投稿元:
レビューを見る
全体から漂う「オレってすごいでしょ」感はちょっと気になりますし、「仮説」にしては断定的にすぎるように感じますが、ただ内容はとても興味深い。
脳はなぜ「心」を作ったのか。「どのようにして」ではなく「なぜ」を考えているのが良い。
・「意識」は脳内のニューラルネットワークの活動の結果だけを「受動的」に受け取っている観察者にすぎない
・「意識」が主体的に何かを決断しているように感じるのは脳が作り出す錯覚にすぎない
・「意識」はエピソード記憶をするために存在している
・感情はクオリアを鮮やかにし、エピソード記憶にメリハリをつけるために存在している
投稿元:
レビューを見る
2020.22
・心は無個性な小人の反射で成り立つ。
・意識的に動かそうと思うよりも、無意識的に筋肉を動かす信号のほうが早い。
・知情意、記憶と学習、意識が脳の役割
投稿元:
レビューを見る
とある小説の参考文献に使用されていて興味が湧いて読んだ。
自分の意識はエピソード記憶のための脳による錯覚、
脊椎動物と無脊椎動物の脳や意識。
夢の意味。ロボットの心、死とはなにか。
哲学者、宗教家たちがたどり着いた答え。
著者が呼んでいる受動意識仮説とは、なかなか衝撃的だった。
難しい内容で何度も読み直したので読了まで時間かかったけど、今まで考えたことがなかったことが次々に出てきた。この分野に興味が出てきたのでしばらく関連文献を読みあさろう思った。
投稿元:
レビューを見る
面白かった。
受動意識仮説とは、一言で言うと、「意識は司令塔ではなく単なる観察者である」という考え方。
普段意識している「私」が行動を決定している、というのは錯覚で、行動は無意識下でたくさんの私の中の小人さんたちが多数決の上で決定している。意識はそれをエピソード記憶のために傍観しているに過ぎない。
今まで信じてきた全てが覆されるような気もするが、なんか普通に受け入れられた。
むしろ、そうであるからこそ、日々の積み重ねというのは重要だな、と思った。
途中、「私の中の私を意識する私」みたいなたくさんの「私」が登場して混乱しつつもなんとか読了。
前野さんの言っていることの半分も理解していないと思うが、勝手に満足。
投稿元:
レビューを見る
意識は、知・情・意を司る無意識のニューラルネットワークの結果を受け取る受動的な存在であり、エピソード記憶する存在、自己意識のクオリアは無個性なものであるという「心の地動説(受動意識仮説)」は、とても面白い。脳は空間や時間についても錯覚によるつじつま合わせをしているという不思議。個性や自分らしさは、無意識のニューラルネットワークによるものというのも新鮮。脳の仕組みや心についてはまだまだ解明されていないことが多くあるが、これからどんなことが明らかになっていくのか楽しみ。
投稿元:
レビューを見る
こういった類の本の中ではわかりやすく、読みやすいと思う。もやもやさせがちなポイントをきっちり片付けているのも理系ならではでさすが。文庫版はその後の感想や疑問に対しての答えも出しているので、文庫版で回収できる方もいるのではないかなと思う。
結果的によくはわからなかったけど、面白かった。
投稿元:
レビューを見る
0 どんな本?
心は何故あるのか?と言う仮説と心の仕組みを教
えてくれる本。コペルニクス的転回があって気付き
や学びが多い本。
1 何で読んだの?
(1) 心の成り立ちを知りたいから。
(2) 心の目的をしろたいから。
(3) 自分と向き合うときに役立てたいから
2 構 成
全5章構成230頁。心とはから始まり、「心とは
理解可能だが予測不可能」と言うロマンを残して終
わる。
3 著者の問題提起
宇宙の成り立ちと心の成り立ちは同じように解明
不可能なものに感じるが、心は科学で解明出来る。
4 命題に至った理由
ロボット工学専門の著者が、様々な研究等から心
は単純なメカニズムで作る事すら可能だと結論した
から
5 著者の解
心とは神秘では無く、進化の過程で生じたエピソ
ード記憶の為の受動的なものである。解明出来る
し、作る事すらできる。
6 重要な語句・文
(1) 知情意、意識、無意識
(2) クオリア
(3) バインディング
(4) 小人
(5) 私、「私」<私>
(6) 下流
(7) エピソード記憶
(8) フィードバック・フィードフォワード
(9) フィードバック誤差学習(がむしゃら)
(10) 順モデル・逆モデル
7 感 想
読んでいてサピエンス全史を思い出した。サピの刊行前なのに内容が被るのは学者さんの中ではこう言う考えは以前から常識なのだろうか?
刺さったの<私>は無個性である事。深く知りたい事はクオリア。人に勧めるなら「私」は下流であると言うこと。タイトルの「脳は何故心をつくったのか?」を説明する内容だった。
コペルニクス的転回のある知的刺激のある良書です。
8 todo
(1) 小人の育成にフォーカスした成長計画
(2) 後世を意識した人生(特に子育て)
(3) 小人を意識した選書
投稿元:
レビューを見る
はっきり言うと、自分にとってはレベルが高くて、しっかりと理解できたかと言うと自信がない
ただ、自分の意思でやってると思うことは全部無意識で、「私」というのも無意識の中に存在すると言うことがわかった。
「私」というのは人間みな同一なのに、脳の中の小人が「私は○○だ」と過去の記憶や経験の中で学習して判断している。
体を動かす時も自分の意思よりも早く脳の小人は動きを予測し指示を出している。意思よりも無意識が優位ということがわかる。
この無意識の動作を高めるには目の前に広がるものを言葉としてではなく、五感で受け止めて、小人たちをたくさん考えさせ、学ばせなければならない。だからこそ目の前の小さな幸せを見つける努力をすればするほど、脳も幸せで満たされるということがわかりました。
投稿元:
レビューを見る
私は霊の存在にずっと疑問を感じてきた。見たことがあるという人は何かの目的があって嘘をついてるのではないかと思うことすらあった。私自身がそういう体験をしたことがなかったからだ。
でも本書を読んで、見た人も嘘をついていたのではなくその人の脳内で実際に体験していたのだということを知ると謎がとけた気がした。
図書館で借りて呼んだのだが、全部を理解できてはいないので購入して理解出来るまで再読したいと思う。
投稿元:
レビューを見る
「人間の意識は主体的なものではなく、無意識がやったことを後から把握して、自分がやったと思い込む錯覚にすぎない」という受動意識仮説を唱えた前野隆司教授の著作。
茂木健一郎氏がよく持ち出す「クオリア」を幻想にすぎないと断言するなど小気味よい筆致で、とても分かりやすい。
哲学において長い間議論されてきた脳と心の関係について、これまでの考え方を全部ひっくり返すような説だが、十分納得できる内容であった。
ただ、以下の点は未だ疑問が残る。
・意識が錯覚にすぎないとすると、その錯覚を見ている主体は何なのか。
・意識は、エピソード記憶を行うために存在すると言うが、エピソード記憶のために意識は必要なのか。無意識ではエピソード記憶ができないのか。
投稿元:
レビューを見る
・読み終わって感じたこと
小さい頃に死んだらどうなるんだろ…と考え、テレビの電源がいきなり切れるイメージをしてました。ある意味でテレビを見てる自分は受け身なわけで、受動的意識仮説に近いイメージを自分もしていたんだなと思いました。
依存症の本を最近読んでて、本人の意志の弱さが依存の要因ではないというのをとてもよく理解してきました。そんななかで、意識はニューロンたちの提示したものを最終的に見てる受け身な存在であり、主体的なものではないという筆者の仮説はスッと入るところがありました。
ところどころに禅の思想に近いものがあって、哲学や宗教的な話に感じるのですが工学をベースにしてるのであまり胡散臭さを感じず読めました笑。
人と同じように意識をもつロボットがでてきたら、人権問題やら宗教的問題やらとてもホットになりそうで、それが現実にならないとも言えない…そんな未来への予感を強める恐ろしくも面白い本でした。
投稿元:
レビューを見る
わかりやすいように絵や比喩をいれてるんだけど、それがすごくズレててモヤモヤ…
この方の文章やっぱり苦手だ。
投稿元:
レビューを見る
現代の脳科学にもとづいて、心はいったいどのような機能を果たしているのかということを明らかにし、心脳問題の謎にせまった本です。
本書は、脳科学になじみのない読者にも読みやすいように、わかりやすいたとえ話を用いながら、心と脳の関係を説明しています。とくに著者は、さまざまなモジュールを統合する自我の存在を想定する考えかたをしりぞけ、それは大河の多くの源流をすべてコントロールすることに似ていると論じています。そして、むしろさまざまな支流が集まる下流でそれを眺めていることのほうがはるかに容易であるということから、さまざまなモジュールによって引き起こされる結果を見て、それを統合している自我という「錯覚」が生じているにすぎないと説明しています。
さらに著者は、こうした錯覚が生じたのはいったいどうしてなのかと問いかけ、エピソード記憶を実現するために自我が生まれたのではないかという考えを提出しています。ただこの点にかんしては、エピソード記憶の意味を理解するのは自我であるという、説明するべきことがあらかじめ前提されてしまっているのではないかという疑問も感じます。
本書の後半では、心についての自然主義的な理解がいったいどのような帰結をもたらすのかということについても考察がなされており、動物倫理やロボットの権利といった問題についても説明がなされています。また補遺として、ニューラルネットワークにかんする基本的な解説もあり、心脳問題に関心をもつ読者であれば興味深く読むことのできる内容だと感じました。
投稿元:
レビューを見る
この本を読んだ私なりの理解では、この本には「我れ思う故に我れあり」の我れって、どこに在って、どんな実態のものなんだろうということが書いてある。思っている我れという存在は確かに在るんだけれど、案外ぼーっとしているもののようだ。ものを考える時に本当に頑張っているのは、我れからは気づき難い小人たちらしい。
この本を読んで、トイレの中や、風呂の中、散歩中などにとつぜん名案が浮かぶ原因がわかった気がする。とつぜん名案を思いつくのではなく、我の気づかないところで、課題の解き方を考え続けている小人たちがいるんだろう。棍を詰めて考えている最中や自動車の運転中、ジョギング中は、脳の中のゆとりがなくて、小人たちが考えるのを阻害したり、小人たちが我れにかけてくれる声を聞き取れなかったりするのだろう。1日のうち何十分かは、ボーッと生きているのがいいと思う(私の場合は、最近そんな暮らし方だ)。
投稿元:
レビューを見る
面白かった。仏教の「非二元」を別の方角から見直すことができた感覚。やっぱり、真ん中は空洞なんだな〜。