隊特有の昂りも荒ぶりもなくまるで傍観者のような目線であり読んでいても退屈極まりない。
個人的には「捉まるまで」だけで十分だと思うのだが当時の生きた資料として、そして識者の眼で見詰めた戦争の実態と愚かさを知るためにもやはりこの長さは必要であって耐える読書も決して無駄にはならない。
俘虜の記を通して思うことは兵士とは単なる戦争の道具にしか過ぎないということ…そんなもののために捧げる命とはいったい何なのだろうか
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俘虜となる過程、俘虜としての収容所での生活が描かれている。俘虜として、責任も目的もなくなったことにより、人間の醜さ、エゴイズムが露呈する。
平和で生活が快適であるからそれぞれの穏健な性格を保つことができているだけで、人間の本質は実際このようなものなのだと思う。
震災時の避難所等でもこのようなエゴイズムが露呈すると聞く。ある所から逸脱した時、人間はいくらでも醜くなるものなのだと思う。そんなことを見つめさせられる本だった。
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旺文社文庫版で読んだ。
自分が期待していたのは、捕虜という特殊な立場に置かれた人間の内面だった。
この作品は当時の状況を俯瞰的に眺める立場をとっているので自分の期待していたものとは違っていて読むのがしんどかった。地名とか人名がどんどん出てくるのでよく分からなくなってしまった。
当時の記録として読む分には価値があると思う。実際、これまでの捕虜収容所のイメージと変わったところは多々あったし。