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戦争に関する著書は、ノンフィクション、小説問わず数多くある。特に第二次世界大戦(太平洋戦争)に関する本は、星の数ほどあるだろう。その戦争の意義や勝敗の意味、その後の社会に与えた影響を分析する著作も枚挙にいとまがない。では、それらの著作の中で、戦争の最中に敵軍の俘虜となり、虜囚として過ごした日々を克明に著したものがどれほどあるだろう。
戦いの記録は山ほどあり、我々はそれらによって日本も諸外国もいかに苛烈を極めた戦闘を繰り広げてきたかということを程度の差こそあれ知っている。だが、翻ってみると、戦争で捉われの身となった俘虜が収容所でどんな生活を送ったのか、ということについては意外なほど無知である。
著者がいうように、俘虜という身分はもはや「兵士」ではない。不謹慎を承知の上で戦争をゲームと例えるならば、俘虜はすでにゲームオーバーとなったプレーヤーが、ゲームそのものが終了するのを待つ身ということになるだろう。捉えられ、閑暇を貪る身となった者たちの日常を描く作品が極端に少ないのも、そう考えれば当然と言える。
俘虜となった者たちにも、しかしながら等しく日常は存在する。戦闘に明け暮れる兵士たちの日常がすなわち戦争であるが、俘虜となりもはや戦争への参加を許されない身分となった者たちが、ただひたすらに戦争が終わり、帰還できる日を待ちわびる日常もあるのだということを、『俘虜記』は教えてくれる。
俘虜の一人に大岡昇平という人物がいたことの幸運を、我々は喜ぶべきかもしれない。大岡氏は俘虜という閑暇に満ちた生活を、冷徹に観察し、つぶさに記憶し、静謐に描いたのだから。こうして内部に身を置いた者以外にはほとんど知り得ない俘虜の生活が、本作によって詳らかにされたのである。米軍以外の俘虜となったり、他の収容所に幽閉されたりすることでの違いはあっただろう。それでも、俘虜の生活という一見怠惰にも見える日常を生きいきと、克明に描き、その中から米軍と日本軍の、つまりは米国と日本の(当時の)考え方の違いは浮き彫りになる。
大岡氏はさらに、俘虜の生活を描く中に、自身の省察を挟み込む。例えば俘虜生活の観察を通して、日米の違いを感じ取り、日本軍の敗戦について確信に近い予感を得ていた。俘虜となった絶望、あるいは怠惰に流された生活を送っていただけでは、これらの洞察は得られない。虜囚の身となりながらも、自己を含めたあらゆるものを客観視して、分析できる冷静さを備えていた大岡昇平に対して、だから私は快哉を叫びたい。
抑制の効いた文章は、ドラマティックな展開を期待することなどできようはずもない俘虜の生活がテーマゆえ、時に退屈を感じる人もいるだろう。それでも、「俘虜」という戦争がある以上、おそらく永遠に残り続ける身分とその生活をつぶさに記録した作品として、『俘虜記』を読むことは貴重な経験となったと思う。
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敗北がもたらす堕落を端的に示した作品で,まさに戦後文学を代表するものと言える。これぞ去勢だなと。後半になるにつれてユーモアが増して弛緩していくにつれ,前半の不殺のテーマが張り詰めるといった構成を感じた。
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太平洋戦争後に"戦後派"と呼ばれる作家が登場しました。
その内、一般的に、戦争体験を通して感じたことや、その意味を論じる文学者たちを第一次戦後派と呼び、戦争体験如何に依らず、戦前の文士たちによって培われた小説技巧を昇華させ、新たな手法を取り入れることで優れた小説を生み出していった作家たちを第二次戦時派と呼びます。
大岡昇平氏は、第二次戦時派として真っ先に挙げられる作家だと思います。
本作『俘虜記』は、氏の戦争体験を元に書かれており、小説というよりも体験記に近い内容です。
ただ、他の戦争小説とは異なり、戦争の理不尽の中に置かれた人間の感情吐露などの批判や訴えかけを行っているものではなく、ユーモラスでシニカルな内容になっています。
文章は堅苦しくなく、読者に読んでもらうことを念頭に書いているような感じがありました。
今の大衆小説に通じるサービス精神のようなものが感じられ、そういったところが第二次戦時派として第一次と分けられる部分だと思います。
米軍俘虜(=捕虜)になった主人公・大岡が、俘虜収容所の様子を思うままに書いたような作品です。
大岡は比島のミンドロ島で作戦行動中、米軍兵士に捉えられ、俘虜として連行されます。
米軍の姿は大岡が先に見つけていたのですが、彼を撃たなかったことに関する心情描写がリアルで是非読んでいただきたい箇所です。
その後、マラリア治療のため野戦病院に入り、俘虜収容所で同じように連行された俘虜たちとの生活が描かれます。
そこでの生活は制限された食事、虐待に近い米軍兵士の扱い、病に冒されても治療はされず、生きたまま腐っていく仲間たちの姿が待っている、わけではなく、条約に基づいて丁重に扱われた、それなりに人間らしい日々が描かれるものとなっています。
戦争文学というと、生き地獄のような行軍や、銃弾行き交う凄まじい戦場を駆け巡る戦争ドラマを想像しますが、本作で描かれるのは、食事は残飯が出るほど与えられ、俘虜にも仕事を与えられ給金も発生し、芸術も培われや遊戯も行われる、想像していた戦争中とはちょっと違う内容です。
これはこれで一つの真実だと思いましたが、戦争が終了した後とはいえ、この内容を出版するのは大胆というか、当時、批判があったんだろうなと思いました。
ただ、切り取られた空間に押し込められた人々の本来の姿があぶり出されていて、文明批判のようなものを感じました。
また、作中の大岡は戦争に負けることはもはや自明であると途中で考えていて、天皇制に対する思いのようなものも書かれています。
そういった点で、広く一般的に読みやすい小説でありながら、これからの社会の旗振りを担おうとする、第二次戦後派の文学的傾向が感じられます。
俘虜になってから日本へ帰るまでの、大岡昇平が経験したタイトル通りの"俘虜記"が、装飾されずに淡々と詳細に書かれています。
結構厚く、通読には根気が必要と思いますが、戦争ものとして紛うこと無き名作です。
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なかなか難解な小説である。泥水を啜り、人肉を食しながら生存した兵士の戦争体験物語を想像するなら、全く見当違いである。
作者は会社員を経て、京大卒のスタンダールやドストエフスキーの研究者であり、批評家でもあった。
本作品は、氏の鋭敏な感性で自己の戦争体験を細密に分析した戦争文学である。
大岡昇平は、昭和19年7月に応召し、フィリピンのミンドロ島で暗号手となり、その後前線要員となった。
戦闘中マラリアにかかり朦朧としてジャングルを彷徨う中で米兵と遭遇した際、「米兵を撃てなかったことに対する緻密かつ誠実な省察」は名高い。
戦争と言う異常な体験記が、しばしば誇張に陥りがちな中で、大岡の眼は事実を客観的に捉えており、批判的に考察する姿勢を失っていない。
米兵に捕らえられ、その後の病院そして収容所における生活は日本軍で受けた教育とは異なり民主的な扱いで、ニューギニア方面で玉砕した多くの日本兵と比べれば幸運であった。
しかし、収容所のなかでの俘虜同士の関係や支配者である米兵との関係は、大岡の眼には「米軍占領下に虚脱した日本の縮図」として映る。大岡は収容所で英語力を活かして通訳も買って出ていたので、米兵に阿諛せざるを得ない相剋を感じていたようである。
本書は、生々しい戦闘場面よりも、戦場や俘虜収容所における兵士の心情に力点が置かれている。そういう意味では、極めて哲学的な文学作品と言え、やや難解な部分が随所に見られる所以である。
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戦争文学の傑作。
戦争の最中に起きた筆者自身の心情や自分の行動を緻密に分析、客観視している。
本書の特徴は筆者の冷静さである。感情的な言葉で表せられることが多い戦争の事実や心情を彼は冷静に見つめ直し、表現している。
私のような戦争未経験者が戦争に触れるとき、"必ずしも"激しい怒りや悲しみを感じるわけではない。「直接経験していない」ことが常に我々に一定の冷静さを与える。本書における筆者の態度は戦争の悲惨さに対してある程度冷静にならざるおえない私の心情に近く、それが本書を読みやすくしている。激情や悲しみ、怒りを伴わずとも我々は置いてけぼりを食らわなくて済む。
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太平洋戦争。フィリピンのミンドロ島へ出兵した筆者。そこで米軍に捉えられ捕虜となる。その体験を記した本書。殺せたはずのアメリカ兵をなぜ撃たなかったのか?なぜ自殺ができなかったのか?その問いをつぶさに、自分自身にぶつける誠実な手記。
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第二次世界大戦中にフィリピンで戦い俘虜になった作者が、自身の経験を綴った体験記
大まかな構成としては、俘虜として捕まるまでと捕まった後に大きく分けられ、俯瞰的な視点から、教養に溢れた文体で自身が観た光景とそこから作者が得た解釈を記載してます。私の視点からすると差別的な表現が一部入っているのは気になりましたが、当時としては、これが一般的な感覚だったのでしょう。
ネットで見た情報では、大戦中の日本兵俘虜の死亡率は10%程度と書かれていましたが、とてもそんな過酷な感じはしませんでした。俘虜になった場所で待遇が違ったのか、それとも通訳を行っていた作者が恵まれた場所に移送されたのか分かりませんが、想像するに、これより遥かに過酷な収容所もあったでしょうし、これが一般的な対戦中の俘虜の状況かは疑ってもよいかもしれません。
何にせよ、作者の筆の力は凄く、その文体だけでも引き込まれるものがあります。作者は特別に才能があったのでしょうが、戦前•戦中のインテリ層の教養の高さを思い知らされました。
個人的には俘虜になる前の描写が、最も印象的で、些細な判断が自他の命運を分ける場面や、死を確信した後に撃てる敵を撃たないと決めたときの心情描写などが、読後も心に残りました。